ロットン・グラビティ
前回までのあらすじ!
あの世の偉人を集めた天下一武道会! 最近現生人類に対する知名度が低くなって肩身の狭いニュートンはここで優勝して自分の知名度を高めようとするも、なんと大会側から支給された武器はりんごだけだった!
「え、なんでなん? 僕結構生前偉大な発見とかしたやん。それがなんでりんごだけ? おかしない。重力とか僕が見つけたんですけど?」
と大会側に抗議するも、「いや、重力関係はアインシュタイン博士がとっていったんで」となしのつぶて!
そんなこんなではじまった第一試合! 対戦相手ノーベルの爆弾攻撃に瀕死直前のニュートンだったが、りんごを胸に詰めダイナマイトボディ炸裂、鼻血で貧血になったむっつりすけべノーベルから起死回生の勝利をもぎ取る。
しかし戦いはまだ始まったばかりだった! 続く第二試合、雪の降りしきるホワイト・クリスマスの中、降り立った対戦相手を見てニュートンは思わず呟いた。
「キ、キリスト……?」
ロットン・グラヴィティ
プロローグ
運転席の窓から僕は黒い宇宙を見下ろした。その中でポツリと、ちいさな白い点が光っている。まるで動いていないように見える緩慢な動きで、その小さな点は黒い宇宙の中心へと落ちていった。僕は葉の先に火をつけると、ゆっくりと煙を吸い込んだ。
1
微惑星群を抜けると、運転をオートパイロットに切り替えた。僕は散りばめた様に光る星々を見つめ、大きく欠伸をした。
これに乗ってもう一ヶ月になる。出張というよりはもはや単身赴任という感じだ。
頭の上の照明が消える。それで今が夜だということが分かった。地上と違って朝夕という概念がない宇宙では時間と共に移り変わる船内の照明だけが一日
という概念を僕に忘れさせないでくれていた。
運転席から立ち上がりキッチンの方へと向かった。何か食事を取ろうと思うも、体がそれを求めていないことに気づく。結局レーションをひと袋かじっただけで食事は終わった。
歯を磨きながら運転席へともどる。次の星に着くのは三日後だ。頼むからお目当てのものが見つかりますように。そう願うだけだった。
ネクタイを外しながら運転席からダイニングの方へと向かい、僕は着替えもせずにソファへと寝転がった。
「トニー、どうしたんだ。浮かない顔して」
僕は机の上の書類をまとめる手を止めて前を見た。
「どうもこうもないよ。出張さ」
僕は両手のひらを広げて言った。職場はざわついていて、皆が忙しそうに悪き回っている。
「うへえ、そりゃご苦労さん。まあ、うちのエースだしな」
僕は彼の言葉に曖昧に笑った。
「どれくらいの出張になりそうなんだ?」
「わからない。結局相手次第だからね」
僕は机の上のものを全て鞄にしまうとそう彼に答えた。出発のベルが鳴る。やたらとうるさい。僕は走り出す。ベルは止まない。必死になって僕は行き先を探す。けれどそこになって自分が一体どこへ行きたいのかが分かっていないことに気がついた。ベルが急かすように鳴り響く。しかし僕は一体何に乗ればいいんだ?
まぶたを開くと暗い宇宙船の中だった。ベルの音が聞こえる。僕は目を擦りながら運転席へと向かった。誰かがこの宇宙船に連絡をかけている。僕は操縦桿横のボタンを押して、通信をつなげた。
「あ、つながったか?」
「つながってるよ。どうかされましたかい」
「ああ。今、あんたのいるところから約二百座標ほど離れたところにいるんだ。実は自分の船の燃料が切れちまってね。誰か近くを通る人はいないかと待っていたんだよ。頼む、助けてくれないかな」
僕は少し悩んだあと、マイクに口を近づけて返事をした。
「分かった。向かうよ」
「助かる」
僕は彼のいる方へと船の舵をきった。
「悪いね。ありがたい」
運転席の窓から顔をのぞかせながら彼は言った。短い髪に、口元にうっすらと生えた髭。僕は彼の顔を運転席から見下ろしながら、マイクで彼に言った。
「燃料がないってことだったよな。補給用のがいくらかあるからそれを使ってくれていい」
「どうすりゃいい?」
「とりあえず、この船のドックに入ってくれ。できるかい」
「ああ、大丈夫だ。それくらいの移動ならできる」
僕は天井のレバーを引っ張り、船の後部のドックの入口を開けた。彼の宇宙船がそこに入るのを見届けて、ドックの入口を閉め、そっちへと向かった。
「助かった、ありがたい」
身長は高く、170センチの僕より、頭一つ大きい。引き締まった体に、黒いモッズスーツをだらしなく着こなしていた。
「しかしでかい船だな。あんたの他に誰か乗ってるのか?」
「いや、僕だけだ」
「これは? これもあんたのか?」
彼はドックの中の小型機を見て聞いた。
「まあ、そうとも言えるかな」
「すげえ。最新のレース用宇宙船じゃないか。それにこの空母型宇宙船。もしかしてあんた、どこかのボンボンなのか?」
「違う、違う。正確には僕のじゃないんだ」
ぼくは右手を顔の近くで小さく振りながら答えた。
「実は今、出張の最中でね。これは全部会社のものだよ。僕はそれを借りているだけだ」
「なるほど。どうりで」
彼は辺りを見渡しながら言った。
「あとひとつ聞いていいかい?」
彼は船の後方を指さして言った。
「この船の後ろにくっついてる、あのでけえマシンはなんだ?」
僕は答えた。
「仕事の道具だよ。気にしないでくれ」
「そうか」
彼はそう言うと僕の顔を見つめた。
「……な、なんだい?」
「いや、あんた、どこかで見たことあるような顔だと思って」
「気のせいだろう」
「……まあ、そうだろうな」
僕は胸をなでおろした。
「とりあえず、燃料切れてるんだろう。補充しよう」
僕はドックの隅にあった燃料缶を持って、はしごをかけて彼の宇宙船に近づいた。けれど。
「なんだこれ……」
彼の宇宙船の燃料タンクは無数の穴が開いていた。これじゃ燃料切れになるのも当たり前だ。入れた途端、その穴から燃料がこぼれ落ちていくのだから。
「あちゃあ。穴空いてたか」
「君はこんなに大きな穴が空いていることに気がつかなかったのかい?」
僕は後ろを振り返って彼に聞いた。直径三センチ以上の大きさの穴、それが少なくとも十数個開けられている。
「途中、デブリの群れをかき分けてきたからな。多分その時にぶち開けられたんだろう」
彼は手のひらを天井に向けて、頬を片方釣り上げながらそう言った。
しかし、これじゃどうしようもない。
「これじゃいくら燃料をいれたってしょうがないぞ」
僕ははしごから降りて彼にそう言った。彼はスーツのポケットから煙草を取り出して火を点けた。
「申し訳ないんだが、このままあんたと一緒に連れていってはもらえないかな」
彼は煙を吐き出すと僕にそう聞いた。
「このままじゃ、いくら燃料を詰め込んだって、修理しなきゃ動けない。どこでもいい。船さえ直れば。あんたのお仕事の邪魔はしない。なんならお礼にいくらか渡してもいいしあんたの仕事を手伝ってもいい。どうにかならないか」
僕は彼の吐いた煙を払いながら言った。
