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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第1章 『最も弱き者』 8

 少女はビリハムに連れられ、地下室よりさらに地下へと連れてゆかれた。

 まるで少女を逃さないようについてくる召使いの顔がどこか、悲しげに見えた。

 そこは古い下水道の一画で、穿たれた壁にしつらえられた鉄格子があった。

 明かりが灯らず、薄暗い地下道の中に少女は嗅いだことのある匂いを僅かに嗅いだ。

 糞尿の、匂いだ。

 ビリハムが持つ燭台の光では良く見渡せないが、鉄格子の奥で僅かに首をもたげる様子が伺えた。

 人だ。


 「歴史は、変わった。私は理解に努めている」


 ビリハムは唐突に語る。


 「世界には賢き者とそうでない者の二種類の人間が存在する。賢き者はそうでない者を導き助ける使命がある。これを高貴なる義務という。それは正しく果たされなければ、ならない。なぜなら、賢き者もやはり、そうでない者たち無くしては生きてはゆけないからだ」


 少女は黙って聞いていた。


 「もし、世界が賢き者だけだとしたら、そこには石工も居なければ農奴も居ない。そうなれば家を失った賢き者達は寒さと飢えで死に絶える。だから、賢き者はそうでない者達を導き、彼らがより豊かな生活を送れるように導かねばならない。私は賢き者として導かねばならない。そうして、世界はよりよく回っていく」


 長く続く地下道の雰囲気が僅かに変わった。


 「人は増え続ける、そうなれば賢き者に対してそうでない者の数の方が増える。そうなればそうでない者達は少ない日用の糧を互いに奪い合うようになり、争いが起きる。我々賢き者は彼らにどうやってその日用の糧を与えるか、それのみに苦心しつづける」


 鉄格子、ではなく、鉄の扉が穿たれた石壁を塞ぎ、石壁には無数の爪痕が刻まれていた。


 「奴隷制度、それは生まれながらにして持たざる者を救う一つの方法ではあった。がしかし、時が進み、やがて彼らが富を得ると彼らは賢き者達が行った事に対し異を唱え始める。果たして、そこにあった彼らの生活の保障というものを理解することなく声高く訴えるのだ。我々に自由を、誇りを、と」


 重々しい鉄扉が激しく揺れた。

 中で尋常ではない悲鳴が響き、地下道が揺れた。

 だが、ビリハムはそよ風でも吹いたかのような微笑を讃え、続ける。


 「賢き者はその言葉を真摯に受け止め、喜ばなければならない。それはそうでない者達がようやく自分らが食を得るためだけに働くことから、生きる意義を求め始めたからだ。賢き者として彼らの非難を甘んじて受け、そして、彼らに求めるものを与えなければならない」


 少女は生ぬるい風を受け、恐怖がつま先から昇ってくる感覚に身を震わせる。


 「そこで、賢き者達が作ったのが冒険者制度だ。力なく、知恵なきものに、力と知恵を与え、人に害為す存在を駆逐するという使命を与えた。その存在が経済に新たな需要を与え、その需要を中心に世の中が回りはじめる」


 やがて、地下道がとぎれ、燭台は小さな祭壇を浮かび上がらせた。

 床にびっしりと描き込まれた魔術文字と陣。

 祭壇の上の天秤に乗せられた心臓と青銅。

 そして、壁一面に貼り付けられたタペストリーに打ちつけられた――


 「きゃああああああぁっ!」


 それは、大まかに形容するなら、蜘蛛だった。

 剛毛に覆われた節くれだった八つの足を持ち、大きく膨らんだ腹を持つ。

 ただ、腹は二つあり、その真ん中に大きく膨らんだ尾を持っていた。

 腹は薄い皮膜で覆われており、青い体液が透けてみえていた。

 律動する腹部には苦悶に彩られた人の顔が浮かんでは消え、髪の毛が揺らめいている。

 腹を繋ぐ胴体には百足のように節があり、いくつもの腕が生えていた。

 だが、それは昆虫のような節くれだった腕ではなく、人間のそれと同じ腕だった。

 いずれも形はばらばらで、上腕が異様に長かったり、中指が伸びていたり様々な腕の形をしていた。

 豊満な乳房を揺らし、その上には首が3つついていた。

 一つはフクロウの頭だった。

 愛らしい瞳で瞬き、少女を見て小首を傾げている。

 その隣には禿頭の男の首があった。がしかし、これは生気を失いだらりと舌を垂らして白目をむいている。

 その隣にだ。

 少女が探していた面影があった。


 「おねえ、ちゃん?」


 うつろな瞳を向け、それは震える声でそう発した。

 見れば、節くれだった腹の殻が破れ、そこに口が現れていた。


 「酷いっ!なにこれぇっ……ああっ!ああぁあっ!」


 少女は半狂乱になって叫んだ。

 ビリハムは淡々と告げた。


 「魔物、という生き物が居る。一般的には自然発生しえない生物全般を指す言葉だ。その起源は太古に遡るもので、その当時の記録は手に入れがたいものとなっている。我々は理解に勤めなければならない」


