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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第5章 『褐色の幽霊』 2

 多くのことを知りすぎた。

 フィルローラは自分が常日頃何の疑問も持たずに接していたものを常に疑うように見てしまうようになってしまった。

 救いを求めてくる人物も打算をもっているのではないかと疑う始末で、公務に手がつかなくなる。

 自分が生きている世界が、実は作り物でとても壊れやすいものではないのだろうかという錯覚すら覚える。


 「大分、お疲れの様子で」


 騎士団への出向から帰ってきたシルヴィアに声をかけられるまで、教会の執務室で惚けていた自分に驚く。


 「ええ……すみません、気を使わせてしまいましたね」

 「いえ、私も少々、驚いてはおりますから」


 シルヴィアは淡々と呟くと、静かに頭を下げた。


 「……コルベス大司祭がお呼びです。お疲れのようでしたら、断りのご連絡をいたしますが」

 「いえ、結構です。おそらく今回の合同遠征のことについてでしょう。報告を滞らせておりましたから」


 フィルローラはそう呟いて、向かわねばならない現実の重さに潰されそうになる。

 シルヴィアは沈痛な面持ちのフィルローラをじっと見つめ、小さく呟く。


 「……恨まれても、構わないそうですよ?」

 「はい?」

 「致し方ないとはいえ、このようなことを知らしめてしまった弱さをあの人であれば恥じるでしょうから」


 あの人とはスタイアのことだろう。

 彼のせいでこうなってしまった、と思えば大分楽になるだろう。

 自分の力ではどうにもできない現実を、知りたくもないのにみせられてしまった。

 私に、何の恨みがあってこのようなことを知らしめるのか。

 それはとてつもなく甘美で、甘えてしまいたくなる誘惑ではあった。


 「……私はそれでも人の道を説く人間ですよ?」


 フィルローラは自分に言い聞かせるようにそう吐いてみた。


 「甘える訳にはいきません」


 シルヴィアは難しそうに顔を歪め、俯きながら呟く。


 「……私は、とても苦手なのですが」

 「はい?」

 「笑うと、多少、気は紛れるそうです」


 シルヴィアはいつもの無愛想のまま、そう言った。


 「戦場では隣で知った人が無惨な死に方をします。言葉を交わした人間が肉の塊になったとき、次は自分もこうなると思うと恐怖に身が竦みます。それでも、生きねばならないから、不謹慎でも笑うことで自分を鼓舞するのだと、思います」


 シルヴィアがたどたどしくそう告げるのがどこか、おかしくてフィルローラは苦笑した。


 「……あなたは、強いのですね」


 シルヴィアは首を振る。


 「未だ、至らず」


 バルツホルドの戦という大規模魔物討伐戦でスタイアの部隊に居た、ということは聞いていたがその意味合いもまた、今となっては変わってしまった。


 「戦場ではさぞかし、お強いのでしょうね」

 「恐ろしい方でした」


 シルヴィアはそう言って、それが一番しっくり来ると思ってしまった


 「生き延びるためには味方であろうと容赦なく騙し、斬り殺します。死して死人に口なし、使えるものは何でも使え、戦場で人が人である尊厳すら奪う哲学を当たり前のように抱いていながら……誰も選ばない過酷な局面を背負う人でした」

