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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第5章 『褐色の幽霊』 15

 スタイアの師、リョウンはフィダーイーでした。

 ですが、リョウンがフィダーイーとなるのはその生涯の晩年でしかありません。

 リョウンは元々、ヨッドヴァフの人間ではありません。

 スタイアの剣技がこのヨッドヴァフのものではないのはリョウンが伝えたものだからです。

 リョウンの故郷はヨッドヴァフの遙か東、コンルゥという辺境の国です。

 コンルゥから離れ、西へ西へ辿り着いた先がヨッドヴァフです。

 彼の地では剣聖とまで言われた剣の達人であり、一騎当千とは彼の為にある言葉でございましょう。

 ですが、戦の趨勢を決めるのはいつだって鉄と人の数。

 戦乱に敗れ、虜囚となったリョウンは剣闘奴としてオーロードに流れつき、彼と会いました。

 生きるのに必死なスタイアにリョウンが持てるものをわけたのは気まぐれでした。

 いえ、やめましょう。

 気まぐれと片付けてしまえばそこに存在する大切なものをないがしろにしてしまいます。

 それは、言葉で語るには多すぎることですから。

 スタイアの話を、しましょう。

 身体が弱く、また、鍬鋤を持つことしか知らないスタイアが剣を覚えるのはとても難しいことでした。

 ですが、生きるためにそれでも剣を振るうことをするしかなかったのもまた、スタイアの生き方でした。

 スタイアは未熟ながらもリョウンに助けられ、オーロードの過酷な剣闘奴隷として生きながらえることができたのです。

 リョウンという師に付いたのがまた、スタイアの幸運でもあり、不運でもあります。

 剣闘奴として王者の地位へ昇り詰めるリョウンがウィルヘミナ卿に目をつけられたのは必然でした。

 ウィルヘミナ卿はヨッドヴァフでも古い貴族の名家でありながら、若い女性の当主を頂いたが故に、その権威を落とした家でした。

 しかし、ウィルヘミナ卿は女性ながら野心を持った方でもありました。

 かつての権威を追われ、それで満足できない彼女は力を持つために、リョウンの洗練された剣の腕を文字通り買いあげ、彼をフィダーイーへと引き合わせることになります。

 フィダーイーは世に姿や存在を知らしめることなく、天秤を傾ける者に制裁を加える一つの力です。

 ウィルヘミナ卿はそのフィダーイーに自らの力を浸透させることで、再び王国に影響力を持とうと画策していたのです。

 私が彼等と出会ったきっかけはそんな最中です。

 私の前に現れたスタイアはリョウンという偉大な剣士の傍らに立つ、卑しい水汲み奴隷以外の何者でもありませんでした。

 不器用に剣を振るいましたが、それはとても不様でひとかどの剣士と名乗るにはおこがましいものでした。

 ですが、アマガッツォの剣の理を知っていれば、それは不様なものとは本来、見えないものです。

 ですが、剣を振るうことのないウィルヘミナ卿にとって、スタイアは水汲み奴隷以外の何者にも見えませんでした。

 彼女にとってスタイアは彼女の激しい衝動のはけ口として、不様に打たれ続けました。

 欲望の大きさは人を歪めます。

 ウィルヘミナ卿もまた、自らの欲望の大きさに歪んだ人間でした。

 心の平静を失うようなことがあればスタイアを私室に呼びつけ、何度も鞭で打ちました。

 愚直なスタイアはそれが自らの失態ではないことを知りながらも、生きていく為にその鞭を甘んじて受け続けました。

 ただ、ウィルヘミナ卿は決して下劣なだけの人間であった訳ではありません。

 スタイアに教育を施し、国のあるべき姿を解き、スタイアの境遇に同情できるだけの度量を持った人でもありました。

 人の持つ二面性に苦しめられたスタイアはよく私のところに会いに来ました。

