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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 8

 秘境と魔境の違いは、何であろうか。

 秘境については冒険者の間で、定義がある。

 人跡未踏の地や、それに準ずる土地。

 アルブハイマン山脈の奥地や、ヨシュ砂漠、また、コルカタス大樹林は秘境である。

 だが、冒険者でも足を踏み入れてはいけないと忠告される魔境とは一体何でもって秘境と分かつだろうか。

 ニンブルドアへの扉を開いた時、冒険者の価値観はことごとく崩れ去る。

 重く、鈍い空気が血と刺激臭を運び、硫黄の匂いがそれを包む。

 突き刺さる熱気が大気を歪め、噴き上がるマグマが柱となって広大な洞窟の天井を支えていた。

 いくつも伸びる回廊のような岩場が孵化を終えた昆虫の卵の残骸のように広がり、いくつもの階層を作る。

 どこまでも広がる広大な洞窟の中、リムローはそこが死者の国と呼ばれる理由を一瞬だけ、考えてしまった。

 いくつもの答えがあった。

 それは、いずれも正しかったのだろう。

 だが、そんな逡巡はすぐさま押し流され、リムローはニンブルドアが定めたルールに従わざるを得なくなる。

 リムローはその時、はじめて冒険者として、人として越えてはならない線を越えてしまったのだと悟った。


 「何なんですかっ!ここはっ!」


 半狂乱になって叫びながら、リムローは弓に矢をつがえ続けていた。

 その傍らではダッツが槍を振るい続け、シャモンが残像を残して暴れていた。

イシュメイルは多重に呪文を詠唱し、最早何を口走っているのか理解できない。

 迸る雷光の中をユーロが悠然と杭を繋いだ鎖を振るい、それらを相手にしていた。


 「これが、ニンブルドアだよ。魔物が魔物を喰らい、淘汰し、洗練する魔物の聖地」


 どういう技術かはわからない。

 呪文を詠唱しながらイシュメイルが答えた。

 その間にも雷光に焼かれた魔物が爆ぜ、青白い血を散らし環石へと姿を変える。

 だが、その環石にすぐさま矮小な魔物が集まり、喰らい、瞬時にその姿を成虫へと変える。

 それらの虫が互いに互いを喰らい、生き残り、人ほどの大きさになった魔物が新たな獲物としてシャモンらに襲いかかる。

 だが、その横からカマキリのような魔物が長い鉈でその虫を貫き喰らい、自らの糧としたがそのカマキリもまた別の魔物に喰われた。

 喰われた魔物の残骸が解け、そこに付着していた微少な卵が一斉に孵化し親である魔物の身体の破片を、まるで、奪われるのを防ぐように喰らいあげ、一気に成虫へと変貌を遂げる。


 「気持ち……悪い」


 リムローの呟きに、イシュメイルは苦笑してみせた。


 「ここには生きている暇が無い。地上と隔絶されたニンブルドアは独自の生態系を持つ。我々なんかが及びもつかないサイクルで生と死が繋がり、最早、生と死の境界線が無い。そうして淘汰と洗練を繰り返し、次に訪れる時には同じ魔物は二度と見ることはなく、そして、強力なものへと進化している」


イシュメイルはどこか懐かしげに語る。

 リムローは三本の矢を同時に放つ。

 扇状に放たれた矢が衝撃で魔物の群れを散らすが、死んだ魔物の死骸から生まれた魔物が死骸を食い散らかしながらさらに、迫る。

 自分の持てる全ての技が、生物の業の前に無力であることを知る。

 だが、シャモンやダッツはその中にありながらもその生を繋いでいた。

 ダッツの槍が幾重にも振るわれ、魔物を近寄せない。

 シャモンに至ってはその魔物の中を駆け抜け、一匹の野獣となって四肢を振るっていた。

 濃密された闘争の中に、人という獣が混じり、渡り合っていた。

 背面から迫る魔物を振り向くことなく振り払った槍で叩き伏せ、死骸から沸き上がる魔物を犬の足に踏ませるダッツにしろ、目にも止まらぬ早さで魔物の心臓を抜き出して潰し、死骸を遠くへ蹴り飛ばすシャモンにしろ、リムローの目からは最早、人の領域を越えていた。


 「これが……ニンブルドア」


 師が越えられなかった人の領域。

 イシュメイルは微笑む。


 「まだまだ、こんなものではないさ……シャモさん!下がろう!人の身でアミノチャージャーを意識的に行えば、身体の疲労も尋常じゃないはずだ。動けなくなれば、喰われるぞ」


 彼等はイシュメイルを中心に囲むように再び隊形を取ると、喰らい合いをしている魔物達から離れた。

 どういう訳か、魔物達はイシュメイルの側には寄ってこない。

 

 「シュンハツハーキィでも数には勝てねえな。やっぱり」

 「……瞬初発勁を知ってる騎士だとは思わなかったよ。スタイアの野郎だな?勝手に人に教えくさりやがって」


 息を切らせながら吐き出したダッツにシャモンが悪態をつく。

 だが、視線は静かに息を吐き出し整えるシャモンの様子を追っていた。


 「だがま、その様子じゃあ勝手に盗まれたモンなんだろう」

 「あんたがこれの使い手だとは思わなかった。驚かされるよ全く」

 「だが、覚えておくといいさ。これは魔物の業だ。人の身で扱えば身を蝕む。勁の練り方を間違えれば、自分に殺されることもある」

 「だろうさ。俺も死ぬかと思った時が何度かある」


 リムローはダッツのような人間でも、まだ、先にある領域を追い求めて先達を観察していることを知る。

 イシュメイルは二人を眺め、ふむ、と一人頷く。


 「魔物の行っているアミノ酸の圧縮過給を人の身でやるとはね。しかも瞬間的に。人間であれば急激に消耗した場合、筋疲労もそうだが体内での生成バランスを崩して死にかねないものなのだが……」