「別に構わないし、お礼もいらない。どちらにせよ、この近くの惑星に行くつもりだったんだ。だけどこれだけは守って欲しい」
「何だい?」
僕は彼の口先の煙草をつかむとそれを落として靴の裏ですりつぶした。
「この船は禁煙だ」
2
「ただいま」
玄関の扉を開けると同時に僕は言った。
「あなた、おかえりなさい」
ダイニングから妻のパトリシアが身を乗り出して僕の方を見た。その腕の中には、僕たちの子供のが穏やかな顔で眠っている。
「今日は早いのね」
「明日から出張なんだ」
僕はコートをハンガーにかけながら言った。
「そう」
一瞬の返事だが、それで彼女の心の変化がわかった。
「どれくらい出ていくの?」
「わからない。もしかしたら三日で帰って来れるかもしれないし」
「もしかしたら一生帰ってこないかもね」
彼女は僕に背を向けてそう言った。
「大丈夫だよ、ただの出張だ。……ほんとさ」
僕は彼女の背中を抱きしめながらそう言った。
「ほんとに大丈夫?」
彼女が聞く。
「大丈夫だ」
僕は答える。
「大丈夫か?」
声が聞こえる。
「大丈夫だ」
僕は答える。
「本当に大丈夫なのか?」
どこかから声が
「大丈夫なはずだ」
僕は意地になって答える。妻も娘も消えてしまって、暗闇の中声だけが聞こえる。
「何が大丈夫なんだ?」
声が僕に聞いた。
「何が大丈夫なんだ?」
僕は応えられず、ただ声に聞き返すしかできない。
「おい。大丈夫か」
ほほに痛みを感じて僕は身を起こした。
「うなされてたぜ。何か悪い夢でも見てたんじゃないのか?」
ジャンは僕の頬を叩くのをやめると、トイレの方へと向かった。
僕は首の下を中指で掻きながらゆっくりと体を起こす。二脚の向かい合うソファに挟まれたテーブルには昨日の惨状がそのまま残されていた。巻き散らかされたナッツの殻、ビン底に漂ったウィスキー、溢れたトニック・ウォーター。頭を動かすと脳の奥底が鈍く痛む。
「昨日のことは覚えてるかい。まさか俺が誰か忘れたってことはないだろうな」
彼はトイレから出るとズボンのベルトを締めながら僕にそう聞いた。
「ジャン・リュック。昨日この船に入り込んできた、ヘビースモーカーの居候」
「正解」
彼はそう言うとワイシャツを羽織りながら僕を呼んだ。
「起きろよ。飯にしよう」
「君はよく朝からこんなに食べようと思えるもんだ」
目の前の食べ物の山を見つめながら、僕はコーヒーをブラックのまますすった。
「そうか?」
彼は特段不思議でもなさそうにスクランブルエッグの塊を口の中にかきこみ、トーストをほおばった。
「目的地に着くのはあとどれくらい?」
「あと丸一日はある。少なくとも今日は暇だ」
彼はまるで漫画のように目の前の大量の食べ物を平らげてしまった。そして懐から煙草を取り出し、火を付ける。
「禁煙」
「おっと」
彼はシンクに向かい、煙草の先に蛇口から垂れる水をかけた。
「厳しいな。煙草を吸ったことはないのか」
「娘が出来たとき、やめた」
僕は答えた。
「娘がいるのか」
「君は?」
「妹が一人、それだけ」
「両親は?」
「すまないが、この話はやめにしないか」
彼は俯いてそう言った。
「わかった」
僕はただ一言そう答えた。
「運転席を見てくるよ。一応経路を確認しておきたい」
僕はコーヒーを半分以上残したまま席を立った。
運転席のディスプレイを見ると、彼の言ったとおり、次の惑星までの到着時間まで丸一日あった。彼は僕の後ろから操縦室に入ってきて、助手席に座った。
「ラジオをつけても?」
「どうぞ」
彼は僕が答え終わる前にラジオの電源を入れて、チャンネルをセットし始めた。やがて雑音がクリアな音に変わると、スピーカーからギターの乾いた音が流れ始めた。
「イーグルスだ」
「知ってるのか」
僕は彼に聞いた。
「知らないのか。といっても何百年も前のロックソングだ。知らない方が当たり前か」
彼はそう言って助手席のシートにもたれかかった。
「ロックはいい。地球で生まれたもので唯一生き残る価値があるものだ。この歌はな、目的地をなくしてしまった男の詩なんだ。夜を過ごすためにホテルに寄った男、初めのうちは居心地良く滞在していたが、そのうち自分がここから出られなくなってしまったことに気づくんだ。彼に向かって声が聞こえる。ようこそホテル・カリフォルニアへ。なんて素敵な場所だろう。彼らはこのホテルで生きていく。なんて素晴らしい驚きだろうってな」
僕はディスプレイをタッチしながら残り燃料などを調べていた。
「あんた、どこの出身だい?」
「…………」
「どうした、言いたくないのか?」
「そんなことはない。ガリオアという小さな惑星だ」
「聞いたことだけはある。やけに遠いところから来たんだな」
「そんなことないさ。君は?」
「俺はエロアの方だ」
「ということはここから近いな」
ディスプレイを三次元地図に変更して、僕は言った。ディスプレイから浮かび上がるようにホログラムの宇宙図が表示される。
「あんなところで何をしてたんだ?」
僕は椅子の背にもたれかかって天井を見上げている彼に聞いた。
「別に、ちょっと用事があっただけさ」
3
父さんが僕に言った。
「いいか、トニー。人間と他の動物の違いはなんだと思う?」
僕は首を横に振った。
「理性だよ。動物には人間のような理性はない。彼らは本能で動いているんだ。彼らの遺伝子には生き残る術がびっしり書かれているんだ。しかし私たち人間の遺伝子にはそのようなものは記されていない。人間の人間たる由縁はその多様性にある。そうではないと口角泡を飛ばして叫ぶ人もいるが、そういう人も人間の多様性のひとつでしかない」
僕は父が何を言っているか分からず、首を少し傾けた。
「つまりだ。人間には多様性が認められているからこそ、正解となる生き方というものが存在しないんだ。だから、本能じゃないもので自らの生き方を考えなければならない。それが理性だ」
父はカーペットの上で胡座をかいて説き伏せるように言う。蛍光灯の暖色の光が僕と父を包んでいた。
「理性でモノを考えなくちゃいけない。人間には種の生存本能は書き込まれていない。だから何も考えずに動けば、それは必ず周り、もしくは自分を滅ぼす結果となる。だからトニー、理性で考えるんだ。自分が何を行い、行わないのか」
僕は父の話がそこで終わったのだと気づかず、間を置いて慌てたように頷いた。
父は困ったように笑いながらも、僕を抱きかかえて両腕で持ち上げた。僕は、まだ幼くて柔らかい肉がまとわりついたような腕を父の方へと向けた。
「パパ」
僕は父に聞いた。
「じゃあ、パパは理性でどういう風に考えてきたの?」
父は誇らしそうに笑った。
「お前たち家族を守ること、それを最優先だと考えてきたんだよ」
僕は安心したように笑う。父も笑った。ざらついた笑い声で。その音がどんどんと大きくなる。甲高い音だ。僕は急に不安になって父を見下ろした。父は笑っている。いつまでもずっと。僕は怖くなった。下ろしてくれ。頼む、下ろしてくれ!
