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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第1章 『最も弱き者』 4

 少女は貧民街の裏通りを右に左にと走る。

 叩かれた足が酷く痛む。

 泥棒を見つけたらまず足を叩け。

 商売をする者なら必ず耳にする逃走防止の為の格言を忠実に守られ、少女の足は真っ赤に腫れ上がっていた。

 それでも逃げなければならない。

 騎士団が下す盗みを働いた者へ科せられる刑罰は、片耳を釘で柱へと打ち付ける。

 二度までは耳を引きちぎってその場を立ち去れ、三度目は打ち付ける耳が無いから縛り首となる。

 今まで、捕まっても店主から激しい打擲を受けるだけで、騎士団に捕まったことは無い。

 そもそも、貧民街まで出てくる騎士が居ることの方が珍しい。

 貧民街に騎士が出張るのは壁の内側に貧民街を根城とする組織的な盗賊集団を壊滅させる時くらいなのだ。

 時折背後を伺い、追われていないかを確認する。

 その姿が見えないからといって安心していいものではない。

 泥棒が徒党を組んでいる場合、騎士の中には逃げる泥棒を仲間の元まで逃がす場合もある。

 その類では無いだろうが、どちらにせよ捕まる訳にはいかなかった。

 路地から路地を抜け、ひたすら走り下水道へ向かう。

 首都の地下に張り巡らされた下水道は一つの迷路となっおり、少女のような不法の輩が逃げ込むのには格好の場所だった。

 排水を遡って逃げ込めばそこまでは誰も追ってこない。

 城壁から排水路に勢いよく吐き出される下水をみつけ、排水口に駆け上がる。

 排水口の縁を掴み排水口の鉄格子に飛ぶと、小さな体を鉄格子に滑り込ませる。

 糞尿のきつい匂いのする排水が鼻から入るが、必死に目を閉じ、泳ぎ、下水道脇の整備路に捕まる。

 汚水を吸い、重くなったボロを捨て疲れた足取りでよろよろと歩く。

 背中や足の傷口に汚水が染みてひりひりと痛む。

 怪我をしている時に排水を浴びると傷が紫になってとても痛くなるということを聞いたことがある。

 どこかで、汚れを落とさなければいけない。

 荒くなった息を整えようとして、鼻に入った水が喉を焼いて咽せた。

 酸欠で霞む頭に汚臭を含んだ大気を一杯に送り、それでも地上へ出る為の梯子を掴む。

 東の貴族街までいけば噴水がある。

 そこに飛び込んで、ざっと汚れを落としたらまた逃げればいい。

 そう考えながら、下水道の上げ蓋を開けた。


 「ほいつかまえた」


 首根っこを掴まれ引きずりあげられた。


 「あ」


 声にならない声を上げて、少女は自分を掴み上げた人間を見る。

 片手で軽々と持ち上げているのは、先程の騎士――スタイアだった。


 「このっ!離せっ!離せよぅっ!」

 「わ、わ!ばっちい!暴れなさんな!」


 少女はスタイアの腕に力一杯かみつくが、堅い腕の表皮に僅かに歯が食い込むだけなのに驚いた。

 暴れる少女から飛んだ汚水を思いっきり顔に被ったスタイアは染みる目を抑えながら、少女を地面に降ろす。


 「店主とは話をつけてきましたよ。全く、無茶な逃げ方をするもんですね。どれ」

 「わ!変態!何する気だ!体を売る気はないぞっ!」

 「舐めても小便の味しかしない子供には興味ないからどうぞお構いなく」


 少女が嫌がるのにも構わず、服を捲るスタイア。

 少女の背中の表皮が破け、そこから血が滲んでいるのを見て思わず眉を潜めた。


 「……破傷風が怖いですね。うちに来なさい」

 「二度と行かないって言っただろ!」

 「なら、選びなさい。騎士団で律法の裁きを受けるか、僕に従うか。シャモさんが言ったように、強い奴だけが与えることを選べるんですよ」


 スタイアは少女を黙らせると、帯皮に吊した畳まれた外套を広げ少女に被せた。

 騎士が雨天時の巡回に使う綿でできた外套で、所属する騎士団の紋章が刺繍されており買おうとするとそれなりに値段のするものである。

 汚水が染みこむのを全く気にせずスタイアはそれをすっぽりと被せたのだ。


 「ようやく、追いつきました」


