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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第5章 『褐色の幽霊』 3

 フィルローラはまとまらない思考を引きずりながら報告すべきことをまとめる。

 要領を得ない報告書に自分でも苦心しながらなんとか形にすると、合同遠征の報告書を抱え、コルベス大司祭の執務室に赴く。

 その頃には廊下に差し込む光が朱を帯び、古びた石畳を柔らかく照らしていた。

 明日にすべきだろうか?

 そう思ったが、自分が不甲斐ないせいで大分先延ばしにしていた案件であることから、失礼であっても今日中に報告すべきだと考え直す。

 重厚な樫の扉をノックし執務室に入ると、礼服を身に纏ったコルベス大司祭が机上に書類を広げ、笑顔でフィルローラを出迎えた。


 「大分、こたえたように見えるね?」

 「申し訳ありません」

 「いいことです。苦労を経験でき、立ち直れるのは若いうちだけだ。私のように年を取るとどうにもそうもいかなくなる」


 フレジア教会の大司祭ともなるとその包容力も違う。

 柔らかな笑みと含蓄のある言葉はそれだけでフィルローラの心のしこりを洗い流してくれる。


 「今度の件につきましては大変、勉強させていただきました。大司祭の心遣い痛み要ります」

 「アルテッツァ様は若くして王の資質を備えてらっしゃる。司祭の父君に聞いたところ、覚えもよく教会に変わらぬ支援を約束してくださりました。これも、司祭の心がけがよかったためでしょう」

 「きっと、辛辣なお言葉であったに違いません。私の不徳の致す限りで」


 苦笑するフィルローラにコルベス大司祭は同じように苦笑で答えた。

 フィルローラはやっぱりと思い、ふと、思い出した疑問を尋ねてみることにした。


 「あの、つかぬことを伺ってもよろしいでしょうか?」

 「なんだね?私に答えられることであれば」

 「スタイア・イグイットという神官がいらっしゃったのをコルベス大司祭は覚えてらっしゃりますか?なんでも巡回司祭になる手前までいらしたと……」

 「スタイア……スタイア・イグイット……」


 コルベス大司祭はしばらく思案しそして、まるで懐かしむように語り出した。


 「懐かしい名前だ。丁度、君がニヴァリスタへ巡礼の旅に出ている間だから面識は無いだろう。なにかをじっと耐えるような顔を覚えている。とても真面目な少年だった」


 コルベス大司祭はフィルローラの知らないスタイアを知っていた。


 「クロウフル・フルフルフー大師星からの紹介でね。騎士でありながら、学士を修めた優秀な少年だったよ。神童というのかね?たしか君の父君が神学を手ほどきしたはずだ。巡礼司祭の旅でヨシュ砂漠に赴き、法衣を脱ぎ捨てた。聞くところによるとクロウフル大師星の推薦する教授をも蹴り、正騎士の道をも諦めたと聞く」

 「えと、女性がらみの問題が多かったからですか?」

 「女性がらみ?浮ついた噂は全く聞かなかったな。修行に身の入らぬ女性信徒の浮ついた話の種になることはいささかあったが、教会に来て祈りを捧げるともっぱら図書室にこもっていたよ。孤児院の孤児たちに特に優しかったが剣を教えるのは少々、いただけなかったことくらいだろうかな」


 コルベス大司祭はそう語ると懐かしそうに瞳を細めた。


 「神は人を救わず。人を救うのは人であり、我々が神の奇跡を信じるのであればそれは人である我々が作らねばならない……確か、彼が述べた言葉だよ。惜しい人物だったな。行く末は君の隣に立つべき人物だったやもしれんのに」


 そこには全く知らないスタイアが居た。

 自堕落で女性にだらしなく、騎士として不真面目なスタイアしか見ていなかったフィルローラには神官の黒衣を身に纏い、書物を開くスタイアを想像できなかった。


 「君が知るはずはないのだが……誰かに話を聞いたのかね?」

 「カーマイン卿の友人であり、今は彼の下で働いております」

 「アーリッシュ騎士団長か。彼ももう三年も騎士を続ければ近衛騎士への登用も間違いないだろう。そうすれば、大司祭となる君共々、この国を負って立つべき人物となる」

 「彼は、何故、全ての道を諦めたのでしょうか」


 コルベス大司祭は怪訝な顔をする。

 フィルローラは尋ねる。


 「正騎士、教授、巡礼司祭、いずれも立派な立場です。その責は重く、それだけの人物であればいずれの立場であっても天分を全うしたと思うのです」


 コルベス大司祭は苦笑した。


 「正騎士、教授、巡礼司祭、そのいずれがスタイア・イグイットの存在だったのだろうか?いや、違うな。人は自らを何に依って自らと認めるか。神学の一端である哲学の領分だ。君も修めただろう。彼は彼なりの自分をみつけたのだろうさ」


 フィルローラは魔物の前で震えながら剣を構えるスタイアを思い出す。

 一体、どんなスタイアがあの絶望の中、剣を振るうことを決めたのだろう。

 コルベス大司祭は思考にふけるフィルローラを現実に引き戻した。


 「それより、君の話だ。教会は今回の件を高く評価している。女性を中心にまとめられた聖堂騎士団が騎士と立派に戦線を張り、神に仇なす、いや、ヨッドヴァフに害をもたらす魔物達を駆逐した。その指揮にあたったフィルローラ司祭の献身的な活躍は王室の中でも評価が高い」


