第1章 『最も弱き者』 3
グロウリィドーンは中央にグロウリィハイムを置き、東西南北に主要道路であるグロウリィロードが延びる。
北に工業区、東に住宅街、南に繁華街、西に商業区と区分けされ、それらを高い城壁が囲う形となっている。
城壁内部はひしめき合うように立てられた石材の建物の間を石を敷き詰めて造られた道が縦横に走り、主要道であるグロウリィロードに通じる。
ヨッドヴァフ首都が遷都する際に、区画整備され計画的に作られたことから大きくこの
形を取ることとなり、それは今でも変わらない。
「だけど、その後に首都に住むことになった人は城壁の外に住むしかなかったんだよねえ」
城壁の外にはいわゆる貧民街が広がっており、人の靴の底が作った道と木材で組まれたあばら屋が乱立していた。
スタイアとシルヴィアは貧民街に軒先を並べるマーケットを歩いていた。
「……聞いていた巡回経路と違うようですが」
首都に集まる人間でごった返す人混みは城壁内の繁華街の比ではない。
油断すれば帯皮に吊り下げた武器すら奪われそうな人の波だ。
「城壁の中なんか歩いてたって退屈でしょう?……騎士が本当に歩かなきゃならないのはいつだって外さ」
スタイアは人混みの中を楽しそうに歩いている。
「お高くとまった庭園の花より、気高く咲く野原の花の方が綺麗な場合も多々あるわけでして……可愛い子、結構いるんだなあこれが」
シルヴィアはスタイアの半歩後ろを歩きながら曲がった背中を見ていた。
「相変わらずですね」
「君もね。聖堂騎士の中ではタグザちゃんと二人、頑張ってるそうじゃないか。ユロさんから話は聞くよ」
「墓守のユーロからですか」
「信用に足る男ですよ。人は見かけによらないんだ」
「私は隊長に教えていただいたとおりのことを忠実に実践しているからです」
スタイアは渋い顔をする。
「シルちゃんは相変わらず堅苦しいねえ。もう一人のちっぱいみたく多少、性格を柔らかくした方がいい。それじゃあ、おっぱいと一緒で潰れちゃうよ」
「これでも大分、柔らかくなったツモリなんですが」
「おっぱい?性格?」
「両方」
スタイアはクツクツと笑うが、シルヴィアは笑わなかった。
シルヴィアは揺れる肩を見ながら目を細める。
「スタイア隊長はどうして、正騎士の地位を捨てたんですか?」
シルヴィアの生真面目な瞳がスタイアの背中に刺さった。
「本来、アーリッシュ騎士団長の場所に居るのはスタイア隊長であってもおかしくはないはずです。アーリッシュ騎士団長もそれを望んでいるはずです」
スタイアは苦笑を浮かべる。
「冗談でしょう?僕みたいなのが上に立てば規律もクソもあったもんじゃない。正騎士になって女の子とのいさかいを起こせば場合によっちゃその場で打ち首ですよ。おっかなくてなれたモンじゃない」
「スタイア隊長はそのような無駄なことはしない人です。私も無駄な質問をして時間を無駄にはしたくはないツモリで聞いています」
切り込むように尋ねるシルヴィアにスタイアは黙る。
僅かな沈黙の後、スタイアはもう一度苦笑を浮かべた。
「人の生き方を知ろうとすることはいいことだ。だが、君は誰かに誇らしげに語れる生き方をしていると胸を張れるかい?」
シルヴィアは難しい顔をして俯く。
「……申し訳、ありません。だけど、私には納得がいきません。私はスタイア隊長の指揮下でバルツホルドを戦い抜きました。そのバルツホルドの戦いの真の功労者が何故……」
「そんなことより、仕事でもしましょうか」
スタイアはすっと目を細めて、路地の先を見つめていた。
ぼろを纏った子供が露店の軒先から金貨を入れる篭を引ったくっていた。
「またお前かっ!この泥棒猫めっ!」
店主が怒声を上げてぼろを掴み、地面に引きずり倒すと棒を手にして激しく叩いた。
