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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 9

 グリパニヘルの河。

 ニンブルドアの奥にあるマグマの大河だ。

 焼けた洞窟の岩の上にはいくつもの魔物の死骸が転がったまま、放置されている。

 からからに乾いた魔物達の骨がいくつもの死を連想させる。


 「ユーロさん、私の師がこの先で亡くなったとはどういうことなのですか?」


 ユーロはじっとグリパニヘルの河の先を見つめ、段階を経て喋る整理をする。


 「死ねば、腐る」


 自分でも要領を得ないと思う。

 だが、リムローは静かに言葉を待ってくれていた。


 「……腐敗は段階を経て、行われる。だが、ニンブルドアはそれを許さない。腐敗する間もなく、全身を喰われ、死体は残らない」


 それはリムローにも理解できた。


 「だが、お前の師は墓に埋めるべき身体を持って、死んだ。ならば、死体の残るこの先で死んだはずだ」


 それがいいたいのではなかった。

 だが、普段、言葉を使わないユーロにとってはこれが自分で説明できる限界であった。

 不幸なのはリムローがそれを理解してしまったことだ。


 「……シャモンさんの言うとおり、不審ですね」


 そうではないのだ。


 「このような場所で例えば、誰か一人でも死んだとしたら、その死体を抱えるというのはそれだけで大変に危険を伴うはずです……なのに、なんで……死体があることが必要であったから?それなら……私に何故この石版を?」


 リムローは思考の渦がどこまでも疑問を投げかけてくるのを留められなかった。

 それが危険な状態であることは理解している。

 これから先の危険を想像しなくてはいけない。

 だが、自分が既に巻き込まれている危険を想像してしまう。

 マグマのはるか上に広がった環石が網目状に広がった橋を渡る。

 熱気が痛みを伴い肌が焼ける。

 水を被りたい衝動にかられたが、貴重な飲み水を失う訳にはいかなかった。

 環石の橋を渡り終えて、足を踏み出す。

 リムローや経験の全く無いタマにでさえ、それは感じられた。

 背中の熱気が心地よく思えてくる程の、怖気がした。

 生物の本能が生きることを命じるのであれば、そこに立つことは即ち、引き返すことを本能が命じていることに他ならない。


 「……地獄の二丁目とは良く言ったモンだと思うがね」


 そう言うシャモンの声も強ばっていた。

 そこは生き物ではなく、死した魔物が死んだままに闊歩する場所であった。


 「ここから先は海水なんかものともしない魔物が居る。ここまでくるともう、生き物の常識は通じなくなる。リム、タマ、離れるなよ?」


 眼前に広がる窪地には、死した魔物の群れがあった。

 それらは死して即座に孵化した自分の子供に身体を食べさせることなく、死したまま自らが産んだ子供を食していた。

 かろうじて、竜の原型をとどめている魔物が居る。

 腐肉から骨が突き出し、そこに首の無い子供の竜の姿があった。

 だが、子竜は喉を必死に腐肉に突き立て、親竜の肉を喰らおうとしている。

 ぼこぼことふくれあがる身体から突き出た骨が大きくなり、親竜と子竜はやがて境界を無くし、一体の何か訳のわからない魔物へと変貌を遂げる。


 「死者の……王国」

 「ニンブルドアの本当の狂気はここからはじまる」


 イシュメイルは呟く。


 「グリパニヘルの河から先は、生きる時間が短いとか、死んでもすぐに、とかいう概念すらない。もはやそれが生物であるのかどうかもわからない。生物を形成する末端の一番ちいさなものすら一つの自我を持ち、より強く、より強くなるために他を取り込む。そこに形は無く、生きていると定義することすら、難しい」

