空白の12年
気が付くと、俺は診療所のベッドに横たわっていた。
窓の外を見ると、既に日が落ちている。
ヒューマ祭に向けての様々な装飾類が鮮やかな光りを発していて、とても夜とは思えないほど明るかった。
俺はここで何をしてるんだっけ?
ズキン、とほんの一瞬頭に痛みが走った。
(そうだ・・あのまま気を失っちまったのか)
あの時、頭の中を駆け巡った光景。
もはや何も思い出せなかった。
ただの一片たりとも思い出せない。
「あの女だ。あいつが現れてからロクな目に合ってない・・くそ・・」
実際にそうだ。
今までなかった事が沢山起きている。
何もかもアイツのせい。
あの、化物女め。
ガチャリ、とゆっくりドアが開いた。
「あ、やっほー!気が付いた?!」
アリアを先頭に、この診療所の主治医と思われる初老の男と、後ろにもう1人いる。
「ゴードンさん」
俺が名を発すると、彼はウインクをするように片目を瞑った。
「なんで、ゴードンさんが?」
「ここにいる嬢ちゃんが、酒場に入ってきたんだよ。お前を世話している酒場のご主人は俺か?ってな。後はまあ状況を聞いて、駆け付けてやった訳よ」
「大したことない、ちょっと目眩がしただけだ。もう何ともないよ」
「・・・それはどうかの」
主治医の男が、ゆっくり口を開いた。
「お前さん、確かゴードンが拾ってきたという若造じゃな。マット、と言ったかの」
「ゴードンさん、知り合いなの?この医者と」
「何を言ってる。昔、拾ったお前を運んだ診療所だよ、ここは」
あ、そういう事か。
条件反射的に、俺は軽く会釈をした。
「それよりマット。お前に確認しなきゃならん事が沢山ある。場合によっては、お前を非常に苦しめる羽目になるかもしれん」
「確認したい事?・・・よくわからないけど、
それより、その女を追い出してくれないか。気分が悪くなる」
俺はアリアに目を向けた。
こいつが全ての元凶。
こんな奴に関わってしまった事を死ぬほど後悔していた。
あんな化物じみた能力を持ちながら、何故そんな平然としていられる。
「その女は、化物なんだ。しかも俺を反逆者集団に誘いに来たイカれ女なんだぞ。マトモじゃない!」
「それはもう聞いたよ。彼女本人からな」
「なんだって・・・?」
「それに、お前はカスケードを少し勘違いした目で見ている。確かに奴等のしている事は世間的に褒められたものではないかもしれん。だが、決して悪ではない」
「正義でもないけどね」と、アリアが付け加えた。
「奴等が正義だろうと悪だろうと、別に俺にとっちゃ、どうでもいいんだよ。
・・・もういい・・話があるなら進めてくれ」
俺は何となくわかっていた。
さっきの謎のフラッシュバックと、割れるような頭痛は、ただ事ではない。
それぐらい、自分でわかっているんだ。
最初に口を開いたのは、アリアだった。
「疑惑がね、確信に変わったのよ。あなたが気を失っている間にゴードンさんから話を聞いていて」
「・・・ゴードンさん、一体この女に何を?」
ゴードンさんは、ゆっくり口を開いた。
俺の剣術の師匠の事。
師匠の反対を振り切り、魔物討伐隊に入隊したこと。
魔物討伐隊の歴史上、最年少での隊長に任命された事。
俺が魔物討伐隊の戦いのなかで友人を死なせ、自身も重症を負った事。
自責の念にかられ、重症を負ったまま隊を抜けた事。
森をさ迷い歩くうちに倒れ、ゴードンさんに拾われた事。
剣を捨て、便利屋として今に至る事。
そして、両親が居ない事。
「・・・・・・」
呆れて物も言えないとは、正にこの事。
「よくもまあ、ベラベラと喋ってくれたね」
「まあな」
何がまあな、だ。人の過去を勝手に他人にぶちまけるのは勘弁願いたい。
「話を聞いていて、不思議に思ったのよ。討伐隊以前の話がまったく出てこない事に」
「討伐隊、以前の話・・・?」
俺は首をかしげた。
討伐隊以前の記憶?
