第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 7
二度目の襲撃は無かった。
この冒険者達はコルカタスを熟知しているとリムローは思った。
ダッツの知る秘密のルートまではそう時間をかけずに到着できた。
コルカタス大樹林の中にぽっかりと口を開けた洞窟だった。
入り口は小さく、粘土質の入り口を潜り、しばらく行くとごつごつとした岩場となる。
松明が無ければ進むことすら難しいくらいに洞窟の中は暗かった。
「ふむ、自然形成された岩盤洞窟とは言い難いね。魔物が生活する為に掘った洞窟といったところか」
「だろうさね。今日はここいらで夜営でもしようかぬ」
だが、それ以上の行進を止め、シャモンはそこで夜営を行うことを決めた。
「まあ、それが妥当だな」
ダッツはその判断に従い、タマと夜営の準備に取りかかる。
松明を灯すと、不気味な岩肌が露わになる。
その頼りない灯りの中で焚き火を起こし、彼等は夜営の準備に取りかかった。
「ねえ、なんで今日はここで夜営するの?」
リムローが聞けずにいた疑問を、タマは正直にぶつけていた。
「魔物が掘った洞窟ってことはこれだけの洞窟を作れる魔物が居るってことだよ。そうなるといくら何でもそいつ以外とは出会うことは無いから、沢山の魔物がひしめき合ってる外で夜営するよりか安全なんだ」
ダッツが丁寧に教える。
「でも、その魔物にひっついて生活する魔物も居るんじゃないの?」
「だからこそ、小さい魔物が出てきたら即座に引き上げればいいんだ。危険だからこそ、安全だという逆の発想も秘境を探索する上では必要なんだ」
「そっか……危険なのは人間だけじゃなくて魔物も一緒なんだ」
タマは自分なりにその考え方を咀嚼し、知識を積み上げている。
リムローは何もできずにただ、彼等のやり方を眺めているしかできなかった。
「お嬢ちゃん。どうだい、独り立ちできるんじゃないかって思ってそれを挫かれた気持ちってのは」
夜営の準備には参加せず、一人、持ってきた酒をあおるシャモンにリムローは返す言葉が無かった。
シャモンは手頃な岩場に寝そべると、クツクツと笑う。
「変な自尊心は持ちなさんな。自尊心は己を強くする原動力だが、それだけでわたれる程、生き物の世界ってのは甘くはない」
ちゃぽん、と妙な形の容器から酒が揺れる音がした。
「至らねば乞い学べ。生きているうちに覚えなければならないことはいくらでもある。自らのみで立って歩けると驕るなかれ、我らは兄弟の鎖に繋がれているからこそ、風雨に耐えるものと知れ……なぁんてな」
シャモンはタマを見て手招きをする。
夜営の準備を終えたタマはシャモンの傍らに来ると、酒を受け取り口に含む。
「……げぇぇ」
酒の味になじめないタマが心底苦そうな顔をする。
「おめーさんにゃ、まだ相伴は無理か」
「こんなもの飲む人の気が知れないよぉ」
タマは酒をシャモンに突っ返すと、その背中の上に座った。
シャモンはひとしきりタマの頭を撫でると、もう一度リムローに向き直る。
「お師さんの後を追うのはいい。だが、死人に拘り続けるとヘルゲイズに足を引っ張られるぞ?」
「十分、わかっています」
「わかっちゃいないね。生きている人間は死人の先を歩くモンだ。いつまでも後ろを眺めてちゃ、それ以上先にはいけないだろうよ」
リムローはシャモンの言いたいことがわからなかった。
「何が……言いたいのでしょうか。師の後を追うのはいけないことなのでしょうか?」
「捨てられるはずがあるめえよ。お前さんが刻んできた生き様はお師さんあってのものだ。だけど、死人に捧げるんじゃねえよって言ってるんだ。ちったあ頭使ってくれよ。生きているうちだけだぜ?頭使って考えられんのは」
悪態をつくシャモンに苛立ちを覚えるが、タマはにこにこしながらリムローを見ていた。
「シャモさんは素直じゃないんだモンねー」
「うるっせえよタマ公」
リムローはそこではじめて、それが不器用な、シャモンなりの優しさだと気がついた。
自分は、危ういのだ。
トリクルプルルスを相手にした時もそうだ。
彼等の動きに全くついていけなかったのではない。
余計な思念が、彼等の動きを見ることを邪魔していたのだ。
その余計な思念の発端が師匠の死と、自分が一人でもやっていけるのかどうかという不安から来るものだと既に、彼等は見抜いていた。