 「ですが、騎士としては」

 「騎士としては誉れるべきことでしょうが、共に戦う者にとっては恨まれる所業です」


 シルヴィアが語るその意味が、今ではなんとなくわかった。

 誰しも死にたくはなく、そんな戦場へ誘う指揮官は決してついてゆきたくはない。


 「でも、あなたは随分と尊敬しているみたいですね」

 「お慕いしております」


 シルヴィアは恥ずかしげもなく言い切った。


 「最も過酷な戦場で剣を振るうスタイア隊長は人を強く惹きつけます。人はここまで強くあれるのかと。共に並びたい、かくありたいと思います。ですが……」


 シルヴィアはそこから先を飲み込んだ。

 そこから先だけは、戦場に立ったことのないフィルローラには理解できなかった。


 「だから、司祭が少し羨ましくもあります」

 「え?」

 「スタイア隊長にあれだけ、好意を向けられる司祭が少し妬ましいです」


 シルヴィアはそれだけ言うと立ち去った。

 フィルローラはまた、わからないことが増えた。


   ◆◇◆◇◆◇


 リバティベルに久方ぶりに姿を現したスタイアはいつもの喧噪を尻目に何事もなかったかのようにカウンターに収まる。

 ラナも、そして、タマも特段何も言葉を交わさず黙々と仕事を始める。


 「おう、スタ。お前さんが来るとやっぱり酒が不味くなるな」


 できあがった赤い顔で憎まれ口を叩いたのはシャモンだった。


 「やあ、シャモさん。僕が居ない間にタマちゃんを躾てくれたんですかね?」

 「ラナさんだよ。この店の主役はお前さんじゃなくてお客さんだってな。みんな命張ってる中の息抜きに来るんだ。死んだ連中も居る。店主の無事を大仰に騒ぐなってな」

 「ありがたいこってす」

 「厳しいじゃねえかって言ってもダメだ。男はどうしても女の子に甘くしたくなる生き物だからな?」


 互いに苦笑するとスタイアは自分でグラスを二つ出すとエールを注ぐ。


 「なんだよ。出てきて早々に引っかけるのかよ。また、ラナさんに引っ張られるぞ?」

 「ミラ婆さんに見られてちゃあ飲んだくれて寝ることもできないですからね。それなら痛いの我慢してここで飲んだくれた方がいいでしょうに」


 スタイアはエールを一気に飲み干すとグラスをテーブルの上に置いた。

 シャモンがエールの樽を傾けながら呟く。


 「知ってはいるだろうが……いささか連中が目に余る動きをしている」


 スタイアの片眉がぴくりと揺れる。


 「天秤は傾きますかね」

 「いいや。だが、いつまでも均衡を保っていられる訳でもあるまい」


 スタイアは大きな溜息をついた。

 大きな、大きな溜息だ。

 シャモンはそれがどうしようもなく不安で呟く。


 「どうしょうもねえわな。長いものには巻かれろっていうだろう?個人では抗えない波というのも世の中にはあるってこったよ」

 「割り切れれば楽なんですがねえ」


 今度はシャモンが顔を強ばらせた。


 「……お前さん、フィダーイーとやり合うつもりか?」

 「リバティベルはアサシンギルドに所属したツモリはありませんよ?」


 シャモンはグラスを口につけたまま、小さく警告した。


 「……人間ってのは吹けば飛ぶような弱い生き物だ。それが生きていくために集まる。そうなれば一定の規律が必要となり、それを共通認識とした集団が国や民族を作る。それが社会だ」

 「それは異質な価値観を排撃する。そうしなければ彼等の共通認識が保たれないからである。ですか?」

 「お前は異端だよ」


 スタイアは苦笑するとシャモンが注いでくれたエールを一気に飲み干した。


 「スタイア。鉄鎖の兄弟としての忠告だ。バカなことはするんじゃねえよ」

 「ありがとあんす。シャモ兄は死が今生の縁を断ったとしても鉄鎖が繋ぐ僕の兄上です」


 シャモンはどうしょうもないような悲しい顔をして俯いた。

 スタイアは同じように苦笑するとカウンターからぼろぼろになった鞘を手にした。


 「タマちゃん」

 「はーい!」


 スタイアに呼ばれたタマは嬉しそうに駆け寄る。


 「ちょっと出掛けますよ」

 「どこいくの?」

 「メリーメイヴのところです」

 「あたしもいくー!」


 遠くでラナが僅かに目を細め、溜息をついた。

 シャモンはやるせない溜息をつき、吐き出す。


 「……鉄鎖に繋ぎ、泥に包み、卑しき落つるとも、ただただ己のみは誰が奪わん、か」


 シャモンは残ったエールを乱暴に飲み干すと千鳥足でふらふらと店を出て行った。 

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