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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第2章 『鉄の理、英雄の果て』 6

 宵が更け、日も変わる頃になるとリバティベルも閑散とする。

 だが、リバティベルの灯りは落ちることはない。

 ラナはゆっくりと流れる夜の時間を眠らずに店内の清掃に勤しむ。

 珍しくスタイアが椅子にもたれかかり、テーブルに足を投げ出してうつらうつらしていた。

 こういう夜は、決まって客が来る。


 「……あなたは酷い人です」

 「ラナさんにはいつも、迷惑をかける」


 ラナは静かにスタイアの隣に腰掛けるとスタイアにもたれかかった。


 「あなたの女癖が悪いのは、いつものことです」


 はぐらかそうとしたものを捕らえられ苦笑する。


 「あなたは望んで人を殺めようとしてらっしゃる」

 「……それが、必要であらば」


 スタイアは小さいが、確かな重みを載せて答えた。

 リバティベルのドアが軋む。

 小さな鈴が来訪者を涼やかに伝える。

 暗く淀んだリバティベルに彼女は入ってきた。

 スタイアは気だるげに背筋を伸ばす。


 「……ここで人を殺してくれるという話を聞いてやってきました」


マリナは淀んだ店内に響く、凛とした声を上げた。


 「髪を、切ったんですね」

 「売りました」


 スタイアは気だるげな瞳でマリナを見上げる。

 静かな決意に満ちたマリナの双眸はスタイアの瞳を真正面から受けとめる。


 「驚かないのですね」

 「私はこれでも客商売を生業としておりますので」

 「僕の方が修行不足ですか」


 マリナは黙って金貨五枚をテーブルの上に並べていく。

 スタイアは尋ねる。 


 「……誰を、殺して欲しいのですか?」

 「オズワルド卿を殺して下さい」

「これだけのお金があれば自分を身請けできる。誇りを買い戻すこともできるよ?」

 「貶められても、許せないことがあります」


 マリナは静かに、そう吐き出した。

 スタイアは黙って金貨五枚を受け取った。

 スタイアが告げる。


 「ラナさん、鐘を鳴らしておくれ」

 「あい」


   ◆◇◆◇◆◇


 雨が降り出した。

 乾期に入ったヨッドヴァフでは珍しい。

 だが、乾期の雨がもたらす恵みを考えれば喜ぶべきものではある。

 オズワルドは夜半の街を巡りながら昔を思い出していた。

 雨の降らない乾期は田畑の作物を殺す。

 田畑が殺されればそこに生きる人も死ぬ。

 だが、それでも国は痩せ果てた田畑から税をもってゆく。

 喰えぬ田畑にいつまでもしがみついても死を順番に待つだけだった。

 生きるために人は持てるものを手放す、それが、例え愛すべき家族であっても。

 それは珍しいことではなく、オズワルドもまたその一人だった。

 オズワルドは父や母が耕す土地から離れ、鉄で血を流す傭兵となり生きることとなる。

 大きな戦があれば真っ先に戦場を駆けるのは傭兵だった。

 生き方を変えても底辺に居る自分たちが国の為に血を流す。

 いつしか、国を恨むようになっていた。

 自らが変わるしかなかった。

 変えられる自分に変わるしか、なかった。

 ヨッドヴァフ三世の敷いた冒険者制度は騎士としての道を示した。

 剣を振るう稼業には変わりはない。

 ただ、傭兵より面倒な人間関係がそこにあっただけだ。


 「それがいかほどのものか」

 「……騎士団長?」

 「こんな夜だ。感傷的にもなるさ」


 オズワルドは従う騎士に苦笑しながら告げたが、騎士は訝しむだけだった。


 「騎士団長、風邪を引かれます。近衛騎士への士官の前です。ご自愛ください」

 「うむ」


傭兵、即ち冒険者あがりというハンデこそあったが騎士としての道を順調に昇りつつあった。

 戦場の厳しさを知らない貴族あがりの騎士達を出し抜くのは簡単だった。

戦場には正義も何も無い。死ぬか生きるかの現実しか、無い。


 「鉄の前では何者も等しく、か」


 遠くで鐘が鳴った。

 時折、響く小さな鐘だ。

 雨が道を叩く音にかき消されそうな小さな音色。

 だが、それは強く響いていた。

 部下の顔色が変わったのにオズワルドは気がついた。


 「どうした」

 「いえ……」


部下は一瞬言いよどんでから答えた。


 「鐘の鳴る夜は外に出てはいけない。こう、私の家内が子供に言い含めるのですよ」

 「それは面白いな」

 「褐色の幽霊が外を出歩き、誰かをニンブルドアンの門に誘うと」


 ニンブルドアンの門は死後の世界へ通じる門のことだ。

 神話の類を信じ切る程、信心深くは無いがオズワルドは気になった。

 褐色の幽霊。

 褐色という現実味を帯びた色が妙に、気になった。


 「なんでもビリハム邸の襲撃があった夜も鐘が鳴っていたとか」

 「ならば、なおのこと帰る訳にはいかんな」


 オズワルドはそう苦笑してみせた。

 そして、次には表情を引き締め部下に目配せする。


 「……本日はウェストグローリーロード一帯に臨時警戒態勢を敷いております」


 それが、今日の予定だ。

 ――そこに魔物が放たれる。


