第5章 『褐色の幽霊』 1
「魔物の集落は焼き払われ、こちらの損害は敵に与えた損害とくらべれば軽微。道中、いささか混乱はありましたが概ね問題の無かった遠征でありました」
近衛騎士団長レオ・ウォン・フィリッシュはアーリッシュの報告を聞くと、小さく頷くだけであった。
王城近衛騎士執務室でその報告を受けたレオは逆に尋ねた。
「姫様がお怪我をされて問題が無かった、か」
荘厳な王室の雰囲気と、近衛騎士の豪奢な甲冑を纏ったレオの雰囲気が責めるようにアーリッシュにのしかかるが、アーリッシュは小さく溜息をついてそれをいなす。
「戦場では誰しもが平等に死の危険と隣人となります。大事に至らないのであればそれは喜ぶべきことにございましょう。それに……」
アーリッシュはレオの胸元に視線を落とすと小さく呟いた。
「金物の味を知らない王族というのも困りものでしょうや?」
レオはおかしそうに顔を歪めた。
「……貴公がよもやそのようなことを口にするとはな?」
レオはそう笑うと執務室のソファーに大きく背を預けた。
「ヨッドヴァフ三世も鉄鎖解放戦線におきましては戦陣にて切り結び、そのご尊顔に大きな傷を負ったとお聞きします」
「そうさな。あの顔は外交の時には相手に有無を言わせぬ凄味がある。近衛の私とて王に箴言を申すことなどできん。最も、箴言を必要とされるようなお方ではないがな?」
「嘆願があります」
いささか強引に話を纏めてそう告げたアーリッシュにレオは訝しげな瞳を向ける。
「騎士団長が空席なままの第三騎士団、今回、不慮の事故にて負傷された第六騎士団の一時的な管理について第七騎士団を当たらせて下さい」
「……聞き捨てならんな」
レオはゆっくりと間を取りながらそう呟いた。
「市中警衛、紛争鎮圧をその旨とした騎士団がその兵力を個人にあつめることがどのようなことを意味するかわからぬ貴公でもあるまい。その分を越えようとするといらぬ疑いをかけられるぞ?」
「はっきりおっしゃってください。貴様はクーデターを起こすツモリかと」
らしくない、と思いつつもアーリッシュは切り込んだ。
レオ・フォン・フリッシュは笑みの浮かんでいた双眸を厳しく引き結び、突き刺すような視線をアーリッシュに浴びせた。
アーリッシュはどこか不遜な眼差しでレオをにらみ据えて続ける。
「……今後、かような遠征は数を増やすでしょうし、ともなれば、もっと大規模な遠征を行うことにもなりましょう。そうなってから各騎士団同士の調練を行うようでは遅く、いまのうちからその練度を高めることが必要となります。幸い、第七騎士団には魔物討伐には優秀な者が多く、それらを練兵に当てれば養成も迅速に行えることかと存じ上げます」
レオは唇の端を歪めて笑う。
「……それが危険だと言っているツモリなのだがな?」
「いずれにせよ」
アーリッシュはそこで言葉を切った。
「いずれにせよ、必要となるのであれば、私めにお任せ下さい」
アーリッシュはさらに付け加えた。
「……史跡王国ニヴァリスタへ流れた国庫からの支出の行き先を私は偶然にもビリハム・バファーの邸宅から発見しました。ブラキオンレイドスを運用するなら、私に」
レオはすっと目を細めてアーリッシュを再度、見つめ直した。
どこか不遜に、だが、なぜか楽しげなその双眸を思い出し、一人得心する。
「……昔、お前に似た者を戦場で見たことがある」
アーリッシュは知っていながらも尋ねた。
「どのような人物でしょうか」
レオは言葉を探すように視線を外し、溜息混じりに答えた。
「……王の顔に剣を走らせた男だ」
アーリッシュの眉があがる。
「王を斬るとは不遜な男だった。だが、奴でも王は斬れなかった。つまり、王の資質とはそういうものだ。英雄でも神でもなく、人間の王とはそれだけで恐ろしいものなのだ。お前には斬れぬだろうよ」
レオは小さな溜息をつくと庭園を眺め、剣を振るうアルテッツァの姿を眺める。
アーリッシュは全てを飲み込み、そして、吐き出す。
「……一人だけ、心当たりはあります」
レオは振り返り、苦笑した。
「だろうな?」
そう、苦笑したのだ。
◆◇◆◇◆◇
スタイアは痛む体を引きずりながら海羊亭のカウンターに座る老婆に頭を下げる。
「いやぁ、ミラ婆さんには迷惑かけましたねえ」
「隠居しようとしてた矢先の話さね。次からは一言言い置いておくれ。部屋ではなくてユーロに頼んで棺桶を用意しておくよ」
「まあ、以後気をつけますのでどうか平にご容赦ください」
苦笑するスタイアに厳しい目を向ける老婆ミラはリバティベルに出入りする冒険者達を寝泊まりさせる海羊亭の主人だ。
「わたしゃ悪い予感がするよ。今のあんた、ブレンツと同じ笑い方をする。人間できることとできないことがある。あんた、無理しすぎて命を粗末にするんじゃないよ」
「わかってますよう。僕はそのあたり、臆病に生きていますからね」
「スタイア、こっちを向きなさい」
ミラは苦笑しながらごまかそうとするスタイアを真正面に捕らえ、静かに言い含めた。
「……私ぁここで色んな冒険者を見るよ。足の無いこんな身さね、食いっぱぐれ達からなけなしの銭を取ろうなんて考えちゃいない。無事に帰ってきてくれりゃいい。だけど、現実はそうじゃない。死ぬ時は人間、皆、死ぬんだよ?」
そう言ったミラの片方の足は無くなっていた。
この老婆がかつて、有名な魔物ハンターであることはスタイアも聞き及んでいた。
「あんたの師匠が死んだ夜、あたしゃあんたと同じ顔をして笑ってここを出て行ったあいつに一言もかけてやらなかった。男が何かを背負っている時に声なんざかけるモンでもないと思っていたからね」
スタイアは笑みを消さぬままミラをしばらく見つめていた。
「……大丈夫ですよぅ。僕は」
「あんたが大丈夫でも、ラナはどうなんだい?」
何も言い返せないスタイアにミラは告げた。
「あんたも生かされているんだよ。いろんな人間にね。そこのところ、はき違えるんじゃないよ?」
スタイアは黙って一礼すると、背中を丸めて店に顔を出すことにした。