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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 13

 弓の発注の依頼を終えると、足取りも軽くリムローは宿へと戻る。

 以前に使っていた弓は師から貰った鍛造された業物である。

 それと同じか、それ以上の物を手に入れようとするとなるとヨッドヴァフでも苦労をする。

 アブルハイマンの鍛冶ギルドに赴かねばならないことも半ば覚悟していただけに、タマの紹介は嬉しいものであった。

 名槌ハイングの一人娘、メリーメイヴ。

 装飾を主に手がける彼女だが、父の影響か武器の鍛冶も行っていた。

 弓は専門外と言ってはいたものの、陳列された品を見る限り相当の腕を持っていることが伺えた。

 詳しい話は後日すると確約し、今日のところは引き上げることにした。

 正しく自分の弓を作るのであれば、その身長や膂力を考えなくてはならない。

 そして用途を知り、はじめて他人の武器というものができあがる。

 師に教わったことではあるが、自分でも同意できる。


 「お墓参り、しておくべきでしょうね」


 リムローは折れた自分の弓を手に掴むと、師の墓を訪ねることを決める。

 そういえば、師はオーロード付近の漁村の出身だと聞いていた。

 機会があれば、訪ねてみるのも悪くはない。

 死者に、引きずられている訳ではない。

 師を知ることで、自らが何者かを定めなければならないのだ。

 リムローは宵の闇が静かに空に帳を降ろしていく薄暮のグロウリィストリートを抜けて、フレジア教会の墓地に赴いた。

 夕暮れの残滓が投げかける光に、哀しげに浮かぶ墓標達は一体、誰の者か。

 世の悲哀の中で冒険者として生を受けた彼等が、泡沫の中に消えれば墓も、残らない。

 それでも、ここに眠る者達は幸せなのだろう。

 誰かが、忘れたくないからこそ、生きた標を立てるのだから。

 リムローは師の墓前に立つと、静かにその墓標に刻まれた名前をなぞった。

 ビガード。

 名字は無く、名しか刻まれない。

 繋ぐ血は無く、自らが後に残すのは自らが望む愛を他人に分けることでしか繋げない。

 そんな境遇を憎むことも、あるのだろう。

 事実、リムローもまた憎んだ。

 翻ってヨッドヴァフを見れば、裕福な境遇で暮らす者も少なくは、無い。

 親の愛を当たり前に受け取り、当たり前のように生を謳歌する。

 その中で矮小な悩みを訴え、それがさも世界より巨大な悩みのように弱音を吐く。

 焼け出された村に一人、残された悲哀も知らずに。

 飢えて土を喰らう苦さも知らずに。

それらを憎んだこともある。

 だからこそ、人は誰かを愛さずには居られないのだろう。

 リムローは友を作ろうと、思った。

リバティベルはどこか、優しい。

 あそこならば、いい友人ができるかもしれない。

 リムローは墓標の前で自分を愛してくれた師に一時の別れを告げた。


 「……いつかは、自分もそちらに行きます。ですが、それまで、どうぞご加護を下さいませ」


  ◆◇◆◇◆◇


その気配に気がついたのは、彼女が優秀なハンターであったからだ。

獲物を狙う、ということは、逆に自分が狙われることも多々ある。

 そうなれば、僅かな異変を察知してその兆候を読み取らなければならない。

 宿に帰る道すがら、ふと、嫌な予感がしたのだ。

 それは動物が持つ、危険に対する感性と言い換えてもいい。

 普段と何も変わらないが、だが、確かに危険だと感じる。

 リムローは振り返って路地を見てみるが、商いを終えた行商が宿場に戻るために荷物を引いているくらいで特段、不審な点は無い。

 だが、それでも、だ。

 リムローは細い路地を抜け、大きく遠回りをして宿場に帰ることを決める。


 「……なんだろう」