 少女には最早、ビリハムの言葉は届いていなかった。


 「はじめは、怖いかもしれない。だが、大丈夫だ。君もきっと、理解してくれる」


 ――最悪の想像以上の、現実を突きつけられ、少女は崩れ落ちる。

 膨れた腹がぼこりと人を産み落とし、産み落とされた人の上半身が弾ける。

 弾けた上半身から葉が開き、茎が伸びるとムゥムゥと可愛らしい鳴き声を上げながら花が咲いた。

 それらはすぐにしぼみ、僅かな青銅を残して跡形もなく消えてゆく。

 少女はそのおぞましい光景に膝を折る。


 「メラージェン、儀式を執り行おう。銀のナイフを」


 召使いがビリハムに紫の布で包まれたナイフを手渡す。

 すがるような目つきで見上げる少女に、召使いは僅かに苦悶の表情を見せるが、すぐに能面を作った。

 少女は知っている。

 それは、人が人を捨てる時の表情だ。

 少女と、目の前にいる彼女がかつて、仲間から向けられた顔だ。


 「やだっ!やだっ!やめて!怖い!いや……いや!いやぁぁあああああっ!」


 銀のナイフを手にしたビリハムはとても悲しそうな顔をする。


 「それはとても悲しい。私は秘密を打ち明け、彼女はあそこで君を待っている。だのに、君は我々を受け入れてくれない。それは、とても悲しい」

 「違う!絶対違う!人じゃない!あ、あんた人じゃないよ!なんで!なんでこんなことするの!なんで!ああっ!あああッ!」


 壁にうちつけられた化け物の腕が伸び、少女の細い腰を掴んだ。

 振り向けば、とても悲しそうな顔で少女を見下ろしていた。


 「……おねえちゃん、ごめんなさい。わたしが、ぐずだったから。わたしが、やくにたたなかったから。でも、おねえちゃんだけはちがったよね?ずっと、ずっといっしょにいてくれたよね?おねえちゃん、わたしうれしかったよぉ…おねえちゃんが、おねえちゃんだけがわたしにぱんをくれた。わたしはしってるもん。おねえちゃんが、おとなにたたかれてとってきたおかねでわたしのくすりをかってくれたことも。いたかったよね?でも、おねえちゃんは、なにもわたしにいわなかった。わたし、ないてばっかりでちゃんと、ありがとうっていえなかった。ごめんね?おねえちゃん」


 魔物となった少女は、自らの口を開き、掠れた声で言った。


 「こわいよ、さびしいよ。おねえちゃん、いっしょに……いてほしいよ」


 おぞましい腕が少女の頬を撫で、指先が割れ、生えだした舌が少女の頬を舐める。


 「やぁああっ!いやぁああっ!」


 少女は泣きじゃくり、自分を掴む腕を力一杯叩いた。

 粘液で滑りやすくなっていた腕から細い腰を捻り、抜け出した少女を見て、魔物の頭となった少女はとても悲しそうな顔をする。


 「うああっ!あああ!あああああっ」


 少女は後ずさりながら、その視線から目を逸らして泣き叫ぶ。

 ビリハムはその少女の肩を掴み、優しく微笑んだ。


 「怖いのは、最初だけだ。あとは、もう、何も思い悩む必要は無い」


 鋭い痛みが足に走った。

 ナイフが太ももに刺さり、ビリハムが押し込むだけで膝にかけて開いていった。


 「アアアッ――!ッ――!」


 首から脳天を貫く鋭い痛みに悲鳴を迸らせ、少女はのたうち回る。

 血を飛び散らせ、這うようにビリハムや魔物から離れようとする。

 悲しそうに見つめる少女に途方も無い罪悪感を覚える。


 「いやぁあぁ……っ!もう、いやぁああっっ!なんでっ!なんでなんだよぅ!おかしいよ!なんでこんなひどいことされるの!あたしがぁ…あの子がぁ…なにしたっていうんだよばかぁぁっ!ああああっ……」


 少女は泣きながら、ビリハムを見上げた。

 その後ろでは魔物となった少女が悲しそうな顔で自分を見ていた。

 躊躇されることなくナイフを突き立てられた太ももが熱く燃えるような痛みを訴えている。

 少女は逃げるように這い回り、石床にべっとりと血を引きずる。

 ビリハムは這って逃げる少女をじっと見つめていた。

 やがて、少女は諦めて、俯いたまま、嗚咽を零すだけになる。

 ビリハムはそこでようやくナイフを振り上げ――


 「これはいささか、やり過ぎのようだな?」


 凜と空気が震えた。

 闇の中から、声がしたのだ。

 ビリハムは闇の中に瞳を向ける。


 「何者かね?」

 「我々が何者か?何者でもない。大いなる世界の意思の流れにより我々は常に、影に潜み寄り添ってきた」

 「……まさか、フィダーイーの手の者か?」


 燭台の炎が次々と消える。

 祭壇が真の闇に包まれ、声だけが不気味に響いた。


 「全ては調和の上に成り立ち、天秤はどちらに傾いてもいけない。お前は天秤を傾けすぎたのだ」

 「私にセトメントを受け入れよというのかね?」

 「……残念ながらフィダーイーの意思はない。だが、覚えておくがいい。ヨッドヴァフには警鐘を鳴らす者もいるのだ」


 ビリハムはマッチを擦り、燭台に火を灯す。

 ぼんやりと浮かぶ闇の中に、小さな――そう、本当に小さな人影が浮かびあがり、ビリハムを冷酷な笑みで笑っていた。

 それは人間にしては小さく、両の肩から伸びる透き通った羽がどこまでも不気味に美しかった。


 「ごきげんよう伯爵。いずれ、ニンブルドアンでお会いしよう」


 掻き消えるように人影が消え、祭壇の燭台が再び灯りを取り戻す。

 そこに、少女の姿は無かった。


 「……ふむ」


 ビリハムは思案して、告げた。


 「メリージェン、バルメライ達に仕事だと告げなさい。よもやフィダーイーが我らに翻意するとは思えないが、念には念を入れる必要がある」


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