第5章 『褐色の幽霊』 10
しんみり、しちまったな。
だがな?スタイアの奴ぁ、しっかり生きてたし、俺は再会することになる。
その前に、ちっと、話は逸れるが俺の話をする。
なんせ、俺はその後のスタイアを見ちゃいないし、あの通り、てめえの苦労は話さない奴だったからな。
俺やスタイアが生きてきた鉄鎖解放戦線は、どうしても避けて通れない話だ。
俺が売られたのはヨッドヴァフの北にあるアブルハイマン山脈の鉱山だった。
夏の暑い頃だったのは覚えてる。日照りが続いてな。
その年もろくに作物は取れなかったみたいだった。
裸足で延々と岩場の山を歩いて、足の裏が破れてようやく鉱山についた頃には熱で倒れていた。
だがね、俺達みたいなガキは少しでも元を取ろうと熱があろうと具合が悪かろうと次の日にはツルハシを担がされて鉱山の中に放り込まれる。
だらだらしてれば殴られるし、目眩のする中、必死に鉄を掘るんだ。
だけどな?飯だけはしっかり喰わせてくれた。
高い金を払って買った奴隷が元を取れずに死んでしまったらそれこそ買った商会は損をするし、年を重ねて経験を積んだ奴隷というのは同じ奴隷をまとめ、より稼ぐための知恵を出してくれる。
奴隷ってのは良くも悪くも、人間なんだよ。
そこで俺は、生涯で師匠と呼べる人に出会ったんだ。
遠く東、コンルゥから流れてきた老人だったよ。
熱を出していた俺に、そのあたりに生えている野草を煎じて飲ませたんだ。
たちまち、次の日には俺の熱も引いたし、体調も良くなった。
……まあ、このばぁさんの話はいいか。
ともかく、俺ぁこの婆さんと数奇な縁で結ばれることになった。
山の歩き方、野草の知識、練気内功、あんまし耳慣れないかもしれんがコウコというものもそこで知った。
そして、俺が俺である為のシャモンという名前もこの婆さんからもらったんだ。
人間、生きていく上で親ってのは二人いる。
自分を腹から産んだ親と、自分を生きていけるように仕込んでくれる親。
タマ、お前も、わかるだろう?
鉱山で鉄鋼を掘り続けて六年くらいした頃かね。
ヨッドヴァフで奴隷を廃止しようとする運動が起こった。
世の中には見えない天秤があるんだ。
生まれながらに裕福な奴と、貧乏な奴。
その人数が割と均衡が取れているうちは天秤ってのは傾きゃあしねえんだ。
ところが、人間の欲って奴ぁどうしょうもなくてな。
裕福な奴ってのはより裕福になろうとこの天秤を傾けちまう。
自分一人くらいがより裕福になっても問題はねえだろうってな?
ところが気がつきゃあ、天秤は傾きまくってひっくり返りそうになる。
そうなっても裕福な奴らってのはひっくり返ることを承知でてめえの裕福さを手放しゃあしねえんだ。
アブルハイマンの鉱山でもそうだった。
アブルハイマンはグロウリィドーンから遠いし、俺達にゃあ関係ねえと思っていたんだがね。
奴隷が廃止されるってなりゃあ鉱山の経営ってのはままならなくなる。
そうなりゃ、廃止されるまえ奴隷達を使い潰そうって腹になったんだ。
俺のお師匠さんや奴隷頭はよく人間ってのを知っていたんだ。
だから、奴隷制が廃止されても鉱山をやっていけるだけの人間は残ると諭したんだ。
だってそうだろうよ?
俺すら六年、鉱山奴隷として生きてきたんだ。それ以外の生き方を探す方が難しいんだ。
だけどね、一生懸命諭しても無理だった。
欲にくらんだ人間ってのはタチが悪くてな。
労働時間が寝る時間を削って、飯だってろくすっぽ与えられない。
病気になってもうっちゃって死ぬのを待って、くたばっちまえばむしろにくるんで谷底に落っことすんだ。
そんだけ酷い仕打ちを受けりゃあ奴隷だって黙っちゃいねえよ。
何しろ、鉱山を経営する商会の連中より奴隷達の数の方が多いんだ。
暴動が起こったんだ。
そんな中で割りを喰ったのは一生懸命、みんなを仲裁した師匠や奴隷頭のおやっさんがただった。
商会の連中からは奴隷の筆頭だし、奴隷の連中からみりゃあ商会の飼い犬のような連中さ。
いつだって争い事の原因ってのは欲と欲のぶつかり合いなんだ。
俺と師匠は双方から追われるように山を降りたんだ。
師匠は言ったよ。
「いつだって、割りを喰うのは老人や子供、弱い連中さね。恨むのもしょうがないさね。だけど、恨むなら、きっちり恨みなさいな。手前さんまで、一緒になって畜生のような人を恨んじゃダメ。弱い者に喧嘩して勝って喜んでるような下衆になりなさんなや?」
……よく思えば、どこでも殴り合いの喧嘩ばっかりしているような婆さんだったやな。
アブルハイマンを追われた俺と師匠はどうしょうもなく、鉄鎖解放戦線に加わったんだ。
奴隷を解放し、真に自由なる人をっていう崇高な使命に共感したんじゃあない。
食い詰めた俺と師匠を喰わしてくれるっていうのと、長く続いた喧嘩にうんざりしたからなんだよな。
いいか?タマ坊。喧嘩ってのは納めどころってのが肝心なんだ。
だけど、その納めどころっちゅうのはどっちかが勝つくらいトコトンやらにゃあ見えない場合の方が多いんだ。
だがね、タマ坊も知ってるだろう?