そう叫んだ自分の声で目が覚めた。
向かいのソファでジャンは大きないびきをかいている。僕はゆっくりと体を起こすと運転席へと向かった。うるさく鳴り響くブザーを止めると、運転席の窓から景色を眺めた。
「おい、ジャン、起きろ」
僕は眼下の赤い惑星を見ながらそう叫んだ。
「とりあえず、どこに行けばいい?」
「まずはガソリンスタンドでいいだろう。その時、店員に近くにある修理工場の位置を聞けばいい」
僕は頷いて上空を飛行しながらガソリンスタンドを探した。地上は赤っぽい土に覆われていて、それが風に吹かれて舞っている。アスファルトの国道が僕たちの進む方向に向かってまっすぐに伸びている。その周りに黒いタイルのようなものがびっしりと地面に敷き詰められていた。
やがて、視線の先に小さなガソリンスタンドがポツリと見えた。僕はゆっくり高度を下げると、船をスタンドの横に停めた。
ハッチの扉を開けて地面に降りる。地表を覆う赤い土は湿り気を全く帯びておらず、手のひらですくって持ち上げると、すぐさま風に吹かれて飛んでいった。砂漠のような景色なのに、なぜか少し肌寒かった。
「どうしたんだ?」
ハッチから外に降りようとしないジャンに僕は聞いた。
「いや、別に」
「手伝ってくれよ。僕はここらへんのガソリンスタンドを利用するのは初めてなんだ。君がやってくれ」
「ガソリンスタンドのシステムなんて、どこも同じだろ」
「それに修理工場の位置も聞かなきゃいけない。それも全部僕がやれっていうのか」
「今朝からあまり調子が良くないんだ」
「……わかった。だけど煙草を吸うならどっちにしろ外に出てくれ」
僕が苛立ってそう言うと、渋々といった様子で彼はハッチから外に出た。
僕は大きくため息をついて、コインを入れるとホースから船へとガソリンを注ぎ始めた。
後ろを振り返ると、彼は居心地悪そうに煙草を持つ腕をくねらせている。周りを見ると、他の客が横目で彼を見つめていた。
「ジャン、修理工場の場所を聞いてきてくれよ」
僕は彼にそう言った。
「いや、ガソリンを補給したらすぐにここから離れよう」
彼は僕の方を見ずに言った。
「なんでだよ。二度手間だろ。子供じゃあるまいし、ただ聞くだけじゃないか。それくらい聞いてくればいいじゃないか」
僕はタンクが満タンになったことを確認してホースを引き抜きながらそう応えた。客の一人が建物の方へと小走りで走っていった。
「いや、いい。早く行こう」
彼は急かすように声を大にして叫んだ。
「待ってくれ。せめて小型機の方も燃料をいれさせてくれ」
僕がそう言うと、苛ついたように彼は怒鳴った。
「いい加減にしろ。言うとおりにしてくれ。早くここから離れるんだ」
僕は不機嫌を隠さずに彼に怒鳴り返した。
「いい加減にするのは君の方だ。一体君は何様のつもりなんだ。君は言ってしまえば僕の船に乗った居候で、僕はその船の持ち主だ。もっと僕に気を使ってもいいだろう」
その時、後ろからサイレンの音が聞こえてきた。ISSPの警察船がこちらへ向かって飛んできているのを見た。へぇ、こんな田舎の惑星に武装スペースシップか。僕がそんなことを頭の中で思っていたと同時に彼らは僕たちに向かって発砲を始めた。
巻き上がる粉塵の中、僕は思わずうずくまった。銃声がやんで、横を見ると、地面に無数の穴が開けられていた。彼の乗っていた宇宙船に開いていた穴と同じだった。
「ジャン・リュック! テラ・エネルギー社に対する企業テロの容疑で逮捕状が出ている! 速やかにおとなしく投降しろ!」
拡声器から響くざらついた声が聞こえる。粉塵の幕が風で振り払われた視界の先で、無数の警官がこちらに向かって拳銃の先を向けていた。
「おい、一体どういうことだ」
僕は分かりきったことを問いただそうとジャンに向かって振り返ろうとした。しかし、それを言い終える前に彼の腕が僕の首元へと挟み込まれ、こめかみにハンドガンの冷たい金属の温度が伝わった。
「言うとおりにしてくれ」
彼は耳元で僕に言った。彼はハッチの方へと、僕の頭に銃口を向けたまま向かった。大勢の警察官が拡声器で投降を強いる中、彼は僕と共にハッチに入ると、運転席に向かい、船を上空へと飛びだたせた。
4
「なんで、テロだなんて考えたんだ」
なんとか警察の追っ手を振り切り、恒星の軌道上に乗ったところで、僕は彼に聞いた。
「俺のふるさとについてどれだけ知っている?」
彼は煙草の先端に火を点けた。僕はあえてそのことに何も言い返さなかった。
「……ほぼ、なにも」
彼の吐く煙草の煙の臭いは、いつもとは違った匂いがした。
彼は少し黙ったあと、僕の方を見ずに話し始めた。
「俺たちの星に、地球からの奴らが来たのは三十年ほど前だった。うちの惑星系の中心のメルボドって恒星は地球の惑星系にある恒星の太陽より何倍も大きなエネルギーを持った星だったらしい。地球の奴らはそこに目を付けた。光エネルギーを利用可能なものに変換する装置を、奴らは俺たちに貸し付けた。奴らは言った。このエネルギーを売れば、俺たちはもっと豊かになれると。俺たちはそれを聞いて喜んだ。地球の豊かさは俺たちの星とは比べようもないほどだった。エネルギーを売却すれば、俺達も地球と同じくらいに豊かになれると信じていた。俺たちの惑星は砂漠の星だ。メルボドからの強い光で、土地はすぐに乾いてしまう。食い物を育てるのにさえ必死にならざるを得ない、貧しい星だ。そんな国でも、エネルギーを売れば、あいつらと同じような生活ができる、儲かった金で食い物も買える。少なくともあいつらはそう言ったんだ」
僕は彼の顔を見つめた。彼は操縦席から宇宙の姿を見つめていた。
「けれど俺達は騙された。俺達の暮らしはひとつも豊かになんかならなかった。あんたもさっきの星で見たろ? あの黒いタイルみたいなもの。あれがメルボドからの光をエネルギーに変換する装置だ。あの装置は借り物だ。毎年賃貸料を払わなくちゃいけない。それに加えて、あいつらは俺たちの星以外にもあの装置を貸していた。供給が増えるとその分、価値は下がる。簡単な経済の話さ。最初の方は賃貸料を払っても、まだ儲けが出ていた。だから俺達は騙されたんだ。これで俺達も豊かになるって。それがだんだんエネルギーの買取額が減っていった。儲けはどんどん少なくなり、それでも儲けを出そうと俺達は装置の借入量を増やした。しばらくはそのおかげで儲けが出る。けれど、すぐに周りも同じように装置の借入を増やす。エネルギーの価値は下がる。また装置を借り入れる。少し儲けが出る。けどすぐにエネルギーの価値が下がる。負債額が増える。また装置を借り入れる。それの繰り返しだ」
