第5章 『露流れ、大河となりて江湖に還る』5
陽が暮れる頃にはアブルハイマンの街にたどり着いた。
傷ついた身体で三日三晩かけた道中を半日。
それも道中で修練を行いながらで、シャモンは最早、精も根も尽きていた。
背負ってきた鉱石を金に換えると、コーレイセンはいきつけの店で食事を豪快に頼む。
「街に降りるのは久方ぶりだからね。がっつり食べるよぅ」
広いテーブルにところ狭しと並べられた料理を見て、がっつける程の気力はシャモンには残されていなかった。
小麦を蒸かした肉入りのパンにかぶりつくコーレイセンの食欲にげんなりしてシャモンはぐったりとテーブルに突っ伏した。
そんなシャモンを睨みつけ、コーレイセンは長いフォークで肉を刺してシャモンの口に押し込む。
「食事は……んぐん……身体を作る。特に外功を積むのにあんたは今、功がへばっている。もう年になってきたとはいえ、それでも身体は喰らうことを止めない。内功が外気を集気、練気するように外功は食べることで膨らむんだ。どんなに疲れても喰いなさい」
シャモンはもごもごと口を動かし、肉を咀嚼すると溜息をついた。
「酒持って来い、酒ぇ~!」
可愛らしい声でウェイターに酒を頼む姿は最早、精一杯子供が背伸びしているようにしか見えない。
だが、紅麗仙と呼ばれる所以の紅の着物を知っているウェイターはその少女がただの少女ではないことを知っているのだろう。
瓶に入った酒を軽々と持ち、一息に飲み干すコーレイセンは座った目でシャモンの頭を叩いた。
「喰え!……それとも、昔みたくあーんってして欲しいのかいこの子は」
どこか悪戯めいた笑みを浮かべるコーレイセンにシャモンは怖気を覚える。
酒が入ったコーレイセンは手に負えなくなる。
「いつまで経っても甘え癖の抜けない子だねえ、どれ、ほれ、口あけてみんしゃい。ほれあーん」
「いいって!自分で喰うからよ!」
シャモンは痛む身体を無理矢理引き起こし、料理にかぶりつく。
「あんたは本当に素直じゃないねー。婆に甘えたいなら甘えてくればいいのに」
二杯目の瓶を開けて、コーレイセンは椅子に座ったままひょいと飛びあがりシャモンの膝の上に座る。
まるで子供が親に甘えるような形になるがシャモンは気が気でない。
「まずは、グレイグルの胆臟。外功を支えるのは筋肉じゃあない、強靱な内臓さね。内功とも深く繋がる臟器は同じ物を食べてしっかり作る」
まるで押し込むようにシャモンの口に放り込む。
「それっからサヴァの照り焼き。魚は骨を作る。骨は家で言う身体の柱さね。あんたは魚嫌いだけどしっかり食べんしゃー」
咀嚼するのも間に合わず詰め込まれ、シャモンは目が回る。
「スイレの肝臓の香草焼き。血は内気を運ぶ。七草レンケの茹で菜。草の持つ生命力は血に活力。黒椒龍肉焼き。肉は身体を。そいでもって最後に……酒!酒精で心臓が激しく動き、身体を作る外功気を全身に運ぶ!」
がつがつと詰め込まれ、シャモンは目を回す。
飲み込み、胃に重く溜まり、そこに酒を流し込まれ。
疲れた身体が悲鳴を上げ、引きつった胃が痙攣して食道を戻る。
「だらしがないねえ、どれ」
吐き戻しそうになったシャモンの股間をコーレイセンが踏みつける。
「アオォォッ!」
全てが下落する重い痛みにシャモンは飛び上がり、飛びはね回る。
コーレイセンはそんなシャモンの頭に飛び乗り酒の瓶を片手にはしゃぐ。
「吐き出しそうになったら金タマを叩けばいいんだぁじゃ!ひゃっはー!」
◇◆◇◆◇◆
喰らうだけ喰らって、修めるだけ修める。
毎日の生活でそれを行うのがコーレイセンの与えた治療だった。
二週も巡れば、シャモンは一日で往復した街までの行程を半日で行えるようになった。
その間、コーレイセンは甘えるようにシャモンの肩に乗ったが、それは本当に甘えているからではない。
常にシャモンの身体に触れることで自らの内功を伝え、シャモンの内功を整えるためであった。
