プロローグ
まるで嘲笑うかのようだった。
穏やかな日常が、突然音を立てて崩れ去る光景が、今でも目に浮かぶ。
南グレイス大陸北西部に位置する、ここヒューマの街では、年に一度行われるヒューマ祭が10日後に控えていた。
人々は皆祭りの準備に追われ忙しそうだが、そこは年に一度の一大イベント。
皆、精一杯楽しんで汗を流している。
しかし、何も問題がないわけではない。
この時期は、祭りで色々な村や街から人々が集まるから、治安問題も少なからずある。
とは言うものの、たとえ何かトラブルが起きたとしても、大概は些細なものに過ぎないのは毎年変わらない。
俺は祭り自体に興味はないが、平和を実感できるイベントは悪くはない。
「ただいま」
「おう、マットか。ご苦労さん」
買い出しを終えて帰宅した俺を出迎えたのは、長身体躯で赤いバンダナがトレードマークの酒屋の店主、ゴードンさんだ。
訳あって、俺はこの酒屋[ロックイレイズ]で、住み込みで働かせてもらっている。
「そういや、お前がここに来て、もう3年か。この時期になると、今でもハッキリ思い出すぜ。全身泥だらけ、傷だらけのお前が森でぶっ倒れてたのをよ」
ゴードンさんは、俺が買ってきたツマミを文字通りつまみ食いしながら、呟くようにそう話した。
ヒューマ祭が近づくと、それに呼応するように「この話題」に触れられる。
俺としてはあまり思い出したくない記憶。
時期が来れば、全てを打ち明けて出ていくつもりだったが、この場所は余りにも居心地が良すぎた。
事実、あの日。
全てを失ったあの日、ゴードンさんに拾われなければ、俺は確実にあの世逝きだったに違いない。
受けた恩義を考えると、そう簡単に出ていくとは言えないのだ。
「どうした?難しい顔しちまって」
「いや、べつに。難しい顔は生まれつきだよ」
取り敢えずこの場は冗談を返す。
同時に俺もツマミを奪い取った。
「あ、てめ、俺のつまみを勝手にとんな、この泥棒」
「キャーッ!泥棒ーーーー!!」
・・・・・・・・・・・・
悲鳴だ。
女の悲鳴が、辺り一帯に響きわたった。
こんな真っ昼間から正々堂々、泥棒?
「泥棒だってさゴードンさん」
「泥棒はお前だろ」
「いやいや、冗談言ってる場合?」
「こういうときこそお前の出番だろーが。違うのか?」
・・・・まあ、そう来るだろうとは思ってたよ。
渋々俺は玄関に向かった。
「手に負えなかったら俺を呼べよー」
「分かってるよ。泥棒の相手はもとより、女の相手はもっとゴメンからね」
俺は知る由もなかった。
この時の出会いが、これから起こる物語の、ほんの幕開けに過ぎなかった事を。