 「お前は、どう思う?」


 オズワルドに問われ騎士は答えた。


 「悪でしょう」


 長年従ってきた騎士はオズワルドの意図を汲んだうえで断定した。


 「意図的に魔物を放ち、国家を不安に陥れ、それを自らの手でもって駆逐する。そこに大義は意味を成しません」


 騎士はそれでも続けた。


 「ですが、勝った者のみが正義です。鉄の前には何者も、等しく」


 騎士の瞳は汚濁も、欺瞞も全て飲み込んだ上で強い決意と希望を輝かせオズワルドを見つめていた。


 「アカデミアに対する事後工作の手続きも終わっております。あとは、鉄を振るうのみです」


 次第に激しくなる雨の中、オズワルドは空を見上げた。


 「戦士の理屈だな。放て、どこまでも我々は戦士であろう」


   ◆◇◆◇◆◇


 アーリッシュは第七騎士団の詰め所で夜間巡回隊の指揮を執っていた。

 ダッツがそれを揶揄して笑う。


 「騎士団長自らが出るのかい?俺たちに楽させてくれよ」

 「楽をさせてやるとも。何かあっても僕の後ろで黙ってみていてくれればいい。ただし、道中の監視は厳しくなるがね?」


 軽口を叩き返すアーリッシュに頼もしさを感じ、部下達の間に苦笑が広がる。

 手早く鎧を纏うのは戦場に居た頃から変わらない。

 長く使い込んだツヴァイハンダーを背負うとアーリッシュは装飾を施されたヘルムをかぶる。

 そして、全ての準備を整えると槍を手にしたダッツの肩を叩く。


 「ダッツ、感じるか?」

 「珍しく弱気じゃねえか。平和なヨッドヴァフだぜ?」

 「嫌な予感がする。第三騎士団のオズワルド卿が緊急警戒態勢を敷いた」

 「戦場になる。だから、我らが騎士団長は女達を帰したんだろう?」


 ダッツは磨き上げられたハルバードの穂先をランタンの光にかざし、笑った。


 「……男にゃ子供は産めない。斬った張ったするのは男だけで十分だ」


 遠く、遠雷のように鐘が鳴っていた。

 ダッツが目を細める。


 「鐘が鳴ったな」

 「……ん?」

 「スタイアは来ているのか?」

 「いや、いつまでも来ないから迎えをやったが酔いつぶれて寝ていると給仕の子が言っていたらしい。どのみち、そのような状況じゃ満足に戦えはしないだろう……どうした?」

 「いや……」


 ダッツは顎をさすると小さく肩を落とした。


 「存外、今日は仕事にならんかもしれん」


   ◆◇◆◇◆◇



 空を覆う雲はやがて激しくヨッドヴァフに雨を降らせた。

 煙る飛沫が霧を作り、石畳の間から泥が染み出す。

 第三騎士団の騎士達はウェストグロウリィロードから走る小路に入り、市街の巡回をしていた。

 このような雨の日に出歩く人など、いないにも関わらず。


 「……団長もこんな日に一斉巡回をしなくてもいいのに」

 「この雨だ。魔物も出ねえよ。さっさと終わらせて一杯やろうぜ」


 騎士達は雫の滴る兜をそのままに空を恨めしげに睨んだ。


 「団長がやるといった日にゃ、かならずツくから早く帰れねえかもしれんぞ?」

 「なら、いいじゃねえか。恩賞もらってそれで一杯ひっかけよう」


 小路に設けられた広場に出た時、西の空を見上げる。


 「……おい、あれ」

 「あん?」


 ウェストグローリィの空が赤く輝いていた。

 激しく降る雨の中、立ち上る黒煙。

 人では無いものの咆哮が響いた。


   ◆◇◆◇◆◇


 ウェストグロウリィロードの中心、サンセットゲート広場にその魔物は翼を広げていた。

 狼の双頭は炎の息吹を零し、岩を連ねた尾を振り回す。

 三対六足の足を持つライオンの胴体は並んだ二階建ての家屋をゆうゆうと重さで挽き潰す。

 露天商の屋台を燃やし、広場に面した家屋を前足で叩きつぶす。


 「ティコア・ラ・モルガンディア……グレイデンヘルで眠っていたはずなのに」


 サンセットゲートの中央にあるマルチネア大教会の屋根の上、ラナの赤い瞳がその魔物を寂しげに見つめていた。


 「僕たち騎士の根っこは簡単なんですよ」


 スタイアは鐘楼の上で呟いた。


 「民の為に強くあれ。だが、それは決して民に理解されることは無い。だからこそ、わかりやすさが必要なんです」


 褐色の外套をまとい、フードを深く被る。銀翼の兜のバイザーの先端が僅かにフードから覗き、炎を照り返す。


 「だから、ああして魔物を使い、危機を作り、剣を取る」


 眼下では二つ首の狼が炎を吐き、コウモリの翼を広げ、岩の尾を振り暴れていた。

 オズワルドの第三騎士団が集結しこれと対峙していた。


 「……フィダーイーは決して、これを容認しない」


 スタイアの背後、イシュメイルが囁いた。


 「スタイアが騎士の心得を語るたあ、世も末さね」


 シャモンがスタイアの足下でしゃがみ込みながら手を合わせていた。

 ユーロが鉄の鎖と棺桶を背にその長躯をたなびかせていた。

 眼下では集結した第七騎士団がモルガンディアの魔物に対峙していた。

 盾を揃え、槍を並べ、筒を開く。


 「さて、まんずまず、斬りに行きましょうか」


 スタイアは闇夜の中で不気味なまでに輝く白刃を携えて、苦笑した。


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