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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 14

 灯りの無くなったリバティベルが、やけに静かだった。

 シャモンがろうそくの先を指で挟み、擦ると不気味な灯りが灯る。

 ゆらゆらと揺れるろうそくの火が揺れる。

 僅かに、ほんの僅かに空気が揺れたからだ。

 その空気を揺らした彼等はまるではじめからそこに居たかのように静かに佇んでいた。

 ぼんやりと浮かび上がった光の中に現れた面々はどこか冷たくシャモンを見つめていた。

 シャモンは一同の顔を見渡すと、テーブルの上に金貨を並べる。


 「今回の仕切りは不祥なれどわしが仕切らせて戴きあす。今回の仕置きはサステナ・スリィジ。冒険者ギルドのマスターでございあす」


 古く乾いた木目のテーブルに並べられた金貨に、ろうそくの灯りが照り返し、鈍く、重く、煌めく。

 その煌めきの中に浮かび上がった姿は浮かばれぬ冒険者の恨みを晴らさんとする幽鬼達である。


 「お請けになれるならば、一枚、持っていっておくんなさい」


 細い指が金貨を攫う。

 ぼんやりとした灯りの中、どこまでも冷淡なイシュメイルが金貨を袖に滑らせる。


 「……フィダーイーの真意を二心に汚されるをよしとはしない」


 死臭にまみれた指が金貨を掴み上げる。

 どこまでも死に携わるユーロは、静かに金貨を握り込んだ。


 「死ぬべきではない。だから、死ぬべきだ」


 異形の小人の薄い蜻蛉の羽が揺らめき、炎に透ける。

 細いつま先が金貨を弾くと、冷酷な瞳を輝かせ、パーヴァの眼前で揺らめき消える。


 「古き盟約に従い、人は人。フィダーイーはフィダーイーに……語るなればその理に消えてもらうさ」


 白く、どこまでも細い指先が金貨を胸に抱く。

 白磁の頬にオレンジ色のやわらかな光を映し、どこまでも冷淡な顔でラナは呟く。


 「暴虐には、暴虐を」


 最後の一枚を、革のグローブが攫う。

 気だるげな瞳が金の煌めきを映し、どこまでも重い溜息を吐き出す。


 「……病み上がりなんですがね」


 どこか哀愁の漂う微笑が、ほのかな怒りに歪んでいた。


 「……兄弟、養生中に無理をさせる」


 俯き、静かに押し殺すシャモンの横にそっと顔を寄せる。


 「鉄鎖の重み、忘れはしまいさ」


 スタイアは金貨を指で弾くと腰の剣を僅かに引き抜いた。


 「……まんず、まず、斬りに行きましょう」


 白刃が闇の中で静かに凶暴な光を放っていた。


  ◆◇◆◇◆◇


 サステナ・スリィジはグロウリィドーンに鳴る鐘の音を聞く。

 静かな夜の空に不気味な鐘は小さく、そして重く鳴り響く。

 晴れ上がった夜空が優しく冷気を降ろす夜には似つかわしくはない。

 サステナ・スリィジは天性の勘で今夜は危険だと判断した。


 「グィン・ダフの教会への引き渡しは?」

 「滞り無く」


 邸宅の執務室で控える従者が腰を折る。


 「そう……フィッダ・エレを集めなさい」

 「は?」


 従者は驚き、尋ね返すが主の顔を伺うとすぐさまその真意を理解した。

 そして、従者は静かに退室する。

 ほどなくして姿は見えなくとも、気配だけが静かに集まった。


 「教会へ赴きます。失伝した口伝が本当なれば、教会は我々にさらなる協力を厭わないはず。ヴァフレジアンはこれを機に権益を広げるわ」


 危険であるからと、退けば機会を失う。

 それは冒険者であるころから培った逆の感性でもある。

 危険だからこそ、価値がある。


 「褐色の幽霊はいかように致しますか」

