第5章 『褐色の幽霊』 11
しんしんと雨が降る。
「……俺たち、鉄鎖に繋がれた奴らが、ようやく掴んだ選べる生き方だ。それは鉄の鎖なんかより、よっぽど重い。あいつが選んだんなら、それにチャチを出せるモンじゃねえよ」
シャモンはエールを飲み干すと、細く、長く息を吐いた。
タマはじっと、瞬きもせずにシャモンを見つめていた。
「シャモさん、大事なことを話してくれてない。スタさんは何を知ったの?何で、一人で行っちゃったの?」
シャモンは笑った。
「てめえの身代の始末は一人でつける。死ぬとき、人間は一人だ。だが、甘ったれた連中はそれがわからない。痛みがわからないから、関係のねえ人間に手を出すんだよ」
「そうじゃない……そうじゃない!スタさんがそうまでして、やりたいことっていったいなんなの?」
シャモンはいよいよ、目を逸らした。
「……おめえさんは鋭いな?だけど、ほどほどにしておけ。好奇心は猫を殺す」
「スタさんが死んじゃうんだよ?」
シャモンはカップを置くと、天井を見上げる。
そして、大きく息を吐くとカウンターの向こうで旅支度を調え終わったラナを見つめる。
「……なあ、タマ坊。今、まだ続いていることがある。それは俺が語ることじゃあねえんだ。語ることは全てが終わらなければできない。お前は、しっかりと父親と母親の生き方を見て理解するんだ。言葉は世界の少ししか表せない。万象拾宇、覚悟の如し」
シャモンはタマの頭を撫でると、立ち上がった。
「……ラナさん」
「はい」
深々と頭を下げるシャモンに、ラナは静かに膝をついた。
シャモンは頭を上げると、膝を折り寂しげに笑うラナを見つめた。
「……くれぐれも」
「はい」
ラナは外套の上からリュックを背負うとタマを見下ろした。
「タマ」
「……はい」
「……留守を、お願いします」
ラナが柔らかく笑うのをタマははじめてみた。
それが、どうしてだかとてつもなく不安に思えた。
「ラナさんもどっかいっちゃうの?」
「……はい」
「帰ってくるよね?ラナさんも、帰ってくるよね?絶対、帰ってくるよね!」
しがみつくタマをラナは愛おしそうに撫でた。
「……いつかは、私も、スタイアもあなたの側からいなくなります」
「行っちゃヤダよ!ずっと一緒に居てよ!ラナさん!」
「覚えておいて?あなたに大切な人が居るように、あなたを大切に思う人が居ることも。私も、あの人もあなたを愛してる。だからこそ、あなたには少しでもいい時代を用意してあげたい」
「……行っちゃ、やだよぉ」
「あの人は戦ってるわ。私も、行く。あなたも戦いなさい」
「わかんないっ!わかんないよっ!教えてよ!もっと、教えてよ!なにとたたかうの!?わたし、まだなんにもわかんない!……ママぁっ!」
「全ての、不条理」
そうラナが告げると、タマは泣きやみ、じっとラナを見上げた。
銀色の髪が揺れ、赤い瞳が揺れ、優しく笑うラナは気高かった。
タマは涙で濡れた顔を拭うと、歯を食いしばり、凛とした顔で言った。
「……リバティベルは私が守ります。どうか、どうぞ、ご無事で」
腰を折り、そう告げたタマをラナははじめて自分から抱いた。
「ありがとう」
ラナはそう微笑むと、店を出る。
グロウリィドーンの片隅にある酒場、リバティベル。
ここは冒険者が集まる酒場なのだ。
◆◇◆◇◆◇
降りしきる雨の中、スタイアは黒衣の男達と切り結ぶ。
噴き上がる血が石畳の道に吐き出され、やがて、雨に洗い流される。
全てを斬り伏せる頃には、夜が明けていた。
夜が明けたとしても、空は晴れない。
腹を切り裂いた刃の熱さに、未だ生きている自分を覚え、スタイアは石壁にしがみつき、よろよろと路地に身を隠す。
塵に埋もれ、幾ばくかを休み、また、ふらふらと歩き出す。
だが、溜まりきった疲労に目眩を覚え、ずるずると石壁にもたれてまた、路地で膝を折る。
「……お兄ちゃん、大丈夫ぅ?」
外套を着た小さな子供がスタイアを見上げていた。
「これ、食べて」
子供が外套の中から、パンを差し出す。
喉が鳴り、熱となる程食したい衝動がスタイアの腕を動かすが、僅かに残った理性がそれを危険だと判断した。
「……子供が雨の日にうろちょろするわけにゃあですよ?」
底冷えするような声でスタイアは子供を恫喝した。
