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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第2章 『鉄の理、英雄の果て』 4

 「おかしいとは思っていたが、本当におかしいぞこれ」

 イシュメイルはアカデミアの地下で帳面をめくりながら呟いた。

 「研究用の素体として捕獲した魔物の引き渡しは受けているが、用途不明のまま逸失している魔物の数が、ちと、多いな」


 シャモンは隣で燭台を手にしながら帳面を厳しい目つきで見ていた。


 「大学の管理ってのはそう杜撰なものかね?」

 「ズサン?」

 「だらしのねえって意味だい」

 「……うんにゃ、ナンバリングしてある魔物を研究目的と部署を明らかにして申請してそれから搬送計画を立てて引き渡しする。その際に大師星まで決裁を取らなければならないから管理としては十分過ぎるほど厳重さ」

 「ふむ、なら、何がおかしい?」

 「……カミをあがめるな、現実を見ろ。大師星の格言だ。洒落てるだろう?神様や書物に書かれていることより、今目の前で現実に起きていることの方がよっぽど正しいって意味だ。僕は大師星付の助手として業務をしているけど、これだけの魔物が搬送された現実は見てないよ」

 「おいおい……」

 「噂は聞いていたし、スタさんやシャモさんが来て確信が持てた。だがしかし、こいつは少々、僕の手に余るな」


 イシュメイルはそう呟くと、懐から煙管を出してくわえる。


 「……ことは大学の信用問題だ。大学の信用失墜はそれは即、国の信用にも関わってくる。問題追及の手が回れば、大学長はおろか国王すら巻き込んで諸外国から説明責任を問われるだろうさ」

 「……魔物を研究していることについてか?」

 「魔物の研究自体は他の国でもやっているから、それが責められる咎にはならない。がしかし、その管理体制の甘さというのがアカデミアの他国への影響力に大きく響く」

 「そんなものなのか?」

 「学術というのは真実を探求する術だが、人間というのはわからないものに対しては暫定的な答えを求める。じゃあ、その暫定的な答えについてどの答えを採用するか、それが権威というものだ」

 「要するに、金か」

 「そうだ。真実ってのは金を生み出すし、金がかかる。アカデミアの運営や維持にも金がかかるし、アカデミアが解放した技術や論文が金を生む。錬金術とはよく言ったモンだよ。紙を練り回して金を生む。そいで自分は神気取り。学術という信仰も随分と薄っぺらいモンだよ」

 「そりゃあ、おめえさんの言葉じゃああるめえ」

 「よくわかるね。スタさんの言葉だよ」


 イシュメイルは鼻で笑うと帳面をめくる手を閉じた。


 「……さて、どうしたモンかね。真理がなくとも世界は回る。こいつをブチ上げてアカデミアをぶっ壊すかい?陰気な書庫暮らしとおさらばするのも悪くは無い」

 「真理が無くても世界が回るなら回すにこしたことは無い。そもそも人が生きていくのに真理なんて必要あるめえよ」

 「僕を否定される含蓄のある言葉だね」


 面倒くさそうに告げたシャモンにイシュメイルは苦笑して答える。


 「がしかし、これで死んだ人が居るのも忘れちゃなるめえよや」

 「僕の方は師匠にこの件を報告して管理体制を見直す。いや、僕が管理を行おう」

 「……できるのかい?」

 「師匠とて嫌とはいうまいさ。僕は天秤がどちらに傾いているのか、知ることのできる人間だ。そして、鐘が鳴るようであれば教えてくれ」


 イシュメイルはそう言って、机の上に別の図面を広げた。


 「何だい、そりゃあ?」

 「師匠が設計した魔導兵器さ。何でも対魔物用の決戦兵器らしい」


 書き殴られた数字を見るに、小さなものではないことはわかった。


 「……大星槍?星でも落とすのかね」

 「アカデミアの魔物研究は他の国に追従を許さないくらいに進んでいる。まあ、管理がそのズサンという奴でもわからないくらいにはね?」


 イシュメイルは広げた図面の数字に迷うことなく数字を加える。

 シャモンはその様子を怪訝に見つめ、尋ねた。


 「難しいことをしてるんだな」

 「難しい訳ではないよ。問題は衝撃時における環石の精錬率の問題だ。これは多くの情報を積み上げて最も効率のいい数字を知らなければならないんだが……逆に、知っていればどうということは無い」