跳ね上がったぼろの中から転がり出てきたのは小さな少女だった。
「ぎゃうう!」
悲鳴に通行人の興味が一時、そちらに注がれる。
少女は悲鳴をあげながらも、篭を奪い返される前にその中の金貨を自分の口に押し込み嚥下した。
「飲み込みやがったな!吐けっ!吐けっ!」
通行人が一様に興味を失う。
シルヴィアにもその場の雰囲気だけでそれが恒常的に貧民街で見られる風景であるということを察することができた。
「あいよー、ちょっとどいてねー」
スタイアは人混みをかき分けてするすると露店の前まで近づく。
「吐けと言っているだろうが!」
見せしめ、という意味もある。
店主は怒り狂った形相で少女の腹を蹴飛ばしていた。
「騎士団ですよ。状況は見ていました。あとはこっちで引き受けますが……おんやぁ?」
足下で許しを請うように平伏し、震える少女にスタイアは見覚えがあった。
「あ……」
先日、店に来た泥棒の少女だ。
「ダメだダメだ!許せばこいつらはつけあがる!もう二度と盗みを働けないように指の骨を今ここで折ってやる!」
「律法の手続きを経ない私人の懲罰は、またそれも律法の裁きを受ける行為になります。今すぐその少女の身柄を引き渡しなさい」
遅れてやってきたシルヴィアが高圧的に店主を威圧した。
「こっちは喰うか喰わねえかの商売やってんだ!壁の中の人間に関係あるかってんだ!」
憤った店主が棒を力一杯振り下ろす。
「どっかで見た顔だと思ったら――痛ぁっ!」
少女の顔を覗き込もうとしたスタイアの頭に棒が振り下ろされ、鈍い音が響く。
激しく叩かれたスタイアの頭が地面の上で跳ねる。
流石に、騎士に手を挙げたとなって店主が青ざめた。
「え、あ!だ、大丈夫か?」
「つぁぁぁ……頭が割れるように痛い」
店主がスタイアを抱え起こす。
「騎士に手を挙げるつもりはなかったんだ。ほ、本当だ!信じてくれ!申し訳ない」
「いあいあ、今のは僕が悪い。この子、どっかで見たことがあると思ってね。僕の知ってる子なんだ」
スタイアはじっとりと脂汗の浮かんだ顔で苦笑した。
「騎士のお知り合い?なんでまた泥棒なんか」
「一度会っただけでね。まぁ、旦那さんくらいの年になればわかるでしょ?」
少女は怯えたままスタイアと店主を交互に見る。
一瞬、スタイアが目を細めて少女を見つめるが、すぐに店主に向き直る。
「まぁ、旦那さん。商売ってのは一つ盗られりゃ、十売らないと元が取れない。その年じゃあ、同じくらいのお子さんも居るでしょう?何度も盗られりゃ怒る気持ちは判りますが、どうか騎士団の顔も立ててやっちゃくれませんかね?」
店主は少女とスタイアを交互に見比べて渋い顔をする。
その一瞬を好機と取ったのか少女が地面から跳ね上がるように飛んで人混みを割って逃げて行く。
「あ、こらっ!」
店主が追いかけようとしスタイアがそれを手で制す。
懐から金貨を手に取り店主に握らせる。
店主は手の中に握った金貨とスタイアの顔を交互に見比べて困った顔をした。
スタイアは起き上がるとズボンについた埃を払うと僅かに首を振って苦笑だけを残す。
店主はただ黙って、小さく会釈して店の奥に引っ込んだ。
シルヴィアはそれだけで自分の不手際に悔しさを覚えた。
そそくさとその場を離れるスタイアの後ろに小走りで追いつき、頭を下げる。
「……申し訳ありません。私が余計な事を言ったばかりに」
――店主がどういった生活を営んでいるのか、少女が一体どんな生活をしているのか。
片方に偏った物の見方で発した言葉が、店主を怒らせた。
スタイアは曲がった背中越しに苦笑してみせた。
「まんずまず、騎士ってのは痛い商売だから嫌いなんですよ」
「ヘルムの着装義務を守らないからです」