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第5章 『露流れ、大河となりて江湖に還る』11

 幾重にも重ねられた光が悪魔を打ち据える。

 周囲に印を重ねるだけ重ねたコーレイセンの拳が伸びればそれは光となり悪魔を打ち据える。

 一つの拳に二つの拳を重ね、伸びた光が槍となって悪魔を貫く。

 光は明滅した粒子を散らしながらゆるやかに地面に落ち、悪魔は粒子を割って身を捩る。

 現実に引き戻されたシャモンは自らの前に立つ長く仕えた師の背を見る。

 紅の道服に身を包み、満ちた内気を光として零す仙人は静かに調息すると腕を開く。


 「いつまで泥んこ遊びしてるんだい」


 大地に打ち付けた掌が澄んだ音を立てる。

 遅れて震えた大地に亀裂が走り、シャモンを捕らえる岩を砕く。

 自由になったシャモンは転がるように地面に倒れ、痛みに大きく息を吐く。

 ミステブブルグは静かに揺らめきコーレイセンに虚のような瞳を向けた。


 「……強いアニマウスの輝きを感じル」

 「アストラの向こうに帰ってくれないかね?ここは私たちの世界だ」

 「叶わぬ……魔術師との契約は成された。ヴィナの魂の欠燐を魔術師が手に入れるまで、我はその命に従う」

 「そうして本分の赴くままに殺戮を繰り返されれば、大きな悲しみを産む」

 「それが、魔術師との契約」


 淀みなく応える悪魔に魂が震える。

 どこまでも虚ろな瞳の奥に宿した恐ろしさはそれが悪魔の持つ在り方だとシャモンは理解した。

 コーレイセンは静かに内気を回し、障気を震えさせる。


 「……シャモン、メイリン。逃げなさい」


 どこまでも悲壮な声であった。

 師が冗談を言う声をシャモンは覚えていた。

 そして、その真逆であるどこまでも真剣な声も。


 「婆ちゃん」

 「内功を高め、五輪を通じ、六道を開き道を順と、そして逆に巡らせる。万物に陰陽があるようにまた内向にも陰陽がある。そして、その陰陽を抱く太極」


 静かに燃えるコーレイセンの気が静かに輝き、燐光が爆ぜていた。


 ――命を、燃やしていた。


 「シャモン、破邪顕正七生礼拳に始まる悉くの奥義をお前に伝える」


 コーレイセンの姿が歪み、気が爆ぜた。

 爆ぜた燐光が渦を巻き、周囲の障気を吹き飛ばし小さな老爺を押し出した。

 老爺が悪魔に肉薄し、旋風となって悪魔の周囲を巡る。


 「太極を抱き、より高い陰陽に太極を見よ。その階を宇と呼ぶ。宇に至りて階を捕らえよ。これを『昇宇』」


 コーレイセンの腕が悪魔を打った。

 絡まった気が爆ぜ悪魔の姿が歪み、みちみちと音を立てて骨を伸ばす。


 ――それは先ほど、幻影の中でシャモンが見た悪魔の姿であった。


 「階に自らの本質を捕らえ、その神霊を宿し宇よりの力を覚える。それが『我心顕正』」


 幾重にも残像を残し、悪魔の伸ばす骨を避けるコーレイセンの気が膨らむ。

 それは内気で蓄えた気ではない。

 周囲の気を集めたのものでもない。


 ――異界から引いた気であった。


 「――そして、我心顕正にて覚えた自らの神霊を五輪六道の太極を通じ発現させる。これが『霊獣神気』」


 ――コーレイセンの輪郭に一匹の獣が重なる。


 それはどこまでも穏やかな亀であった。

 静かな威容をたたえるその亀は静かな瞳を悪魔に向け小さく頭を上げる。


 「霊獣の神気を覚えたなら発勁によりその力を導く『神術発勁』」


 亀が静かに口を開き、炎を吐いた。

 それは燐光となった気を旋風とし爆ぜて現実の炎となる。

 一匹の骨の竜となったミステブブルグを飲み込み焼き払う。

 だが、その炎の中、ちりちりと熱を引きながら首をもたげた竜はコーレイセンの発した亀に食らいついた。

 そうして悪魔は大地から大量の蠅を産みコーレイセンを飲み込んだ。


 「――破ぁっ!」


 蠅の群れを裂帛の気で散り破るとコーレイセンはゆるやかに、静かな風となって悪魔に打ち込む。

 拳が爆ぜ、大気が震える。

 鐘の音のような慟哭が悪魔の口から迸りやがてその姿を変えてゆく。

 少年の姿から完全に死した竜の姿へと変貌した悪魔が咆哮を上げる。


 ――伸びた腐肉がコーレイセンの腕に払われ霧散する。