 「本当に、悲惨なのはアレさね」


 シャモンは融合する竜のさらに奥に居る魔物を示した。


 「あれは……人、なんですか?」

 「ニンブルドアに来た冒険者の末路だよ」


 二本の足で立ち、二本の腕と頭を持っていれば人間であるといえれば人間であろう。

 魔物にも、本当に人間に近い形をしたものは居る。

 だが、それは明らかに元が人間であるとわかる魔物だった。


 「あれは……」


 タマは嫌な記憶を思い出す。

 ビリハム・バファーの屋敷の奥で見た、あの魔物。

 人の首をいくつも持ち、異様なバランスで伸びた腕は朽ちた武器を手にしている。

 だが、コウモリや甲殻、異様に伸びた口などが最早、原型が何かすらわからない代物にしていた。


 「タマ公。ビリハムのことは今は考えるな。てめえが死ぬぞ」

 「う、うん……」


 シャモンは厳しい声音でそう告げると、ゆっくりと歩を進める。

広大な窪地に闊歩する魔物達の感覚器を探り、その探知圏外を進む。

 リムローは見たこともないような巨大な環石が柱のように立つのを見たが、誰もが採掘を試みない。


 「下を見てみろ、下手に手を出せば喰われる」


 気がつけば、その下には魔物が静かに息を潜ませて獲物が来るのを待ちかまえていた。

 岩盤のようないびつな瞳をリムローに向け、しずかに佇む魔物にごくりと唾を飲む。

 恐怖にひりつく喉がからからに渇き、水筒から僅かに水を口に含むと気を取り直し、先達に続く。

 先をゆくシャモンらに遅れぬようについていくと、リムローは信じられないものを見た。


 「来たぜ?これがニンブルドアだ」


 切り立った谷の上に、自分たちは居た。

 その谷の向こうには城があった。

 人が住まうような、城である。

 だが、その意匠や門などのつくりは明らかに魔物の出入りを考えたものである。


 「なんで、こんなモノが!」

 「お前さんの持ってる石版ってのはおそらく、あそこにあったんだろうさ」


 温い風が吹き上げる。

 死者の王国ニンブルドア。

 その王城がそこには確かに、存在していた。


  ◆◇◆◇◆◇


 魔物の量は城に近づくにつれて多くなっていた。


 「巨大な魔物はまだ、いい。だが、小さい魔物に気をつけろ。ここでは大きさなんて強さの目安にならん。小さい奴ほど、強い」


 シャモンは一行にそう忠告すると城を目指して歩いた。

 先程の場所と比べて幾分、魔物の姿形に統一性が見られてくるようにはなった。


 「……あれは、モルガンティア?」

 「の亜種だぬ。こないだヨッドヴァフで暴れた奴よっか凶暴さね。不用意に近づくんじゃねえぞ」


 だが、その危険度について言えば先程の訳のわからぬ魔物の方が大分マシなようにも思える。

 青い環石の森を抜けると、間もなくニンブルドアの城へと到着できる。

 ニンブルドアの城はその全てが環石でできていた。


 「なんなんですか……あの城は」

 「死者の城。ニザリオンへ至る聖域を守護する死者の王ユルグロード・ニザが住まう城。神話で聞いたことくらいはあるだろう?」


 イシュメイルが教えるが、リムローは首を傾げる。


 「ない」


 答えたのはユーロだった。


 「……口伝一九九章は、教会でも失伝している」

 「おっと、そうだったのか。それは失敬」


 リムローは訝しげにユーロを見る。

 教会ですら失伝している口伝を何故、一介の墓堀が知っているのだろうか?