 リョウンに連れられた私にスタイアは腫れた顔でよく、菓子を運んできました。


 「お口に合うかどうかはわからんすが、あんじょう食べてくんさ」


 酷い訛りは見つかればウィルヘミナ卿に打擲される卑しい振る舞いとされていました。

 ですが、私はそうして笑うスタイアの顔をいくども見ていました。

 どこか、寂しげで、でも、とても温かい笑みです。

 私はフィダーイーのセトメントとして、リョウンと共に古き盟約に従い、セトメントを行いました。

 そのくだりについてはパーヴァ、あなたもよくご存じのはずです。

 青の血の力でもって天秤を保ち、千の千のあまねく平穏を導く。

 そう言ってしまえば聞こえはいいでしょう。

 ですが、実のところ、ウィルヘミナ卿が心砕いていたのはヨッドヴァフでのパワーゲームの優劣ばかりでした。

 権力を持っていると思っている者達に、本当に権力を持っているのは自分だと命を奪うことで知らしめるというのは、とても甘美なのでしょう。

 そのことに使われる私はとても退屈でした。

 人を殺すことについては躊躇いはありませんでした。

 ただ、与えられた力と大義に個人の欲望を包み、達そうとする浅ましさの道具に成り下がっている自分がとても虚しかったのです。

 ただ、リョウンはそれこそが人のあるべき姿と言っておりました。

 何の為に人を殺すのかと尋ねました。

 喰うためだと仰いました。

 そんなものか、と。

 スタイアはそんな私たちをどこか哀しそうな目で見ていました。


 「いつまでも殺さなくちゃいけないんですかね」


 リョウンは剣を持つことを生き方にした人間の宿命だとおっしゃいました。

 スタイアはそこで知ってしまったのでしょう。

 人はどこまで豊かになっても、欲望に従う畜生でしかない。

 ウィルヘミナ卿が与えるパンですら、自らの獣性を誤魔化すための欺瞞でしかない。

 人の欲望の中で生かされているスタイアが、人の本質がどこまでも下劣なものであることに気がつくのにそう時間はかかりませんでした。

 ウィルヘミナ卿がより一層、その権欲を広げ、元老院の権威の失墜を図り鉄鎖解放戦争を引き起こしたのがスタイアにとっての契機となりました。

 私はフィダーイーとしてこの戦いには参戦しませんでした。

 リョウンに付き従いはしましたが、あくまでこれは人間の、人間のための、暴力による交渉であり、天秤を傾けるものではなく、天秤に乗せる分銅の選定であるとフィダーイーが判断したからです。

 リョウンに従い戦場に立つこととなったスタイアは鬼神の如き活躍を見せました。

 リョウンより先に駆け、戦場で剣を振るうスタイアはそれまでの愚鈍で、未熟な剣士としてのスタイアではなく、ただ人を屠る鬼でした。

 剣聖アマガッツォの残した理、リョウンがスタイアに伝えた剣の仕組みはとてつもなく簡単です。

 斬り、殺せ。

 剣とはとどのつまり、斬るものであり、殺す道具である。

 ならば、その理をあるがままに受け止め、振るった先で命がなくなればいいというものです。

 ですが、その為に様々な理合があり、それらを習得するのに人はその生涯をかけて修練をする。

 剣聖アマガッツォの残した理合とはその全ての過程を省き、結果だけを付き与えたものでした。

 スタイアは剣士にとって、一番不要で、ただ、アマガッツォの剣理に必要なそれを備えていました。

 彼は、どこまでも誠実でした。

 誠実であれば人の命の重みに人は耐えきれない。

 ですが、その事実に目を背ければその周囲に取り巻く剣を振るうべき理をも拾えなくなってしまう。

 全てを受け止め、その中から最善の一振りを振るう。

 それがアマガッツォの剣の理合です。

 リョウンという師が見せた戦場の全て、そして、愚直なまでにその理合を守りひたすらに剣を磨いてきたスタイアはその時に、ようやくアマガッツォの剣を振るえるようになっていたのです。

