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遠くに汽笛を聞く

「きちゃった」


 インターホンにたたき起こされて安アパートの重い鉄扉を開けると、両手に荷物を提げた僕と同年代ほどの男が立っていた。


「なにが「きちゃった」だ、気持ち悪い。昼に着くんじゃなかったのか?」

「この台詞は定番だろ? 俺も昼頃に着くと思ってたんだが、乗せてもらったトラックの運ちゃんが張り切っちゃってな」

「ヒッチハイクできたのかよ」


 僕が呆れた風にいうと、そいつは不適な笑みを作って


「青春って、こう言うもんだろ?」


 といった。


「そうかよ。そんならそうで電話くらい寄越せよ」

「したぜ? 全部留守電にかかった。だから直接来たんだ。ま、朝っぱらから押し掛けるのも悪いとは思ったんだけどな」

「・・・電話にでなかったのは僕の落ち度だな。すまん。というか、悪いと思っているならネットカフェででも時間をつぶしてこいよ」

「東京くんだりまで出てきてネットカフェってのは、ちと勿体無いだろ」


 そいつはあっけらかんとそういった。一理ある。僕はそれ以上の追求をやめた。


「はあ、せっかく来てくれたんだ。立ち話も何だし、上がれよ」

「おう、お邪魔するぜ。この荷物だろ、実は結構疲れてたんだよね」


 そいつはそういって靴を脱ぐと、ずかずかと我が家に上がり込んだ。「これ、おまえんとこの母ちゃんからな」と渡された荷物の中身は、これでもかというほど詰め込まれた野菜だった。ありがたいことだ。


「おお、典型的な大学生の部屋って感じだな」

「・・・冷えた麦茶でいいか?」

「すまんね」


 五畳一間に敷きっぱなしにしてある万年床をどけて、隅っこの角テーブルを引っ張りだす。三枚しかない座布団を一枚押入から取り出し、敷く。僕の分は布団でいいだろう。冷蔵庫からパックの麦茶を取り出して、客用のコップに注いでテーブルに置く。そいつは一言礼を言ってからのどを鳴らして麦茶を腹におさめた。現在七月のはじめ、夏は次第にその熱量を増していた。麦茶がうまい。


「それで、今日はまたどうしたんだ」

「なに、親友の一人暮らし現場の視察でもしようかと思ってな」

「帰れ。というか、その親友っての、むずがゆくなるからやめろ」

「ははは、冗談だよ。なに、東京観光もかねて、一度おまえの顔を見たくなったってのはほんとだぜ」

「ヒッチハイクできた奴が観光かよ」

「別に金がないからヒッチハイクってわけじゃないさ。言ったろ、青春だって。それに山手線だっけか、アレに乗ってるだけでも観光気分は味わえるね。こうも煩雑な都会ってのは、なかなかお目にかかったことがないからな」

「まあ、わからんでもないが」


 こいつの言うことも確かにわかる。僕も地元からでてきてここで一人暮らし始めた当初は、東京の街の雑多な雰囲気がひどく新鮮に感じられたものだ。要するに、おのぼりさんという奴だ。根っからの田舎者なのだ。こいつも僕も。


「ったく。で、どうする、これから。予定はなにも立ててないぞ?」

「しばらくお前んちでゆっくりして、昼前くらいに出ようや。どっかで飯食って、カラオケとしゃれ込もうじゃないか」

「ま、それが無難か」


 地元より遙かに都会とはいえ、男二人で連れだって遊ぶとなれば、結局ゲームセンターかカラオケの2択である。


「じゃ、昼までどうやって時間をつぶすかね。いっとくが、僕は対戦型のテレビゲームは持ってないからな」

「そうだな、んじゃあ久しぶりにトランプでもやるか。スピードの決着はついてなかったろ」

「ばっちり42勝42敗だな」

「覚えてるねえ」

「妙に不吉な数字だったからな。まあいいさ。やろうじゃないか。言っておくが、負ける気はさらさらないぞ」

「上等だ」


 結局時計の針が正午を指すまで20戦やって、結果は10勝10敗だった。なかなかに因縁めいたものを感じる。


「なかなか旨いラーメン屋だったな」

「だろ、最近の僕のお気に入りだ」


 最近あししげく通っている豚骨ラーメンの美味い店を出て、ぶらぶらと通りを歩く。


「そういやあ、な」

「ん?」

「あ、いや。後で話すわ」

「おう」


 どこか意味深な風にそいつは口に出しかけて、やめた。僕はなかなかに理解のある男なので、後で話すというなら追求しないでやる。そうこうしているうちにカラオケ屋に着いた。


