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いつかの朝

「結婚式をしよう」

「えっ?」


 いつも突飛なことをいって私を驚かせる夫だったけれど、あの朝の一言は結婚生活20年の中でもっとも強烈だったかもしれない。

 あのとき私は朝ご飯の片づけをしていて、夫は新聞を広げながらNHKの朝のニュースを見ていた。いつも通りの、ちょっとだけあわただしくてゆったりとした日常の始まり。夫は、ちょっと散歩にでも行こうか、くらいの気楽さで、そんなことをいったのだった。


「ちょっと、変な冗談はやめてよ」

「いや、冗談じゃないぞ」


 私が皿を拭きながら素っ気なく返すも、夫は新聞を畳み、イタズラ心に溢れた少年のような笑みをみせた。


「先日付けで、部長に昇進した。これでおれも、重役だ」

「えっ!?」


 その朝は本当に、驚きの連続だった。私の驚く顔を見て、夫は実に愉快そうに続ける。


「約束だったろ。俺が重役になったら、ほかの連中なんてメじゃないくらいの盛大な式を挙げようってな」

「そんな、古い約束」

「約束は約束だ。俺はこのために今まで頑張ってきたって、胸張っていえる」


 夫はそういって、言葉通り誇るように胸を張った。結婚当初の精悍さは加齢とともに失われ、最近ではちょっとおなかも出てきた夫だったけれど、そのときの彼は本当にかっこ良かった。正直な話、思わず惚れ直した。


「幸はもう社会人だし、幸介ももう大学生だ。そろそろ俺たちだって、贅沢しても罰は当たらんさ。だから、結婚式を挙げよう」

「っ・・・」


 私は目頭に熱いものを感じて、とっさに手の甲で拭った。その拍子に薬指に鈍く光る環を認めて、ああ、昔からこの人は変わらないのだな、と思った。この指輪は、結婚10年目の記念にと夫から贈られた、10年越しの結婚指輪だ。そんな律儀で誠実な夫を思えば、年甲斐もなく胸が高鳴った。


「・・・はい」


 私は、精一杯微笑んでしっかりとうなずいた。


 私たちが結婚したのは、ちょうど20年前の夏の日だった。授かり婚という奴で、私も夫も二十歳だった。今思えば、まだまだぜんぜん子供だった。

 当時私は夢に破れて途方に暮れていたころだった。服飾のデザイナーを目指して専門学校に通っていたのだけど、周囲のレベルと自分のレベルの落差に苛まされる日々が続いて、気がつけば学校を中途退学して場末のスナックでホステスまがいの仕事をしていた。未来が全く見えないと、ふてくされてグレていた。

 そこで、夫と出会った。というよりも、再会した。彼は私の幼いころからの友人で、実は密かに思いを寄せていた人であったのだけど、中学高校と進むごとに疎遠になっていき、気が付けば音信がなくなっていた。そんな人だった。

 そんな久しぶりに再会した彼もまた、失意の中にあった。大学を辞めて、ぶらぶらしていると彼はやけっぱちになったように言っていて、不謹慎ながらシンパシーを感じた。彼もそうだったようで、私たちがつき合い出すのにそう時間はいらなかった。

 互いに依存するような不健全な関係が一月ほど続き、私は妊娠した。

 私は彼にそれを正直に伝え、今の私では子供を養うのはとうてい無理であるから、堕ろすつもりであることとを告げた。彼は最初目を丸くして、すぐに真剣な顔になると「結婚しよう」といったのだ。別れを切り出されるものと思っていた私は虚を突かれて、恥も外聞もなく泣いたのをよく覚えている。

 その日から、彼は目に見えて変わった。高校の時にバイトをしていたという運送屋に頼み込んで就職して、朝も夜もなく働くようになった。私もおなかが目立つ前にはホステスをやめて、夫の実家で専業主婦のまねごとを始めた。夫の母は厳しくも優しい人で、ひとしきり軽軽な行動をたしなめた後、私たちを受け入れてくれた。

 もちろん私の実家にも挨拶に行った。思い切り事後報告で父も母も目を丸くしていたが、思っていたよりもすんなりと話が進んで拍子抜けしたのが印象深い。父が泣いたのを、私は初めて見た。

 明くる年、私は第1子である幸を出産した。予定日よりも1週間早く、初産と言うことでとてつもなく難産だった。鼻から西瓜をひり出すほどの痛みがあるとさんざん脅かされていたけれど、本当だった。けれど、娘が全くの健康体で生まれてくれたのは本当にうれしかった。痛みと喜びがない混ぜになって、私は泣いた。出産の報を聞いて病院に飛び込んできた夫も、私の隣で静かに寝息をたてる娘を見て、はらはらと涙を流していた。今でも褪せることのない、忘れ得ない思い出だ。

 その翌年に第2子である幸介が生まれる。私にとって、なにもかもがあわただしく楽しい時間だった。

 そうしてあわただしいままに時間が過ぎて、気が付けば20年たっていた。子供たちは就職と進学で家を離れ、それまででは信じられないほどゆったりとした時間が我が家に訪れていた。

 夫の思いがけない提案があったのは、ちょうどそんなときだったのだ。


「よし、それじゃあ早速今夜からでも式の計画を練ろう。今日はなるべく早く帰るようにするから」


「無理はしないでね?」


「心配いらん。俺の頑丈さは、おまえだってよおくしってるだろ? それじゃ、行ってくるわ」


「ええ。お気をつけて」


 席を立った夫に弁当を手渡す。今日の弁当は、夫の好物の里芋の煮っ転がしだ。昨日から仕込んだ、自慢の一品である。

 そしてちょっとのイタズラ心から、その頬に軽くキスをした。夫は目を白黒させてから、「歳を考えろよ」と気恥ずかしそうにはにかんだ。

 私もそれに微笑んで返すと、玄関を出る夫の後ろ姿を見送った。そのとき私は、まさに幸せの絶頂だった。


 それが、私の知る夫の最後の姿になった。




「母さん、その・・・気を落とすなよな。な」


 夜伽も済み、私は葬儀場の遺族控え室で夫の遺影を前に、すっかいとふさぎ込んでいた。訃報を聞いてその日のうちに飛んできた息子の幸介が、私の傍らにずっとついて支えていてくれたのはありがたかった。でなければ、私は発狂していたかもしれない。それくらいに、参っていた。母としての体面が、辛うじて切れそうな精神の糸をつなぎ止めていてくれた。

 黒い着物に袖を通し、きれいに死に化粧の施された夫が横たわる棺を前にしても、どこか絵空事のような感覚が拭えなかった。弔問客の相手などは、同じく訃報を聞いて飛んできた長女の幸に任せっきりで、私はただひたすらに茫然自失としていた。

 果たして私は、立ち直ることができるのだろうか、と何度もそのような疑問が頭をよぎって、答えの出せないままに消えていく。

 私は深い思考の海に放り込まれた体で、しかしその実なに一つとして考えることができていなかった。


 ぴりり、と、短く電子音が鳴った。携帯電話だ。ほとんど思考の外の動きでそれをたぐり寄せ、開く。メールだった。差出人は、幼なじみの一人だった。今日の通夜にも、足を運んでいてくれたはずだ。


 短い文面には、こうあった。


「明日の朝、タイムカプセルを掘りに行きます」

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