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第5章 『露流れ、大河となりて江湖に還る』3

 三日三晩を歩き続け、シャモンはようやくその山麓にたどり着く。

 アブルハイマンの険しい山道を縦走し、下ったのはコルカタスの山林が生い茂る場所であった。

 道無き道を歩き、高くから流れ落ちる大瀑布の裏に伸びる崖にぽっかりと空いた横穴に入る。

 そこには粗末な小屋が建てられており、シャモンはその前で大きく息を吸い、何と言おうか迷い、頭をばりばりとかきむしる。

 しばし考えるうちに、部屋の中から物音が全くしないことから不在だとわかり、どこか安堵して立ち去ろうとした。

 振り向いた先には少女が立っていた。


 「全く、何をやってるんだかねこのアホタレわ」

 「げ」


 少女はぎろりとシャモンを睨みあげると、頭からつま先をじろじろと無遠慮に眺め悪態をつく。


 「挨拶一つも無しかい。婆はあんたにそんな無礼なことを教えたことは無いよ?人を見るなり蛙のような潰れた声出して。失礼な奴だぬまったく」

 「いやあ、まさか後ろにいるた思わなくて」

 「無様な内功だね。何をやらかしたらそんなに乱れるんだか。おおかた自分じゃ手に負えないから治してもらいにでも来たんだろうけど、そんなのは功夫が足りてないからだよ。遊び歩いてばかりいるからそうなるんだ。このダボラめ」

 「相変わらず、酷い言い方だぬ。それに前より若返ってねえか?」

 「九星吸命法だーぬ。ここは龍脈の集まる場所だからね。やり方は見せたはずさね。だけど、お前さんの足りない功夫じゃ扱えはしないだろうがぬ?」


 少女は紅の衣服を翻し、シャモンに構うことなく小屋の中に入る。

 うらぶれた外見と違い、中は艶やかな調度品が並べられ整然としていた。

 シャモンが所在無く立ちすくんでいると、少女は再びシャモンを振り返ってにらむ。


 「何をぼさっとつっ立ってんだい。入るんだろ?この身体だと高いところに手が届かないんだ。棚の修理をさっさとしておくれ」


 言われるままにシャモンはのろのろと小屋の中に入ると、釘の外れかけている棚を見上げる。


 「相変わらずだなぁ……婆さんも」

 「元気でやっとるよ。しばらく顔を見せないと思ったら土産も持たず手ぶらで帰ってくるような失礼な子供に心配されないくらいにはね」

 「いや、途中までは色々と持ってたんだが」

 「持ってたんだろ?なら、何で無くなったのさね」

 「いや、ま、その、あー、なんだ。落としちまったんだな、これが」

 「下手くそな嘘をつくんじゃないよ。おおかたどっかの山賊にでも恵んできたんだろう?空きっ腹抱えて山で道草を文字通り食ってきたくせによくもまあ育ての親にぽんぽんと嘘をつくもんだねこの子は」


 少女は手前で勝手に茶を入れると、敷布の上に膝を折り歪んだコップで啜り始める。

 シャモンは苦しくなって弱々しい声を出す。


 「コーレイセンの婆ちゃん、責めてくれるなよー」

 「あんたのやることなんざ、全てお見通しだよ。アホタレ。嘘をつくなら、もっとマシな嘘をお言い」


 コーレイセンと呼ばれた少女は大きな溜息をつくと明かりを灯し、棚を直すシャモンに静かに首を向ける。


 「首都の様子が騒がしいね」

 「わかンのか?」

 「隠遁した身さね。だけど、江湖の英雄好漢達は私に色々と伝えてくれるよ。あんたが首都で飲んだくれてる無様さもね」

 「わーお」


 コーレイセンは静かに茶を置くと、長い筒を箱から出す。

 その先に細かく刻んだ葉を詰め込むと火をつける。


 「煙草止めてねえのか。身体に悪ぃぞ」

 「お前なんかに心配される筋合いじゃないよ。それより、ヨッドヴァフの状況が尋常じゃあないね。ヨッドメントと言ったかい?ディスケス・ダリドなんて与太者まで担ぎ出して色々やってるね。フィダーイーが蜂起するのも時間の問題かい?」


