第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 12
しばらくぶりに懐が温かくなったと思えば、また、寂しくなった。
「シャモさんどんなお金の使い方してるの?」
ツケを支払ったばかりで、またツケで飲ませてくれと申し出たシャモンに流石にタマは呆れてしまう。
「いやぁ……その、なんだ。穴の空いた財布にゃ金は貯まらんって言うだろう?まあ、そういうこった」
バリバリと頭を掻くシャモン。
確かに依頼料の貰いは少なかったが、現地で採掘してきた環石の量を考えれば、相当の額を持っているはずではある。
リムローですら年を越そうと思えば越せるのだから、それをすぐさま使い果たしてしまうのは逆に一つの才能ですらある。
タマは大きな溜息をつく。
「働かざるもの喰うべからず」
厳しい給仕に救いを求めるようにシャモンはラナを見上げる。
ラナは小さく溜息をつくとタマに向かって顎をしゃくり、何か用意するように告げた。
タマは信じられないといった素振りで首を左右に振るとシャモンを見上げる。
「スタさんはラナさんのヒモだけど、シャモさんは私のヒモだね?」
「おうおう、それでいいってや。美人になったら嫁に貰ってやんよ」
「断る!」
けらけらと笑うシャモンにタマは鼻息を荒くして拒絶を示した。
いつものようにエールをたかるとシャモンはそれを煽りながら店内をぐるりと見回した。
いつもと変わらない喧噪がやけに心地良い。
だが、その喧噪の中に見慣れない人間が居るのを知ると怪訝に思う。
「ねえ、シャモさん」
「……わかってらい。しばらく様子を見ておけ」
その客は一見すれば他の冒険者と変わりはない。
その所作や物腰から冒険者であることは間違いないのだろう。
だが、仕事を探す訳でもなく、申し訳なさ程度に飲み食いしながらずっと店内を見回しているのだ。
「初めての店なら、ありえるっちゃありえる」
だが、シャモンはここ数日、入れ替わり立ち替わりこのような客が居ることを知っていた。
それは無論、タマも同様である。
「ラナさんやスタさんに言った方がいいかな?」
「言ったところでラナさんは何もしねえよ。スタは今、動けねえだろ?おっちゃんに任せておけ」
シャモンはそう言ってタマを安心させるとその冒険者から目を逸らした。
やがて、その冒険者はひとしきり飲み食いを終えて勘定を済ませると店を出て行った。
その冒険者と入れ替わり入ってきたリムローがシャモンを見つけにこやかに微笑む。
「やあ、ご同輩。元気そうだぬ」
「ええ、おかげさまで」
リムローは最近、ちょくちょくと顔を出し店に金を落としていく。
店の常連に顔を覚えてもらうのと、次の仕事にありつくための下準備だ。
「副食の皿も届いたから、しばらくは安泰です」
「そうか、そいつは僥倖。はした金だが、それでも金は金だからな」
シャモンはそう言って立ち直ったリムローを見て苦笑する。
これならば、大丈夫か。
だが、心配事は別にある。
「おめえさんの周りで最近、変わったことはねえか?」
「変わったこと、でしょうか?」
その様子では何も無いのだろう。
シャモンはひとしきり思案すると、頭を振った。
「いや、何もなければいいんだ」
「何かあったんでしょうか?」
「どうにも年を喰うと取り越し苦労をしちまうようになるのさ」
シャモンはリムローの頭をごしごしと撫でる。
そうしてしばらくしていると、小さな子供が店に入ってきた。
襤褸を纏った貧相な子供だ。
子供はシャモンにそそくさと近づく。
シャモンは外套の袂から銅貨をいくつか掴むとカウンターに放った。
ラナは慣れたもので、手早く食事を作ると少年に振る舞った。
「シャモさん!自分のはツケで人には奢っちゃうんだ!」
「こんたなことばっかりしてるから貧乏なんだぬ。俺は」
タマが呆れて怒鳴るがシャモンは苦笑するだけだ。
少年は火の通った食事を食べるのは久しぶりなのだろう。
シャモンの膝の上でがっつくように掻き込む。
「……ソウシュ。やはり、ソウシュがおっしゃった通りでした」
少年は飯をかき込む手を休めることなく、小さな声で呟いた。
「冒険者ギルドは、アサシンギルドと繋がっております」
それはシャモンにしか聞こえない、小さな声だった。
