旅立ち
恐怖感。
不安感。
孤独感。
俺は様々な感情を懸命に振り払おうとしていた。
最も恐ろしいと感じたのは、
過去の記憶がない事そのものよりも、
"それを思い出そうともしなかった自分"ー・・・。
両親だぞ。
何故、俺には家族と過ごした記憶がないのだ。
そう、もしかしたら両親どころか、兄弟だっているかもしれないのだ。
そして、そんな事を、考えたこともなかったという事実。
これが何よりも恐ろしかった。
「入るぞ」
ゴードンさんの一声で、俺は我に帰った。
「・・・どうぞ」
普段、俺は酒場の大広間で寝泊まりをしていたが、
今は酒場2階の1室の寝室で、寝泊まりをしている。
「単刀直入に言おう。マット、あの医者の言うとおり、専門の医師を頼れ。幸い、この街からそう距離も離れていない。俺も今まで気付かなかった責任もあるし、一緒に行ってやるから」
「何を言ってるのさ。ゴードンさんに何の責任があるって?・・・お互い、過去に触れすぎずに来たからこそ、俺はうまくやってこれたし、命を救ってもらってるんだ。感謝しきれないほど・・・感謝してるんだ。それが何だよ責任って!・・バカかよ」
俺は思わず感情的になり、声が上ずる。
「そうやって、本心を包み隠さず話してくれやがるのも、お前の決意は変わらないってこったな」
そう、変わらない。
1週間前、あの日。
あの日、俺の日常は一変してしまった。
キッカケは、1人の女だ。
だが、あいつが俺を訪ねてこなければ、俺は自分の過去、即ち空白の12年を思い出そうともせず、一生を終えていたかもしれない。
そして、真のキッカケは、あの女が右手を氷の刃のように変化させた瞬間。
得体の知れない既視感とともに、謎のフラッシュバックに襲われた。
あの女ー・・・アリアは明日の朝にでも街を出ると言っていた。
「俺は自分の勘に従い、行動し、自分の手で過去を取り戻す。そのために、まずはあの女に付いていこうと決めた。仮に俺の記憶を取り戻す鍵が、幾つか存在するとして、アイツに付いていく事が、その1つに繋がっているような気がする。そう強く思ったんだ」
「そうかよ。・・・まあお前らしいな」
鍵は他にもあると思ってる。
師匠の存在だ。
師匠だけではなく、俺と関わった事がある全員が、鍵を持っている可能性がある。
しかし、剣を捨てた今、そのキッカケとなった討伐隊、まして剣の師匠になど、合わせる顔などなかった。
師匠は、討伐隊加入を大反対していたから、尚更である。
女と行動をともにするのは不本意だが、こればかりはどうしようもない。
「俺、明朝に出発するよ」
思えば3年もの間、世話になった。
この酒場[ロックイレイズ]は、俺の第2の家で、この街は第2の故郷という訳だ。
だけど、自身の過去が謎に包まれている以上、今の俺にとっちゃ、"ここが俺の家であり、故郷"。
それは覆らない事実だ。
俺はゴードンさんを、この街を、裏切る行為に出ているのかもしれない。
「今日が最後の夜って訳だな!マット、今夜は豪勢にやろうじゃねーか!お前の好物、ムグラの角煮をたらふく食わせてやる!」
ゴードンさんは、わざと明るく振る舞っているように見える。その姿を見るのが辛かった。
ごめんよ、ゴードンさん。
本当に、ごめん。
ー・・・夜明け。
昨日のうちに、荷物を粗方まとめておいたので、
後は出発を待つだけになった。
ゴードンさんは、まだ部屋で寝ているようだ。
もう起きてきてもいい頃なんだが、昨晩は尋常ではない量の酒を飲んでいたから無理もない。
起こさないで、このまま出発しよう。
自分に言い聞かせる。
何も、もう一生会えなくなる訳じゃない。
今年のヒューマ祭も、派手に盛り上げてくれよ。
俺は自分を探しにいく。
「ゴードンさんは、早く嫁さん探しな」
ぼそりと呟く。
俺は深々と頭を下げた。
不意に涙がこぼれた。
「ありがとうございました。
・・・この御恩は、本当に一生忘れません」
民家を通り抜けて、俺は街外れの宿屋に向かった。
早朝という事もあり、辺りは静寂に包まれている。
この季節特有のラミア鳥が一斉にさえずりを始めた。
まるで、これから巻き起こる波瀾に満ちた旅を予感させるようであり、また同時に旅の祝福をしてくれているように感じた。
宿屋前に着くと、アリアは既に支度を整え木陰に腰を下ろしていた。
俺に気が付くと、両手を高々と上げ振り回す。
(・・・早朝のテンションじゃない)
「ゴードンさんに、きちんと挨拶したの?」
「ああ、問題ない。すぐ出発しよう」
俺が答えると、アリアはにっこりと微笑んだ。
「よかったー。私もこんなに長居するつもりなかったし、早くアジトに戻らないといけなかったのよ!
でも素敵な手土産もあるし、何も文句言われないわ、うん!」
やっぱ着いていくの止めようか・・・
俺は様々な感情を抱きながら、3年間過ごした街を後にした。