第3章 『セトメント・セトメント』 6
鬱蒼と茂るコルカタス大樹林の中を抜け、スタイアとフィルローラを乗せたネコは集落に飛び込んだ。
追いすがる魔物がそこで翻り、森の中へと戻って行く。
息をつく暇もなく、集落の中から無数の矢が飛来してきた。
スタイアはネコの上で剣を振るい、矢を叩き落とす。
「ファンダ・ガルガッド・レグ・マイザっ!」
スタイアが耳慣れない言葉を大きな声で叫んでいた。
魔術師が使う呪文に近いがそれとは明らかに響きが違う。
「ファンダ・ガルガッド・レグ・マイザッ!スグィーニ・パーヴァ・オサラナマッフ!フィダーイー!」
次第に飛来してくる矢が少なくなる。
そして、矢が完全に途絶えた時、集落の奥から異形の人間が現れた。
四本の腕を持ち、五つの瞳でスタイアを見るその人物は静かに口を開いた。
「……ウッズ・フィダー。何をしに来た」
「グイン・ダフを返し、そして、お願いをしに来た」
スタイアは満身創痍で息を切らせながらそう答えた。
「グイン・ダフは死ぬ。ギィングフ・レヴレダは戦をはじめる」
「人の軍の数は多い。森を焼かれてはたまりません」
「人間には関係の無いことだ。我々もまた、グイン・ダフと死ぬ」
淡々と答える異形の後ろに、魔物が続々と集まってくる。
それはフィルローラが見たことのないような魔物達だった。
それとして魔物とわかる肌の色だが、どれも人に近い形をしていた。
むしろ、伝承に残る精霊のような姿をしている。
スタイアはそれらに嘆願した。
「我はギィングフ・レヴレダの死を望まない!グイン・ダフの死を望まない!」
異形の人物は五つの目を細め、スタイアを見つめる。
「……イーの末裔には関係の無い話だ」
「人は人の手で、フィダーイーはフィダーイーにて。我は古き盟約を知る者也」
「……シギィング・グリデラ」
「ディンゴ・ディンゴ・ディル・ディンゴン」
スタイアが歌うように言葉を紡ぐと、異形達は手にしていた武器を収めた。
殺伐とした雰囲気が消え、フィルローラはようやく口を開く。
「……あの、スタイアさん。一体、何を」
「これからが、正念場です」
五つの瞳を持つ異形はスタイアに歩み寄るとフィルローラをまじまじと見た。
「ウッズ・ファー・ニルヴァー」
「ヨッド・スタイア。スタイア・イグイット」
「スタイア……スタイア……グイン・ダフのかわりにお前は何を差し出す」
「これを」
スタイアはネコの上からフィルローラを異形へと放った。
「き、きゃぁあああっ!」
「黙れ」
異形がその四つ腕でフィルローラをねじ上げ、そう脅した。
「ス、スタイアさん!こ、これはどういうことですかっ!」
「人質です。さすがにアルテッツァ様だと何かあったとき取り返しがつかない。だけど、教会大司祭の親族であるフィルさんなら、もし、万が一がありましても国体を考えれば無茶はしないでしょうし」
「ま、万が一ってなんですかっ!」
「いやあ、全部に下手こいてこちらさんの大事なお方に万が一があればその死んで貰うのに丁度いいかなって」
「あなたはそれでも騎士ですかっ!身をもって婦女子の盾となるべくが騎士のかくある姿でしょうにっ!」
「国を憂う気持ちとして見れば大好きな人を人質に出す僕なんか騎士の鑑なんだけどなあ。それに……」
スタイアは異形の群れが静かに円を作り開いていく様子を見て、背中を丸めた。
「……グイン・ダフ個人のことはこれでいいとして、問題は彼等に一時期、この集落から出ていって貰わねばならないことを承知させることです」
スタイアはネコを降りると、円の方へ向けて歩き出す。
「ヤックル・ガー・ゼネメネス・ファン・ドゥルネ!スィン・ブルグ・ガ・ニーズ・ラグ・フェルメノアン!セトメント・セトメント!」
スタイアはそう声高らかに叫ぶと剣を抜きはなった。
「……スタイアさんっ!?」
「強き者が強き者を従わせるのが彼等の道理。彼等がここを退くには力をみせねばなりません。僕一人で彼等全員をお相手します。くれぐれも巻き込まれて怪我など無いように」
五つ目の異形はじっとスタイアを見て、小さく笑った。
「……スタイア・イグイット。ナー・ナー・ハ・ブレンツ・リョウン」
スタイアの周囲を取り囲むように異形達が集まる。
昼下がりのコルカタス大樹林の熱気を運ぶ、風が僅かに吹いた。
◆◇◆◇◆◇
第六騎士団に所属するマギシン・ウァッパ騎士団長もいわゆる冒険者あがりの騎士だった。
「楽な仕事、ではあるな」
犬車に引かせた檻に傷ついた魔物を押し込み、それらを部下に引かせる。
最後尾に位置する場所で自分は全隊の状況を把握しながら、最も重要なものを警護していた。
麻袋を被せた魔物だ。
マギシン・ウァッパは魔物狩りを専門に行う冒険者だった。
ヨッドヴァフ三世が定めた収集品制度という、魔物の特定の部位を持ち帰り討伐の証としてそれに報奨を払う制度で食いつないできた。