 「簡単にわかるモンなのか?」

 「……簡単じゃあないさ。人間にはね。だから一生懸命勉強する」


 意味ありげにイシュメイルが笑い、シャモンはそれ以上の追求を止めた。

 シャモンは気だるげに身を起こすと大きく溜息をついた。


 「しっかしアカデミアって黴と辛気くささしかねえのな。若いのにこんなところに詰め込まれてたらしなびちまいそうだ」

 「だろう?僕の個人的な研究で異性の体とその動向、そして正しい交渉の仕方についてというテーマがあるんだが、その研究に少し協力しちゃくれないかね?」


 二人は下品な笑みを交わす。


 「……いくかい?」

 「いくとも!」


   ◆◇◆◇◆◇


 「なんでこんなことになってるんですかねえ」


 王城の訓練場で木槍を手にスタイアは面倒くさそうに呟く。

 訓練場では聖堂騎士と騎士団の若手が訓練用の槍を激しく打ち合わせていた。

 第三、第四、第七、第八騎士団から警備に振られていない面々が集められ、聖堂騎士団を交えた、合同訓練が行われている。


 「スタイアッ!訓練中に余所見とは随分と余裕だなッ!」


 タグザがスタイアに槍を勢いよく突き込むが、スタイアは槍の切っ先を柄の上で滑らせていなす。

 何度も突き込むが、跳ねる穂先がその穂先を逸らし、払えば止められる槍にタグザは苛立ちを隠せない。


 「くそっ、こんのぉっ!」

 「大体、合同訓練参加だなんて、今更戦争があるわけでもあるまいし」

 「恐れ多くも王が視閲されているのに、なんという不埒な。その性根叩き直してくれる」


 突きからすくい上げるように払い、石突きによる払いと棒術のような変化をつけてタグザの槍が飛ぶ。


 「わわっと、危ないですねぇ」


 スタイアは最後の払いを危うくこめかみに受けそうになり、よろめく。


 「隙ありぃっ!」


 よろめいたスタイアの腰をタグザが足蹴にしようとするが、スタイアはよろめいた足でその臑を横から蹴飛ばし、タグザの頭を槍の柄で叩いた。


 「貴様っ!愚弄しおってからにぃ!」

 「まぐれ当たりを怒られてもなあ」


 スタイアにからかわれ、力一杯槍を振り回すがスタイアは悉く受け流す。

 その隣でダッツと槍を合わせるシルヴィアが見ていた。


 「……羨ましいです」

 「ダツさんから習うべきこともたくさんありますよ。もっぱら剣なんか振り回してる僕よっかよっぽどいい練習相手……ととと」

 「貴様の相手はこの私だッ!」


 シルヴィアと槍を合わせているダッツがおもむろに槍を肩に担ぎ、いたずらめいた笑みを浮かべる。


 「シル、どうせだから二人がかりでやっちまえ」

 「え?」

 「スタさんも随分と余裕かましてくれてるから、二人でコテンにしてやりゃあいいじゃねえか」

 「いいんですか?」

 「いいとも。できるならな?」


 これを聞いたスタイアはあわてる。


 「ちょ、ダツさん、一体なんてことを。僕の専門は剣であって槍じゃないんですよ?ケガでもしたらどうすんですか」

 「いいじゃねえか。遠征で疲れてるんだよ。サボってた人に頑張ってもらわにゃ割りに合わない」

 「僕の方も割りに合わないですよ!」


 スタイアが悲鳴を上げるが、横からタグザは容赦なく槍を振るう。


 「いいだろう!ならば私たちに勝てば貴様の言うことを何でも聞いてやろう!その代わり負ければ一生私の犬にしてやる!」

 「何でも言うことを聞いてくれるんですかね?」

 「騎士に二言は無い!」

 「じゃあ、一発ヤらせてもらってもいいってことですね、ひゃっほう!」

 「なっ!」


 タグザが一瞬つんのめる。


 「でも、待てよ?ナイチチ族の子とやっちゃうと一族の掟で結婚しなくちゃならないとかあったような……んーそれは一生ものの問題だなぁ」

 「シルヴィア!こいつの息の根を止めるぞッ!」

 「そういうことなので、失礼ながら」


 タグザの槍をいなすスタイアに横からシルヴィアが突きかかる。

 聖堂騎士団には聖堂騎士団同士での連携を行うための槍術がある。

 同期であるタグザとシルヴィアは共に槍を学んだ仲であり、その連携についても深く習熟していた。

 一方が正面から打ち込めば、もう一人は即座に横から突き込む。

 それが避けられれば、正面がさらに追いすがり突き込み、もう一人は足を払う。