 「何を言ってるかわからんが技だよ。魔法ってのが魔物の技を応用したものであれば、人だってそういう技をマネてもおかしくはあるめえさ……しかしま、スタイアもスタイアですんごい秘密を知ってるモンだぬ。ニンブルドアでこうしてくっちゃべれるなんてはじめてだわ」


 シャモンはイシュメイルの傍らに居るタマを見て、大きく息を吐いた。

 タマは自らの水筒の中にスタイアから貰った御守りを浸し、目を見開いて佇んでいた。

 ほのかに、潮の香りがする。


 「これが……ニンブルドア」


 見開かれたタマの目には、その異様な光景がしっかりと刻まれていた。

 絶え間なく進化を繰り返す魔物は最早、尋常なものではない。

 高速で空を飛ぶ植物が六首の蜥蜴を食い散らかし、伸ばした蔓が叫びを上げて毛の無い鳥に食われていた。


 「タマ公、惑うな。魔道のはじめは惑うことからはじまる」

 「うん。私は、決して許しはしないから」


 そう呟いたタマはなんとか息を飲むと、震える手で水筒をしっかりと掴んでいた。


 「……そいつが俺たちの命綱だ。落とすなよ。ホレ、持ってきてやった」

 「うん」


 シャモンは緊張して動けないタマのポシェットに青く輝く棒状の環石をねじ込んでやる。

 茎のように見えなくもない。


 「ムギュルスの茎、だね」

 「うん。ニンブルドアの魔物の体内で形成される器官で高密度の環石が入ってるの。 これを三日間、人の血に浸し、すりつぶすことで霊薬が作れる。売れば結構な値段がするんだけど……」


 タマの視線の先には魔物達の血の渦が広がっていた。


 「……この中を生きて帰れるとは思わないわ」


 リムローはそれがどれだけ価値のあるものか、理解できてしまった。

 霊薬を作るために、命を危険にさらさなければならない。

 とてもではないが、自分には得ることのできないものである。

 だが、しかし。

 こちらを視界や感覚器に捕らえる魔物も居る中で、襲ってこない不思議はリムローには幻覚を見せられているのではないかと不安でたまらなかった。

 タマが抱える水筒にひたされた布袋が揺れる。


 「……それは、一体なんなの?」

 「海」


 答えたのはユーロだった。

 口下手なユーロに代わり、イシュメイルが苦笑しながら説明した。


 「正しくは海塩を水に溶かしただけの代物だ。だが、スタさんはいい発想をしている。ニンブルドアの魔物がよもや海を恐れるとはね」

 「海……ですか?」


 リムローは怪訝に思い、イシュメイルを見上げる。

 答えたのはタマだ。


 「あのね……魔物は海には生息しないの。この地域で人間が最初に辿り着いたのはオーロードの海岸付近で、そこに国を造った。ほんとうだったら畑とかを一杯つくれる平原地に行きたかったんだけど、そこには魔物が多かったから。でもね、それは逆に海の付近には魔物が少なかったってことなんだよね。となると、海には魔物を近寄らせない何かがあるんじゃないかってスタさんは知ってたんだ」


 リムローは舌を巻く。

 それはどのハンターでも知らない事実であった。

 イシュメイルがさらにかみ砕いて説明する。


 「正確には海にも魔物は存在する。魔物と認識されてはいないがイカやタコ、貝類なんかも正しく学術的に分類するなら魔物となる。自然に発生しえない動物、というのが魔物の定義だが、そんなものは存在しない。だから、アカデミアの先端学術では血液中に青銅分が多く含まれる動物を魔物と呼ぶようにしているんだ」


 シャモンが首を傾げる。


 「本来、海水は水分が殆どで僅かな塩分を有するだけのものだろ?だが、その塩分の中に多様な岩石の成分が混在するくらいだ。それが、なんで魔物を退けるんだ?」

 「おそらくの話だ。地上の魔物は人間と違い汗をかかない。体内に溜まった熱は熱咆と呼ばれる器官を通じて永久に溜められる。この熱は出産や排卵の時、ドラゴンなどであればブレスを吐く際に使用され、大量の熱量を内包している。海水に触れた魔物はおそらく皮膚を通じて浸透した塩分に含まれる物質を熱咆に運び、その機能を著しく狂わせるのだろう。そうなれば溜まった熱量が暴発し、木っ端微塵に砕け散るからだと思う」


 イシュメイルの説明に今度はダッツが首を傾げた。


 「海を見たことのない魔物がどうして海を恐れるんだ?」

 「生物にはもともと危険を回避しようとする習性があるんだよ。優れた戦士が危険に聡いのと全く同じだ」


 彼等にわかりやすい言葉を使い説明したイシュメイルだが、それでも苦しそうな顔をしていた。


 「だが、この策が通じるのはニンブルドアの一部分だけだ。この奥にはそんな常識を覆す、本当の『魔物』が存在する」


 ユーロは静かに頷いた。


 「グリパニヘルの河を渡る。お前の師は、そこで死んだ」

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