第5章 『褐色の幽霊』 13
バルツホルドの西、バッツパリア大河に掛けられた聖パルメリア橋に集ったディッグの部隊を前に僕らは戦端を開いた。
「ガングライオ隊ッ!続けっ!ブレイザブリッグの杯を雷雲に掲げるのは俺達だっ!一番槍をつけに行くぞっ!」
勇ましく雄叫びを上げたダッツが犬の腹を蹴り、ガングライオ隊を率いて走った。
一番槍は最も勇ましい名誉ある行為だ。
戦場で最も楽なのが優勢な味方の後につき、逃走する敵を蹂躙することだとすれば、最も恐ろしいのが真っ先に敵陣へ飛び込み槍をつけ、戦端を開くことなんだ。
だからこそ、一番槍をつける行為は戦場に立つ者であれば最高の栄誉とされる。
今でも思うが、スタイアの采配は見事だった。
ダッツの性格を見抜き、それでいて彼の部隊の得意とするものを的確に把握し、その任を与えた。
ダッツの槍はハイモディッグの胸を貫き、先陣を切ったディッグ達は混乱に陥った。
砂塵が巻き上がる中、電光石火の如くダッツ・ストレイルのガングライオ隊がディッグの先陣を屠り散らしていった。
だが、しかし、それでも数が数だ。
はじめの勢いはやがてすぐに圧倒的な数に飲み込まれはじめる。
「隊長っ!助け……がぁぁああっ!ああ、ああぁああ!」
人の悲鳴というのはいつ聞いても悲痛なものだ。
まだ年若い冒険者の一人がディッグの持つ粗末な槍に貫かれ地面を這いずり回っていた。
容赦なく振り下ろされる棍棒で頭を叩き割られ、腕を折られ、胸を潰される。
非道とは思うだろうが闘争というのは弱い者を徹底的に叩くという、生き物の原理をシンプルに行うことだと、僕は今でも思っている。
「反転撤収ッ!下がれぇっ!」
動かなくなっても容赦なく叩かれ続ける冒険者を見てダッツは撤収命令を下した。
十分すぎる程、先陣としての役割は果たしていた。
だが、それは僕が騎士だからそう見えるのであって、冒険者である彼等はやはり騎士ではない。
「隊長、助けっ…きゃぁあっ!ああぁっ!」
何人かは逃げ遅れてディッグに喰い散らかされた。
フィルさんは酷いとは思うが、どうにもならない現実を前にした時、僕らはできることを淡々と行うしかない。
生き残った後でしか後悔できないのもまた事実だからだ。
ただ、その時は後悔する暇など微塵も無かった。
「グランバリスタ隊!盾正面構えっ!勇者とは艱難に怯まず耐え忍ぶものと知れッ!」
そう吠えた僕が一番震えていたんだがね。
逃げるガングライオ隊を嬉々として追うディッグ達は嬉々として後詰めの僕の部隊へと進んできた。
鳴り響く足音が地鳴りのように聞こえたし、唸り声が雷鳴のように空を揺らしていた気がする。
巨大な鉄の盾を並べてグランバリスタ隊は巨大な壁を作った。
ほら、今でも対大型魔物戦術で盾部隊が前に出て大きな盾を作って味方を守るだろう?