 「強大な魔物は獣を恐れたりはしないわ」


 サステナ・スリィジはそう告げると影に黒衣の男達を従えて邸宅を出た。

 静かな風が吹く。

 間もなく終わる乾期を告げる季節風がやけに冷たかった。

 暗闇に落ち、僅かな灯りが照らす道をサステナは聖フレジア教会へ向かう。

 遠雷のように鳴り響く鐘がグロウリィドーンを包み込んでいた。

 サステナ・スリィジは僅かな違和感を覚える。

 グロウリィドーンを包む鐘の音はどこに居ても止むことが無い。

 その違和感の正体をそう看破したサステナは襲撃者が決して一人ではないことを知る。

 自らの周囲に配置した影はそれらがもし複数で襲ってきたとしても防ぐであろう。

 並の人間、いや、並では無い人間であったとしても、だ。


 「フィッダ・エレ……ね」


 闇から闇へと渡り歩き、決して目につかぬそれらの者達は付き従う影のように気取られることなくサステナの周囲に潜んでいた。

 やがて、聖フレジア教会に着く頃になっても鐘の音は止みはしなかった。

 フレジア教会の墓地、そこに黒衣の男が佇んでいる。

 それは教会の遣わした者で彼女の側にはべるそれらの者と同じ者である。


 「……司祭がおられないようだけど?」

 「グィン・ダフの浄化は侵すことのできぬ儀式であり、言を賜る」


 その言い分がおかしくてサステナは笑う。


 「教会が結託して保有している秘密を侵されたくなければ、席につきなさい。親しい者は同じ食卓に皿を並べるものよ?」

 「恐れ多くも神と同じ卓に並ぶと言うのか」

 「得るべきパンは平等に。それは神が説く人の理であり、誠実で厳粛な神が翻してはならない。さすれば神の威光は地に沈み、口さが無い悪魔が地上を席捲する」


 サステナはあえて同じ言葉で返した。

 黙した黒衣の男は静かに立ち去る。

 確かな手応えを感じ、サステナは立ち去ろうとした。

 だが。


 「……何?」


 闇が広がり、死者達の眠る墓地にその女は立っていた。

 薄く淡く、ほのかに香る花を籠に入れ、赤い頭巾を被っていた。

 夜風になびき銀に輝く髪をおさえるその仕草が幻想的で、息を飲む。

 どこまでも赤い瞳が暗い闇の中、蠱惑的なまでに美しい。


 「死者に手向ける花を」


 静かに呟くラナにサステナは恐怖を覚えた。

 遅れて現れた黒衣の男達がラナを取り囲むが、ラナはそれらを一瞥しただけで静かに佇んでいた。

 男達が遅れたのも無理は無い。

 自分ですら、全くその気配に気がつかなかったのだ。

 そして、対峙したときに理解する。

 その無表情の中にある底知れぬ闇を。


 「何者なの?一体」


 自分の声が震えていた。

 まるで暴漢に襲われる生娘のように震えている。

 腕に抱かれた籠の中で静かに揺れる花をどこか、寂しげに見つめラナは答える。


 「しがなく、花を売りましょう」


 男達が僅かに逡巡するが、一斉にラナに走り出す。

 黒い疾風は墓標の間を縫うように走り、交錯し、ラナに迫る。

 だが。


 「お代は、そのお命で」


 籠の中の花が風も無く散った。

 花びらが宙に舞い、嵐を作る。

 花びらの嵐の中、視界を埋め尽くされたサステナは驚愕に目を見開く。

 黒衣の男の一人がその上体に沢山の花を咲かせて死んでいた。

 青く輝くその花は、生を喰らい、死に咲き誇り、月の明かりを受けて輝いていた。

 男達は足を止め、後ずさるとサステナの傍らに戻る。

 花びらの嵐が過ぎ去ると、そこには褐色の幽霊が立っていた。


 「私事ですが、容赦、なりません。どうぞ今宵はお命をお代に」


 サステナはその場を逃げるように走り出した。

 あるいは、サステナだからこそ、理解できたのかもしれない。