「JOYでいいか?」

「俺DAM派なんだけど」

「じゃあJOYで」

「聞けよ。もしくは聞くなよ」


 カウンターでそんなやりとりをして、店員に苦笑いされたりした。


「いやあ、歌ったなあ」

「ああ、久しぶりにお前の歌を聴いたが、相変わらず呆れるほど下手だな」

「うるせえや」


 カラオケ屋をでると、日はとっぷりと暮れていた。若さに任せて6時間も歌い続けたが、さすがにのどが悲鳴を上げている。

 僕たちは僕のアパートに帰る道すがら、ガード下で店を出している小さなおでん屋の屋台に腰を下ろしていた。


「まずは」

「おう、久々の再会に乾杯ってか」

「乾杯」


 かちん、とビールの注がれたグラスをぶつけて、一気に中身を煽った。歌いすぎて荒れた喉に、炭酸の刺激が痛かった。だが、美味い。毎度この瞬間は、20を越えていてよかったと思う。


「おやじさん、こんにゃくと牛スジとガンモ、あとジャガイモね」

「あいよ」


 おでん屋のおやじは年齢を感じさせる渋い声でいうと、鍋の中からヒョイヒョイと具を拾い上げていく。


「おまちど」

「おお、うまそう」


 カウンターにおかれた大きめの皿には、実に食いでのありそうな大振りな具がこれでもかとのっかっていた。ジャガイモなど、丸ごと一個がドンと載っていた。もうもうと半透明の湯気の上がるそれは、地味ないろどりであるにもかかわらず無条件に食欲をそそる。口の中にあふれるツバがそれを物語っていた。


「おやじさん、追加で巾着とウインナー、それとバクダンも」

「おいおい、まだ食ってもねえのに」

「いいんだよ、こんな美味そうなおでんなら、追加を頼みたくなるに決まってるんだ。だったら今頼んだって問題ないだろ」

「あいよ」


 おやじは渋く応えた。

 やれやれと思いながらも、僕はジャガイモに箸を入れた。まるまる一個、皿の上でドカンと存在感を放つそれは、箸を入れてみれば面白いほどに柔らかい。かといって、ぐずぐずに溶けているわけでもない。まことに見事な塩梅だった。はふはふと空気をまぶしながら口に運べば、出汁のよく染みたそれは溶けるようにほぐれる。文句なしに美味い。いいおでん屋を見つけたな、と僕は思った。


「それでさ」

「ん?」


 僕のグラスにビールを注ぎながら、そいつは少し改まったように口を開いた。昼の話だな、と僕は直感して、少しだけ僕も居住まいを正す。


「俺さ、結婚した」

「ふぅん」


 そいつが注いでくれたビールをゆっくり傾けて、カウンターに置く。炭酸とアルコールが喉を焼いて、すとんと胃に落ちてから、僕はふぅっと一息吐いた。


「えっ!?」

「ずいぶん間があったなあ」

「そりゃあお前・・・え、マジで?」

「おう」


 そいつは、少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。


「そっか、結婚か・・・相手は?」

「お前もよく知ってる奴」

「・・・誰だ、真帆か?」

「すごいな、大当たり」

「マジかよ」

「おう。はやりのデキ婚ってやつ」

「デキっ・・・でもお前、まだ大学生だろ?」

「やめた。今は宅配の仕事してる」

「やめたってお前・・・!」


 覚えず、カウンターに拳を叩きつけていた。おでん屋のおやじがあからさまにいやな顔をしたが、それどころではなかった。


「おまえ、あの大学にはいるためにドンだけがんばってたんだよ。真帆だってデザイナーになるって必死コいて専門受けてたじゃないか。それがどうして」

「順序が逆なんだよ」

「順序って・・・」

「俺さ、大学の勉強に付いてけなかったんだよな。2年の頃にさ、この道で食ってくのは無理だなって思った。そんで、やめたんだ。真帆もそうだった。ちょうど俺が大学辞めた頃に偶然会ってさ。あいつ、キャバ嬢やってた。あいつも自分の才能に限界感じて、専門やめたんだってさ。で、意気投合しちゃって」

「やっちゃったのか」

「そういうこと」


 そいつはゆっくりとグラスをカウンターにおいた。コトリという音が、ガード下に妙に響いた。


「でさ、昔やってたバイトの縁で今の会社に拾ってもらったってわけ。頭脳労働より、肉体労働のが向いてたみたいなんだわ、俺ってば」

「それで、いいのかよ」

「いまはな。だけど、このまま終わるつもりはないぜ。今の仕事場は能力主義でさ、がんばりゃあ俺でも上に行けるかもしれねえんだわ。だからさ、精一杯やって、社長になってやる」

「ばかいえ」

「マジだぜ」


 あまりにも皮算用すぎる。僕はそう思ったが、同時にこいつならやるんじゃないかな、と思った。小学校の頃、こいつは特に仲の良かったグループのリーダー格だった。真帆は早生まれで俺たちと一つ年の違う妹分みたいな奴だった、よく泣いていた。