 タグザとシルヴィアが繰り出す槍を前に、スタイアは顔の笑みを深くした。


 「やれやれ、人が悪いなあもう」


 スタイアの腕の中、槍がめまぐるしく走る。

 切っ先で穂先を払ったと思えば、石突きで柄を弾く。

 眼にも止まらぬ早さで回ったと思えば、二本の槍を同時に絡める。

 スタイアを中心にシルヴィアとタグザが周り、激しく槍を突き込むがスタイアは一歩も下がることなくそれらを全て受け払っていた。


 「こん……のぉ!」


 タグザが力任せに槍を打ち付け、肩から押し込むが、スタイアは腕一本の力で押し返す。

 稲妻のように早くシルヴィアの槍がスタイアの胸に突き込まれるがスタイアは僅かに引いた石突きの先でそれを受け止めた。

 好機と捕らえたタグザが更に押し込むが、逆にスタイアに押し返されてよろめく。


 「ダッツさんが怒るのもわかるなぁ、うん。女の子はやっぱり戦場に出るべきじゃあないね」

 「バカにしたなッ!女でも戦場に出られることを思い知らせてやるっ!」


 上流貴族の出であるタグザは憤慨して、力一杯槍をスタイアに振るった。

 上段で受けたと思った槍が受け止められる寸前に縦に軌跡を変えてスタイアの手元で回った。

 身をよじって槍を避けたスタイアの腕の中で回った槍がシルヴィアの槍を払ったと思った次の瞬間、木槍が鋭く伸びた錯覚をタグザは覚える。

 ヘルムをつけた額を鋭く突き込み、伸びた切っ先が引き戻され、ヘルムの上で嫌な音を立てる。

 鋭く引かれた槍が、再度シルヴィアの槍を打ち払った時、タグザは自分が切られたことを知った。

 一瞬、惚けた次の瞬間、シルヴィアの腹に伸びた槍が鎖帷子の上を勢いよく滑り、幾重にも翻り、胸、首、額を鋭く撫でていった。


 「……負けました」


 肩で息をするシルヴィアが穂先を下げて、軽く一礼をした。

 その首を再度、撫でるように切ってスタイアは笑う。


 「戦場じゃ負けを認めた相手をぶった斬るのが仕事ですよ。目を閉じたりしちゃあ、だめだ」

 「失礼し……礼もクソも無いんでしたね」


 シルヴィアは穂先を上げ、構えを解かずに下がるとようやく槍を納めた。

 タグザは放心から戻り、憤りに顔を歪めると槍をつきつけた。


 「い、今のは急に二人でかかったから調子が合わなかっただけだ!も、もう一度」

 「……二回戦目ありですか?うっひょう」


 突きにかかるタグザを制し、鋭い一突きがスタイアの眼前に突きつけられた。

 ダッツの槍だった。


 「そんなら、俺とヤろうぜ?スタさんとは久々だから手加減はしねえぞ?」

 「ダツさんとヤってもなぁ……さっき疲れたからとか言ってたくせに」


 そう返すスタイアだが顔は笑っていた。

 どちらとも穂先を下げると、瞬時に弾けた。

 スタイアの槍が疾風となってダッツの首に伸び、ダッツの槍が一直線にスタイアの胸を捕らえる。

 どちらも身を捩り僅かに先を逸らすと、スタイアは弾かれたように後ろに下がる。

 そのスタイアを追って繰り出した槍はシルヴィア、タグザのそれより遙かに強烈で、槍の柄で滑らせたスタイアの頬を弾けた木くずが切った。

 スタイアは槍の柄を拳で弾き、足蹴にして折ろうとするが、それより早く踏み込んだダッツが頭突きをスタイアの額にくれていた。

 スタイアはよろめきながらもダッツの喉元に柄尻を抉りこませるが、ダッツは怯むことなく引き戻した槍の柄でスタイアを押し倒す。


 「だぁりゃああっ!」

 「はっ!」


 地面を転がるスタイアに裂帛の気合いと共に、雷光のような突き込みを見舞うが激しい音が鳴り響き木片があたりにはじけ飛んだ。

 地面に寝たまま振るったスタイアの槍が、ダッツの槍とぶつかり、互いに弾け飛んだのだ。


 「やったと思ったんだがなぁ」

 「まだまだ。僕も頑張れますよぅ?」


 まだ続ける気でいる二人にタグザとシルヴィアは驚きながらも何も言い出せずにいる。

 シルヴィアはスタイアにしろ、ダッツにしろそういった人間であることを知っていた。

 互いのいずれかが死ぬまで争うのが戦いで、その戦いを行うのが戦場というものなのだ。そういった戦場で生き抜いてきた人間は自分の獲物が無くなったとしても戦う術を持って相手が死ぬまで戦うのを止めない。