「死者に引きずられると、死ぬ」
呟いてみて、それはユーロの言葉であることを思い出す。
冒険者の実感としてその言葉を理解できたとき、リムローは素直に頭を下げた。
「ご心配、おかけしました」
「心配なんざしてねえよ。どこで誰が野垂れ死のうが俺の知ったこっちゃねえ。だけどユーロの仕事を増やされても飲み相手が居なくなるから困るだけだ」
本当に素直ではないシャモンの言いぐさに、リムローは苦笑した。
「だがま、不審っちゃ不審だわな」
「え?」
「……その石の板だよ」
シャモンはリムローの腰の鞄を顎でしゃくる。
「ニンブルドアで見つけたものだというがいささか新しい。そいつはそう問題じゃねえ。後から誰かが持ち込めばいい話だ。それよっか、ニンブルドアで死んだお前のお師さんの遺品が持って帰られているって話が不思議なんだよ」
「それは……その時一緒だったパーティの方が……」
「そいつは今、どこで何してんだ?」
リムローはその質問に答えられなかった。
師を失った悲しみに暮れ、その時のパーティメンツがどうしているかなど気にも止めていなかった。
「……わかりません」
「まあ、お師さんが死んでそれどころじゃない話もわかるわな。だがね?普通、遺品っつったら、もそっと縁のあるモンを拾ってくるんじゃねえのか?」
「言われてみれば……」
リムローははじめて、疑問に思う。
「考えることを止めるな。どんなに苦しくてもだ。考えることをやめた途端、お前さんの世界はお前さんに何も教えてくれなくなるぜい」
含蓄のある言葉に、リムローははじめてシャモンの師がどんな人なのか気になった。
「……度々、ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いじゃあねえよ」
「いえ、師を失って一人で生きていかねばならないと気負っていました。シャモンさんの師は既に……」
「お師さんは……まぁ、どっかで生きてるのか、あるいはくたばったか……もう、随分と年だったからな」
どこか言いづらそうにシャモンは顔を歪める。
いなくなった師について語りたがる人間はそう、居ない。
それは、言葉にしてしまえば大切な何かを失ってしまうからだ。
「どんな方だったのですか?」
「元気な婆さんだったよ。アブルハイマンの炭坑奴隷をしている時の奴隷長で、右も左もわからん俺を仕込んでくれた。冒険者、なんて言われるようになる前の人間だぞ俺は」
はぐらかすシャモンにリムローは微笑を浮かべる。
「だからこそ、お前さんみたいなのを見ると危なっかしいのがわかるんだ。そんな石っころに振り回されるくらいだと、簡単に死んじまうぞ?」
「はい。肝に、命じておきます」
素直に返されるとは思っていなかったのか、どこか歯がゆそうにシャモンは顔を歪める。
夜営の準備が整い終わると、シャモンはのそのそと身体を起こして腕を捲った。
「さぁて、おじさんがメシでもこさえますかね」
「今日は、私が炊事をします。クソスープは評判悪いみたいなので」
◆◇◆◇◆◇
日の光の差し込まない洞窟の中では朝になったことがわからない。
だが、ダッツにしろシャモンにしろ熟練の冒険者達は自らの身体にいつ行動を起こせばいいのか刻みつけていた。
朝でも、夜でもない。
身体が求める時に、動く。
眠そうなタマを起こし、手早く夜営を片付けると一同は緊張した面持ちで洞窟を進む。
「……魔法ってのは本当に便利なのだが」
発光する球体を掲げながらイシュメイルはぼやく。
「松明の代わりなんざそうそうできる人間はいねーよ」
「松明の代わりをやりたがる人間もいないからね」
イシュメイルが魔法で作った光が洞窟をぼんやりと照らし、その光を頼りに彼等は進む。
洞窟で灯りをつけずに進む方法も彼等は知っていた。
だが、灯りをつけて進むメリットとデメリットであればメリットの方が大きいことからそちらを選んだのだ。
「魔物が来ない」
ユーロがまた、結論から喋り、リムローは苦笑した。
灯りを堂々と掲げて進む人間を警戒し、魔物は襲って来ない。
ダッツは犬に周囲を警戒させながら先頭を進む。
鼻の効く犬はいち早く危険を察してくれる。
「近いな……」
ダッツが鼻をひくつかせ、怪訝な顔をする。