人ってのは割と簡単に死ぬんだ。
喧嘩つっても人の命を賭けた戦争やってんだ。
正規に訓練された騎士達と昨日まで鉱山掘ってた奴隷がまともにやり合って勝てる訳ぁないんだ。
奴隷は数の上では騎士よっか上回ってたさ。
百本の矢を持つ弓兵を倒すにぁあどうしたらいいか?
百人ともう一人で殴りかかるのさ。鉄鎖解放戦線の奴隷達の戦い方ってのは終始そんな戦い方だった。
わかるか?一人は殴りかかれるかもしれないが百人は矢に当たって死ぬんだ。
北部解放戦線で俺と師匠は転戦に転戦を繰り返したんだ。
だがね、どうにも戦況は俺達に不利になってきた。
追われるだけ追われて、俺と師匠は師匠の知り合いが戦っているっていう東部解放戦線と合流することになった。
待ち合わせの場所の情報が漏れてたんだろうな。
ヨッドヴァフの騎士達が待ち伏せていやがった。
降り注ぐ火矢の中で俺と師匠はここで終わるかなと覚悟したよ。
そんな時だったよ。
スタイアの野郎と再会したのは。
「皆様方には遺恨はあらねど生きていく為にお覚悟願いあすっ!」
どっかで聞いた酷い訛りだと思ったよ。
俺はてっきり死んじまったモンだと思ってた。
だがね、奴は、俺との約束を守ってしっかり生き抜いてくれてたんだ。
数奇な縁だったよ。
俺のお師匠さんと、スタイアのお師匠さんってのが知り合いだってんだからな?
俺のお師匠さんが幾ばくか手ほどきしたのがスタイアのお師匠さんだったんだ。
スタイアの師匠?ああ、お前さんも覚えておけ。
鬼神リョウン。
オーロードの闘技奴隷最強の剣闘奴だ。
コンルゥ生まれで西へ西へと流れて戦乱に巻き込まれて流れ着いた先がオーロードの剣闘奴だって話でな。
異国の剣を使う、剣士だ。
オーロードでどういう経緯でスタイアと知り合ったのかは知らん。
だが、最強の剣闘奴は弟子と一緒にウィルヘミナ卿に買われてお抱えの剣士になったんだ。
ウィルヘミナ卿は時の趨勢を見て、王室ではなく奴隷の側に立って鉄鎖解放戦線を立ち上げた貴族だ。
その鉄鎖解放戦線の筆頭になってリョウンとスタイアは剣を振るったんだ。
俺もとても強い剣士が居るって話は聞いていたさ。
だけどな?それがまさか、スタイアだとは思っちゃいなかった。
スタイアの奴ぁ、血に染まった剣をぶん回して騎士達に切り込んでいったよ。
あの頃はまだ、アスレイって名前だったっけな。
スタイアのお師匠さんがつけてくれた大事な大事な名前だ。
見違えるほどに、強くなってたよ。
押し込み箱でぶるぶる震えて今にも死にそうだったガキが、いつの間にかいっぱしの剣士になってたんだ。
手にした剣が振るわれるたびに騎士の首と胴体が離れるんだ。
甲冑なんて意味がねえ。
鋼鉄のツヴァイハンダがもの凄い速さで閃けば、鉄の甲冑ごと人間が真っ二つだ。
千人斬りのアスレイ。
鉄鎖解放戦線に参加していた連中はみんな、知っている。
スタイアがウィルヘミナ卿に下賜されたウィングヘルムを見るだけで敵はそう叫んで戦意を喪失したんだ。
だけどな。俺だけはわかってたよ。
スタイアがどんだけ無理してきたかってのをよ。
生きるために好きでもねえ人殺しを繰り返してきたんだ。
もう止めてぇ、止めてぇって言いてえのに、世の中がそれを許さなかった。
スタイアの奴ぁよく、笑う奴だろう?