「剣術の師匠がいると言っただろ。ランディ・リグナスだ」
アリアはこれでもか、というぐらい目を丸くさせた。
「ラ、ランディ・リグナスぅぅ?!!」
「アリア殿、ここは診療所じゃ・・・そんな大声を出されては」
アリアは慌てて口元を両手で押さえる。
「なんだ、師匠を知ってんのか?」
「し、いや、誰でも知ってるわよ普通」
「ふーん・・・まあ、とにかく、俺はその人に剣術の全てを教わったんだよ」
横からゴードンさんが不安げに俺を見ながら訊ねてきた。
「お前は、自分の名前と年齢は記憶している。
当時のお前は17と答えていたから、現在は20という事になる。そして、討伐隊には2年いたと言っていた」
ゴードンさんは一呼吸置いて続けた。
「ランディ氏との修行期間は、話を聞く限り丸3年、つまり12歳からという結論が導きだされる訳だ。討伐隊以前というより、お前自身の、12歳以前の記憶があるかどうかって話になるな」
それより前の記憶。
俺は懸命に思い出そうとする。
だが、どう頭をフル回転させようとも、記憶はランディ師匠との暮らしからスタートしている。
「・・・思い出せない。考えたこともなかった」
「それって明らかにおかしいわよ。それに、あなたが十神会に何の恨みもないというのも、変よ」
「確かさっきもそんなような事言ってたな。そもそも何で十神会が出てくるんだ」
「だって、あなたは十神会に・・・」
アリアは一瞬何かを言いかけ、すぐに言葉を飲み込んだ。
やや間があって、続ける。
「そう、そうよ、あなたが友人を失い、あなた自身も重症を負う事になった魔物大掃討作戦のキッカケは、そもそも十神会が討伐隊に依頼した事によるものなのよ」
・・・何だって?
何を言ってるんだ、こいつは。
十神会が依頼したものだと?
「そんな馬鹿な話があるわけないだろう。十神会って奴等は、むしろ魔物を狩りまくる連中だ。それこそ、本職よりも躍起になっているぐらいなんだぞ?」
「まあ、それに関しては単に双方にとって何か都合が悪かったから隠蔽していただけって線が濃厚で、別にマットの記憶云々と直接関係あるかはわからんと思うがな」
「そ、そうよね・・・」
ゴードンさんがフォローしてくれるが、何か腑に落ちない。
何がどうなっている。
何が何やら、さっぱりだ。
まだ拷問は続く。
「最大の謎は、お前さんの出生じゃよ」
ずっと押し黙っていた主治医が、微動だにせずに椅子に座ったまま語りかけてくる。
「お前さんの両親は、どこにいる。ゴードンに聞けば、居ないとしか分からないと言う。しかし居ない訳はないじゃろう。お前さんという人間が存在する以上、お前さんを産んだ母親もいれば、父親もいるはずじゃ」
「いないというより、死んだんだよ。俺がガキの頃に・・・」
両親ともか?
死因は何だったっけ?
そもそも・・あれ・・・?
変だな。
今までおかしいと思わなかったのが異常だ。
両親は一体誰で、俺はどこで生まれたんだー・・?
ズキン!
またもや突然の頭痛。
今度は間隔をおいて、繰り返し鋭い痛みが襲う。
「うぐ・・・!くそっ・・・」
「大丈夫かマット、横になって少し休め」
言われるまま横になり、しばらくすると頭の痛みは徐々に治まった。
その後、医者の見解では、過去に起きた何らかの出来事が強烈なトラウマとなり、それが記憶を遮断しているのだ、という可能性が告げられた。
俺によく似た患者を何人か見てきたのだという。
専門家を紹介してくれるという話だったので、一応紹介状を書いてもらった。
だが実際に、その専門家とやらを訪れる気はない。
自分のルーツは、自分自身で探してやるー・・・!
俺の自分探しの旅は。
637年、春期。
この小さな街ヒューマから始まる。