 本能が直感的に告げている。

 あれは、そういうものではない。

 人外の美貌を持つ、華美な殺し屋という外見的なものはそれを隠すフェイクだ。

 もっと、もっと、本質的な暴力である。


 「――ッ!」


 褐色の幽霊の噂については、知っていた。

 噂が一人歩きしていることも、知っていた。

 だが、それは所詮、噂の範疇。

 それらから推断できる真相の脅威についても見当はつけていた。

 だからこそ、黒衣の男達でなんとでもできると思っていたのだ。

 このようなものは彼女には想定のしようがない。

 逃げるしか、無い。

 ぎりぎりと命が縮む、背筋を焼く感覚をサステナは思い出す。

 それに氷柱を差し込むように、彼はサステナの退路に立っていた。


 「偽りの力に慢心し、抱いた野心が汚したものは純粋である」


 冷酷な瞳を向けるイシュメイルの傍らに、青い炎が灯っていた。

 人の魔術師は、見たことがある。

 だが、彼の影は溶け出し、彼を呑み込んでいた。

 呑み込まれた影の向こうに海の香りを嗅ぐ。

 イシュメイルの溶けた影は大きく広がり、沼気を放っていた。

 その奥から巨大な瞳が開き、静かに、じっと、サステナを見つめていた。


 「あ……」


 魔術師ではない。

 少なくとも、環石の秘術を知り、その術を操る魔術師などといい切れ無い。

 それを理解できない黒衣の男がイシュメイルに不用意に襲いかかる。

 影が地面を走り、男を抱く。

 鈍く煙る影が黒衣の男を抱くと、イシュメイルは静かに歩み寄り、細い腕でその男の首を締め上げた。


 「フィッダ・エレよ。人の業を捨てきれず、人のままに生きるなれば、誇りを持って死ね」


 肉の焼ける音がした。

 青白い炎がイシュメイルの手が噴き上がり、男の喉を焼く。

 熱に破れた皮膚から零れた血が焼かれ、青い蒸気となって噴き上がる。

 もがき、逃げようとするその男の腕を影が呑み込み、食い千切る。

 悲鳴すらその炎の音に呑み込まれ、男が灰となって崩れ落ちる。


 「フィダーイーは天秤を傾ける者をよしとはしない。だが、欲望でもって古き盟約を汚す者に、白鯨は人の身でもって裁きを下す」


 サステナはイシュメイルの向こうに、人では無い何かを見た。


 「……ッゥ!」


 その巨大なそれは人という動物が立ち向かっては決してならない。

 それは未熟な時分に、強大な魔物と相対したあの絶望を越えていた。

 サステナは声にならない舌打ちをし、自らの懐に手を伸ばす。

 曲がりなりにも、冒険者ギルドのマスターである。

 このような危機はいくつもあった。

 いつだって乗り越えてきた。

 だからこそ、思いもしない危機から逃げる術だって用意している。


 「フルフガンズム・グン・ズ・イグン」


 それは呪文の詠唱である。

 懐から出した環石には魔術紋様が印象されていた。

 魔術師といわれる冒険者が扱う魔術くらい、扱えるのだ。


 「……ヴァム・ファーレン!」


 環石が淡い燐光を放ち、激しく輝く。

 広がった光がサステナの体を包み込み、強く明滅すると光は収束した。

 そこに、サステナの姿はなかった。


 「ふむ……」


 イシュメイルは狼狽える男達を睥睨して呟く。


 「転位の魔術か……だが、人は人の手に。都合は良かったのやもしれん」


 イシュメイルはにんまりと笑う。

 その傍らにラナが歩み寄る。

 イシュメイルは破顔した笑みに瞬時に冷酷さを与えると、黒衣の男達に告げた。


 「さて、フィダーイーはフィダーイーに。諸君らは我々が始末しよう」


 ――殺戮が、はじまった。

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