 本気の殺意を笑顔の中に隠しながら、楽しそうに打ち合う二人はシルヴィアから見て異常に見えた。

 スタイアの槍がめまぐるしく回り、ダッツに伸びる。

 ダッツは訓練用の鎧の厚い部分でその穂先を滑らせ、必殺の一撃をスタイアの額へ伸ばす。

 スタイアの首が巡り、ヘルムで滑らせるとあいた左手をダッツの喉に延ばした。

 ダッツは額を打ち付け拳を止めるとにやりと笑った。


 「えげつねえなあ?このチンカス野郎」

 「お互い様でしょうに?逆むけ馬野郎」


 弾かれるように二人の槍が走り出す。

 激しく打ち合わされる槍同士が木片が弾け、晴天の空に弾ける。

 一見でたらめに見えるが力一杯打ち付けられる木槍はそれぞれが必殺の一撃でもって振るわれている。


 「なんだ……型も何も無い子供のチャンバラではないか」

 「いえ……おそらくは木槍で殺すならあの形になるからだと」


 タグザの疑問にシルヴィアが分析を述べた。


 「シルヴィア嬢の見立てが正しいな。だが……二人とも遊びすぎだ」

 いつの間にか現れたアーリッシュが楽しそうに二人を見つめていた。

 「アーリッシュ隊長、その、自分は……」

 「スタさんに随分と弄ばれたそうじゃないか。いや、これからかな?」

 「っ!……その!あの!」


 アーリッシュに似つかわしく無い下品な言動にタグザが赤面する。


 「冗談だ。がしかし、スタさんの得手は剣でダツさんの得手は槍だからなぁ。こいつはスタさんに少々分が悪い」


 シルヴィアが難しい顔をする。


 「……木槍での形であれば五分に見えますが」

 「木槍は槍だ。剣として使えば、僕の方がスタさんより得手なんだがね?僕の得手はトゥーハンデットソード……槍と剣の中間だからね」


 そう言われてシルヴィアはもう一度、よくスタイアの動きを見直した。

 一見、槍を扱っているように見えるが、その実、動きの多くは剣のものに見える。

 片手で柄半ばを掴み、振り下ろす様などはまさしく剣のそれで、突き込む際に左手こそ添えてはいるものの、それも剣の突きと間合いだった。

 ダッツはスタイアの突きを跳ね上げた穂先でいなし、石突きで 打ち上げると、後退しながら穂先を背後の地面に突き立てる。

 スタイアが横殴りに払うがダッツは槍を使い大きく跳躍するとスタイアの背後を取った。


 「とぉ……りゃ!」


 振り下ろした石突きがスタイアの肩を激しく打つ。

 が、同時に振り戻したスタイアの木槍がダーツの腹に激しく突き立てられた。


 「今のは俺の勝ちだろう」

 「いあいあ、相打ちですよぅ?」


 明らかに肩を痛めたスタイアだが、不敵に笑うと木槍を構え直す。


 「僕もそろそろ本気を出しますかね」

 「よく言うぜ」


 スタイアの腰が深く沈み込み、槍を大きく後ろに引く。

 ダッツが合わせるように正面に槍を構えて腰を引く。

 シルヴィアはお互いが本当に必殺の一撃を放つ姿勢に入ったものだとわかる時には既に終わっていた。

 スタイアの姿が一瞬、掻き消え激しい衝突音がした。

 ダッツとスタイアの立ち位置が逆になっており、二人は槍を突き抜いた姿勢で立っていた。


 「……やれやれ」


 スタイアとダッツが苦笑して構えを解く。