だけどな、剣を持ったスタイアは笑わねえんだ。
ぐっと歯を食いしばって泣きそうになるのを必死に堪えて走るんだ。
よせばいいのに殺した相手の命を背負って歩くんだ。
自分が殺した分だけ、生きる人がいる。
なぁんてのは弱い奴の言い訳だ。
殺した分だけ悲しみってのは増えるんだよ。生き残ってもやるせないだけなんだ。
そうしてできあがったのがスタイア・イグイットという人の心を持った鬼だ。
ガルドラ砦奪還戦、アルネリコ大橋撤退戦、コルベリア平原の戦い。
いくつもの過酷な戦場でスタイアは剣を振るったよ。
戦って、戦って、戦い抜いて。
俺とスタイアは互いの約束を守ったんだ。
――卑しくとも、惨めでも、それでも、生き抜く。
命根性が汚いと思うなら、笑えよ。
でもよ、虫ケラみたいな奴隷だったからこそ、生き抜く事が俺達の精一杯の抵抗なんだよ。
家族に売られ、人からは卑しいと言われ、犬猫や牛馬にも劣っていた俺達が、てめえらと同じ赤い血の人間だぞって叫んでたんだよ。
そうしなくちゃあ、俺も、スタイアも生きていくことができなかった時代だったんだ。
グロウリィドーン南、バルガロア街道の決戦で俺とスタイアは王国直衛騎士団、即ち金獅子騎士団に切り込んだんだ。
何人も死んだ。
ヨッドヴァフ三世の近衛騎士団はどれも手練れの連中さ。
騎士団の連中とは訳が違う。
レオ・ウォン・フリッシュ卿、ガド・ヴァルバリア卿、クロウフル・フルフルフー大師星、フィルディアス・ティンジェル大司祭。
いずれも英雄と呼ばれる人物達がその直近に居た。
だけど、俺とスタイアはその中に飛び込んで、王の元まで走ったよ。
英雄なんぞともてはやされ、いい飯喰ってた連中が俺達は憎たらしかった。
ピカピカの甲冑に拳を、剣をたたき込んで血と泥に染めて同じ人間に落としてやりたかった。
生まれが、育った場所が、それだけの違いしかなくてのうのうと生きてきた連中に俺達が自由に選べるものを与えて、おんなじ人間だってことをわからせてやりたかった。
わかるか?
生まれも、育ちも、行く場所すら選べない人間が唯一選べるもの。
自分の死に方だけだ。
てめえらも、俺たちも全部全部、同じ人間だってのをわからせて、それで一緒の場所に立てると思ったんだ。
全部が全部をたたき壊して、てめえのくそったれな人生をやり直せると思ってたんだよ。
だがね、俺もスタイアも、まだ、ガキだった。
これで全部終わると、思ってた。
辛ぇ、辛ぇ奴隷生活とこれでおさらばだと思ったよ。
何人もの近衛騎士を斬り捨ててスタイアがヨッドヴァフ三世の顔に刃をつけたんだ。
わらわらと集まった騎士達を斬り捨てながら、あいつと、王様は何かを叫んでた。
王様は結局、騎士達に守られながら逃げていった。
王が負傷し、王都に撤退し、ようやく納まりのつかなかった喧嘩が納まったんだ。
そして、王様が言ったんだよ。奴隷の解放を認めるってな?
終わったんだ。
俺やスタイアも、終わったと思ったんだよ。
だがよ、そっからはタマ。お前も身をもって知ってるだろう?
そいつぁ何の解決にもなってなかったんだ。
気がついて冒険者制度なんて作って生きる技術を奴隷に与えたってそんなのは焼け石に水なんだ。
どの農村でも喰いっぱぐれが売られるのは一緒。かえって大々的に売れなくなっちまったから余計始末に負えなくなった。
本来なら親に売られるはずの子供が、捨てられる。
なあ、タマ坊や。俺やスタイアを恨んでくれても、構わないんだぜ?
ひょっとしたら、俺らがくたばって戦争に負けてりゃあお前さんは捨てられることなく奴隷としてなんとかかんとか喰ってけたのかもしれねえんだからよ。
奴隷から偉くなれたのはそっから一握りの奴だけだった。
天秤がひっくり返って、運良く、貧乏から裕福の皿へ移れたのは幾ばくもいねえよ。
みんな、途方に暮れたよ。
勝ってみたところで、行くあても喰うあてもねえ。
路頭に迷った奴隷達は山賊に身をやつしたり、冒険者になって野垂れ死にする奴らが殆どだった。
折良く魔物さんがたが増え始めたから、なんとかかんとか冒険者なんて需要があるがよ?
結局のところ、俺達貧乏人はいつまでもてめえの命を虫ケラのように使って生きてかなくちゃあ、なんなかったんだ。
スタイアは、偉かったよ。
あいつは真正面から、世の中に斬り込んでいった。
全部を知ろうとして、教会の、大学の、騎士団の門を叩いた。
そして、全部知った上で、奴ぁ、選んだんだ。
全部を縛る鉄鎖を断ち切る剣となることを。
――リバティベルの鐘を慣らすことを、だ。