第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 5
冒険者ギルドのマスター、サステナ・スリィジは妙齢の婦人だった。
先代のギルドマスターからその運営のノウハウを叩き込まれ、かつ、自身も生粋の冒険者であった。
もうすぐ四十に届きそうな年齢ではあるが、二十代のような若さを保っていた。
全身から溢れる情熱が、力強く、彼女をいつまでも若くしていた。
若い冒険者が身に纏っていれば豪奢に過ぎて滑稽に見える衣装も、彼女の場合であれば、その風格と風采に合致していた。
銀狐の毛のマフラーにシーサペントの紋様が入った紅のドレスにその成熟した身体を包み込んでいる。
だが、ホワイトサーペントの革でしつらえられた帯革に吊した長剣と短弓はそれぞれ使い込まれており、また、彼女の服装のデザインも決して、それらを扱う動きを疎外することの無い、洗練されたものだった。
さらに、見る人が見れば、それが長く、実用に耐えられるものであることも押し伺える。
華美でありながら、実用的。
冒険者ギルドのマスターを名乗るのには十分な風格を備えていた。
だからこそ、サステナは人を従えるには強い力が必要であることを知っていた。
「ニンブルドアの奥にある邪教徒の集落の偵察をお願いしたいの。証明として邪教徒の紋様の入ったローブを剥ぎ取って来て欲しい」
サステナは二人の少女にそう告げた。
何人もの冒険者を相手にし、また、人より恐ろしい魔物を見てきたサステナには彼女たちが冒険者としてどれくらいの力量を持っているのか既に把握していた。
だからこそ、彼女たちを使いに出したパーティの力量も推し量れた。
それは話を聞く側のリムローにも理解できた。
瞬時に、パーティの力量と、提示された依頼の難易度、そして、最も最悪な事態を想定した対処方法と、報酬の量。
「……確実な返事はできませんが」
サステナはその不明瞭な返答を肯定として受け取った。
この少女は魔物相手には優秀なハンターではあるのだろう。
だが、人間相手にはいささか経験が足りないようだ。
「近く、教会で邪教徒を殲滅するために巡回司祭隊がニンブルドアンに赴くの。邪教徒がどれくらいの人数で、どれほどの規模で存在しているのか。可能であれば武器や使役している魔物の数もお願いしたいの」
畳みかけるようにサブオーダーの必要性を語る。
相手の思考を必要性に誘導してやることで、彼女が持つ真意をはぐらかすためだ。
事実、リムローの思考も必要性に合わせて自分たちがどれほどの成果を求められているのかを計算する方向に向けられていた。
だが。
タマはじっと横でサステナの顔を見つめていた。
サステナはその様子を見て、それ以上言葉を継ぐのを辞めた。
言葉は他人を操るのと同時に、相手に余計な情報を与えてしまうからだ。
「お嬢ちゃんのような新人さんがこういう場所に来るのははじめて?」
とりとめもない挨拶ではぐらかしてみた。
「うん、そのマフラーふかふかして気持ちよさそうだと思って」
場に似合わない少女の屈託の無い感想にサステナは苦笑する。
少女らしい、素直な感想だった。
サステナは警戒心を与えない為に、自分の襟元に巻き付いている銀色の毛のマフラーを撫でてみせた。
「これ、ね。シルヴァリアフォクシィバットのマフラーよ。アブルハイマンを越えてニヴァリスタ、そして、その更に北にあるグレイシアの友人が贈ってくれたものなの」
話を完全に別の方向に誘導してやる。
サステナはほんの少し、タマの相手をしてやることにした。
「随分と遠くから、贈ってくれたんですね」
「ふふ。一度、危険という濃密な時間を共有した友人はどれだけ経っても友人でいられるのよ?わざわざ海路を経て贈ってくれたもので私の手元にくるのに半年はかかったみたい。それでも何かを贈りたいって思ってくれる友人はいいものよ?」
「陸路でも時間はかかるよね?」
リムローとサステナは怪訝な顔をする。
「時間がかかれば、邪教徒は増えたりするんじゃないかな?ニンブルドアに居る邪教徒ってのがどんなものかわからないけど、それでも、ニンブルドアに入っただけで警戒されちゃうんじゃないかなって思ったの」
サステナはタマが何を言いたいのか、理解した。
侮っていた。