 違う。

 礼を尽くす巨人の魔物、約束を守り住む場所を去った魔物の群れ、そして、魔物を捕らえ連れ帰る騎士団。

 フィルローラは自分が見てきた現実と、コルベス大司祭が告げた言葉の溝を埋めることができず沈痛な面持ちとなる。

 コルベス大司祭の表情から笑みが消えた。

 荘厳で厳粛な緊張の中、コルベス大司祭は重々しくフィルローラに告げた。


 「君はそろそろ、大司祭の責任というのを理解しなければならない」


   ◆◇◆◇◆◇


 メリーメイヴは名槌ハイングの看板を掲げる鍛治師である。

 初代ヨッドヴァフの聖剣グロウクラッセを鍛え直し、三代にわたって鍛冶ギルドの長を務めるハイングの名はヨッドヴァフでは一つの伝説ではある。

 自分の選んだ仕事しか行わない。というのは職人の矜持の中にはままあることである。

 だが、絶対という装飾をつけることはいかなる職人でも難しい。

 それがハイングが名槌と呼ばれる所以でもある。


 「私は装飾師になりたかったのだけどね。だが、しばらくは親父殿が許してくれそうにない」


 タマにお家事情を話し、メリーメイヴは苦笑する。

 炉の炎に焼けた浅黒い肌を袖の長いゆったりとした衣服に包み、頭髪を頭巾の中に押し込んでいる。


 「だが、装飾の道というのも難しくてね。そもそも、装飾というのは物を飾り付けるもので、その物が物であるためには必要はないし、装飾がその物の持つ本懐を傷つけてしまうこともある」


 メリーメイヴはスタイアに鉄の鎖で編んだ鎧下を渡す。

 スタイアはそれを無造作に着込むと、脇の下の革紐をしっかりと結ぶ。


 「スタイア、君は厄介だよ。君が物を持ち込む度に親父殿に殴られる。預かる間にと貸した剣だって戻されてみれば曲がっているし、どんな使い方をしたらこうなるか知りたいよ」


 スタイアは苦笑する。


 「まあ、剣の使い方なんて一つしかないですからね」

 「違いない。だから苦労する」


 タマは無邪気な顔で、真剣にメリーメイヴの話を聞いていた。


 「剣は命を奪う物だ。それ以外の用途は無い。それをどこまでも突き詰めた形を作らなければならない。それも君が渡り歩く戦場を想定してだ」


 メリーメイヴは工場の壁に吊してあった剣を手にし、眺める。


 「……より速く、より深く、相手の肉を裂き、骨を断ち、致命傷を負わせなければならない」


 細長く、鋭い剣を振り、革を裂くが途中で止まる。


 「……何度斬ってもまだ斬れるように」


 槌台に叩きつけるとその剣は根本からへし折れた。


 「……鉄鎖で編まれた鎧下を断ち、鉄の鎧を切り裂き、鋼鉄の鎧を割る強さ」


 折れた剣の刃をゴミ箱に放り、メリーメイヴは椅子に腰かけた。


 「長大で巨大な剣では素早く振るえず場所を選ぶ。ただ、ただ人の扱う剣の形でその答えを追い求めるのは一人の男が人生を賭けるくらいの覚悟が必要だ」


 スタイアは苦笑する。


 「いやぁ、三代目は剣しか打たない偏屈屋ですからね。剣なんてただただ、鉄を斬れる形にすりゃいいんですよ。お父上はお元気ですかね?」

 「皆は年を取ったというが……より鋭さを増しているよ。君の剣を打ち直すたびに私に拳骨をくれる」


 メリーメイヴは頬に貼った湿布を示して苦笑した。


 「鍛冶屋商売だてらに色んな剣を見る。君の剣は一体、どれだけ斬ればあんなになってしまうのか不思議でならない」


 メリーメイヴは戸棚の奥から一振りの剣を手にする。

 それは新しく打ち直されたスタイアの剣だ。


 「以前に装飾を施そうとしたら、親父殿に殴られたよ」


 苦笑するメリーメイヴから剣を受け取ったスタイアは軽く振る。


 「若干、短くなりましたね」

 「うむ。いささか短くなってしまった。君には若干使いづらいだろうけど、どんな物でもいつかは壊れる。折れない剣というのは存在しないからね」


 スタイアは数度振るうと鞘に静かに納める。


 「折れない限りは何度でも打ち直せるんでしょう?」

 「熱をくれてやればね?だけど、鉄だってくたびれるさ」


 スタイアは大きく溜息をつくと熱で焼けた天井を見上げる。


 「成り難し、ですかぬ」


 どこか自分に被せた寂しさがその呟きにはあった。

 ようやく、タマが口を開いた。


 「ねえねえ」

 「ん?」

 「メーヴィはそれでも装飾の道を選んでるんだよね?」

 「そうだね。これは親父殿の意向でもある。これから先、鉄の武具は廃れていく。武具とは平和な時代には使われない物だからね。男子が産まれなかったというのもあるが……まあ、要するに余裕がある人間が求めるのは装飾品の類だそうだ」

 「でも、さっき言ったようにメーヴィは装飾が要らないものだと思ってるんでしょう?」


 メリーメイヴはタマの質問を受け、笑みを浮かべる。


 「ああ、物が物であるためには余計な装飾など要らない。それは物が本来持つ機能を果たす美しさすら損なうからね」

 「なら、なんでハイングさんに殴られてでも続けてるの?」


 メリーメイヴは真剣な面持ちで告げた。


 「……物が全ての機能を果たし、その上で果たせない用があるから、人は装飾を施すんだよ。私は未だ、それを行えるだけの器量がないがね?」


 メリーメイヴはスタイアの腰の剣に視線を落とし、タマに告げた。


 「人の尊厳、誇り、それを表す。それが、装飾なのだよ」



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