僕はさっきの星で見た、地面を覆う黒いタイルを思い返した。彼のタバコの臭いが僕の頭に突き刺さる。
「だったら、もう全部やめてしまえばいい。装置を全部返して、以前のような暮らしに戻ればいいじゃないか」
僕は彼に言った。しかし彼はまるで無知な赤子を見るように僕を眺めると、操縦席から見える宇宙の一点を指さした。
「あれが見えるか?」
彼は言った。彼の指さした方向を僕は見つめた。彼の言う恒星メルボドが見える。
「あそこに向かって伸びる薄く白い光の帯みたいなものが見えるか」
僕は彼の指差す方向へ振り向いた。彼の人差し指の延長線上に、まるで窓から入ってきた太陽の光に照らされた埃のようにぼんやりとした白い点がメルボドに向かって伸びていた。
「プラズマ光線だ。奴らは俺たちに装置を貸し出すと共に、エネルギーの生産効率を高めるために、プラズマ光線を使ってメルボドの光を増幅させた。メルボドは光を発しながらどんどん膨張していった。以前より格段に鋭い日差しが地表に突き刺さり、植物の育たない砂漠の地域が惑星全体まで広がった。けど、それだけじゃない。信じられないことだが、しばらくするとメルボドから発せられる熱がどんどん弱まり始めたんだ。メルボドは昔は青白かった星だったのが、今では赤く変わってしまった。お前も変だとは思わなかったか? 日差しが照りつけているのに、なんとなく肌寒さを感じただろう?」
僕は言われて納得した。さっきの惑星に降り立ったとき、思ったより寒く感じたのはそのせいか。
「俺たちの故郷はあいつらに草一本生えない砂漠にされたばかりか、これからはどんどん寒くなって人間も生きられない星にされる。どうにかしようにも金がない。いくら働いてもエネルギーは二束三文で買い叩かれて俺たちの懐には雀の涙ほどの金しか入ってこないんだ。お前はわかるか? 寒い寒いと凍える妹を病院にも連れていけず、温める毛布も買ってやれず、ただただ息を止めるまで横で手を握ってやることしかできない絶望感を」
「だから、エネルギー会社を襲ったって?」
僕は淡々とそう言った。睨みつけるようにジャンが僕に視線を向けた。
「バカにしてるのか」
「ああしてるよ。妹の恨みを晴らすために会社を襲っても、結局何にもなりやしない。君は捕まって、会社は今までどおり営業を続け、君の妹と同じ境遇の子供が増え続ける。無意味なことに全力を注ぎ、本人はいたって真面目だが周りから見るとこっけいなコントにしか見えない。君はまるで気の狂ったピエロだ」
ジャンは僕に銃口を向けた。
「君がいま吸ってるその煙草は、タバコの葉を詰め込んだものじゃないだろう。麻薬で自分に都合のいい夢を見ている暇があるほど、君はもう子供じゃないはずだ」
「黙れ」
彼は血走った目でそう叫んだ。薄暗くなった船の照明の中で彼の声がうつろに響いた。
「あんたには所詮わからないだろう。豊かな国でなにも不自由なく育ったあんたには。自分の身に起こることが全て自分が原因で起こったものだと信じきってる奴らにはな。多様性という言葉が貧しさも恐怖も不幸も許容されると信じきっている。俺たちはまるで奴隷だ。いや、奴隷よりひどい。奴隷なら領主は奴隷を養い育てる義務があるが、自由主義の中では自己責任という名のもと、すべて俺たちが背負い込まなければならない。あんた、自分の幸福が他人の不幸の上で成り立っていると思ったことが一度でもあるか」
彼の指が引き金にかかった。
「僕が言っているのはそういうことじゃない」
僕は彼から視線を外して言った。
「……どういうことだ?」
彼は引き金に指をかけたまま僕に聞いた。
僕は素早く彼の拳銃を掴むと、瞳をのぞき込み答えた。
「僕ならもっとうまくやる」
「君がプラズマ光線だといったあれは、厳密には違う。恒星の核融合は衝突核融合ではなく熱核融合だ。恒星は隕石の衝突で出来た大きな岩の塊が、万有引力の力で引き締まり、やがて中心部分が1000万Kを超える超高温になる。すると中心部で水素の核融合反応が起こり、明るく光り始める。そしてその反応は水素からヘリウムへとどんどんと重い物質を中心に生成する。そして最期、原子番号26番の鉄が生成されると核融合反応は止まる。ここまではわかるよな」
ジャンは首をかしげながら唸るように返事をした。僕はとにかく話を進めることにした。
「メルボドからの熱が減ったのは、この核融合が進んだからだ。核融合が進むと中心近くに物質を生成しながらどんどん星は膨張し続ける。すると表面積が拡大し、相対的に表面温度は低くなる。メルボドの色が青白い色から赤色に変わったのはそのせいだ。表面温度が変わると、色も変わってくる」
僕はそこまでしゃべるとテーブルに置いた水を飲んで、喋り続けて乾いた喉を潤した。
「それで? 最初に言ったあのプラズマ……じゃない、レーザーがどう関係してくるんだ?」
僕は飲み干したコップをテーブルに置いた。
「あのレーザーはつまりメルボドを温めているんだ。強力なレーザー光で急激に加熱すると、プラズマが膨張するとどうじに核融合反応が起きるんだ。それが信じられないほどの短時間でメルボドが膨張した理由だ」
ジャンはここになってやっと深く縦に頷いた。が、そのあと気づいたように僕に聞いた。
「で? 結局俺はなにをすればいいんだ?」
僕は少しの間黙った後、口を開いた。
「このレーザーを」
「止めるんだな」
「強める」
彼は僕の言ったことが理解できないようで、腕を広げた。
「おいおい、気は確かなのかよ……。そんなことしたら」
「どんどん核融合はすすむ」
「あんた自分で言っただろう! 核融合が進めばその分メルボドからのエネルギーは少なくなるって!」
「そうだ。核融合が進んで、内部に鉄が生成されるようになると核融合はそこで一旦止まる」
「だったら」
「話を最後まで聞いてくれ」
僕はジャンの言葉を遮った。