 呟いてみて、疑問に思う。

 この感覚は魔物が執拗に追い立ててくる感覚に似ている。

 ヨッドヴァフの街中に魔物は居ない。

 であれば、明確な悪意を持った人間が追っているのであろう。

 自分が悪意の対象になるべき行為を行ったかを振り返る。

 無論、そのようなことはしてきていない。

 彼女の師がまず、教えたのは、信頼こそが最も金を産むということだ。

 悪意でもって得た金は悪意でもってより多く奪われる。

 また、金があっても命を落としては使えはしない。

 だからこそ、リムローは多くの冒険者が欲望に負ける中、堅実に生きてきたツモリだ。

 だが、それでも悪意を向けられることはあるのだろう。

 その理由がわからなかった。


 「……稼ぎを、狙っているのかしら」


 ニンブルドアから帰ったばかりの自分は確かに、金銭的に余裕はある。

 最近の自分の金の使い方から目星をつけられた可能性は確かに、ある。

 だが、それであれば盗めばいいだけで、それであればこの気配は異様であった。

 人通りの無くなった路地で、それは姿を現した。

 黒衣の襲撃者。

 その異様、佇まい、そして纏った殺気。

 そのどれもがニンブルドアで出会った襲撃者と同じものであった。

 リムローは直感する。

 この襲撃者は明確な意思を持って、自分を狙っている。

 そう判断した後の行動は早かった。

 反転し、人通りのある道を選び、逃げる。

 襲撃者は軽々と建物の屋根を登り、リムローを追う。

 リムローは振り返ると、確かに追ってきている襲撃者を見つけた。

 危険から逃げるために、リムローは考えることを止めていた。

 気がつけば、墓地へと戻っていた。

 いや、戻らされていた。

 人気が無く、また、開けた場所である墓地に誘導されていたのだ。


 「十分に、お休みはできたのかしら?」


 ふと、聞き覚えのある声を聞いてリムローは振り向いた。

 墓地の中、黒衣の襲撃者を側に控えさせ、その女は白刃を携え立っていた。


 「マスター!」

 「……あなたは、知りすぎてしまったのよ?」


 どこか、哀しそうにサステナ・スリィジが呟いた。

 だが、それが演技であることはリムローにも理解できた。


 「あなたの師もそうであったように、あなたもニンブルドアに行くべきではなかった。優秀な冒険者はその優秀さ故に、冒してはいけない危険を冒す」


 今までどこに居たのかはわからない。

 だが、気がつけばリムローは黒衣の襲撃者に囲まれていた。


 「失伝した口伝にはヨッドヴァフの知られてはいけない闇がある。それは国の根幹を覆す、とても……そう、とても危険な秘密なの」

 「何を仰ってるのですか?」

 「我々は魔物へ抑止力を示す為に、グィン・ダフを始末する。それが力の示し方であり……また、大きな富を得て、力を得るための最も賢い一つの方法であるからよ?」


 リムローは最早、これ以上の問答は無用だと悟った。

 その様子にサステナは満足した。

 獲物を追い詰めた、ハンターの浮かべる会心の、そして、どこか残酷な笑みを浮かべてリムローを見つめた。


 「もう一度、死者の国へ戻りなさい。今度は……本物のね?」


 黒衣の男達が一斉にリムローに飛びかかった。

 それぞれの白刃が閃き、リムローを滅多切りにする。

 はじめに、背中に衝撃が走った。

 それから、横殴りに。

 胸を断たれた時、激しく揺れる首が空を見上げた。

 自分の体が衝撃に跳ね、激しい痛みが弾け散る。

 噴き上がる血の向こうに、真っ白に輝く月を見た。

 獲物を追う夜に、眺めた月だ。

 その隣には師が居て、どこか厳粛に微笑んでいる。

 それが幻であることを、理解していた。


 「魔物にも、王が居る。先日の遠征は魔物の王族を捕らえる為のものだったの。遠征は失敗に終わった。ニンブルドアに逃げた魔物の王女は冒険者ギルドが捕らえ、教会に引き渡した」


