第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 3
リムローの言葉はリバティベルの喧噪を一気に叩きつぶした。
「ニンブルドアの門を潜れるパーティを募集します」
彼女の第一声はことによれば、駆け出し冒険者の戯言にも取れた。
だが、リバティベルに集まる冒険者はそれが戯言でないことがわかるくらいには人を見ることができる。
そうでなければ、駆け出し冒険者の妄言で自分が命を落とすからだ。
だからこそ、誰しもが押し黙った。
「……お嬢ちゃん、本当に言ってンのか?」
「はい」
口を開いたのはシャモンだった。
シャモンは苦々しく顔を歪めて顎をさする。
「お嬢ちゃんや。貫目が見れない程おじちゃんも野暮じゃあねえが、ニンブルドアンというのがどんな場所か、知らねえ訳じゃあねえだろう?」
「ええ、知っております」
「死んだ人間に会えるってのぁ、嘘だぜ?」
リムローは押し黙る。
イシュメイルはふむ、と長い髪をかき上げるとローブの裾を引き寄せる。
「ニンブルドアか。死者の闊歩する王国。ヘルゲイズの谷に広がる闇の海の底、亡者の王ユラフロアルガンが支配する場所。古代王国の史跡で数多くの冒険者が挑む。それには理由がある」
イシュメイルは興味深そうに聞いているタマに向き直って続ける。
「まず、稀少環石の採掘。ニンブルドアを潜った先に居る魔物は全てが圧縮された環石を精製する。市場に出回ることの少ない稀少環石はそりゃあ、高値で取引される」
「だが、その分、危険度も折り紙つきだ」
シャモンが苦々しく告げる。
「ニンブルドアから先は魔物の領域だ。数多くの冒険者が金欲しさに挑むが決して、行きたがらない理由がここにある。あそこの魔物は分類化できない」
イシュメイルは頷く。
「そう。理由はわからないがニンブルドアの向こう側の魔物は次に訪れた時には全く別の魔物が闊歩している。だからこそ、ニンブルドアの魔物の収集品はアカデミアでも高値で売買される。これはニンブルドアに赴く利益だ。だが、それで生じる不利益がなにかわかるかい?」
「対策が全く立てられないということです」
リムローは淀みなく答えた。
シャモンは皮肉げに笑う。
「それだけわかれば上等だ。運良く自分たちの能力でどうにでもなる脅威なら一攫千金さね。だが、ひとたび間違えれば失うのは自分の命だ。そこまでして銭が欲しいかと聞かれればみんな答えは一緒だ。行きたくねえよ」
「それでも、行かなければならないのです」
シャモンは身を乗り出し、リムローに指を突きつける。
「それだ。それが厄介なんだ。言ったろ?貫目がみれない訳じゃねえ。つまり、てめえさんは何かしらの目的があって行くんだ。一攫千金なら適当に石拾いして帰ってくりゃいい。だが、そうじゃないと話は別だ」
「わかっています。その目的を達するまで帰れない。そんな自殺行為に付き合うのは御免だと仰りたいのでしょう?」
リムローはそこまで言うと大きく溜息をついた。
「そういうこったな」
「……なら、せめて、これが何かわかる場所へ連れて行って下さい」
リムローは帯革に吊したバックから小さな石版を出してシャモンらに見せた。
シャモンは眉を潜める。
横からのぞいたイシュメイルも厳しい顔をした。
「……古代の魔術文字だね」
「ですが、ヨッドヴァフ王国の紋章にも似ています」
石版、といっても手のひらに載る小さなものだ。
その紋様は確かにヨッドヴァフの紋章と酷似したものだった。
「こいつをどこで拾った」
「……ニンブルドアに赴いた師の遺品です」
タマはそれを横から覗き込み、首を傾げる。
「ヨッドヴァフはもともとオーロードに首都があって、そこからずっと東へ東へと他国の侵略から逃げてきて、今の場所に首都を置いたんだよね?ニンブルドアって確か、ヨシュ砂漠やアブルハイマン、コルカタスからしか行けないはずだからおかしいよね?」
「ふんむ」
シャモンは石版を受け取り、手の上で回し、ひとしきり眺める。
「……経過年数は六十年弱、ヴァストニアン鉱石を加工した石版だ。紋様は青銅の混ざった油脂で描かれている。時折、こんなもんが古い史跡で見つかるがそれと良く似てるっちゃ似てるが……いささか新しいな」
シャモンはリムローに石版を返す。
リムローは大事そうに石版を受け取ると、鞄に納めた。
シャモンはその様子を眺めて、小さく溜息をついた。
「ギルドに持っていきゃ、それなりの値段はつけてくれるぞ?」
「それなりの値段でした。ですけど、私にはそれ以上に価値のあるものです」
リムローはそれだけ告げると、最早、この場所では望みが叶えられないことを悟った。
「どうやら、私は皆様の貴重な時間を無駄にしたようです。獲物が動きを止めた一瞬も、ただ待ち、耐える時間も同じもの。失礼を致しました」
リムローは別の冒険者に頼もうと既に決断していた。
熟考と素早い決断は似て異なる。
それができない冒険者は、すぐに、死ぬ。
「待ちな。お嬢ちゃん」
シャモンはリムローを呼び止める。
リムローは面倒くさそうにシャモンを振り向く。
だが、どこまでも冷徹なシャモンの双眸にリムローは懐かしさと、恐怖を覚えた。
「……お前のお師匠さんは教えてくれてはいなかったようだな?打算で動く人間は即ち、お前の打算に納まる人間でしかない。それ以上を望むのであれば、誠実さこそ心意を貫く針となる」
リムローはシャモンの箴言を噛みしめると頷く。
「……失礼しました。私は、私が何者かを皆様に告げていなかったですね。リムロー。名字はありません。ビガーズの鎖の一つです」
「鎖ってことは……弟子か。師匠の痕を追うのか?」
鎖、とは元々奴隷が自分を仕込んでくれた人との繋がりを表す言葉だ。
冒険者、と呼び方が変わっても未だその隠語は廃れることはない。
「はい。師が師で、私が私であるために、越えねばなりません」
リムローはそれだけ言うと、小さく溜息をついた。
シャモンはバリバリと頭を掻くとイシュメイルとユーロを見渡した。
イシュメイルは苦笑し、ユーロはいつもと変わらずに佇む。
丁度、その時、のろのろと店のドアを開けて入ってきたダッツがリムローやシャモンらを見渡し、眉を潜める。
「なあ、ここに仕事があるって聞いて来たんだが本当にあんのか?」
タイミングが良すぎると言えば、良すぎたのだろう。