だが、タマは自分の容姿が与える印象を利用し、先に話した必要性の不自然な部分と、他愛ない世間話を強引に繋げて、サステナの意識に強烈な横槍を加えて揺すぶったのだ。
だが、リムローはそれを理解できずに狼狽えた。
「……お嬢ちゃん、良く気がつくわね?」
「お金と、時間と、労力は価値で繋がっているって、スタさんが教えてくれた」
それ以上、攻めてこず、はぐらかす危険への嗅覚も上手である。
とても、年齢相応とは言えないものがある。
「でもね、だからこそ、あらかじめどれくらいのものか理解できていれば、時間をかけずに攻めれば危険を減らせるということもあるのよ?」
「ふーん」
タマはそれ以上、興味を失い部屋の中を眺めた。
話の流れについていけなかったリムローは狼狽えながらも、ギルドマスターの次の言葉を待っていた。
「……あなたたちを少々、見くびっていたわ。サブオーダーの報酬に銀貨三百枚を加えさせてもらうわ?優秀な冒険者は、いくらでも友人にしておきたいからね?」
サステナは少女のようにウィンクしてみせるとリムローの緊張を解いた。
リムローはタマを苛立ちの混じった瞳で睨むが、タマはそれより壁にかけられたヨッドヴァフのタペストリーの方に興味があったようだ。
リムローはタマから視線をサステナに戻す。
「……サブオーダー、受諾しました。ですが、成功失敗の要否は問わないで欲しい。我々は生きる為に副食を食べない選択もしなければなりません」
「当然ね」
サステナは不敵に笑うと、タマを引いて部屋を出るリムローの背中を見送った。
完全にリムローが居なくなってからサステナは呟いた。
「……私の記憶に違いなければ、彼女はフィッダ・エレを見たパーティに名前があったはずね」
どこからともなく、声が答える。
「そのためのサブオーダーか……だが、納めきれるものか」
「あの小さな女の子、末恐ろしいわ。どんな化け物の鎖か理解できない」
「外壁沿いに立つリバティベルという酒場の連中だ」
「ああ……」
サステナは小さく、頷いた。
彼女はその店にまつわる色々な噂を聞いていた。
「時代が産んだ怪物達が集まる店ね。正直、あんな子が居るなんてぞっとしないわ……サブオーダーもどれだけ意味があるか」
声の主は静かにサステナの背後に立つと告げた。
「……天秤は傾けてはいけない。盟約は護ろう。ゆめゆめ忘れるな。お前もまた、分銅の責を持つものだということを」
そうして、気配は静かに消えた。
サステナは忌々しげに鼻を鳴らすと毒づいた。
「……アサシンギルド。忌々しい連中ね。だけど、全てが思い通り上手く行くことなどは決してないということを知りなさい」
――それは、リムロー達の知らない場所で静かに動き出していたのだ。
◆◇◆◇◆◇
サブオーダーについてリムローがシャモンらに話したところで、彼等の対応は適当なものだった。
「副食なんざ、喰えれば喰ってやりゃいいじゃねえか。そんなことよっか、どうやってニンブルドアへ行くかが問題だよ」
ニンブルドアへ至る道はいくつか、存在する。
有名なものとしてコルカタス大樹林のヘルゲイズの谷。
これは神話にも存在する程、有名なルートである。
コルカタス大樹林を横断してその果てにあるヘルゲイズの谷を下る。
その最下層にあるグリパニヘルの洞窟を抜ければニンブルドアンの門がある。
魔物がひしめくコルカタス大樹林を抜け、人が下ることを想定されていないヘルゲイズの谷を魔物の襲撃を躱しながら下る。
無論、落ちれば人間などひとたまりもない危険なルートだ。
もう一つはヨシュ砂漠から至るルート。
砂嵐吹きすさぶヨシュ砂漠には多くの史跡が埋もれている。
その史跡のいくつかから、大空洞と呼ばれる地下洞窟を抜けニンブルドアンの門を潜る。
だが、そこには巨大な魔物が生息し、また、定期的に吹く砂嵐が人の残した痕跡の事如くを吹き飛ばす。
行けるかどうか、不確かなまま延々と砂漠を行軍することもまま、ある。
そして、最後に存在するルートがアブルハイマンからのルートだ。
アブルハイマン山脈に存在する洞窟のいくつかから大断層グレイグレイルを降りることでニンブルドアンの門へと至る。
だが、磁場の狂った坑道で彷徨えばそこで苦しみながら死ぬこととなる。
「いずれのルートでも問題ねえよ」
シャモンはそう言い切った。
リムローにはその言わんとしていることが理解できる。