自慢じゃあないが、騎士団であの戦術をはじめて行ったのは僕の部隊なんだ。
一人の腰に二人が後ろから組み付き、ぴったりと盾を隙間無くあわせて、後ろで盾を構える人間を支える。
そうしてできた鉄の壁はそう簡単には崩されない。
さらにその後ろから撤収してきたガングライオ隊がグランバリスタ隊の後ろから槍で盾を登ろうとしたディッグを突き落とす。
聖パルメリア橋はディッグの軍勢でみしみしと音を立てていたよ。
だが、やはり多勢に無勢だ。
奴らは死んだ同胞の屍を積み上げて盾の上から僕らを鈍器で叩きはじめた。
あちこちで悲鳴があがり、きっちりと組まれた鉄の壁が歪みはじめる。
「どうするアーリィ!引くなら今だッ!」
戦場のけたたましさの中、僕の横に来たダッツが吠えた。
彼が言った意味はスタイアを信じるかどうかだった。
実はね、ここから先については僕らはスタさんから何も聞かされていなかったからね。
僕も、撤収するならここが頃合いだと思った。
ダッツのガングライオ隊にしろ、僕のグランバリスタ隊にしろ戦えるだけ戦った。
これ以上戦っても撤退する余裕もなくなり全滅することが明白だった。
生きて戻っても誰も責めはしない、ギリギリの状況だったんだ。
「まだだッ!必ず、来るッ!」
なぜだか、確証はあった。
なら、やりましょうかね、って言ったスタイアの気だるげな姿には本当にやらなければならないという覚悟があったんだ。
死ぬかもしれない状況で、それでもやらなくちゃならない状況に自分を追い込んだ人間がその気負いを悟られないようにする為の無気力さっていうのかな。
いや、違うな。
自分を諦めた時の覚悟だ。
僕が彼を友として尊敬する理由は常に、ここなんだ。
全てを考える時、どこにも自分を含めない。
ダッツの言葉を借りればてめえが一番ワリを喰おうとする。
民の為に自らを犠牲にするスタさんの根っこは誰よりも騎士らしい。
どうしょうもならない現実の中で、厳しい現実から目を背けず、その中で決して理想を諦めない。
「ディンゴ、ディンゴ。鐘を鳴らしましょう」
――聖パルメリア橋の橋下駄が爆発した。
あらかじめ仕込んであったんだろうね。
採掘用の火薬石を爆発させてスタイアはディッグと僕らごと橋を叩き落としたんだ。
崩れ落ちる石橋の下敷きになったり、ディッグの下敷きになって僕らの部隊は壊滅した。
僕やダッツも無事では済まされなかった。
だが、効果は凄まじかった。
部隊というのは大人数になればなるほど小回りが効かなくなる。
組織だってそうだろう?
発した指令が最前線に辿り着くには時間がかかる。
ディッグの部隊はまだ橋に入って無いものまで後ろから進んできたディッグに押されて川底に叩き落とされたんだ。
だが、そこからが凄まじかった。
敵の背後から火薬石を載せた犬を放ち、それがディッグの中で爆発した。
逃げるように前進をするディッグ達は次から次へと川底へ落ちてくる。
何も知らない純真無垢な犬たちが自らの背中に背負わされたものが何かを知らず、主人を信頼して走ったんだ。
僕たち騎士は犬を与えられたことを誇りに思う。
騎士である自分に忠節を尽くし、死地に赴くにしても賢明に仕えてくれる犬は僕らの戦友なのだからね。
だが、スタイアはその犬の信頼ですら自分が生き抜く為に容赦なく使ったんだ。
「畜生っ!奴めっ!俺達ごと殺す気だっ!」
ダッツがそう吠えたのも無理はなかった。
川底に落とされたとはいえ、同胞の死骸の上に落ち、少なくは無いディッグが生き残っていた。
そこにスタイアは容赦なく火薬石を載せた犬を走らせ、水柱を上げさせたのだからね。
僕のすぐ側でも爆発して犬の肉片とディッグの肉片。
そして、死んだ騎士の腕が飛び散ってくれたからね。
地獄だったよ。
川の水が赤と青が混ざってマーブルになっていた。
激しく燃え上がる爆炎の中に血の臭いが混ざって吐き気を堪えるのに必死だった。
そんな中、アスラガ隊を率いたスタイアが僕らの前に現れたんだ。
「さて、生き残る為の殺し合いをしましょうか」
アスラガ隊はたくさんの武器を背負っていた。
スタイア自身、腰に四本、背中に六本、計十本もの剣を携えていた。
自分たちの何倍もの数のディッグを相手に、本気で殺し尽くす気でいるのがわかった。