リムローは同じように鼻をひくつかせるが何の匂いも感じられない。
だが、ほんの少し歩けば、リムローの鼻でようやく拾える僅かな異臭を感じた。
「……火山の匂い、でしょうか」
「硫黄のような匂いだね。だが、正確には違う。これは岩が焦げる匂いだ」
岩を焦がす匂いがするというのはどういう状況か。
それを考えた時、リムローは心臓が早鐘のように高鳴るのを感じた。
だが、決して焦ってはならない。
跳ね上がり、竦む気持ちを腹に収め、張り詰め、それでいて緩まない最も理想とするテンションに納める。
その様を見たユーロは微笑するとリムローの頭を撫でた。
どこか余裕さえ浮かべているユーロやイシュメイルにリムローは緩んでしまいそうな自分のテンションを保つのに精一杯だった。
「タマ公、リムの後ろに下がれ」
「うん」
怖いもの見たさなのだろうか。
シャモンのすぐ側を歩いていたタマはじっと暗闇の中に目をこらしていた。
だが、素直に立ち止まり、リムローが来るとその後ろを少し離れてついて歩く。
先頭のダッツの脇を固めるようにシャモンとユロアールが立つ。
「え……」
それは唐突に目の前に姿を現した。
巨大な、門。
それはそう表現するのが適切だった。
螺旋を描く紋様に彩られた巨大な支柱に乱暴に穿たれた爪痕が複雑だが、精緻な紋様を描いていた。
その紋様の各所には環石が埋め込まれ、淡く輝いている。
その周囲の岩は黒く、焦げており、火の粉が燻り、舞っていた。
「これが……」
「ニンブルドアンの門だね。ここから先は人の領域を越えねばならない。魔となり、全ての境界を曖昧にできる者のみが生き残れる世界だ」
イシュメイルの声が、どこまでも冷たかった。
次の瞬間、咆哮が響いた。
「試される」
ユーロが呟くと同時に、門が揺らいだ。
大気が揺らぎ、景色が歪む。
歪んだ景色の向こうから、それは雷光を伴い、現れた。
「ブラック……ドラゴン!」
双頭の頭を持ち、二つの尾を持つ巨大な魔物だった。
人の十倍の大きさはあろう。
三つの赤い瞳を煌々と輝かせ、先の割れた舌をちろりと覗かせる。
二つの禍々しい腕の先には凶暴な鈍色の輝きを放つ爪が伸び、炎を吹いている。
短く畳まれた翼を広げ、黒い竜は彼等を咆哮で威嚇した。
「来るぞッ!」
ダッツの号令とともに各自が散開した。
ドラゴンの炎のブレスが後衛のリムロー達に向かって放たれる。
岩を燃やし、走る炎をリムローは跳躍して避ける。
タマをローブの中に隠したイシュメイルの姿が掻き消え、はるか上空に姿を作り浮遊する。
「ガングライア・ソルニル・ヴァンヘイル……太古の水の記憶、降り注げ!」
イシュメイルは瞬時に印を切り、中空に水を産む。
水は濁流となって虚空からいくつも落ち、それが焼けた岩の上で蒸気となる。
熱された岩盤は人の歩ける場所ではない。
攻撃と防御を同時に行うドラゴンはまさしく、最強の魔物という風聞に恥じない知性を持っていた。
だが、イシュメイルはその牽制すら利用し、ドラゴンを牽制した。
その蒸気の中をダッツ達が走る。
「正面ッ、一番槍は任せろッ!」
ダッツの犬が水の上を跳ね上がりドラゴンの眼前まで跳躍する。
ハルヴァードが銀の軌跡を残し、双頭の竜の目を一つ、叩き潰した。
「ギャァア……ァァアアアアア!」
咆哮が洞窟を振るわせ、岩壁に亀裂が走る。
リムローは弓に矢をつがえると、弦を引き絞る。
正面のダッツにドラゴンの注意が行っている間に、火力を集中させなければならない。 屈み込み、限界まで引っ張った弦で狙うべきは頭頂部の瞳。
ダッツのハルバードでは届かない、更に奥にある脳を狙う。
蒸気が視界を遮り、水柱が射線を塞ぐ。
その中で激しく暴れ回る頭に狙いを定めるのは困難だった。
だが、リムローの手を離れた矢はごう、と音を立てて真っ直ぐにドラゴンの額に瞳に突き刺さる。
深々と突き刺さった矢に確かな感触を覚え、リムローは浮かれる。
「そこに脳は無いっ!避けろっ!」
イシュメイルの忠告が遅ければリムローは今頃、灰すら残らずに溶けていただろう。
即座に跳躍し、離れたその場をドラゴンのブレスが溶かしていた。
「抑える」
ユーロの腕に巻かれた鎖が放たれる。
真っ直ぐに放たれた鎖はドラゴンの首に巻き付くと、ユーロはその鎖を力一杯引いた。
がくん、と下がった首の位置には既にシャモンが駆け込んでいた。