 「ここまで来れば、大丈夫だ」


 ユーロはそう言うと、勝手に夜営の準備を始める。

 シャモンはその様子を見ると顔を歪めて溜息をついた。


 「まあ、気持ちはわからんでもないが……夜営なんざできるかね?」

 「もうすぐ、夜だ。夜は安穏をもたらすものだ」


 ニンブルドアには日の光など差し込みはしない。

 環石の放つ青い光が照明の代わりとなっているだけだが、ユーロは確かに夜の気配を感じていた。

 シャモンは辺りを見回し魔物の気配がしないことを確認すると溜息をつく。


 「なら、従うかね」


   ◆◇◆◇◆◇


 リムローは環石の樹木に登り、その城の異様を眺めていた。

 冷気にひんやりと輝き、青白い光沢に彩られたその城はさきまでの恐怖に造られた幻想のようにも見える。


 「死者の……国」


 僅かだが、安穏とした時間が与えられたリムローはポシェットから石版を手にする。

 唯一、残された師の遺品に思いを馳せる。

 師が何を見て、何を思い、このニンブルドアで果てたのか。

 定まらない自分の行く末を思い、リムローは溜息をついた。


 「……眠らないのか?」


 声をかけたのはダッツだった。


 「あ……ええ、寝付けなくて」

 「だろうさ。こんな場所で寝られる神経が信じられない」


 ダッツはそう言って、タマを抱えて盛大に鼾をかいて寝ているシャモンを見て溜息を零す。

 リムローはクスリと笑う。


 「お師さんのことを考えていたのか?」

 「ええ……」

 「……よくはわからんが、愛されてはいたんだろうさ」


 ダッツは気だるげに息を吐き出すと、リムローの座る枝に立った。

 リムローはよくよくダッツを観察し、自分が少しだけ勘違いしていたことに気がつく。


 「……ダッツさんは、冒険者なんですね」

 「正騎士長なんて肩書きがあるから色眼鏡で見られるけど、今、ヨッドヴァフで戦える騎士っていったら冒険者あがりの叩きあげばっかりだよ」

 「……師となるべき人が、居たんですか?」


 ダッツは苦笑して答える。


 「居たさ。人は一人で一人前になれるモノじゃあない。何でも一人でできると思ってる奴はガキだよ。まぁ、俺も……俺のダチもまだまだガキだがね」

 「男の方はいつまでも子供だという話を聞いたことがあります。私は……嫌いではないですよ。そういうところ」


 ダッツは苦笑してリムローの額を小突いた。


 「年上の男を一丁前に口説こうとしてんじゃねえよ。そんな話をする奴ぁ同じくガキなんだ。そう言った奴のツラぁ拝んでやりたいモンだぜ」

 「先日、死んだばかりです」

 「……悪ぃ」


 バツが悪そうに顔をしかめるダッツにリムローは苦笑した。


 「大丈夫です。死人に足を引っ張られるようなことは、もう、ありません」

 「そうか……」


 そう言ったダッツはどこか寂しそうな顔をした。


 「……どうされたんですか?」

 「いや……お師さんのことを思い出してな。死んでから大分経ったが、未だに至れずにいると思うとな」

 「ダッツさんの師はどのような方だったのでしょうか」

 「全ての師がそうであるように……いい人だったよ。両親と違って……本当に俺を愛してくれた」


 リムローはなぜだか胸が熱くなった。


 「両親から与えられるものを当たり前と思っていた俺をブン殴ってくれたし、俺なんかのために無理をしてもくれた。恨み言を言ったこともあったっけなぁ。それでも、厳しくしてくれたのは……俺が一人になっても生きていけるように愛してくれたんだろうさ」


 懐かしむように語るダッツの顔を見て、リムローは不覚にも涙を流した。


 「……おいおい、どうしたんだ?」

 「いえ……なんでも……」

 「お前さんのお師さんも当たり前に愛してくれたんだろうさ」


 リムローはとうとう、嗚咽を零してしまう。

 奴隷解放戦線を経て焼かれた村で、リムローは孤児となった。

 奴隷として売られたはいいが、奴隷解放令でもって何も知らないまま世の中に放り出された。

 生きて行かなくてはと冒険者になってみたはいいが、何をすればいいのか全くわからなかった。

 偶然、荷役を探していたパーティに嫌がられながらもついていったのだ。

 それが師であったビガードとの出会いである。

 ビガードは荷役としての自分に容赦はなかった。

 働きが悪ければ、食べる物も減らされた。

 だけど、決して、そう、決して教えることを拒まなかった。

 奴隷を経て冒険者になった世代のビガードは自分が誰かにされたように、当たり前のように技を教えたにすぎない。

 父親というものがなかったリムローがそれでも慕情を抱くのに時間はかからなかった。

 早くに両親を亡くしたリムローがそれでも甘えられるのは、ビガードしかいなかったのだ。


 「ふぐ……うぅ……」


 零れる涙が、止まらない。

 生きていける技を覚える頃には、人としての師を理解しはじめていた。

 越えようとその背中を追いかけた。

 いつまでも先を行く師を追い続けて、ここまでやってきたのだ。


 「お師……様ぁ……」


 だが、最早、自分の足で歩かねばならないのだ。

 行くべき道を失った彼女は、戦火に焼かれたあの日の少女へと戻っていた。

 父と、母と、兄弟の焼かれた腕をじっと見つめていた少女となんら変わりはなかった。

 心細く、どうすればいいのかわからなかった。

 だけど、それでも前に進まなければいけないことは理解していて。

 だからこそ、こんなところまで来てしまった。

 もう一度、師と仰いだ父の背中の温もりを思い出せるかと、死者の国へ。

 遅れてやってきた悲しみに、震える胸が熱かった。


 「……なぁ、リム」

 「はい……」


 泣きながら、リムローはダッツを見上げた。


 「先を歩く人も居る。だが、隣を歩く人も居るんだ」


 ダッツの言葉にリムローは震えた。


 「生きて帰ったら、友を作れよ。それがお前の力になる」


 ダッツはわしゃわしゃとリムローの頭を撫でると鼻を鳴らした。

 リムローは泣きはらした顔に弾ける笑みを浮かべて頷いた。


 「はい」

 「よぅし、じゃあ、寝ろ。大丈夫だって。寝込み襲うようなことはしねえから」


 精一杯の面白くない冗談が、とても、暖かかった。


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