 こいつはいつも荒唐無稽なことをいっては、なんだかんだそれを成し遂げてきた。もちろん、それが今後の人生に適用されるかといえば、限りなく否だろうが。


「今は金がねえから式は挙げられないが、俺が重役になったら盛大な奴をぶちあげるつもりだ。期待しててくれや」

「バカ野郎・・・」


 バカみたいに気持ちのいい笑顔だったものだから、僕もすっかり毒気を抜かれた。瓶に残っていたビールを最後の一滴までグラスに注いで、一気に飲み干す。


「おやじさん、瓶ビール追加で」

「あいよ。若いね、あんたら」

「それだけが取り柄でね」


 栓の抜かれたビールをカウンターにおいて、おやじがしわくちゃな顔をしわくちゃにして笑った。僕たちもビールをグラスに注ぎながら、笑った。


「それじゃ、お前の前途を祝して。乾杯」

「おうよ。乾杯」


 チン、と透き通る音がした。


「・・・幸せになれよ、親友」

「あ?」

「なんでもない」


 僕が渾身の思いで掛けたキザな言葉は、偶然通りかかった電車のけたたましい車輪の音と遠い汽笛に紛れて、そいつには届かなかった。



「お客さん、起きてください。風邪引きますよ」

「ん、ああ」


 頭上から声をかけられて、僕は重い頭を上げた。すっかり馴染みになったおでん屋は10年前に先代が亡くなったが、味はしっかりと今代に受け継がれ、何度でも足を運んでしまう。今日は特別、ここのおでんが食べたかった。


「あーあ、ジャガイモ、さめちゃいましたね」

「本当だ。もう一つくれるかい」

「いいですよ、毎度のご贔屓に感謝して、サービスしときます」


 まだ若い店主は、そういって朗らかに笑った。

 あの夏の日、一緒にここでおでんをつついたあいつが、死んだらしい。

 仕事で海外にでていた僕が知ったのは、今日の夕方だった。帰国早々妻から急に電話が来たから、何か予感がしたのだけど、まさかあいつが逝くとは。その報を聞いた僕は、驚きのあまり立ち尽くして、気が付けばふらふらとこのおでん屋に来ていた。最近控えている酒をしこたまかっくらって、こうして無様に寝入ってしまっていたのだ。恥ずかしい真似をしたと思う。だが、おかげで冷静になれた。


「どうぞ。今度はあったかいうちに」

「ありがとう。君のおでんは、本当にお爺さんを受け継いでいるね。うまいよ」

「はは、どうしたんですか。誉めてもなにもでませんよ」


 店主はそういいながらも、小さな巾着をつけてくれた。

 僕はその箸で簡単に解せるジャガイモを口に運ぶ。あのころから変わらない味が、ぱあっと口の中に広がった。思わず、涙がこぼれた。


「おや・・・?」


 こんな時間に、電話の着信音がなった。往年のポップシンガーの流行曲だ。表示をみると、ずいぶんと懐かしい名前だった。


「もしもし。久しぶりじゃないか」

「やあ、元気してるかい」

「ああ。なんとかね。それで、どうしたんだい」


 とはいえおおかた予想が付いていた。電話の向こうの四十過ぎの男は、小学校のころ特に仲の良かったグループの服リーダー格の男だったから。


「あいつが死んだのは、聞いたか?」


 やはりだった。僕は、「ああ」と短く応えた。


「明日の葬式、君は来るのかい?」

「うん、そのつもりだ。明日一番の飛行機で向かうつもりだよ。・・・まさか同窓会をこんな形でやることになるとはね」

「そうか、葬式にくるんだな。良かった。だが飛行機では・・・」

「うん?」

「明日、葬式が始まる前に、タイムカプセルを開けようと思う」

「!」


 僕は、電流に打たれたようになった。「必ずいく」と電話を切ると、僕は間もおかずに妻に電話を入れ、喪服と簡単な旅行セットを会社まで持ってくるように言いつけた。飛行機はキャンセルした。

 店主に金を渡すと、私は走るように会社へ向かった。


「もしもし、僕だ」

「あ、部長。お疲れさまです」


 電話にでたのは、まだ若い社員だった。こんな時間まで残業している君こそお疲れさまだと思うも、今はありがたかった。


「うちのトラックで、T県に向けて今晩出るのはあるかい?」

「今晩、T県ですか? 少々おまちください」


 カタカタとパソコンのキーをたたく音が聞こえる。数十秒後まつ。


「ありました。予定では21時にウチのターミナルを出て、明朝6時にT県T市に着くのがええと、4台です」

「そのうちのどれか1台に渡りを付けてくれ。僕も同乗する」

「え!? は、はい。わかりました」

「頼む」


 そういって私は電話を切った。電話に出たあの若い社員には気の毒だと思うが、少しだけ僕のわがままにつきあってくれ。

 そういえば、あの日、あいつはヒッチハイクできたと言っていた。それが青春だろうと笑ったあいつの笑顔が、いやに鮮明に思い出される。四十過ぎて青春もなにもないだろうとは思うが、僕は年甲斐もなく全速力で会社へ走った。


 遠くにかすかな車輪の音と、消え入るような汽笛を聞いた。

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