子供は外套の中から素早く短刀を伸ばすが、それより早くスタイアの剣が少年の腹を切り裂いていた。
悲鳴すら上げず、地面を転がりスタイアから距離を取る少年は明らかに訓練されたものであった。
「こったら子供にまで金物の味ば教えて……つくづく、嫌になりあんす」
スタイアは誰にいうでもなく呟いて、小さく溜息をついた。
「……帰りなさいな。僕は手負いでも君くらいなら簡単に殺してしまう。敵わない敵に背を向けるのは恥ずべき行為じゃない。どんなことをしても、生き延びるべきです」
「……生きる場所なんて無いです」
だが、少年はスタイアの忠告をまるで聞かず、瞳を暗く濁らせたまま短刀を片手に突進してきた。
スタイアの剣が翻り、少年を真っ二つに断ち切る。
ごろんごろん、と少年の体が路地に跳ねて血をしぶかせた。
最後に悲しそうに呟いた少年の口はだらしなく開き、寂しそうな瞳は色を無くして虚ろに濁った空を見上げる。
路地裏に斬り捨てた少年の亡骸を見下ろし、スタイアは大きく、大きく息を吐いた。
「もう、嫌だぁじゃあ」
そう言ってしまって、苦笑してみるが力が無かった。
周囲に次第に集まる気配に、スタイアはふらふらと大通りに出る。
「こんたな子供まで……殺さねば生きられんですか」
雨の中、音もなく姿を現したローブの男達が静かに剣を構える。
静かに降りしきる雨を浴びて、白刃に浮いた雫が静かにゴールデンドーンの石畳を叩く。
「……なんばしょっとも生き延びあんす。どうぞ、ご勘弁」
ローブの男達が一斉にスタイアに飛びかかった。
スタイアの身が大きく沈み、振るわれた剣が水滴を鋭く切り裂き、刺客の剣と交わる。
何よりも速いその切っ先が刺客のローブの奥の喉を貫き、横に振り抜いた切っ先が背後から振るわれた剣を受ける。
――剣が翻る度に血が噴き上がり、鈍色の空に赤い飛沫が巻き上がった。
◆◇◆◇◆◇
フィルローラから事の顛末を聞き出したアーリッシュはふむ、と頷いたきり、何も言わなかった。
「……どうか、事の真相を究明しスタイアさんの救出に尽力願います」
フィルローラは吐き出し終えてようやく、肩の荷が幾分、軽くなったように思えた。
ダッツは苦々しい顔のままアーリッシュを見つめるが、アーリッシュはずっと、黙っていた。
「なあよ」
「……ん?」
「武運は神速を尊ぶ。動くんならとっとと動いた方がいいんじゃねえか?」
アーリッシュは苦笑して、机上の書類に再びペンを走らせた。
フィルローラはいささか不安になってアーリッシュに尋ねた。
「あの……アーリッシュ卿」
「話は聞いた。だが、今はいささか忙しくてね。第六騎士団と予備役の集中練成とアカデミアから対魔物討伐用の大型兵器の仕様の浸透が我が騎士団の目下の最重要課題なんだ」
そう言ったアーリッシュは眠そうに欠伸をした。
フィルローラはまるで他人事のようにスタイアの話を聞いていたアーリッシュにいささか憤慨を覚えた。
「……スタイアさんはアーリッシュ卿の友人だとお伺いしました」
「ああ」
「その友人が何らかの事情を抱えて窮地にいらっしゃるやもしれないのに、そのようなことでよろしいのでしょうか?」
「公私混同をするわけにもいかない。彼には彼の事情がある」
フィルローラは激昂する。
「見損ないましたッ!なぜ助けてあげないんですかっ!なぜ一人戦う友と戦えないのですかっ!アーリッシュ卿は正しき道をしる騎士だとずっと……お慕いしておりましたのにっ!」
「だからこそだっ!」
アーリッシュは激昂するフィルローラを真正面から捕らえ、恐ろしいまでの眼光でその瞳を射貫いた。
「……スタさんが僕に託したんだ。だからこそ、僕は僕のやるべきことをしなくてはならない」
雷鳴が轟き、閃光が悪魔のような形相のアーリッシュを浮かび上がらせた。
「アーリッシュ・カーマインが果たすべき責務を放棄したのであれば、スタイア・イグイットは必ず、アーリッシュ・カーマインが果たすはずであった責務を負う。スタイア・イグイットというのはそういう男だ」
ダッツは苦笑すると、雨の降りしきる外を見つめる。
「……そういや、あん時もこんな嫌な雨が降っていたよな?」
「懐かしいな、バルツホルドの戦いか」
アーリッシュは残った黒湯を飲み干すと、静かに語り出す。
「フィルローラ司祭。君の知らないスタイア・イグイットについて語るよ」