「メルボドの質量は太陽の八倍以上だ。ふつうの大きさの恒星なら内部に鉄が生成されるとそこで核融合反応は終わり、赤色巨星になり、それが続くと白色矮星になる。そしてその星は寿命を終える。しかしだ。ある一定以上の質量を持つ星はそこで核融合を終えることなくどんどんと続ける。膨張に耐え切れなくなった星はある時、我慢できずに」
僕は右手の拳を彼の眼前でバッと開いた。
「……爆発する?」
僕は無言で頷いた。
「しかし、それじゃ」
「いいかい、ジャン。核融合の速度を緩めることはできても、止めることはできない。ましてや、元に戻すことはできないんだ。君が昔過ごしていたようなガリオアでの生活はもう二度と戻ってはこない」
ジャンは無精髭の生えた顔を足元に向けた。
「ジャン、君がエネルギー会社を襲ったのはどういった理由からなんだ? 君も薄々分かっていたはずだ。もう以前のような生活は戻ってこないと。少なくとも君の妹さんが」
「妹の話はするな」
彼は顔を上げて僕を睨みつけた。僕はその眼光に圧されて押し黙った。
「……すまない」
彼は再び俯いて、小さくそう言った。
「いや、こちらこそ、配慮が足りなかった。すまない」
「あんたが謝ることじゃない」
暫く二人とも何も言葉を発さなかった。沈黙がテーブルを挟んで僕らの間に漂った。
「……確かに俺はあいつらを襲って、そこから先を考えていた訳じゃない。ただ自分が納得できなかったんだ。俺たちはこのまま奴らの駒として生きるしかないのか、手のひらの上で踊らされるしかないのか。もしそうだとして、俺はそのことをしょうがないことだと諦めることができなかったんだ。会社を襲ったのは会社をぶっ壊そうとしたからじゃない。自分の周りを空気のように取り囲む無力感をどうにかしたかったんだ」
ジャンはそう言うとソファの背もたれに体をあずけた。
「なあ、その爆発が起こって、それからどうなるんだ?」
「……超新星爆発のエネルギーはすさまじい。それこそ何光年も先の星の夜空からその様子が見れるくらいだ。メルボドを中心とする星のシステムは全て瓦解する」
「そこに住む人々は?」
僕は押し黙った。彼もそれで全てが承知した。
「僕は選択肢の一つを提示しただけだ。そのあと君がどうするかは君に任せる」
彼はそれから一言も言葉を発しなかった。僕は立ち上がり、操縦室へと向かった。次の目的地を僕は設定しなかった。僕は椅子の背にもたれかかって、操縦席からの景色を眺めた。メルボドの光を受けて、惑星が光り輝いている。その視界の中、エネルギー会社の放つレーザーの光線が静かに伸びていた。僕はそれを見つめながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。
5
「いつまでこんなことを続けるんだ」
急にダレルが言ったので、僕はうまく反応できずに、まるで他人事のように聞き流してしまうところだった。
「こんなことっていうのは?」
僕はダレルにそう聞いた。
「言わなくてもわかるだろう」
ダレルは嘆くように言った。
「俺もお前もいい歳だ。いつまでもガキのままごとをやっている場合じゃない」
スタジオには僕と彼以外いなかった。残りの奴ら、遅いな。ダレルの言葉を聞きながら僕は思った。
「あいつらはこないよ」
ダレルは言った。僕はその時になって初めて驚いた。ダレルの顔を僕は見つめた。ダレルは僕が渡したノートを手に持ったまま、抱えたギターを降ろした。
「子供であることを許された時間は終わったんだ。俺たちはそのことに気づいていたのに、それを無理矢理先延ばしにしようとしてた。けど、そろそろそれもいいだろう」
ダレルはそうとだけ言うと、ギターを置いたままスタジオのドアノブに手をかけた。
「いつの時代もガキはいる。だからって俺たちがそこでとどまっていいわけじゃない」
ドアを開く。
「これはどうするんだ」
僕はギターを指さして言った。
「欲しければやるよ」
彼は出ていこうとして、僕のノートを手に持ったままだということを思い出して、ノートを僕に投げ渡した。
「じゃあな」
彼がそう言ったと同時にドアが閉まった。
僕は彼のギターを取り出して、コードを鳴らした。ノートを開いて、昨日作った歌詞をコードの響きと合わせて歌う。ここに来る前は良く出来たと思った詩は一人には広すぎるスタジオでは虚しく聞こえる。空調の風に煽られて、ノートのページが巻きもどる。ギターの音が響く。Aマイナー・♭・5th。アルペジオに流される。僕はここの囚人。自ら作り上げた場所の。アルペジオが響く。ようこそ、なんて素晴らしい所、顔、驚き。アルペジオは止まない。続く。僕が指を動かすのをやめても。僕は二度と立ち去ることができないのだろうか。
目を覚ますと、ジャンが横でギターを弾いていた。どこから持ってきたのか、多分彼の宇宙船に積んであったのだろう。ホテル・カリフォルニアのメロディが奏でられていた。
「『暗い砂漠のハイウェイで、涼しい風が髪をなびかせる。コリタスの暖かい香りが辺りに立ち上る。頭を上げてみるかなたに、私は輝く光を見つけた』……」
「なんだ、あんたこの歌知ってたのか?」
ジャンは僕の方を向いてそう言った。
「『知ってるのか?』とは聞いたが『知らない』とは一言も言ってない」
僕は髪をかきむしりながらそう言った。
「嬉しいな、地球のロックのことで語り合える奴は初めてだ。みんな地球を目の敵にしてるからな……」
そう言ったきり、会話はやんだ。彼は再びギターを弾き始め、僕は小さなあくびをして、近くにあったミネラルウォーターのペットボトルを、そのまま口をつけて飲み始めた。
「決めたよ」
彼がそう言ったのは、僕がボトルの中の水をほとんど飲み干してしまった時だった。
「あんたが示した選択肢を俺は取る」
彼は僕の目を見てそう言った。
「ちょっと待っててくれ」
僕は小型機の中に乗り込んで彼にそう言った。
「何をしているんだ?」
彼は僕を見上げて言った。
「一応、燃料のチェックをね」
僕はそう言いながら、船内に張り付けられていた社員証を引き剥がした。
「そんなこと、自分でやれるさ」
彼は手のひらを上に向けて、呆れたように言った。
「まあ、そうとは思うけど、一応ね」
丸めた社員証をズボンのポケットにねじ込むと僕は船から出た。