コーレイセンはそろそろ頃合いだと思い、次の段階へ進めることに決めた。
「あんたも年を喰ったけど、外功の快復はやっぱり婆より早い。どれ、今日は自分で勁を練ってごらん」
コーレイセンは山頂までシャモンを連れて行くと、そこで集気、練気、内功、発勁までの手順をあらためる。
「瞬初発勁で龍穴に違和感を感じるかい?」
シャモンは静かに練気し、全身に気を走らせ、そこに今までの違和感を感じなくなったことをあらためる。
「いや、感じない」
「前より、外功も、内功も強くなっている。今日からは双練を交えての功を積むよ。勁をしっかり練りな」
シャモンは言われるままに龍巡渦法でもって全身に気を巡らせる。
相対したコーレイセンが練気し、その身体に僅かな光が滲む。
練気を極めた域となれば、その身体から気が光となって発される。
「双掌功から、連山華功、龍意拳一形から三形まで。いくよ」
コーレイセンが両手を突き出すと同時に、シャモンの両手が突き出される。
練り上げた内功を爆ぜさせ、勁を撃ち、コーレイセンの放つ気を相殺する。
即座に肘、膝、下がりながらの蹴りを会わせ、打ちあった勁が光と衝撃を散らせる。
それらはシャモンが教わった基本的な拳法の型であった。
コーレイセンがシャモンの腕を掴み、打ち込みと同時に捻りあげる。
シャモンは勁を発して、軽やかに跳ぶと転身して着地、即座に捻られた腕を掴む手を握り、逆に間接を捻り上げる。
コーレイセンが跳び、シャモンの握る手の手首から鋭く腕を切り返して外すと、連撃でもって応じる。
それらを内功を練ったまま勁を発して受け流すとシャモンは間合いをきって構えを変える。
「虎牙一形から五形、白蓮三清から白鶴陣二拶」
両者が激しく打ちあい、そして、投げ合う。
「シャモン、きちんと内功を練りなさい。外功にばかり頼れるのは若いうちだけだ。身体はやがて衰える。だけど、内功は年を重ねてより深くなる。激しい内功を押し返すにはより強い内功を練らなければ無理なんだよ」
小さな子供のような体躯から岩盤を叩きつけられたような強力な衝撃を受け、シャモンはぐらりと傾く。
「伸力、張力、散眼、砕意。双練ではそこにも意識を向けなさい。身体の内から発する力と外から引く力。視界を散らして八方を目する。意は砕き全てに均等に行き渡らせる」
激しくなる打ち合いの中、コーレイセンは決して手を緩めることなくシャモンを攻め立てる。
それらの悉くをなんとか打ち返しながら、シャモンは全身にびっしりと汗をかきながら追いつく。
打ち合わされた剛拳同士が大気をふるわせ、山を揺らす。
「お前が婆の拳に追いつけないのは、打たれるのを恐れ、内功でもって受け流そうとするからさね。勁を発するまでは流水の如く身体を流し、打擲をもって勁を発す。正しく構え、正しく打つ。練気は意識しないで型を思い出しなさい。脇は薄紙一枚、五指は毛髪を掴むが如く、足は鞭のように。ほら膝があがっていない」
基本的な型だからこそ、コーレイセンは丁寧にシャモンの不備を指摘する。
激しく打ち合う拳が、爆ぜる岩のような轟音を響かせる中、コーレイセンが静かに説く。
「獣拳は脱意して意識を解く。また肩から内功が抜けている。峻山功は天門から勁を発して膝下に流す、足の幅が広すぎる。だから木のように居着く、遅くなる。愚断撃では広く深く、早さを意識して集気が足りないから打ち負ける」
集気、練気、内功から外功の型をさらいながら、小さな体躯でコーレイセンはシャモンを圧倒する。
「連環法では渦中法で外功を内功に戻す。龍巡に至らないまま勁を発しても発勁が足りない。婆なんかに押されてぐらついてたら、ダメだぁじゃ。震脚の発勁は足袋風法から内功を作らないから発勁が遅くなる」
コーレイセンの足が地面を砕き振り上げられ、シャモンの股間を蹴り上げる。
「アオォォっ!」
「功夫が足りないね。だから、婆なんぞに金タマ蹴飛ばされるんだよ」