最終章 『誰が為に、鐘は鳴る』 13
王城のホールを埋め尽くす魔物を切り払い、アーリッシュは駆ける。
荘厳で華麗な意匠が埋め尽くす王城のホールは最早、魔物の巣窟と成り果てていた。
誇りと、栄光を描いたヨッドヴァフ紋章のタペストリーが青白い炎に焼かれ、豪奢で華美なシャンデリアが暗くその光を映す。
築きあげた束の間の栄華は泡沫に沈み、哀惜を受ける暇も無く炎に沈む。
それは彼等が隠した真実の、代償か。
英雄は真実すら知らず、駆ける。
真実を知る必要は、無い。
ただ、友の為、友が描いた栄光を駆け上がれば良い。
それが果てしなく、険しい道のりであったとしても構わない。
彼の友が、陽の当たらない最も険しい道を歩むのであれば、その友である自分は日差しの強い険しい道を歩もう。
揺らめく幽鬼を輝く聖剣が打ち払い、光の道を築く。
幾層にも渡る階段を駆け抜け、多くの澱を切り払い、騎士は王の御前に辿り着く。
「……アーリッシュ・カーマイン卿」
「姫様ッ!」
アルテッツァ・ヨッドヴァフ・ザ・フォースは生気の無い声で告げた。
幼き王が対峙するそれはアーリッシュにも知ることができた。
高く、広く作られた謁見の間に於いてその天上すら低く見える。
禍々しく伸ばされた腕に走る青の印象はヨッドヴァフの紋様でもある。
その胸に燦然と輝くは王の王冠の印。
「人と魔の古の盟約が真に解かれた。あれがヨッドヴァフ・ザ・サードだ」
だが、しかし。
その姿は、人の王ではなく、魔物の王としての風格を備えていた。
グロウクラッセなどは及びもしない長大な剣を四振り、その腕に抱き。
広げられた四対の翼からは稲光が走る。
青白い炎が逆巻く踵が王座を跨ぎ。
悲しみを押し隠した甲冑のような頭に、悲哀に血の涙を流す赤い、赤い双眸が輝く。
「今、襲名は成された」
アルテッツァは厳かに告げる。
その小さな背中は静かに震え、悲しみに暮れていた。
「ヨッドヴァフ・ザ・フォースとして、命じる」
少女の見上げた先に立つ魔物は静かに唸り、言葉を待った。
厳かに、王名を持って告げられる。
「魔王ヨッドヴァフ・ザ・サードを討ち取れ」
魔王が、吠えた。
咆哮は衝撃を持って少女を吹き飛ばす。
意匠を凝らされた窓が割れ、タペストリーが裂ける。
割れたシャンデリアが煌めくガラスを散らし、青い炎を映し、虹色に輝く。
魔王が、屈む。
アーリッシュは走り出した。
魔王の身体を稲光が包み、青き炎が渦巻いて立ち昇る。
爆ぜた炎が青白い軌跡を産み、一直線に奔る。
アーリッシュはアルテッツァの身体を抱き、グロウクラッセを突き立てる。
一条の雷光となった魔王ヨッドヴァフ・ザ・サードの剣が振り上げられた。
大理石の床を穿ち、虞風の如く振り上げられた剣は雷光となって叩きつけられる。
盾のように地に突き立てられたグロウクラッセは青白い光を放ち、障壁を広げる。
その上で雷光が爆ぜ、衝撃がアーリッシュを押し戻す。
魔王がその四本の腕を振るい、立て続けに雷光を纏った斬撃が振るわれる。
アーリッシュはアルテッツァを抱えたまま、翻る。
自らが旋回し、旋風となって魔王の放つ轟撃を打ち返す。
燐光と雷光が爆ぜ、青白い閃光がいくつも閃き、衝撃が大理石の床を捲った。
「これは……」
遅れて謁見の間に参じたフィルローラは息を飲む。
「姫様をッ!」
魔王と激しく切り結ぶアーリッシュは華奢な王の身体を放ると、両の腕でグロウクラッセを把持し剛剣を繰り出す。
アルテッツァを受け止め、静かに地に降ろすとフィルローラはその凄まじい光景に呆気に取られる。
「何を、しておる」
激しく奔る雷光が傍らを通り抜け、アルテッツァの頬を焼く。
「姫様!ここは危のうございます!どうぞ、お下がり下さいっ!」
「今、この国で安全な場所などあろうものか」
王の言葉は至言であった。
「だからこそ、問う。何を、しておる」
「私は……」
「魔王ヨッドヴァフ・ザ・サード。此度の騒乱は全て我が父が成したものだ。私は貴様に命じたはずだ」
だが、そよ風を受けるように泰然と受け流した王はただ、呆然とするフィルローラをたしなめた。
「成すべきことを成せ。奇跡を起こしてみせよと」
また、だ。
また、自分は艱難を前に立ちすくんでしまっていた。
幼き王は泰然としたまま、我ら民が勇猛さをもってこの艱難に立ち向かえるかどうか試している。
まるで、赤子の歩みを見守る親のように。
「御心の、ままに」
ならば、見せねばなるまいとフィルローラは決心する。
魔王の剣は振るわれる度に早く、そして鋭くなっている。
真っ向から切り結ぶアーリッシュの踵が滑り、徐々に押し戻されている。
できるか、できないかではなく。
「助成致しますッ!」
やると決めて、フィルローラは雷光の中に飛び込んだ。
神具グラシアルクルッススが輝き、魔王の剣を押しとどめた。