「万全の余裕があるとは言えないが、ここからレーザー施設に行って再びここに戻ってくるくらいの燃料はある」
「戻ってくる心配なんかしなくていい。俺を降ろしたら、あんたはそのまま俺を見捨てて逃げてくれ」
「そうはいかない」
僕は強くそう言い切った。彼は僕の口調に驚いたように顔を見た。
「あんたには感謝してる。うさんくさい俺を拾ってくれたばかりか、テロリストだと分かったあとでも俺を警察に突き出そうとはしなかった。だからこそ、これ以上迷惑はかけられない」
「迷惑なんか、もうこれ以上ないくらいかかってる。君のおかげで僕の出張はもう三日は遅れてる」
僕は呆れて笑った。
「だったら」
「だからこそだ」
彼の問いかけを僕は塞いだ。
「その分、何かしでかさないと、僕も収まりがつかない。それが道連れの親友を助けることなら、言うことなしだよ」
彼は俯いて何も言い出さなかった。少し黙ったあと、僕はおどけた顔を作って言った。
「それに、君が帰ってきてくれないと、この船がなくなってしまって、僕は会社から大目玉を食らうんだよ」
そう僕が言うと彼は僕の顔を見て吹き出した。
「分かった。絶対帰ってくるよ。あんたに恩返ししなくちゃならないしな」
「楽しみにしてる」
僕はそう応えて、彼の差し出した手を握った。
運転席から彼の乗った小型機が真っ黒な宇宙の中を飛び去っていくのが見えた。彼がすべてを終えてここに帰ってくるのは明日になるだろう。
僕はズボンのポケットから押し込められた社員証を取り出し、その奥の携帯電話をとった。あらかじめ登録しておいた番号を選択すると、僕はその番号に発信した。
コール音を耳元で聞きながら、僕は片手で丸められた社員証を広げた。
【テラ・エネルギー社 地球本部 トニー・フォー】
コール音が途絶え、通話がつながる音がした。
6
僕は会社のエレベーターに乗っていた。僕は二桁以上の階に今まで上ったことがない。
初めて降りる高層階は、当たり前かもしれないが、低層階と見た目そんなに変わったところはなかった。廊下を突き進むと、僕は木製の扉にかかった標識を見た。
「重役会議室」
ゆっくりと深呼吸して鼓動を落ち着かせると、僕は一気に扉を開けた。
「遅かったね、待ってたよ」
唯一見覚えのある上司のブライアンが僕の顔を見て言った。ほかは全く知らない顔。質がいいスーツとオーデコロンの臭い。自分がここにいるのが場違いに思えた。
「何を入口で佇んでいるんだい? 席につきたまえ」
彼にそう言われて僕は入口近くにぽつんと空いていた空席に座った。自分のデスクの椅子とは段違いに柔らかい。
「最近頑張っているそうだね、ブライアン君からもよく君のことを褒めているよ」
一番上座、俗っぽく言えばお誕生日席に座っている白髪の男が僕に向けて言った。僕は少し意外に思いながらも彼の言葉を好意的に受け取った。
「ところでだ」
彼はそう言って両肘を机に置いて僕に言った。
そこで僕は目を覚ました。
ソファから体を起こし大きくあくびをする。最近ジャンと一緒に生活していたので、ソファで寝ることに慣れてきた。時間を見ると、横になってから六時間ぐらい経っていた。丁度彼がすべてを終えてこちらに戻ってきているころだろう。まだ彼が帰ってくるには半日ほどの時間がかかる。そこからメルボドが超新星爆発を起こすのにまた半日、つまり一日ほどの時間があるだろう。台所に行ってコーヒーを濃く入れて、運転席に行った。
燃料の心配なし。これなら彼が戻ってきて、近くの惑星の避難シェルターに隠れる余裕もあるだろう。
そう思いながら安心して運転席から宇宙を眺めた瞬間、目の前の景色に背筋が凍った。
メルボドへと伸びるレーザー光が強すぎる。このままだと、爆発は半日後には始まってしまう。
ジャンが数値を間違えたのか。僕は操縦桿をつかんでレーザー照射施設へと船を向かわせた。
メルボドから一億五千万キロほど離れた惑星にある照射施設についたときには残されている時間はほとんどなかった。大気は小刻みに揺れ、日差しは不安定に変化していた。僕は船から降りると照射施設内へ向かって走った。誰もいないだだっ広い施設の中で、彼の姿を探すのは簡単じゃない。時間がないと焦れば焦るほど、施設の中で迷ってしまいそうになった。
彼の姿を見つけたとき、大気は看過できないほど激しく揺れていた。
「なんで、あんた」
「話はあとだ」
驚いた表情の彼の腕を掴み、僕は走り出した。
「もう遅い。今からじゃ逃げられやしない」
「黙って走れ」
僕は彼にそう怒鳴ると、途中制御室に入り、シェルターのドアを開けた。
「ここの星のシェルターに逃げる。メルボドからの距離が短いから不安はあるけど」
僕はそう言って制御室から船の方へと走り出した。
「どうした。はやくしろ」
立ち止まって動かない彼に向かって僕は叫んだ。
「あんた、どうして」
彼は不安げな表情で僕の顔を見た。
「全部あとで話すさ」
僕は言った。彼は少しうつむくと、意を決したように走り始めた。
船につくと、僕はすぐさまエンジンを入れて飛び立った。空気が振動している。視界が揺れる。
シェルターの位置を確認して僕はそこに船を乗り入れた。地下へと潜り込む金属製の竪穴。
「シャッターを閉めてくれ!」
僕はジャンに叫んだ。彼はハッチから降り立って、シャッターへと向かった。錆び付いた音と共にシャッターが下がり始める。彼がハッチに向かって走り来る。彼が乗ったことを確認して僕は船のハッチを閉めた。竪穴の下へと下る。シャッターからの光がどんどん細くなる。
そしてシャッターが閉じ、シェルターの中が闇に包まれると同時に、轟音と共に世界が弾けた。
7
「なんであんなことしたんだ」
僕は聞いた。巻き上がった粉塵が喉に刺さって咳き込みそうになった。
「あんなことって?」
彼はゆっくりと唸るように言った。
「とぼけるんじゃない。……レーザーの照射を予定よりもずっと強くしただろう。僕が間に合ったのは偶然だった。君はもしかして死ぬつもりだったのか」
「……大勢の人間を殺しておいて、なお生き続けようだなんていう気概は俺にはないよ」
