第4章 『死者の王国 愛憎の楔』 2
騎士団が遠征を終えて帰ってきた後のユーロは忙しかった。
聖フレジア教会から離れた場所にある墓地で、遠征で死亡した騎士や冒険者の墓を昼夜を問わず掘ることとなった。
葬儀を終え、皆が遠征で倒れた者の死を悼んだ後、ようやく墓堀である彼等に落ち着いた時間が与えられるようになる。
土と腐肉のすえた匂いを全身から発しながらユーロは墓穴を一人で掘る。
運悪く仕事中に死亡し、幸運にも死体が搬送されたハンターの墓だ。
墓に入れるのは僥倖なことである。
棺桶も、墓石も無料ではない。
体裁を整えるのであればそれなりの金銭が必要になってくる。
そのハンターは幸運にも死を悼む者がおり、また、その者がそれだけの金銭を出してくれたからこそ墓標に名を刻むことができたのだ。
ユーロが墓穴を掘る横で一人の少女がじっと、その様子を見つめていた。
ユーロは少女の顔を僅かに眺めると、少女はそんなユーロに目もくれず掘り出される土をじっと見ていた。
よくない瞳だと思った。
それは死を前に、悲哀に心を逃がす目ではなく、死を真正面から受け止める瞳だ。
ユーロの友人であるスタイアの瞳と良く似ている。
「かまわずに、どうぞ」
少女はそう告げるとユーロを促した。
ユーロは黙々と穴を掘り、正午の鐘が鳴る頃にようやく墓穴を掘り終えた。
少女はその間、ずっと墓穴を見つめたままだった。
ユーロは死体の納められた棺桶を引きずり、墓穴へとゆっくり降ろす。
小さく胸の前で十字を切って黙祷を捧げると、仕掛け人形のように黙々と穴を埋め始める。
ユーロが土をかける間も、ずっと少女は黙っていた。
泣くことは、無い。
泣くのは心が痛いからだ。
その痛みを受け止め、何をしなければならないのか。
ユーロはようやく、少女の姿が冒険者のそれであることを知る。
生粋の冒険者であれば仲間の死を見ない者は居ない。
仲間の死を前にして、泣いていられるのはそれが、安全で、泣くことを許される状況であるからだ。
生き延びなければならない冒険者は、まず、仲間の死を前に自分が生き延びるためにどこまでも冷静に、そして、冷酷に考える。
ユーロが少女に見た瞳はそんな瞳だった。
「死者に引きずられると、死ぬ」
少女はようやく、そう、ようやく現実の熱を思い出す。
ユーロは自分の欠点を思い出し、顔を歪めるが少女は墓堀の横顔を追うように見つめその言葉の意味を探っていた。
「あの……」
「弔いが済めば、忘れる方がいい」
言うべき言葉は他にあるのだろうが普段、人と喋ることの無いユーロは上手に言葉を操れない。
スタイアのように何も言わずとも、言いたいことを理解してくれる人間を相手にしていればこのような苦労は無いのだろうが、いささかその少女はユーロとは面識も、また理解も浅かった。
少女は迷いを断ち切るように頭を振ると墓堀に言葉を返した。
「忘れては生きていけないでしょうね」
少女が何かを決心したのを知り、ユーロは自分が余計なことをしたと、深く悔やむ。
あくまで自分は人の死を送る者であり、人に関与してはならない。
そのことを思い出したときには既に遅く、少女はじっと自分を観察していた。
「……冒険者、あがりですか?」
「そういう時も、ある」
人手がある場合、荷役冒険者としてパーティという単位の冒険者の旅団についていくことはあった。
偶然、ではなく、リバティベルに通うからこそ必然的に熟練のパーティについていくことが多かった。
ユーロはその点、冒険者としては濃密な時間を過ごしてはいた。
少女の経験というのがどれほどのものかはわからなかったが、少なくとも、その年齢に比例した水準のものではないことは伺えた。
だからこそ、少女はユーロの所作から冒険者として優れた技量を見出し、頭を下げるのに不自然さを感じはしなかった。