 互いの槍が柄の半ばから折れていたのだ。


 「ずりーぞスタさん」

 「ずるいのは僕の専売特許ですからね。遠征の話があったときには真っ先にダツさんに振りましたから」


 何をしたのかシルヴィアやタグザには理解できなかった。


 「……シュンハツハーキィ。以前にその理論を聞いたことがあるが……スタさん、あの域まで高めていたのか」


 アーリッシュの顔は笑っていたが目は笑っていなかった。

 スタイアとダッツは折れた槍を纏めると互いに礼をして下がった。


 「痛たた。ダツさんなら本気で叩くんだもんなぁ。だから嫌なんですよ」


 スタイアは叩かれた肩をぐるぐると回し、痛みに苦笑する。

 アーリッシュがそのスタイアの肩を叩いてにこやかに微笑む。


 「さて、じゃあ次は僕とやろうか?」

 「うえええ?ちょっと休ませてくださいよぉ?」


 そう言いながらもスタイアは笑っていた。

 シルヴィアやタグザは真剣に訓練に取り組んでいたが、スタイアらの楽しそうな顔を見るとどこか自分たちが場違いな場所に居るような気になってきた。

 まるで、子供が遊ぶように槍や剣を交えている。


 「楽しそうだな」


 そう声をかけたのは彼女らではなく、第七騎士団のオズワルドだった。

 訓練用の木剣を下げて整えられた髭を撫でていた。


 「どうにもうちの若い者は萎縮してしまってな。バルツホルドの三騎士に相手願えればと思ったのだが」


 スタイアは目を細め、オズワルドを見つめた。

 オズワルドは人の良い笑みを浮かべて木剣を放った。


 「スタイア、君は槍より剣が得手と聞く。どうだ、少し見せてはくれまいか」

 「いやいや、僕なんかとてもとても。ここはうちの騎士団長が手を合わせるのが筋というもので……」


 スタイアは木剣を受け取りはしたものの、丸い背中をさらに丸めて頭を掻いた。

 アーリッシュは木槍を担ぐと目を細めて笑った。


 「オズワルド騎士団長の指名だ。許すよ。むしろ、僕の方こそ鉄鎖解放戦争の英雄とリョウンの剣が交わるのを見てみたい」


 オズワルドの目が細められた。


 「……リョウンの剣、剣聖アマガッツォの剣か?」

 「孫弟子というのもはばかられるくらい不精のもので、リョウン師の名前を出されるのも恥ずかしいくらいですよ。本当にアっちゃんは性格悪い」

 「バルツホルド単騎駆けの実力見せてもらおうか」


 オズワルドの顔から笑みが消えた。

 スタイアは笑みを崩すことなく、木剣を持ち直すとのろのろとバルツホルドの前に立った。


 「……シルヴィア、これは実は大変なことになったのではないか?」


 タグザは準騎士に騎士団長が指名して訓練を挑む事態にようやく気がついた。


 「スタイアが曲がりなりにも勝ってしまえば第三騎士団の名誉に大きな傷がつくし、かといって不様な負け方をすればともすれば聖堂騎士団にいらぬ誹謗が来るのではないか?女を抱えて腑抜けになったなどと……」

 「……アーリッシュ騎士団長はなればこそ、スタイア隊長を推したのですよ。彼なら負けても騎士団の名は傷がつかない。女性関係に元々だらしのないスタイア隊長であれば負けたとしても、聖堂騎士団が誹謗されることは少ないから。ですが……」