「別に君が殺したんじゃない。メルボドの寿命が短いことは分かっていた。それとも君は、この世の全ての災いが自分の罪だと思うのかい? 自分の責任がどこまで存在するかを判断できない人間は結果として自らも周りも不幸に陥れる。馬鹿らしい。自分の死に方にこだわるなんてバカのすることだ」
「違うね。死に方を決めるっていうのは、生き方を決めるってことだ。俺は自分がどう終えるというのかを自分で決めたい。俺の生き方だからな」
「……へりくつだ」
僕は独りごとのように呟いた。乾いた風が鋭く僕たちの間を吹き抜けた。
「……なあ、あんたガリオアの出身っていうのは嘘だろ」
彼は僕に言った。
「ガリオアのことに詳しいのか?」
僕は彼にそう聞いた。
「そんなことはない。けれどあんたがガリオア出身じゃないということはわかる」
彼は言った。
「あんた、地球から来たんだろ?」
僕は黙った。
「ここに来た瞬間、おかしいと思った。施設の中に誰もいない。まるで、俺にレーザー光をいじってくださいと言わんばかりの状況だった。いくらなんでもおかしいって気づく」
僕は彼が船から出たあとの電話の内容を思い返した。
「それにあんたが言った言葉、『メルボドの質量は太陽の八倍以上だ』。あんな言い方するのは、太陽系で暮らしている奴しかいない」
僕は焦土となった地面の石を蹴飛ばした。
「君が思っているとおり、僕は地球から来た。君に嘘をついたのは、このへんの住人は地球からきた人間に恨みを持っているということを知っていたからだ」
僕は辺りを見渡した。さっきまであった施設も建物も、その横にあった山も、空にあった雲も、何もかもがなくなっていた。どこまでも続く平面の地面を、黄土色の光が埋め尽くしていた。
「なら、なぜ俺を警察に突き出さなかった? なんで俺に助言をして、俺を助けたんだ?」
僕は彼の方を振り返って言った。
「メルボドを見にいかないか? そこで、全部話すよ」
メルボドは先ほどとは全く違う姿でそこに鎮座していた。超新星爆発によって崩壊し、太陽の二千億倍もの重力になったメルボドは、まわりの空間さえも押し曲げて、うっすらとした黄土色の光を発していた。
「偉そうなこと言っておいて、結局僕も君と同じだ。気の狂ったピエロなんだろう」
助手席に座る彼の方を見ずに僕は言った。
「君の予想したとおり、僕は地球から来た。それに加えて僕は君の憎む企業の社員だ。あの施設に人がいなかったのは、僕がそう施設の従業員に指示したからであって、特段不思議なことは何もない。あの施設は元々捨てる予定だったんだ。メルボドの寿命が長くないということは、地球の重役たちは承知していた。利用できるところまで利用して、あとは超新星爆発の衝撃と共に全てを無にする。全部決まっていたことだったんだ。僕がやったことは、君を使って、メルボドの寿命を縮めて、地球の企業の採算をすこし下げるくらいだった。結局無駄なことなんだよ」
彼は言った。
「なぜだ? あんたは地球の、あの会社の人間じゃないか。なんでそんなことをする?」
僕はメルボドの姿を眺めながら答えた。
「中性子星っていうのは、ブラックホールに次いで重力の強い星だ。重力っていうのは言い換えれば位置エネルギーでもある。すさまじい重力の下押しつぶされた中性子星の物質は、スプーン一杯分の体積でもエベレスト並みの質量を持つ。とにかく、凄まじい位置エネルギーを有するわけだ。僕は中性子星となったメルボドのエネルギーを観測するためにここまで来たわけだ。君が最初に聞いた後ろのあのマシンはそのための観測器だ」
そこまで喋って僕は少し黙った。僕たちは互いを見ることなく、ただ二人ともメルボドを見つめていた。
「しかしだ。アインシュタインが相対性理論で言っているように、時間というものは相対的なものだ。そして強い重力下のもとでは時が経つのが遅くなる。中性子星になったメルボドでの一時間は地球での32年間だ。三時間もいれば、地球で僕のことを知る人間というのは誰もいなくなる。妻も娘も死んでしまっている。僕はね、そんなところに向かわされたんだよ」
彼はしばし沈黙したあと、僕に言った。
「だったら、そんな仕事やめてしまえばいい。そんな会社辞めて、どこか違う職業を探せばいい。そうしたら」
「だめだよ」
僕は言った。
「地球はもう何百年も前に自分の星のエネルギーを食い尽くしてる。他の星に頼るしかなくなってるんだ。だから地球じゃ、他の仕事っていうのはない。まず一番にエネルギー問題なんだ。もし、それを避けようとしてほかの国に行ったとして、地球出身というのがばれたら生活できない。いろいろ恨まれているからね、うちの星は」
船内の照明が少しずつ暗くなっていく。僕は席から立ち上がった。
「じゃあ僕はそろそろ行こう。最後まで君を騙して申し訳なかった。けど君と過ごした数日間は本当に楽しかったよ」
僕は出口へと向かって歩きだした。
「待てよ」
彼が振り返って僕を呼び止めた。
「勝手すぎるだろう。あんた自分のいいように俺を操って、それで勝手に満足してあとはさいならだって?」
「悪いとは思ってるよ」
「だったら、俺の要求をひとつくらい聞いてくれてもいいよな」
僕は大きくため息をついて彼に振り返った。
「いいよ。一体何が望みだい?」
彼は頬を上げると、僕に言った。
「やっぱり、君に悪すぎる。僕が」
「いいって言ってるだろう。気にするな」
彼は言った。
「あんたから借りた小型機を潰してしまったから、俺の壊れた船しかないけど、漂っていれば誰かが見つけてくれるだろ」
ハッチの中で僕たちは互いに抱きしめた。
「もし、お互いに立場が違ったら、僕たちは親友になれたかもしれなかった」
「いや、俺たちが俺たちだったからこそ出会えたんだ。それに俺はあんたのことを親友だと思えるよ」
「そうか、そうかもしれないな。君は親友だ。唯一無二の」
そして僕たちは離れて、僕は彼の船に乗り込み明け離れたハッチから船の外へと出た。
「じゃあな」
彼が口だけ動かしてそう言ったのが見えた。そしてハッチを閉めると、彼はメルボドの中心へと向かっていった。
8
足元に何かがあるのを見つけて、僕はそれを取り出した。茶色い紙袋の中に、彼があの時吸っていた麻薬の葉が煙草と共に押し詰められていた。
携帯電話を取り出して、僕は会社へと電話をかけた。
三コールする前に、通話がつながる音がした。
「うまくいったか」