 サステナは死の間際で、痙攣を繰り返すリムローにそう呟いた。


 「それは秘密を共有する者同士の均衡をよりよく整える。だけど、秘密は秘密であるからこそ意味がある。あなたたちはその秘密を脅かすのよ」


その言葉は、リムローには届かない。

 だが、確かに理解したことがある。

 人という魔物の明確な悪意が、師を、自分を、殺したのだと。


 「……フィダーイーは天秤を傾ける者をよしとしない。あなたは、余計な分銅よ?」


 サステナ達が立ち去る中、リムローは朦朧とする意識の中で呟いた。


 「痛いよぉ……お師様……お師さ……」


   ◆◇◆◇◆◇


 シャモンが駆けつけた時には、最早、遅かった。

 血だまりの中、息絶えたリムローの虚ろな瞳が空を見上げていた。


 「……リム」


 シャモンはその傍らにうずくまり、その体に手を伸ばす。

 どこまでも冷たくなった少女は固くなっていた。


 「リム……リムッ!」


 シャモンは必死に、呼びかけた。

 だが、少女は答えない。

 シャモンはその顔についた血を拭いながら、涙した。


 「なんでお前さんが死んでンだよッ!」


 ひどく、乾いた風が吹いた。

 シャモンはそう震える声で呟いた。


 「お前ぇさん!お師さんにこっぴどく叱られながら仕込まれたんじゃねえか!」


 震えが、慟哭になり、涙が溢れる。

 腕の中で冷たくなった少女の亡骸を抱きしめ、シャモンは泣いた。


 「一人でたぁんと、温い飯喰えるようにお師さんが汗水流して、一生懸命育ててくれたんじゃねえか!なんで、勝手に死にくさってんだ!」


 泣きながら、シャモンはリムローの顔についた血を拭ってやった。


 「俺ぁ知ってるぞ。おめえさんも生きていくの辛かったろうに。でもよぉ、それでも一生懸命歯ぁ食いしばって、必死に必死に耐えてきたんじゃねえか。おめさん耐えるばかりでまだなんも生きてやしねえじゃねえか!」


 何度も何度も指先で血を拭い、元の可愛らしい顔にしてやろうとする。

 温もりを失った瞳は濁ったまま、シャモンを見つめ返していた。


 「これっからだぞ!温い飯もたんと食べれる!温いベッドで寝られるんだ!もう、誰にも遠慮することなんざぁねえんだ。てめえさんの力で、てめえさんが一生懸命に生きていけるんだ!なんにだって、なれんだぞ!」


 それが、いたたまれなくて、シャモンは鼻を啜る。


 「これっからだろうに……これっからだろうに……うぅぅ……あぁぁ……」


 血が絡まり、粘ついた髪を何度も何度も丁寧に撫でる。

 腕の中で冷たくなっているリムローは何も答えない。

 死者はその全てがそうであるように言葉も無く、温もりも無く、ただ朽ちるために横たわる。

 何度も、見てきた。

 嫌になるくらい、見てきた。

 だが、それでも。

 シャモンは嗚咽を噛み殺し、その手を握る。


 「……辛かったよなぁ……ああ、辛ぇよなぁ……」


 その手の中には血で汚れた金貨が握られていた。

 シャモンは涙を流したまま、虚空を睨み据える。


 「……お前さんの恨み……」


 シャモンは血に染まった金貨を握り、額に強く押し当てる。

 ぎりぎりと握られた指が白く染まり、震える。


 「買う」


 そこには、言葉無き弱者の意思を代弁する鬼が、座っていた。

 恐ろしく歪められた相好が涙で震え、風が燃えた。


「二心潰流、無己情寂……鐘鳴、鐘鳴。悪意を裁く法は無くとも、仇を報いて死なずば我が魂魄の拠り所無し」


 シャモンは合掌し、静かにリムローの亡骸を横たえた。


 「人のみが、悪意を殺す。往生せえよ」

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