「いい位置さね」
シャモンはにやりと笑う。
リムローは次の瞬間、信じられないものを見た。
シャモンが鼻の先を軽く撫でた。
「よっと……」
どこか、優雅で静かなその挙動はまるで風の中の花びらを捕まえるようなゆるやかさだった。
だが、その撫でる手を追うようにドラゴンの巨体がぐるりとひっくり返ったのだ。
ユーロが引く鎖が激しく引っ張られる。
ユーロはその力に逆らわず、宙に飛んだ。
黒いコートの中から長い鉄の杭を手に取ると、直上から落下しながらその杭を背中に打ち込んだ。
撓んだ腕が、その杭をさらに押し込み、ユーロは呟いた。
「まず、一つ」
青白い血に混じって白いどろりとした体液が噴き上がっていた。
シャモンが回したドラゴンの首が激しい絶叫を上げて事切れた。
だが、地面でのたうつもう片方の首は生きている。
リムローはそのような魔物を知っていた。
「脳が……二つある!」
「ご名答」
シャモンはそう答えながら、立ち上がるドラゴンの身体を駆け上がっていた。
ドラゴンは再びブレスを吐こうと顎を開いていた。
喉の奥に炎が螺旋を描くが、その顎を下から力一杯蹴り上げていた。
爆ぜた炎がドラゴンの頬を貫き、零れた炎が血を焦がし、青い蒸気を上げる。
地面を走るダッツが犬を回転させる。
何度も何度も横転させ、ダッツはハルバードに遠心力を与える。
「どぉ……りゃぁあっ!」
竜巻のように回り、激しく振るわれた戦斧はドラゴンの硬い鱗を断ち割り、脛から下を両断した。
バランスを崩したドラゴンが膝をつき、ユーロがもう片方の足にしがみつく。
みちみちと音を立てるドラゴンの足にユーロの腕が巻き付き、撓む。
撓んだ腕に血管が浮かび上がり、盛り上がった背筋がみしみしと音を立てる。
ぎりぎりと締め上げられた腕の中で、ドラゴンの足が僅かに変形していた。
ユーロを引き剥がそうとドラゴンが爪を振るうが、その爪は途中に割って入ったシャモンが足で抑えていた。
ごきり、と音がした。
甲高い悲鳴をあげてドラゴンが地に倒れ伏す。
苦しそうにもがくドラゴンの首の付け根にダッツは揚々と駆け寄るとハルバードを高々と振り上げる。
振り下ろされると同時に、青白い鮮血とどろりとした白い脳症が飛び散り、ドラゴンは動かなくなった。
赤い瞳が力を無くし、黒ずんでいく様を見て、リムローは大きく息を吐いた。
その傍らに降りてきたイシュメイルはタマを地面に降ろすと額に僅かに浮いた汗をローブの袖で拭う。
「……これが宿命とはいえ、か」
どこか寂しそうに呟くイシュメイルを怪訝に思いながらも、リムローは倒れたドラゴンに駆け寄った。
ハンターであれば誰しもが憧れる称号がある。
ドラゴン・ハンター。
自分の力ではない。
だが、紛れもなくそこに横たわるのは最強の魔物と謳われるドラゴンなのだ。
「やるねえ、ダッツ正騎士長」
「飛んでなければどうとでもなるさ。だが、いい物を見させてもらったよ」
ダッツはユーロを見上げると、苦笑する。
ユーロは怪訝な顔をするが、何も言わなかった。
タマは横たわるドラゴンの傍らに寄ると、ぺたぺたとその鱗を触り訝しげに周りを見て回った。
「……これが、ドラゴンかぁ」
タマはどこか真剣な面持ちでドラゴンの死骸を観察していた。
はじめは好奇心で見ているものだとリムローは思った。
だが、じっとその死骸を見つめる瞳がどこか危うくてリムローは訝しむ。
それを心配したシャモンがタマの頭を撫でる。
「タマ公……魔物を知る、ということがどういうことかわかる必要はねえぞ」
「大丈夫。死人に足は引かれないよ。私は強く生きるから」
どこか、暗い響きを持ったタマの声にリムローはこの少女もまた、人に言えない闇を抱えているのだと知る。
「タマちゃん?」
「……強いってのはきっと、それだけじゃないと知ってるから」
タマの小さな呟きに、何が混じっているのかはわからない。
だが、リムローは確かにこの少女の負う重みの片鱗を感じた。
シャモンはそんなタマの背中を見ながら、小さく溜息をつくとニンブルドアンの門を見上げた。
ドラゴンの死骸から広がる青白い血を吸い上げ、紋様が光を放つ。
青い環石が脈打ち、輝くとその扉はゆっくりと軋みをあげる。
イシュメイルはどこか、嬉しそうに呟く。
「さあ、ニンブルドアだ。生者なき死者の王国にようこそだ」