「アスラガ隊……退路は無い。戦って、死ね」
命を使う令合を命令というならば、まさしくそれが命令だった。
戦うだけ戦って、死ね。
答える代わりにアスラガ隊はディッグの群れに斬り込んでいった。
スタイアは自らの腰に差した剣を二本、両手に手にするとそのままディッグの群れの中に飛び込んでいった。
振るえば振るっただけ、ディッグの首が飛んだよ。
数で挽きつぶそうとするディッグ達を一人で相手にしていたんだ。
剣が曲がってしまえば、剣を替えて再び斬りに走る。
スタイアの後を追い、必死にアスラガ隊の部隊員がついていくが、ついていける訳も無い。
「隊長、お先に」
火薬石を腹に仕込んだ年端のいかない少年がディッグの群れに転がりこんで爆発した。
死ぬのであれば、少しでも多くの敵を道連れにして死ぬ。
狂気としかいいようがなかった。
だが、そのときの僕には彼等の気持ちが理解できた。
僕はそのとき、スタイアに追いつこうとしても追いつけない絶対的に高い壁を知った。
彼等は、恨んでいた。
恨んで恨んで、どうしょうもないくらい恨み抜いて、恨んでいることすら、忘れているんだ。
わかるだろうか、この気持ちが。
僕はこのときばかりは彼等の気持ちが痛くわかった。
何故、自分が。
何故、自分がここにいなければならない。
何故、自分が戦わなければならない。
何故、自分が他の誰かのために死ななければならない。
何故、何故、何故。
こうなってしまったことを運命と思える程、人間は愚かではない。
自分たちをこの場所に送るための流れを作り、安穏として得をしている人間が居ることくらい、彼等も僕も知っていた。
僕はその恨みに騎士の誇りを被せ誤魔化し、スタイアはただただそのままに肯定した。
そして、その上で横たわる現実を変えるために恨みを力に変えた。
鬼神の如きスタイアに追従するアスラガ隊が次々に爆散し、ディッグ達を散らしていった。
◆◇◆◇◆◇
ガングライオ隊もグランバリスタ隊も既に壊滅状態だった。
クレイモアを掴んだ僕を振り向き、スタイアは苦笑したよ。
「逃げてくださいな」
雨が降り始めていた。
「僕は騎士だ」
「死に狂いと騎士は違います……シルヴィア、殿を頼みます」
自らを死に狂いと貶めてまで僕らを逃がそうとしたスタさんは一体、何だったのだろうか。
今でも僕は理解することができない。
だけど、僕は彼を軽蔑することはできなかった。
自らの手を精一杯伸ばし、自分を犠牲にして自分のような人を救おうとする彼の姿は僕が追い求めても追いつけないまさしく騎士のその姿だったからだ。
朝露が湿る朝が、夕闇に煙る宵になる頃に戦は終わった。
しんしんと降る雨が死んだ者達の傷口から血を掻きだしてパッツパリア大河に吸わせていた。
軍勢の大半を失ったディッグはコルカタス大樹林に撤退していった。
満身創痍の僕らはバルツホルドを守ったことより、自分が生き残っていることに安堵して息を吐いたよ。
しんしんと降る雨の中、身を切るような寒さに震えながら僕らはスタイアを探した。
青白く、そして赤く染まったパッツパリア大河の中心に突き立ったスタイアの剣に一羽のカラスが止まっていたのを覚えている。
「……スタイアの遺体が見つからない」
生存者の捜索を終えたダッツが僕に告げたのはもう夜の闇が迫っていた頃だった。
「見つかるものかよ。奴は生きている」
憤りを隠すことなく、僕はダッツにぶつけた。
太陽が沈み、冷たく、暗い夜が来たとき、捜索は打ち切られた。
たくさんの人間がうち捨てられた。
煌々と赤い瞳を輝かせるカラス達がうち捨てられた人の屍肉をついばみはじめる。
生き残った僕らは称賛され、また、死んだ彼等は尊い犠牲と持ち上げられるのだろう。
だが、ここでうち捨てられた彼等は持ち上げられることを望まず、本当はただ、僕らと同じように生き残りたかったのだ。
うち捨てられ自らの屍肉で畜獣の腹をくちくするために死んだのではない。
「うあぁああ……ああぁぁあああ―――アァァァアアアアアッ!!」
僕は屍肉の山を駆け上り、吠えたくってクレイモアを振り回した。
あざ笑うかのようにカラスが舞い上がり、僕の上で旋回した。
いつまでも力なく吠える僕は、だからこそ、彼を追ったんだ。