ブライアンは前置きもせずにそう僕に聞いた。
「うまくいきました。メルボドは超新星爆発によって中性子星になりました。近隣施設の職員の避難も事前通知により完了しています」
「そうじゃない。本題は?」
僕はつばを飲み込んで言った。
「はい。近隣住民によるメルボドへのエネルギー調査は完了しています。あとは機器から送られてくる情報を受信するだけです」
「よし、よくやった。さすがだな。我が社のヘッドハンティング部門を君に一任してよかった。至急迎えを出す。このまま次も頼むぞ」
そして思い出したように彼は続けた。
「こっちじゃ、そろそろクリスマスだ。帰ってくる時にはまだクリスマスに間に合うだろう。君も家族と一緒に過ごすといい」
「ありがとうございます」
僕はそう応えて、通話を切った。
運転席の窓から僕は黒い宇宙を見下ろした。その中でポツリと、ちいさな白い点が光っている。まるで動いていないように見える緩慢な動きで、その小さな点は黒い宇宙の中心へと落ちていった。僕は葉の先に火をつけると、ゆっくりと煙を吸い込んだ。
自己嫌悪で胸がいっぱいになりそうだった。全ては仕組まれていたことだ。僕は自らメルボドの中心へと向かう意思なんてなかった。僕の仕事は超新星爆発を起こした中性子星にエネルギー観測のため現地住民を調査に送り出すことだ。ヘッドハンティングなんて聞き分けのいい言葉を本部は使うが、その実はただ相手を騙して自らの意のまま動くように働きかけるだけだ。中性子星の別称がパルサーと呼ばれるように、中性子星からは周期的な電磁波が放出されており、それが強い磁場を作っている。地表から千キロ程度に近づくだけで、その磁場により細胞が破壊される。もしそうでなくとも、中性子星の重力により体が引き裂かれる。仮に彼らがそのことに気づいて、中性子星から逃げ帰ってきても、彼らの時間は重力の影響で何年も遅れている。非難する相手のいなくなった世界に、彼らは浦島太郎となって放り出される。
親しげに相手に近づき、相手の欲望をある程度叶え、信頼感を植えつけたところで飲み込む。一体、こんな仕事のどこに人間性なんて認められる?
……僕は地球に帰ると仕事を辞めた。こんな仕事どう考えたっておかしい。
妻と娘を連れて、僕は地球を出た。妻は最初反対した。けど僕は自分の考えを変えなかった。ずっと彼女と話し続け、なんとか僕は彼女を説得した。
地球生まれのサラリーマンができることなど少ない。地球生まれというだけでほかの星の人間からは疎まれ、同郷人からは変人扱いをされる。最初のうちは食い扶持を稼ぐだけで精一杯だった。それなりにあると思っていた貯金はみるみるうちに減っていった。
そんな生活を続けていくことができたのは、音楽のおかげだった。会社で働いている時は触る時間などほぼなかったギターを久々に触った。伴奏と共に口ずさむと、日々の疲れや世の中の不条理が音の響きと共にどこかへと消えて行く気がした。そしてありがたいことに、そんな生活に別れを告げるきっかけも音楽が運んできてくれた。
月に何度か、僕は路上で歌っていた。初めのうちは誰も止まってくれない通りの中、虚しく歌うことしかできなかったが、ある程度それを続けていると人も止まってくれるようになった。応援してくれる人も増えた。スカウトが来たのはそんな時だった。それからはもっとおおきな場所で歌うことになった。僕は歌った。精一杯。自分の理想を、目標を、夢を。独りよがりだと言われても構いやしなかった。僕は、そんな僕の見える世界を変えたかったから。
その甲斐あってかは知らないが、僕の昔いた会社のヘッドハンティング戦術は非人道的だと廃止された。多くの人の要請と、法的手段に訴えた市民の声が熱く響いた。その人々の中に、僕の歌を聴いて行動してくれた人がいることを僕は嬉しく思った。
そして、あれから果てしない年月が経った。僕は再びメルボドの星の近くにいた。あれからかなりの年月が経っているのにもかかわらず、宇宙の様子は全く変わってはいなかった。眼下から見覚えのある船が浮き上がってきたとき、僕は胸が締め付けられる錯覚を抱いた。
彼は全く変わっていなかった。あの時のままの姿で僕の前にいた。それに対し、僕はもうずいぶんと年老いていた。
「まさかあんたがそんな姿になってるとはな」
彼は言った。
「君に謝らなければならない」
僕はそう言った。
「いいんだ」
彼はそう言い、僕たちは再び抱きしめあった。
……そこまで夢見て僕はまぶたを開けた。自らの想像に呆れて、薄笑いを浮かべながら、僕は麻薬の葉を詰めた煙草を宇宙の外へと捨てた。
そんなに上手く物事は進んだりしない。憶測と希望が全て実現する世界など独りよがりな妄想の世界以外に存在しない。そんな世界に入り込むのもいい。しかしそこにとどまり続ける者は現実の世界で何一つとして大切なものを守ることはできない。僕たちは理性で考え、自らにとって何がより大切なのか、順位を付けて生きる必要がある。二兎を追うものは一兎も得ずだ。僕にとって一番大切なのは家族だ。妻と娘。そのために僕は彼女たちを守る必要がある。彼女たちが安心できる環境をつくり、将来を不安なく過ごせるよう障害を取り除かねばならない。そのために僕は会社に勤め、人を裏切ることも辞さない。彼女たちが死んだら、僕にとってのこの世界は壊れる。間違いなく。彼女たちは僕にとって最も大切なものだ。間違いない。彼女たちのおかげで、そして彼女たちのために、僕はこの世界に生きている。
しかしだ。僕は広い宇宙に身を投げだし思った。
一体僕は、この世界に生きるために、あと何人親友を失えばいいのだろうか。
来週の予告!
りんごを示し「アイム・アダム! ファースト・ヒューマン!」と叫ぶことによってなんとかキリストと和解し、三回戦へと進むことができたニュートンだったが、三回戦でぶち当たったのはかのジョージ・ワシントンアメリカ初代大統領。
「私が斧で庭の桜の樹を切ったのは自分だと正直に告白したとき、父が私を叱らずに許した理由がわかるか? それはな、私がまだ手に斧を持っていたからだ!」
と叫びながら斧を振り回す大統領。さすがエド・ゲインを生んだ国の頭首は彼に負けず劣らずのサイコキラーだ! どうするニュートン! 絶体絶命!