 この時は、未だヨッドヴァフではヨッドメントとフィダーイーは衝突をしていない。

 だが、コーレイセンは既にそうなることを予測していた。

 それはシャモンも同じである。


 「そうさぬ。派手じゃあないが、生きづらい世の中にはなる」

 「そうなるとリョウンの鎖とラナが心配だね」


 はじめてコーレイセンは小さく息を零した。


 「アスレイは黙って無理しちゃう子だし、ラナはラナで抱え込んじゃうだろう?あんたがしっかり面倒見てやんなくちゃなんないのにあんたは一体何をしてるんだい」


 シャモンは棚を直し終えると、大きく溜息をつきコーレイセンの傍らに座り込む。

 コーレイセンは陶器を取るとシャモンに茶を注いで出す。


 「ちと、友人が喧嘩で怪我しちまってな。そいでま、うん、俺の内功もこんなんなっちまってる訳なんだが……」

 「おおかた、内功を狂わされた子の内功を全部引き受けてきたんだろう?無茶するんじゃないよ、あんたが死んだらどうするんだい。ヨッドヴァフにはあんたを頼る何千もの江湖が居るんだよ?」

 「そうは言ってくれるなって!これしか方法が無かったんだから!」


 シャモンは受け取った茶を啜りながら、苦々しく応える。


 「言わせてももらうでしょうに!お前はやんちゃばっかりして心配ばかりかける子なんだもん。婆が言ってやらないで、他の誰があんたにこんなこと言ってやれんのさ!」

 「そうは言うがよぉ……なんつーか、物言いってあるじゃんぬ?」


 シャモンは背中を丸めてコーレイセンに伺うように視線を向ける。


 「あんたがやってることは立派だよ?そんな当たり前のこと褒めたってどうしょうもないでしょうに。男の子だろあんたは。甘えるんじゃないよ」

 「さいですか、さいですね」


 シャモンはもう面倒くさくなって茶をすすった。

 どこかじんわりと身体に広がる暖かさが、心地よかった。

 いくつ年を重ねても、親の前では子供になってしまう。

 シャモンは自分の甘えを受け止めて、それでも愛をもって叱責してくれるコーレイセンの素直じゃない物言いを理解した。


 「あ、ちゃんと味わってゆっくり飲みなさい。あんたのためにわざわざ取り寄せた高い薬湯なんだから」

 「ありがとよ婆ちゃん。そいでもってすまねえ話だが、功夫が足りない恥を忍んで頼む。内功ば治しちゃくんねえか」


 コーレイセンは大きく溜息をつき、さも面倒くさそうに睨みあげる。


 「この子は本当にいつまで経っても甘え癖が直らないね。自分の功夫が足りないから内功も整えられないってのに。様を見なさい」


 いつまでも首を縦に振らないコーレイセンにシャモンは大きく溜息をつく。


 「いや、ま、うん、功夫が足りてないのは事実さね。婆ちゃんにも迷惑をかける。でも、自分で治してたら一年も二年もかかっちまう」

 「なら、一年二年かけて自分で治しなさい?婆はあんたに自分のことは一通り自分でできるように仕込んだはずさね。人に簡単に頭を下げるようなみっともない真似、してんじゃない」


 コーレイセンは理解した上で、シャモンを叱責していた。

 シャモンはとうとう抱えきれず零した。


 「それじゃあ、遅いんだ。さっきも婆が言ったとおり、スタイアやラナが俺も心配なんだ。これっからは相当しんどくなる。フィダーイーだけがヨッドヴァフだった頃と違ってもっともっとこの国は喧嘩が酷くなる。そうなりゃ助けてやらにゃならん。そいつは一年二年後じゃねえ、今なんだ」


 だが、返したコーレイセンの言葉は冷たかった。


 「その今にあんたは自分の未熟さで怪我を抱えてるんだよ。諦めるのさね。自分で手に負えないような喧嘩を納めようとしたって、もっと大きな怪我をする。尻尾巻いて逃げちまいな」