 がちゃがちゃと重い鎧を鳴らし、シルヴィアが追いつく。

 荒い息を整えながら生真面目な瞳をぶつけてくるシルヴィアに少女は身を縮める。


 「騎士団に連れて行くのですか?」

 「このままじゃばっちいからね。うちの店で風呂に入れますよ」


 スタイアはそう言って少女の手を引く。


 「……その後はどうなさるおつもりですか?」

 「さて、どうしましょうかね」

 「騎士団では少女といえ律法の裁きを受けることになります。教会で保護するのが最善の策と思います」


 スタイアは歩きながら揺れる。


 「だろうねえ。王国律法は事情があったとしても容赦なく裁いちゃうからねえ。教会主導の聖堂騎士が扱えば情状にあわせた酌量ってのも図ってくれるしねえ。アっちゃんもそれを考えて聖堂騎士との業務統合を受け入れたんだろうねえ」

 「……わかってらしたんですか?」

 「騎士団ってのは男社会です。でも、世の中には優秀な女性も多い。がしかし、優秀な女性が台頭するのを好ましく思わない人達も居る。比較、女性が多く登用されている聖堂騎士が騎士団と混ざれば契機にはなる、という見方もできますしねぇ?」


 シルヴィアは黙った。

 ――スタイアの言ったそれが騎士団と聖堂騎士の業務統合の本当の目的だからだ。

 だが、それでもシルヴィアは騎士団が手を伸ばせない領域で誰かを助けたいと思えるだけの若さを持っていた。


 「寄る辺なき者に対して、教会は寛大です。その少女は我々が保護します」

 「教会で保護して、シルちゃんがずっと面倒を見てくれるんですかね?」


 スタイアはどこか底冷えするような声で呟いた。


 「え?」

 「罪を犯す少女を騎士団と合同で聖堂騎士が保護し、更正に導く。確かに、それは美談となりますし、それが望む形ではあるんでしょうし、それが最も望ましい。シルちゃんが使命感に燃えるのもよく理解はできる。応援も手助けもしてくれるでしょう。ただ、果たしてそれが正解かどうか。間違いだったときに君は責任を取れるんですかね」


 少女は自分の手を引く騎士の中に恐れを感じさせる何かを見つけた。

 シルヴィアは自分の考えのどこが間違っているのかを考えている間に、その答えをつきつけられた。


 「三日後には教会からこの子は居なくなってますよ」


 突きつけられた結論に、シルヴィアは納得しかできなかった。

 教会は保護し、修道院で自立できるまでの生活と教育は面倒を見る。

 ただ、望んで抜け出す人間を追うことまではしない。

 がしかし、シルヴィアが僅かに見ただけでもこの少女の逃走の仕方は異常だった。

 執念、といえるようなものを持っている。


 「強い人間は選ぶことができる。それくらいには強い子ですよ。この子は」


 少女は汚水でぬめる手を強く握る騎士の手の大きさに初めて気がつき目頭が熱くなった。

 シルヴィアは自分が聖堂騎士であり誰かを救える立場にあり、その本質を見抜けなかった未熟さに唇を噛んだ。


 「……私は、また間違っていたんですね」

 「間違えるのは誰だってしてることだし、この子も間違えてる。僕のしていることも果たして正しいのかと問われれば正しいとは言えない」


 少女は黙って、スタイアの言葉に耳を傾けていた。


 「スタイア隊長。では、何が正しいのですか?」

 「知らないよ。ただ、でも、規律も秩序も人が作ったものならば、その人をないがしろにしちゃあいけないと僕は思うだけですから」


 シルヴィアは立ち止まると、小さく一礼した。


 「……もう一度、あなたの下で学ばせてください」

 「嫌ですよ面倒臭い……それに、いつまでも誰かにすがって生きていける訳ではないでしょう?何度も失敗して自分で覚えて行けばいいんですよ」


 スタイアは苦笑すると遠くにリバティベルの看板を見つける。

 少女が顔を上げると、シルヴィアはどこか優しげな笑みで少女を見ていた。


 「シルちゃん、申し訳ないけどアっちゃんに寄り道してから帰るって言っておいてくんないかな。帰るってあれだよ?騎士団に帰るって意味じゃないからね?」

 「サボり了解」


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