ニンブルドアンの門に至り、ニンブルドアへ至るということはそれだけで危険なことなのだ。
そこに、人間の想像する危険は意味を成さない。
どれを選んだとしても変わりはないということだ。
「だが、確実に至るならコルカタス大樹林のルートだな。こちらは他のルートと違って行き方がハッキリとしている」
イシュメイルはそう進言した。
確実にニンブルドアに至るには危険であっても行き方がはっきりしているのはコルカタス大樹林のルートであるのは間違いない。
ユーロは皆が決める内容に黙って従うツモリだ。
黙々と荷車に皆の荷物をタマと一緒に運び込んで居る。
唯一、ダッツだけが顎に手を当て渋い顔をした。
「コルカタス大樹林はこの間の遠征で魔物が殺気立ってるから、正直、行きたくないってのが本音だな」
「それならばアブルハイマンのルートで行くか?運を頼みにヨシュ砂漠をほっつき歩くよりかはマシだろう。君の休暇もそれほど長いものではないだろうし」
「アブルハイマンか……うーん」
ダッツは自分の知るルートを考え、どちらがいいのか悩む。
彼等の話を聞いてリムローはふと疑問に思う。
「あの、皆さん、ひょっとしてニンブルドアへは行ったことがあるんですか?」
「ほぅ、このお嬢さんは自分のパーティの力量を勘違いしておられる」
イシュメイルはリムローをからかうように笑った。
「こう見えても、僕は大師星クロウフルの愛弟子さ。ダッツ騎士は何を隠そうバルツホルド三騎士の一人。ましてや第七騎士団の正騎士長様だ。年季が違う」
シャモンは面倒臭そうにユーロを見た。
「まあ、俺もユーロもニンブルドアは未経験じゃあねえよ」
驚くリムローを振り返ってユーロは苦笑した。
「……そんな……ニンブルドア経験があるってだけで冒険者としては一流ですよ」
「だろーな。だが、どんな一流でも死ぬときゃコロっと死ぬんだ。お前さんのお師さんだって一流だったろ?だけど、まあ、そんなもんなんの自慢にもなりゃしねえよ」
シャモンはそう言い捨ててダッツに視線を巡らせた。
「なあ、正騎士長。こういうときゃ出し惜しみして欲しくねえんだが」
「いや、出し惜しみしてる訳じゃあないんだ。だが、いずれにせよ危険だっつうことは変わらんからな」
「じゃあ、コルカタスでいいさね。秘密のルート、あるんだろう?」
にんまりと笑うシャモンにダッツは苦笑する。
リムローは目を見開いて驚く。
「まさか……噂とばっかり思ってました……」
「秘密のルート、っつーよりなんだ。割りかし安全に行ける自分達しか知らないルートってのは普通、誰にも教えないから秘密のルートっつうわけだからな。ま、副食の邪教徒のあとでも追っかければいい道が見つかるやもしれんがな」
シャモンは意地悪く笑う。
リムローは高鳴る胸を押さえて、ダッツに向き直った。
「あの……教えていただけるのでしょうか?」
だが、ダッツの顔は渋いものだった。
「そういうルートを教えれば乱獲されて自分の手取りが減るからっていうのが理由だとまかり通ってるが、正しくは違う。いずれにせよ危険だから安全だと教えてやると、お前さんみたいなのが間違って突っ込んで死ぬからだ」
ダッツは淡々と語ると、肩をすくめてみせた。
「事実、俺が知ってるコルカタスとアブルハイマンのルートのいずれも普通に行くのとは違う危険さを持っている。だが、まあ、確実に時間を短縮できるという意味ではいいのかもしれないがな」
ダッツは自分の槍の予備をタマに預けると、溜息をついた。
「アブルハイマンのルートはグレイハウンドの巣窟だ。さらにプレストロードが門を守護している。谷下りするよりか厳しいんだ」
「コルカタス大樹林の方は、どうなのですか?」
「……こっちの方はブラックドラゴンが守護している」
リムローは絶句する。
ドラゴンは魔物の中でも指折り数えた方が早い程の強敵だ。
強靱な肉体、灼熱のブレス、そして立つことすら困難となる咆哮。
「だが、こっちは洞窟だからな。空に飛ばれない分、楽ができるさ。翼の無い鳥は二本足の獣でしかないって言うだろ?」
それでも面倒くさそうに呟くダッツにリムローは頼もしさを覚えていた。
準備を終えたタマが荷車の上に座り、退屈そうにしていた。
「ねえねえ!ま~だ~!早くいこー?」
新米の脳天気な声がどこまでも羨ましく思えた。