収集された魔物の特定の部位は加工されて装飾品になったり、あるいは特注品の武器、防具の素材となる。
だが、その大半がアカデミアで研究に費やされ、その体液から魔術媒介、法術媒介を錬成するためであることを知るときには、正騎士の位を賜っていた。
騎士団としては魔物討伐の現状を知っているハンターが欲しかったし、また、魔物を相手にできる部隊の錬成をしたかった。
マギシンは大きな流れの中から現れたその意図を知り、自らが生きていく上でよく励んだ。
「第七騎士団には悪いことをしましたかね」
「警護も立派な仕事だろうに。うちの部隊じゃできそうにないだろうがね」
マギシンは冒険者上がりの騎士が持つ特有の明るさで部下達の苦笑を誘った。
「ですが……いいのですかね?」
部下の一人が恐る恐る尋ねる。
その視線は麻袋を被せられ、歩く魔物を見ていた。
「よくはないだろう」
マギシンは素っ気なく答えた。
「冒険者、その中でも魔物狩りを生業としてる者にとっちゃ、その土地の迷信ってのは決して疎かにしてはならない。たとえ迷信めいたものであってもその奥に潜む意図を正しく読み取れなければ代償は自分の命だ。グィン・ダフっつったか?それに手を出せば青き民の怒りが俺たちの体を真っ二つに割るだろうさ」
「ならば、なぜ?」
「仕事だからだよ。冒険者であれば危険なら退くこともできる。だけど、今じゃしがない騎士様だ。お上の命令なら従わなければならないのが騎士の仕事だろうさ」
「従って命を取られちゃたまりませんって」
「だけどな?国ってのは人の集団だ。数は力だ。一騎当千の勇者だって千百人相手にすりゃくたばるんだ。国ってのはそういう意味で便利なモンだ」
マギシンは苦笑してみせると部下の顔から不安が和らいだのを認めた。
そうして犬を歩ませると、どうやら隊の前方が進行を止めたのを確認する。
「どうした?」
「進路上に倒木が重なっており、犬車が進めません」
マギシンは近くの騎士にそれだけ聞くと即座に犬を走らせた。
正しく現場を判断しようとする資質は多くの騎士達の共感を買っている。
だが、その真意は本当に危険なことは自分が知っておかなければならないという冒険者の時からの習性であった。
隊列の最前線までくると、折り重なって倒れている倒木を見つける。
数人の騎士が必死に撤去作業をしているが山のように折り重なっている倒木は簡単に撤去はできそうにない。
「どうしますか?迂回しますか」
マギシンはそれだけで危険を察知した。
「周辺の警戒を密にしろ、襲撃がくるっ!」
練度の高い騎士達はそれだけで指揮官が何を言わんとしているかを理解した。
「進行を止めたのは魔物の罠の可能性ありっ!直ちに戦闘態勢を取れっ!」
伝令は指揮官の意図を正しく部隊に伝えていく。
騎士達が抜刀し、密集隊形をつくると、倒木の上にそれは姿を現した。
か弱そうな女性であった。
赤い瞳、銀色の髪、ヨッドヴァフの市民が着るアルメジア織のスカートを履いている。
ラナである。
マギシンはラナの容貌を一目見て、怪訝に眉を潜めた。
「ヨッドヴァフの人間……じゃあないな」
「異国の冒険者ですかね?」
騎士達が怪訝に思う中、ラナは倒木の裏から巨大な斧を振り上げた。
禍々しい斧は生き物のように走る青白い血管を脈動させ、刃を震わせる。
みちみちと音を立てて斧は血管を枝のように伸ばしやがて一本の箒のような形状を取った。
「来るぞッ!」
第六騎士団に緊張が走り、盾を構えるがラナはその箒を無造作に振り抜いた。
風より早く、音より早いそれは前衛に立つマギシン他、有能な騎士達をただの一振りで肉片に変える。
飛散した肉片と血糊が周囲の木々に飛び散り叩きつけられる。
「う、うわああっ!」
運良く、最後尾に位置していた騎士の腕が、構えた盾ごと消失し、痛みを思い出した彼の悲鳴が混乱をもたらした。
軽やかに倒木の山を飛び降りたラナが箒を叩きつけると地面が爆ぜる。
爆ぜた地面に押しつけられた騎士達が肉塊にかわり、土に埋もれる。
反動で軽やかに宙に舞うラナに、錯乱した騎士達の矢が放たれる。
爆ぜた地面から舞い上がる突風が矢を絡め取り、ラナには届かない。
だが、もとより狙いをはずれた矢の一本がラナの頬を掠め、赤い血を僅かに頬に滴らせた。
ラナは静かに視線だけ頬に向けるが、見ることが叶わず、再び彼等を見つめた。
散り散りに森の中へ姿を隠す騎士達の背中を見送り、悠然と犬車の傍らに降り立つ。
犬車に引かれた檻の扉が爆ぜ、中から魔物達が溢れ出した。
騎士達を追うように魔物達が森へと消えてゆき、やがて、凄惨な悲鳴が飛び交った。
「いささか私事にございますが、ご容赦なりません」
ラナの箒が青白く輝き、激しく震える。
横一閃に振るわれた箒が、森をなぎ払った。