去りし日々よ
葬儀場から歩いて家に帰る途中、昔仲間でよく遊んだ堤防にさしかかったとき、不意になにもかも投げ出して寝ころびたい衝動にかられた。にわかに夏めいてきた今週は雨もなく、路面はすっかり乾いていた。しかし夜風はどこか優しく湿っていて、温い。
私はコンクリート舗装された堤防の斜面に腰を下ろした。喪服を汚すと後で女房にどやされるやもしれないという思いはあったが、知ったことかという思いが勝った。
寝ころぶ。私は目が悪いから星は見えなかったが、月はそのぶんよけいに輝いて見えた。月明かりにうっすら照らされた薄雲がゆっくりと動くのを見ていると、ここ数日の張りつめたモノがほぐされていくような気分になって、不意に月がにじむ。つうっと、冷たくも熱いものが一筋頬を伝った。
友が死んだ。事故だった。
親友だった。そいつは小学生来の付き合いで、学生の時分はいろいろとつるんでバカをやった。この堤防で遊んだ仲間の、リーダーのような存在だった。
そいつが、死んだ。仕事帰りに車を走らせているところに、居眠りのトラックがつっこんできたらしい。即死だったそうだ。
最初にその報を受け取ったとき、私はまず冗談を疑ったくらいだった。殺しても死ななそうな、バカみたいに快活で逞しい男だったからだ。それがそんなにあっさり逝くなど、誰が想像できようか。少なくとも、夜伽の席に集った当時の同級生皆が皆、同じようなことを言っていた。
朗らかな笑みを浮かべる遺影に手を合わせつつも、祭壇に据えられた棺桶に写真の男が入っているなど、この期に及んで信じられなかった。
だから、泣けなかった。涙はでなかった。悲しみを驚愕と疑心で上塗りしていたから、坊主が延々と経を垂れているときも、喪主であるそいつの奥さんの涙混じりの挨拶の最中も、表面上は平静が保てていた。
それが一人になって、こうやって月を見ていると、「ああ、あいつは死んだんだな」というのがスッと心に落ちてきた。私の意識とはほとんど関係なく涙腺が涙を分泌して、やがて月と雲の区別すらも曖昧になった。私はそれを拭うこともせず、ただひたすらに、茫洋と空を眺め続ける。
瞼を閉じる。大粒の涙がコンクリートの地面に落ちて、パタリと音を立てた。数秒瞑目して、開く。月は変わらず見事なまでの輝きを見せ、その光に照らされた薄雲はゆったりとたゆたう。
涙は止まっていた。私はゆっくりと半身を起こして、眼下に流れる一級河川と、そこそこの広さを持った土手を眺めた。
去りし日々の面影は、確かにそこにあった。過日の情景が、鮮明に脳裏に映し出される。
そう、アレは小学校の時の話だ。季節は今みたいに、ちょうど夏めいてきた頃だったか。私と仲間たちは学校の菜園に植える予定のサツマイモの茎を一本だけかっぱらって、この土手に植えたのだ。動機は確か、独自に育てれば育った芋を私たちだけで独占できるからだとか、そんな幼稚な理由だ。断っておくが、私たちは別段欠食児童だったわけではない。むしろ飽食の時代を生き抜いてきた生粋の現代日本人である。要するに、やんちゃだったわけである。当時の我々は。ちなみに、発案者はあいつだった。
私たちはそれなりに世話をした。この河原は小学校からの帰り道だったから、晴れている日は毎日かよった。「せいかつ」の授業の成果をこれでもかとそそぎ込んでいると、日を追うごとにサツマイモの葉が茂ってきて、それはうれしかったのをよく覚えている。
夏がきた。めくるめく夏休みは、瞬きの間にすぎた。夏休みの自由研究は、もちろんサツマイモの成長記録だった。そうして秋になった。もはや土手の一角を埋め尽くさんばかりに葉の茂ったサツマイモの収穫は、澄み渡るような秋晴れの日に決行されることとなった。
決行前夜は、無性に興奮してなかなか寝付けなかった記憶がある。それはほかの仲間も同じだったようで、みなひどく眠そうだったのが今も印象に残っている。
さて、芋掘りだ。皆は家々からスコップや軍手、ビニール袋などを持ち寄ってこの土手に集合した。我々の前には、葉を大きく茂らせたサツマイモが風格たっぷりに構えていた。
ここで一悶着あった。誰がトップバッターをつとめるかで揉めた。皆が皆手塩にかけて育ててきた自負があったから、最初に引き抜くのは自分だと譲らなかった。
公正なるじゃんけんの結果、一番乗りの権利は私が手に入れた。ひどく優越感にかられたのを覚えている。私は悠々とサツマイモに向かい歩を進め、その地上に露出した茎をむんずとつかんで、呼吸を一瞬止めて力一杯引き抜いた。
それはあっけないものだった。余りに勢いがついたものだから茎を振りあげて後ろへ数歩タタラを踏み、かろうじてそっくり返らず済んだというくらいの醜態だった。情けのない声まで上げてしまって、優越感などは一瞬でかき消されてしまった。仲間はげらげらと笑っていた。
しかし、つづいて仲間たちが次々と茎をつかんでは引き抜いていったが、皆が皆同じようなリアクションを取る羽目になった。つまり、茎が余りにもあっさり抜けたのである。
私たちはとうとう怪訝に思って、一斉に持ってきたシャベルで地面を掘り起こした。するとどうだ。地上にあれだけ茂っていた葉に対して、肝心の芋は人差し指程度のものが数本取れただけだった。それ以外なにもなかった。
何のことはない、まず土地が耕作に全く適していなかったのと、葉に養分を全部取られて根が育たなかったのだ。
私たちの落胆は、それはすさまじいものだった。仲間の女子の一人などは、さめざめと泣いた。リーダー格だったあいつはかろうじて採れた芋ともいえないような芋を鷲掴みにして川に投げつけると、「バカヤロー!」と大声で叫んだ。私もそれに倣った。叫ばずにはいられない気分だった。それはどうにも、今の気分に似ていた。
苦い思い出と言えば、そうなのだろう。今にしてみれば、笑い話ですらある。私はくく、と小さく笑った。そうして回想を終えると、立ち上がって大きく伸びをする。ズボンと背中の砂埃を払う。幸い上着もズボンもそこまで汚れていないようだ。これなら女房も怒るまい。
そういえばあのサツマイモを植えたのは、どこだったかなと首を巡らせてみる。確か橋の袂だったはずだ。分かりやすいからという理由での選定だったが、作物を育てるのにこれほど不適当の場所もないだろうな、と自嘲する。
そこではたと思い出した。確かあの後、サツマイモを掘り返した穴に、あいつの発案でなにか・・・そう、タイムカプセルを埋めたのではなかったか、と。
この河原は私が小学校の頃から今まで新たな造成の話はなかったはずだから、もしかしたらそれはまだ埋まっているのかもしれない。
たしか二十歳になったら皆で開封しようと埋めたもののはずだ。約束の期日からいつの間にかもう20年たってしまったが、今がちょうどいい頃合いなのではないだろうか。
そう考えると、私はいてもたってもいられなくなった。今ならばあいつの葬式であのころの仲間はみんな地元にいるはずなのだ。ならば、今しかない。
私は早速携帯電話をとりだして、電話帳を繰った。
去りし日々よ、あなたはまだ、そこにいるのか。