「フィダーイーか」
「おそらくは、アカデミア……教会も」
「して?」
「……冒険者ギルドはニンブルドアの秘密を独占して利を得ようとしております。その為の口封じの前段階と見るべきかと」
シャモンが少年の頭を撫でると、少年は口を噤み、再び食事に熱中した。
リムローは厳しい顔を作るシャモンを怪訝に思い、尋ねる。
「あの、シャモンさん?」
「……なあ、リム。こいつは余計なことかもしれねえ」
そう呟いたシャモンはどこか怖かった。
「自分と違うものについては、人は理解が早いんだ。だがね、自分と同じだからこそ理解できないってことの方がおっかねえんだ」
「……シャモン、さん?」
「人を魔物と思え。いや、人間なんざ魔物よっかタチが悪ぃんだ……悪辣で、残忍。そして、てめえが生きる以外にも平気で他人に痛みを押しつける」
リムローはシャモンが伝えようとしていることを必死に理解しようとした。
シャモンは迷うように、そして、確かな意思を持って告げた。
「そんな魔物をこの店は金貨5枚で殺してくれる」
それが、どんな意味かを考えてしまった。
だが、シャモンは頭を振ると酔った様子で大きく息を吐いた。
「酔っぱらいの戯れ言だ。忘れられるなら、忘れちまえ」
シャモンはそう言ってリムローの尻とも、腰とも言えない場所を叩くと苦笑した。
そして、誰にも見られないように顔を伏せて獰猛に呟いた。
「確かめにゃあ、なるめえ」
ひとしきり思案した後、シャモンは席を立つと店を後にしようとする。
立ち去り際にカウンターの向こうにしまっている酒瓶をちゃっかりと懐に入れる。
「ちょっと!どこいくの?」
「黴くせえところだよ」
◆◇◆◇◆◇
アカデミアは本来、一般人の来訪をよしとしていない。
だが、冒険者制度により学士の資格を得た者はそこで学ぶ為に一部分だけの開放を許される。
当然、学吏や教授になれば開放される箇所は多くなる。
「だが、君のような人がこうして顔パスで入ってくるのはよろしく無いなぁ」
イシュメイルは苦笑しながら自室にシャモンを招き入れ、酒を煽っていた。
「いいじゃねえか。お前さんだって雑務に追われてンだろ?こうでもしねえと、ゆっくりできねえんだろうさ」
「ふむ、まぁ、それもその通りか」
イシュメイルは苦笑してみせるとシャモンが真面目な顔を作った。
「……なあよ?俺とお前は別に友達でもねえ。だけど、親しくあろうとは思う。そうなると、隠し事は互いにしたくはねえんだよな?」
「ふむ」
イシュメイルは普段、人には見せないシャモンの真摯な態度を前に酒を煽る手を休めた。
「何事もそうではあるが、噂っていうのは一人歩きしちまうモンなんだよ。例えば、褐色の幽霊なんかがいい例だ」
シャモンは自らも酒を煽り、語り出す。
「人々は口々に噂をする。鐘の鳴る日には幽霊が出る。人が死ぬと。だが、その実態は違う。それと同じことだと俺は思っている」
イシュメイルはそれだけを聞いて、シャモンが何を言いたいのか理解した。
「フィダーイーか」
「……ああ。俺達のやっていることは言ってしまえば他の国で言えばアサシンの仕事だ。報酬を得て、人を殺す。それの倫理は今は問わん。だが、この国ではフィダーイーと呼ばれ、始末を行うことをセトメントと呼ぶ。そこには何の意図があって行われているのか」
「……一般的には天秤の調整だ。世の中がうまく回るためには、力を持ちすぎたものや平穏を乱す者を人知れずに排除する。そういった需要も確かに、存在はしているからな」
「だがね、その奥にある真意は別だろう?」
イシュメイルは面白そうに微笑んだ。
「ふむ、真理が無くても世界は回る。これは君の台詞だったはずだが?」
「だが、真意は知っておかなくちゃ、友達づきあいはできねえよ」
シャモンはそう言って酒を喉に押し込む。
空になった瓶を放り、イシュメイルの私室のワインを適当に見繕って上部を折る。
イシュメイルはそんな様を見ながら苦笑すると続けた。
「それは、コウコソウシュとしての言葉かね?」
シャモンは酔いの回った気だるげな、それでいて鋭い瞳でイシュメイルを見返した。
「そうだ。アサシンギルド、フィダーイーのニザ・イシュメイルに尋ねている」
イシュメイルはどこか冷淡な笑みを浮かべてシャモンと対峙した。