 「それでスタイアやラナを見捨てるのか?そんなんだったら死んじまった方がマシだ」

 「なら、死ねばいいじゃない。隠遁した婆のところまでその報告をしにきたのかい?そんなのはどこか遠くでもこの婆の耳に入るよ。死んだら花の一つでも手向けてやるさね」


 シャモンはこの偏屈な婆に疲れ、大きな溜息を零し真剣な顔をする。


 「ああ、死ぬさね。だが、簡単にゃ死にたくねえのよな。本当のところを話すと内功の治療はついでなんだ。婆にゃ頼みたいことがあって、ここまで来た」


 コーレイセンはどこか真剣な面持ちになったシャモンに静かに相対する。


 「一つ、江湖初代宗主として俺の代わりに江湖を纏めて欲しい」

 「あんた、みんなから任された責を放棄するのかい?そりゃあんたを信じた人達をないがしろにする行為だよ」

 「争えば傷つく。江湖宗主として喧嘩に混ざれば弱き兄弟達に歯牙が伸びる。これは、覆らない。だから、この喧嘩、俺一人でやってくる」


 シャモンはそう言って静かに目を細めた。

 そして、置いた湯飲みの茶が静かに波打つのを見ながら告げた。


 「二つ、破邪顕正七生礼拳に始まる悉くの奥義を修めたい」


 その言葉にコーレイセンの顔が歪む。


 「……あんた、自分が何を言っているのか、理解しているね?」

 「ああ、理解している。過ぎたるを修めれば、それは大きな禍福をもたらす。師匠が隠遁せざるを得ないのはその過ぎたるがためだ。個で持つ大きな力は何かを成し得はする。だが、それを知る者が邪なれば利を得んがため、自らが由となって大きな争いとなる」


 シャモンはそう言いきると、真摯にコーレイセンを見つめた。

 コーレイセンは茶を一度、口に含み、唇を湿らすと小さく呟く。


 「そうなれば、最早、あんた。人としての幸せを放棄することになるんだよ?場合によっちゃ婆みたくずっと山奥で暮らさないといけないんだ」

 「師匠のお気持ちは深く、理解しております。ですが、江湖の好漢英雄として艱難を前に伏して避ける等、できようもありません」

 「それで死ぬことだってある」

 「この身今生ここで果てようとも、後悔はありません」


 シャモンはそう告げて、コーレイセンの言葉を待った。

 コーレイセンはしばらく黙って考えると、シャモンを問い詰める。


 「……あんた、首都で何を見たんだい?あたしゃあんたって子をよく知ってるよ。だらしがなくて、ええかっこしいで、でも、どこまでも臆病な子なんだ。そんなお前さんがそこまで覚悟を決めるって事はどういう風の吹き回しだい?」

 「勇者マチュアがヨッドヴァフに姿を現しました」

 「勇者マチュア?」


 コーレイセンが眉を潜める。


 「ここはニヴァリスタから近いから話は聞いたことがあるよ。女だてらにいろんな国で魔王を倒して回ってる子だろ?子供がいるって話だったみたいだけど……」

 「えらく腕は立つ。俺の功夫が足りないからか今一歩、及ばない。だが、勇者マチュアを召還しなければならない程の危機が間違いなくこの国に迫っている」


 コーレイセンは眉を潜める。

 シャモンは逆にそのコーレイセンの様子からこの老婆が自分の知らない事実を知っていると察した。


 「シャモン。あんた、もの凄く、そう、もの凄く厄介なことに首を突っ込もうとしているよ」

 「漠然とだが、理解はしてるよ」

 「こいつは人の身に余るよ。フィダーイーだって言ってしまえば魔物さ。フィダーイーとヨッドヴァフの人間の喧嘩だって身に余るというのに、それ以上のことに首を突っ込もうとしているんだよ?」

 「だから破邪顕正七生礼拳に始まる奥義を修めに来た」


 コーレイセンはどこかやるせないように溜息をつき、茶を一気に飲み干した。

 そうしてシャモンに背を向けると、一人悪態をつき始める。


 「あんたって子はいつもそうだ。何一つ持って来やしないくせに、婆にあれしろこれしろっていくつになっても手ばっかりかけさせる。婆が年だっての知ってて少しは労ろうって気もありゃしない」


 シャモンは黙って頭を下げた。


 「まったく、一体どうしてこう喧嘩ばっかりするようになったのかね。喧嘩の後始末まで人に任せようとして。だらしがないったらありゃしない」


 コーレイセンは大きく溜息をつく。


 「婆さんにゃ迷惑ばっかりかける。本当にすまねえ」

 「いいさね。あたしゃあんたの親になるって決めたんだ。頼られればやれることは精一杯やるだけさ」


 コーレイセンは振り返ると、厳しい顔でシャモンに向き直る。


 「破邪顕正を伝えるからには、私はあんたの婆じゃなくて師匠だ。甘えは許さないよ」

 「はい、師匠」


 シャモンは抱拳し膝をつくと頭を垂れる。

 コーレイセンは小さく溜息をつくと膝を崩した。


 「ま、でも、少しくらいはゆっくりしなさい。いきなり修行じゃ私が辛いさね。あんたの内功も治さないとならないしぬ?」


 コーレイセンはそう言うと、立ち上がりシャモンの前に立つ。

 厳しいけどどこか素直ではない老婆の優しさにシャモンは鼻柱が熱くなる。


 「さて、治療しようか。シャモン。金タマ出しな?」


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