 千人の敵には千人の命を、百人の敵には百人の命を奪う剣。

 スタイアはリョウンに先駆けることで、リョウンの居ない戦場でその剣聖アマガッツォの剣を愚直なまでに体現したのです。

 彼は剣士として未熟なのではなく、ただ、リョウンの教えた剣に愚直だっただけだったのです。

 人の骸が転がり、屍肉を漁る犬やカラスが飛び回る戦場でスタイアはいつもじっと背中を丸めていました。

 冷たい朝日の中、血の温もりが放つ蒸気の中、屍肉を喰らうカラスの羽が陽光を浴びて黒く燦然と輝く。

 血と、糞尿と、冷たい風の匂いが混じり、静かに沈んでいく空気の中で変わらずに昇る陽光だけが控えめに暖かさで彼を包んでいました。

 私が一度だけ、声をかけたことがありました。

 彼は私を見ずにずっと、ずっとその先を見ていました。


 「……死んでも地獄、生きても地獄。なれば何故人は生きるんでしょうかね」


 じっと何かに耐えるように遠くを見るスタイアは冷たく、静かに、多くの命を奪いそれでも生き残ろうとする自分を見つめていました。

 多くの命を奪い、称賛され、それと同時に人らしい何かを失っていきそうになる自分を保つのに精一杯であったのでしょう。

 ウィルヘミナ卿から栄光のグロウリィ・ヘルムを下賜されたとしても、その顔が晴れることはありませんでした。

 それからはシャモンが伝えたとおりです。

 彼はいくつもの戦場を渡り歩き、多くの命を奪うことを率先して行いました。

 多くの血を被り、血を吸った銀が赤く染まり、赤き鉄の血に身を沈めそれでもずっと震えるように耐えておりました。

 私には絵画のことは深くわかりません。

 ですが、白を見せたいのであればその周囲を全て黒く塗りつぶせばよいという技法を伝え聞いたことがあります。

 まるでスタイアは生きることを見つけるために、人の命を奪い続けました。

 長らく続いた戦乱はフィダーイーにとって混乱と秩序の天秤を傾けるものと判断されました。

 フィダーイーはその仕手として最高のフィダーイーをウィルヘミナ卿に送り込むことになり、ウィルヘミナ卿は野望半ばにして倒れることとなります。

 その最高の仕手が、あなたです。

 パーヴァリア・キル。死を運ぶ妖精。

 何千年にもわたるフィダーイーの歴史の中に燦然と輝く漆黒の、仕手。

 鉄鎖解放戦線の最後に、何があったのかは私は深く知りません。

 ですが、多くの犠牲を払い金獅子騎士団に突撃を行い、王を取り逃し撤退したスタイアの顔にはどこか、清々しさがあったのは覚えています。

 王の顔に一太刀を浴びせたという話は後になって私も伝え聞きました。

 斬ろうと思えば、斬り捨てることができたのです。

 ですが、それができなかったスタイアがそこで何を知ったのかは私は知る術を持ちません。


   ◆◇◆◇◆◇


 ラナがそこまでを語り終える頃には太陽が地平にオレンジ色の斜光を投げ、宵闇が迫る頃となっていた。

 ラナは歩を止める事無く荒野を歩き、やがて、足下の地面が砂となるころ空を見上げた。

 巡る星々が綺麗に夜空を彩り、燦然と輝いていた。

 ラナは白くたおやかな指を口に含み、空にかざすと風を感じる。

 そうして、静かに自らが行く方向を定めるとゆっくりと、また歩き出す。

 パーヴァリアはその肩に現れると、静かにラナに語りかけた。


 「あれは、何を見つけたのだ?」


 ラナは遠くを見つめ、目を細めたまま答えた。


 「何も見つけてはおりません」


 風の中に、静かに砂が混じる。

 夜空に燦然と輝く巨大な月の投げかける光を砂が反射し、地上に星空を映した。

 地上の星の上をたよりなく歩くラナはそれでもしっかりと背嚢を掴み、進んだ。


 「私たちは巡るめく時の流れに落とされた砂の一粒。流砂のごとく流れに巻き込まれ削られ、小さく、そして儚い砂として寄り添い自らの行く先を知らない。私も、そして、スタイアも……ですが、彼等は我々と違います。人の一生は短い。ですから、なのでしょうね」


 ラナは誰にも見せたことのない優しげな笑みで笑った。


 「……その生涯において人は、輝く」


 そして、彼女はとつとつと語り出す。


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