 「――強く、意思を持ちなさい。太極が道を示すだろう。より大きく、より強く。これより先は人の言葉は意味を成さない。三の道を経て大なる一へ」


 コーレイセンの内気が渦を巻き、膨れあがった燐光がその像を歪ませる。

 輪郭が歪み、激しく光を増す燐光の中、コーレイセンは覚悟を決める。


 ――シャモンはそれで悟ってしまった。


 「――アスとラに至り、自らを捨てルか」

 「あんたみたいなバラガキにはわからないだろうね。世の中にはね、命より大事なものがたんとあるんだ」


 コーレイセンの姿が歪み、景色へと溶けてゆく。

 霊獣であった亀の瞳が静かな優しさを帯び、静かに言葉を続けた。


 「シャモンよッ!しかと見よッ!これが奥義ッ!――破邪顕正七生礼拳ッ!」


 亀が地を奔った。


 ――横殴りに足を振るい悪魔の竜を打ち据え砂塵を巻き起こす。


 追って疾風となったコーレイセンが竜の顎を打ち、残像を残して周囲を巡る。

 千を超える打擲を同時に繰り出し霊獣とともに悪魔を砕く。

 あふれる気流が大河となり、渦を描いて江湖と成る。


 「霊撃江渦湖閃ッ!」


 ――青白い気の湖の中、悪魔の竜が溺れる。


 大海のように広がった気の湖の中、巨大な亀は竜ののど笛に食らいつき押し潰す。

 ぼろぼろと崩れていく骨の竜は甲高い咆哮を上げて亀の喉に爪を突き立てた。

 気の湖の上を駆け、コーレイセンは悪魔を打つ。

 虹色に輝く軌跡を描く拳が一直線に悪魔を打ち据え湖の中へと沈める。


 ――だが。


 悪魔の竜は三度、姿を変える。

 竜は歪み、巨人となりて翼を広げる。

 翼が牙を持ち亀を喰らい、濁流のように江湖を飲み干し大地を振るわした。

 喰らわれた亀が切なげに泣き叫び、慟哭が空を揺らす。

 そうして倒れた亀を巨人が腹の半ばまで避けた口で喰らい尽くし、悪魔は亀の顔を持つ。

 広がった江湖の水はやがて悪魔の霧となり、果てたコーレイセンの力なき体躯が立ちすくむ。

 悪魔ミステブブルグは強大な力を得て、残酷な笑みを浮かべて見下ろす。


 「――ヨい。強きアニまを喰らワセてもらった」


 薙がれた腕がコーレイセンの小さな体躯を横殴りに張り飛ばし、コーレイセンはシャモンの足下に転がった。

 力なく倒れ伏す、師に膝を折り、シャモンは身体から力が抜けていくのがわかった。


 「シャ……モン……」


 苦しそうに呻くコーレイセンの視線が宙をさまよう。

 理解してしまった。

 だからこそ。


 「婆ちゃんッ!婆ちゃンン――うぁぁぁあアアァ――!」


 ――折れた。


 誰よりも強く、そして、優しかった師が今その命の灯を消そうとしている。

 恐れ、敬い、愛を教えてくれた最愛の人がユルグロードの旅路へ誘われようとしている。

 だが、しかし、それでも、だ。

 最後の最後まで、コーレイセンはシャモンの師であった。


 「確かに……伝えたよ……後はあんたが継ぎなさい」


 どこまでも安らかな表情で、無き噎ぶシャモンを優しく見つめていた。


 「バカやったのは俺じゃねえかッ!なんでッ!なんで婆ちゃんが死んじまうんだよッ!筋が違うぅ!筋が、違うじゃねえかよッ!何で出てきたりしたんだッ!」

 「バカだねえ。子供の過ちの責任を取るのは……エホッ……親の責任だい。しゃしゃり出るんじゃないよ」


 どこまでも親の条理をもって師は微笑む。


 「あんたは……知っているんだ。生きていくのがどれだけ辛いことか……だのに、このドンゴロ糞はどうして、欲張りなのかねえ……」

 「あに言ってるんだッ!もう喋ンじゃねえよッ!」


 どこか、寂しそうに、だけども、嬉しそうに。


 「悲しいねえ……悲しいよ……自分だけでも幸せになればいいのに……みんなに笑っていて欲しいなんて欲張っちまう」


 大きく息を吐いたコーレイセンの身体から力が抜けていく。

 あれだけ大きかった師が今、シャモンの腕の中で小さく背を丸め静かに息を引き取ろうとしている。

 冷たくなっていく、どこまでも離れていく愛した人の温もりをかき集めシャモンはこみ上げる慟哭が零れるのを止められない。


 「……シャモン、生きておくれ」


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