「鉄鎖開放戦役の後、冒険者にもなれず浮浪の輩となった奴隷を纏め上げた者が居た。それらは浮浪の身なれど身を寄せ合い、いくつもの目と耳を使い、ヨッドヴァフの全てを掌握する群草の輩」
「数は力だ。だが、方向の無い力は離散する。俺達はそれを奴隷解放戦役で知った。だから、我が師は初代宗主として江湖を纏め上げた」
そこには普段の様子からは想像できない一人の首領の姿があった。
床にどっしりとあぐらをかき、酒を煽るシャモンにはいつもの浮浪者ではなく、多くの者を纏める風格があった。
「だが、その真意は単純だ。力なき者が寄り添い、生きるため。それ以上も、それ以下もねえ。自らに仇なす敵が現れれば力を集め、それを打ち倒す。また、力なき者があれば寄り添い生きていくことをする。さて、フィダーイー。お前さんがたは一体、何の為にセトメントをしている?」
「天秤を傾ける分銅を選り分ける。それがフィダーイーの果たすべきセトメントだ」
イシュメイルはそう答えて、シャモンと相対した。
イシュメイルの朗らかな笑みはどこか残忍に歪んでいた。
「だが、この答えでは君は納得しないだろう。そうとも、全ての言葉に意味があるようにフィダーイー、セトメント。それぞれに意味がある。私はこれから君に生物学の講義をしてさしあげよう」
イシュメイルはそう言って椅子に座ると語り出す。
「君も知るように、魔物には知性がある。知性の高い魔物は意思の伝達に言葉を用いる。それは生物が持つ、最も純粋で高度な意思の伝達方法である暴力とは違い、お互いの妥協を互いに傷つくことなく得る為にだ。そこで、君に尋ねよう?言葉というのはどうすればできると思うかね?」
「俺に学は無い。が、しかし、農耕が人の言葉を産んだという話は聞いたことがある」
「それは当たらずとも遠からずだ。農耕が産んだのは余力だ。生きる以外に生物が余力を傾けることができるようになった時、文化が生まれる。余力は生物の数を増やす。そうなればその数を力とするために社会が生まれる。人という動物はそれが顕著ではあるがね?」
イシュメイルはまるで人を見下すようにそう告げた。
「文化を担う一端に、言葉というツールが存在する。一つの概念を音、あるいは象形でもって表す手法のことだ。さて、人が人の言葉を操るように、魔物は魔物の言葉を操る。フィダーイーとは、セトメントとは、そして、ニザとは人の言葉に置換してどのような意味を持つか君は知っているかな?」
「フィダー……いや、フィッダは魔物の総称だ。イーとは隣人、仲間。ニザとは力ある者を示す。そして、セトメントは……誓約」
イシュメイルはほぅ、と感嘆の息を漏らす。
「コウコソウシュともなれば博識だ。だが、今、このヨッドヴァフではフィダーイーはアサシンギルドの総称、セトメントは始末、ニザはその意志決定を下す者として知られている。では、尋ねよう。それは間違いと言い切れるか?」
「学は無いと言った。そこに意味があるのであればそれは否定はできんさ。俺たちが言う皿も食器ではなく、報酬の受け取り分だからな?」
「そうとも、そうして言葉は一人歩きをはじめる。様々な意味を持ち、様々な意図を持って使われる。元にどのような意図があったのかは最早、関係は無くなってくる。人が行うセトメントは人に対して行われている。君が知るべきはその真意だ。そこを辿れば、いつかはやがて辿り着く」
イシュメイルは嘲るようにそう告げる。
シャモンは大きく息を吐くと、立ち上がった。
「それは少なからずとも、お前さんの真意と合致するのか?」
「人はそれぞれに思惑を持つ。僕らが求める真意と、彼等が望む真意は違う。だが、その為に行われる行いには、相違は無い」
シャモンはそれだけ聞くと、席を立った。
「彼女を助けようとするのかい?」
「……荒野開闢、草集いて流るる水に森とならん。あの娘は、未だ一人で生きる術を持たない」
「優しいな」
「それが、人の強さだ」
シャモンはそう言って背を向けた。
イシュメイルはふむ、と頷き、一瞬だけ逡巡した。
それは彼が告げるべき真実ではないのかもしれない。
「フィッダ・エレは放たれた。凶刃は閃いた」
「……なに?」
シャモンは振り返り、驚いた顔でイシュメイルを見る。
イシュメイルはどこか哀しそうな顔で告げた。
「隣人は、悪意を持って我々を利用する」