魔王は跳び退ると腕に集めた雷光を胸の前に集める。
撓んだ雷光がばりばりと大気を震えさせると、一瞬の後に弾けて消えた。
ほんの僅かに、静寂が戻った。
だが、次の瞬間。
外壁が瓦解する衝撃と共に大理石の床から稲光が立ち上った。
グラシアルクルッススが青白い燐光を放ち、自分とアーリッシュの足下に陣を描く。
半球状に広がった障壁の上でいくつもの稲光が爆ぜ、火花が燐光に巻き上げられて散った。
「フィルローラ司祭ッ!」
「幾ばくかの時を」
「承知した」
アーリッシュは頷くと雷光止まぬ中に飛び込んで行く。
雷光の間を抜けてグロウクラッセの輝ける刃が閃く。
青白い軌跡を残して振るわれた長大なバステッドブレイドが魔王の額に振るわれる。
だが、交差された魔王の剣がグロウクラッセの刃を阻む。
しかし。
ヨッドヴァフの騎士達が研鑽し、積み上げてきた剣技の粋はその魔王を押し返す。
衝撃が魔王を玉座まで退けさせ、悠然と地に降り立つアーリッシュと再び対峙させる。 攻勢に回ったアーリッシュの腕の中、グロウクラッセがめまぐるしく回る。
魔王の剣が嵐のように打ちつけられる中、アーリッシュは一陣の風となり駆け抜け魔王の身体に切っ先を奔らせる。
魔王の身体に刻まれた切り口から雷光と青白い血が噴き上がり、咆哮が迸る。
真っ向から咆哮を受け止めたアーリッシュは即座にその場を飛び退き、フィルローラと魔王を対峙させた。
「神具グラシアルクルッススッ!審判の光を下せ……神の威光を示せッ!ただただ……神の奇跡を人に成就せんがためッ!」
そこには、姿を変えたグラシアルクルッススが存在していた。
十字架の姿をしていたグラシアルクルッススが中央から割れ、巨大な弓のような形状を取っている。
だが、その開かれた円弧にはつがえるべき矢がなく、巨大な環石から作られた槍が納められていた。
――高純度の環石を媒介とした一度きりの個人携行の神術装置。
それがグラシアルクルッススの本当の姿であった。
「ニール・ヴァフ・ザス・ハグン………ウルグスマガナスッ!」
ぎゃぁぁん、と大気の焼ける音が響き渡る。
熱を発した環石の槍が雷光を放ち、燐光を螺旋に描く。
大地が揺れ、撓んだ大気が膨れあがり、景色を歪める。
「フェル――メノンッ!」
光が、放たれた。
放たれた光は大理石の床を穿ち、奔る。
音を呑み込む衝撃が奔り、螺旋を束ねた光が一直線に魔王の胸元へと吸い込まれる。
激しく閃光を放つ光が魔王の中心を打ち抜き、貫いた光が壁を破り、ヨッドヴァフの空へと駆け上る。
激しい光が周囲の光を呑み込み、夜のような闇を作る。
全ての光を収束させた神の雷土が激しく、強く、そして、鮮烈に魔王を射ち貫いた。
遅れて参じた烈風が巻き上がり、衝撃が音を引き連れやってくる。
轟音が大気を揺らし、慌てて進むことを覚えた時が粉塵の中、ようやくその光を納めさせる。
「やりましたッ!」
フィルローラは会心の笑みを浮かべる。
確かに、光は魔王を射貫いた。
ヨッドヴァフ開国の頃に伝えられた神具グラシアルクルッススは対魔族用の決戦兵器である。
それを真正面から受け止めれば、いくら強大な魔物とて無傷で済む訳にはいくまい。
「いや……」
粉塵が流れて行く中、アーリッシュは静かに首を振る。
フィルローラは愕然とした。
粉塵の中からそれは圧倒的な威圧感を持って姿を現す。
「……まだだ」
魔王ヨッドヴァフ・ザ・サードは健在だった。
高濃度環石の圧倒的な一撃がその胸を貫いたとしても、何の痛痒すら見せず佇んでいた。
放たれる稲光はより、激しさを増し、噴き上がる炎は鮮烈さを伴って。
魔王の咆哮が放たれる。
かつて、全てのヨッドヴァフの民を預かり、その威光でもって導いた王の咆哮は大気を揺るがし、その場に居る者の膝を折らせる。
それはアルテッツァにあっても同じであった。
魔王がその腕で四振りの剣を振るう。
いくら長大であるとはいえ、届く距離ではない。
だが、しかし、常に不可能を可能としてきた神の代行者である王が振るう剣である。
剣の軌跡がまるで生き物のように衝撃となって疾走した。
「うぁ……あぁぁぁああっ!」
「きゃあ……ああぁっ!」
グロウクラッセの栄光では防ぎようもなかった。
神具グラシアルクルッススとて、その剣の前では無力であった。
吹き飛ばされ、転がる二人は激しく謁見の間の壁に叩きつけられる。
衝撃波は壁を瓦解させ、その更に向こうの壁をも切り裂き、その場に立つ全ての者を吹き飛ばす。
だが、何故だろう。
アーリッシュはその魔王に深い哀しみがあることを知った。
剣の奥に秘められた意思を信じるならば。
王はどれほどの哀しみを持って、我々に相対しているのだろう。
魔王ヨッドヴァフ・ザ・サードの紅の双眸に滴る血の涙は、既に、乾いていた。