「私のパーティは今度の仕事で全滅しました。優秀な冒険者が居る場所を、教えて下さい」
ユーロは黙ってやり過ごそうとした。
だが、いつまでも自分の後をついてくる少女のしつこさを見て、諦めざるを得なかった。
「ハンターだな」
「はい」
魔物を何日も追い続けるハンターの根気を、人の身であるユーロが避けるのは容易ではないのだ。
「ユーロだ」
「リムローと申します」
リムローと名乗った少女は、ユーロから見ても優秀な冒険者だった。
ほんの、そう、ほんの短いこのやり取りの間にユーロの癖を既に見抜いていた。
ならば、いいのかもしれない。
そんな安直な考えでユーロは少し遅れた昼餉を取りに、いつもの店に赴いたのだ。
◆◇◆◇◆◇
短い期間であるが、休暇が貰える。
そう思うとどこか気持ちが軽くなるのをダッツ・ストレイルは感じていた。
遠征から帰ってきてみれば市中での魔物騒動があり、それが終わればまた遠征とここのところずっと働き通しだった。
戦場に立てる人間が平和になるにつれて減っていくため、どうしょうもないということを理解してはいたが、それでも任され続ける人間は疲れるのである。
大概の場合、任せる人間は任せるだけ任せて人が摩耗し、擦り切れ、死んでからその人の死を悼むことで自らの精神を救済し、忘れ、また平然と同じことを繰り返すのだが彼等の指揮官は幸運にも同じ戦場に立つ騎士であった。
「しっかしま、普段から働いていねーのに休暇たあね」
「いやいや、真面目に働いたからその分休まないといけないってことでしょうに」
海洋亭の一室で療養するスタイアを見舞いにきたダッツはベッドの傍らの粗末な椅子を軋ませ、その体躯を載せながら林檎の皮を剥いていた。
「それに、休みって言ったって遊びに行ける訳じゃあないんですから僕だって辛いんですよ?」
「サボリが多いから罰が当たったんだ。自業自得だろうに」
ダッツは大きな手に似つかわしくない可愛い兎を刻むと更に並べていく。
手際よく皮を剥かれた林檎を口に放りながらスタイアは痛そうに笑う。
「まあ、そうなんでしょうね。ですが、ダツさんもせっかくの休日でしょうに。オーロードの実家に顔を出してきたらどうですか?」
「お前さんのそういうところが嫌いだよ。家を飛び出してきたんだ。今更どのツラ下げて帰れってんだ」
ダッツはそう言ってテーブルナイフを皿に置くと、窓から店の方を眺めた。
ユーロに連れられ見慣れない冒険者の少女が店の中に入っていくのを見送り、大きく溜息をつく。
「放蕩息子が正騎士長になって部隊を率いているなら立派な出世でしょうに」
「それでも、会いたくねえんだよ」
乱暴に吐き捨てるように答えるダッツの過去を問いただした事は無い。
「……まあ、僕は両親と言える人も居ないからそう思うだけなんでしょうねぇ」
どこか、寂しそうにスタイアが呟くがダッツは決まってこう答えた。
「居ないから幻想を持てる。親なんざ、子供のことを思っているように見えて、その実、子供のためにといいながら、子供を理由に自分を満足させてるろくでもねえモンだぞ」
ダッツは言いながら、それがいつまでも子供であると自覚していた。
だが、両親を否定しなければ今の自分まで否定しなければならないから、それだけはしたくなかった。
そこまではスタイアも知る由は無かったが、それでもダッツの言葉に頷けるだけの経験は積んできたから、何も返せなかった。
「で、休暇はどのようにして過ごすんですかね?」
「あんだよ。邪魔だって言いたいのか?」
「いやぁ……せっかくの休みに友達とはいえ、野郎のところに入り浸るなんて正直信じられないですから」
「友達甲斐のねえ奴だな。せっかく見舞いに来てやってンのに」
「……今、冗談で言ったツモリなんですが本当に行くところ無いんですかね?」