 「そうか!流石、アーリッシュ隊長だ!そこまで考えて……スタイア!お前などオズワルド騎士団長にボコボコにされてしまえ!」


 嬉々として歓声を送るタグザに対して、シルヴィアは気が気でなかった。

 先程のダッツを対峙した時と違い、完全に無気力となったスタイアの剣の切っ先が揺れている。

 スタイアが剣を振るうところを見たことのあるシルヴィアは決してスタイアが負ける気でそこに立っている訳では無いことがわかったからだ。

 合図もなく、無造作にオズワルドが木剣を振るった。

 その瞬間、空気が熱を帯びた。

 ヨッドヴァフ王立騎士団の正式な型にある正面打ち。戦場を走ってきたオズワルドが放てば基本の型であっても、すさまじい烈風を伴う剛剣となる。

 スタイアはゆらめく木の葉のようにその剣を避け、切っ先を上げた。

 正面打ちから、払い、突き込み、切り返しと撃ちつける滝のような連撃を前にスタイアは悠然とその剣を避け、払い続ける。

 木剣が刃が打ちつけられるたびに爆ぜた木っ端がスタイアの目を打つ。

 見開かれたスタイアの目は熱量を持った大気を引き回すオズワルドの剣を追うことを止めない。

 大気を切り裂いて伸びるオズワルドの剣がスタイアの肩先を掠め、引き戻される前にスタイアの木剣がそれを受け止める。

 木剣が火を噴いた。

 摩擦が木っ端に火となる熱量を与え、爆発音に似た剣撃の音が響き合う。

 その場に居た誰もが己の手を止め、二人の剣に見入っていた。


 「……英雄の剣、流石ですね」


 スタイアの笑みが獰猛さを帯びる。


 「英雄の剣といえど、とどのつまり人を殺す剣でしかない」


 オズワルドの剣がスタイアの剣を跳ね上げ、あいた胸元に雷撃に劣らぬ突きが繰り出される。

 大きく身を屈め、払った剣がオズワルドの突きを絡め取り、逆にオズワルドの胸へと切っ先を奔らせる。

 オズワルドが肘をぶつけ、激しく打ち合わされた骨同士が重く響いた。

 激しく、速く、幾重にも剣を交わしながら二人はそれでも話していた。


 「剣が泣いております」

 「見えるのか?声が」

 「風水森山、これすべてが囁き歌う。何故、人の剣のみが語れぬ道理がありますかね?」

 「明快。されど、人は泣かずとも戦い死ねるさ。お前は戦場を去ったのか」

 「疲れるでしょう、いつまでも」


 ふっと笑ったスタイアの顔が寂しげに見えた。

 オズワルドはその笑みを消すように裂帛の気合いと共に剣を叩きつけた。

 疾風のようなスタイアの剣が一転して羽毛のように軽く翻り、その剣を受ける。

 空気の爆ぜる音がして、木剣が回り、宙に飛んだ。


 「参りました」


 スタイアは手から離れた剣を振り切った姿勢のまま、そう告げた。

 オズワルドの剣はスタイアの額に当てられたまま、しっかりと静止している。

 オズワルドは厳しい顔のまま、寂しげなスタイアの顔を見つめ続け、呟いた。


 「……結局、我々は何の為に戦ったのだ?」

 「自由……でしょうかね」

 「俺も、お前もそれでも剣を捨てずにいられるのだな」

 「そうですね、存外、もてあましたりします」


 オズワルドは苦笑し、剣を引いた。


 「スタイア、俺の元に来い」


 周囲が騒然とする中、スタイアは頭をぽりぽりと掻いた。


 「いやぁ、どうにも僕は上司に面倒かける人らしく、なんとか準騎士でアーリッシュ卿に使ってもらっている次第でして」

 「スタさん、端的に仕事なんかしたくないと言えばいいじゃないか。腕は立つが仕事はしない。第三騎士団に送ったところで迷惑しか掛けない」


 アーリッシュがスタイアの後を継ぎ、オズワルドの前に立った。


 「いや……そういう人間が居ないと俺もサボる口実が作れないからな?ハッハッハ」


 オズワルドはそう苦笑するとアーリッシュの肩を叩いた。


 「やれやれ、ダッツといいスタイアといい、卿のところには優秀な騎士が多いな。羨ましい」

 「オズワルド卿、それは自分の部下の名誉を傷つける賛辞です。必死についてきてくれる部下に失礼です」

 「戦場で生き残るのはいつだって、自分で生きようとするものだよ」


 寂しそうにそう告げたオズワルドにアーリッシュは言葉を返せなかった。

 シルヴィアにはその言葉の意味が理解でき、オズワルドがいくつもの戦場で友人や部下を失ってきた人間であることを知った。

 スタイアの下にいた頃、非道とも呼べる方法で生き抜くことを教えられた身であるからこそ、生き抜く気が無い者は死ぬという意味を理解できる。

 運という無情な神のふるいにかけられ、ふるいの網にしがみつくのはいつだって自分の力だ。

 誰かに依っては得られるものではない。

 正午の鐘が鳴り響き、訓練を止める号令があちこちであがる。


 「そろそろお昼だ。一旦休憩して、午後から部隊訓練を行う。装備の点検を怠るな、以上」


 シルヴィアがスタイアを探すが、スタイアは既に木陰でラナが開くバスケットからサンドイッチを受け取り頬張っていた。


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