「ねえよ。じゃなきゃお前のところなんかに誰が来るかよ」
スタイアはげんなりしながらダッツを見る。
ダッツはスタイアが何故そのような反応を示すのかわからず困惑する。
「いや、普通、こう休みが取れたら転がり込めるような場所があったりしないんでしょうかね?」
「あるわけ無いだろう。仕事で遠征ばっかりしてンだぞ?どこにそんなもの作る余裕があんだよ」
「いや、余裕が無くてもそこは頑張りますよ普通。よしんば無かったとしても行きつけの酒場の娼婦を抱きに行くとか、そういったの無いんですか?僕も給料貰ってますけど、そういった遊びできるくらいには貰ってるでしょうに」
「そんなところに行ったことなんざねえし、商売女は抱いたことねえよ」
スタイアはまるで珍しい生き物を見るようにダッツを見る。
ダッツが真面目だというのは知っていたがそこまでとは知らなかった。
「信じられないです。ちんちん生えてるんですか?」
「失礼だぞ。風呂場でちゃんと生えてるのみただろうに。自慢じゃねえが立派だよ」
「立派でも使わないと意味が無いんですよ?おしっこするだけの道具じゃあるまいし」
言ってスタイアは他人のことだが哀しくなった。
「いや、俺だって未経験じゃあないんだぞ?そりゃあ、そのなんだ。色恋だって色々やってきたし、それで痛い思いもしてきたし、美味しい思いだってしたわけだが、それでもよお?金払ってまで遊ばせて貰うのも、なんか虚しくねえか?」
スタイアはひとしきり考えると、唸る。
「まあ、なんですか。飲みに行きましょう」
「お前その怪我で行くツモリかよ」
「男にはやらなければならない時があるんです。友の苦境は僕の苦境でもあります。苦楽を共にし、アレするのがやっぱり友だと思うんですよ」
「楽しか一緒にする気ねえくせに何言ってやがんだ?お前」
ダッツはスタイアを小馬鹿にして鼻を鳴らす。
丁度、その時、海洋亭の主人であるミラが部屋によろよろと杖をつきながら入ってきた。
「大の男が昼間っから何をバカなことをくっちゃべってんだい。耳が腐るから口を閉じておくれ」
「あんれま、ミラ婆さん」
ミラと呼ばれた老婆はしわくちゃの顔を不機嫌そうに歪めていた。
ミラは無くした片足の義足を古い床板におぼつかないままにつきたてながらスタイアのベッドに寄るとじっと睨み付ける。
「お前さん、また飲みに行くツモリだったろう」
「そんなことは……いえ、まあ、ほんのちょっと」
「バカたれめ。酒は百薬の長だとかぬかすんだろうけど怪我人は大人しく喰っちゃ寝してなくちゃダメなんだよ。死んで治るのはバカだけだ」
手ひどいミラの暴言にスタイアは頭を下げる。
手練れのダッツといえどこの老婆には逆らえなかった。
ミラはかつて、一流のハンターとして名を馳せており、足を負傷して現役を引退したものの、死線を潜った数ではダッツやスタイアに負けてはいない。
安住の場所で齢を重ねても、その鋭さは、変わらない。
「お前さんもお前さんだね。こんなバカを相手にしてないで暇なら仕事でもしてくりゃいいじゃないか」
「いや、休暇だからここに来たんだぜ?俺は」
「働くことしかしない男に暇なんて与えたってロクなことに使いやしないんだ。だったら働く方がいいに決まってる」
「そりゃないだろう?」
ダッツが情けない声を上げた。
「じゃあダッツ、尋ねるけど、こんなのを見舞うのが有意義なことだって言えるのかい?」
「ミラ婆さん、そりゃないでしょうに!」
今度はスタイアが情けない声を上げた。
だが、リバティベルを訪れる熟練の冒険者達の宿を預かる主はそんなスタイアに鼻を鳴らすとじっとダッツを見つめた。
「店に顔を出しな。お前さんが行くべき仕事があるよ」
「まっさか」
ダッツは苦笑する。
「匂いがする。間違いないね」
ミラはよろよろと窓辺に寄ると、店の中に立つ少女の背中を静かに見ていた。