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第5章 『露流れ、大河となりて江湖に還る』2

 シャモンは鈍くなる痛みを抱えながら、山道を歩いていた。

 アブルハイマンから出た山道は次第に険しさを増し、静かに空気を薄くしてゆく。

 山の歩き方を知らないシャモンではなかった。

 幼い頃を過ごしたアブルハイマンは厳しかったが、懐かしいものである。


 「……流石に、ユーロの内功の乱れを引いたのは無理があったか」


 常時、身体に激痛が走る。

 勇者マチュアの魔導具は体内のマンフの流れを著しく狂わし不調を出す魔導具であった。

 死ぬことが無いユーロとはいえ、体内の内功――マンフを狂わされた状態で常に激痛を覚えれば、動くことすらままならない。

 だからこそ、シャモンはユーロの不調を一手に引き受けた。

 内功――マンフは波のような性質を持つ。

 僅かな不調であれば、ほんの少し強い正しい波を送り続ければやがて整う。

 だが、激しく震える波であればそれは移してしまうしかなかった。

 魔導具による内功の不調を引き受けてもシャモンが動けるのは内功について理解があったからだ。

 だが、しかし、それでも。


 「俺の内功だけでは殺せんか。また、婆さんにクンフが足りないとどやされそうだ」


 シャモンは休憩を終えると立ち上がり、篭を背負い直し歩き出す。

 峻険なアブルハイマンの山にやがて道が無くなり、草木すら姿を見せなくなる。

 薄くなった空気が肺を締め上げ、苦しくなる。

 それでも歩き続けるシャモンを次に、山の気紛れな天候が牙をむいた。

 濃い霧が辺りに広がりはじめた。

 未だ雪を頂かないアブルハイマンだが、一気に冷気が身を刺す寒さになる。

 そして、不安定な足場に視界の効かない霧がかかれば余計に足下がおぼつかなくなる。

 シャモンはあがる息を整えながら、それでも小さい歩幅で登る。

 だが、周囲に現れた気配に足を止め首を巡らせる。

 霧の中、耳を澄ませばほんの僅かに空気が流れる音が聞こえる。

 山の気紛れな天候の中、ふきつける強い風に混じり、違和感を覚えるには十分だった。

 何年もこの山で生きてきた。

 獣を狩ったこともある。

 風下から迫るその気配は紛れもなく――


 「山賊の手合いかね」


 シャモンはぐるりと首を巡らし、気配にそう尋ねた。

 深い霧の中、それらの気配は一様に足を止め、殺気立つ。

 シャモンは篭を地面に置くと、大きく溜息をついてどっかりと地面に腰を下ろした。


 「命以外は持っていってくれて構わねえ。だけど、命だきゃあ助けてくれい。この通りだ」


 ようやく腰を降ろせたせいか、どこか疲れた息を吐きシャモンは苦笑した。

 霧が薄く晴れ、姿を現した山賊達は一様に緊張を押し殺した表情でシャモンを取り囲んでいた。


 「命乞いか?」

 「銭金や食いモンはまた、どうにでもなる。だけど、命ばっかりはよぉ?こればっかりゃ取られちゃ取り戻すって訳にもいかねえんだ。わかるだろう?」


 地面に手をつき、大きくのけぞって息をするシャモンにどこか余裕すら感じる。

 山賊達は一様に訝しげな表情をした。

 とうとう大の字になって寝ころんだシャモンに山賊達は静かに歩み寄ると、取り囲んだ。

 シャモンはその歩法を地面から伝わる振動を元に読み、相当の手練れだと理解した。

 コウコの英雄達にひけを取らない腕の立つ連中である。

 それが何故、山賊などと思いながら無抵抗を示す。


 「痛めつけるとか、そういうのも勘弁してくれい。痛いのは嫌だ。誰だって嫌なもんだからぬ」


 山賊達は静かにシャモンへの距離を詰めると、食料品を詰め込んだ篭を奪う。

 そして、剣の切っ先をシャモンに突きつけ衣服をまさぐる。

 口のすり切れた財布を胸元から引き抜き、静かに距離を離す。


 「もう、何も持っちゃいねえ。俺も少し休んだらどっか行くから、どうぞこれで堪忍しちゃくれねえか」


 ごろりと寝返りを打つシャモンには敵意は全く感じられない。

 だが、山賊達はそんなシャモンに剣をつきつけたまま動こうとしない。


 「江湖の二代目宗主、シャモンだな?」


 シャモンは鋭い眼光で山賊の一人を睨みあげる。


 「そうだとも。くれてやれる物はもうねえよ。用は無いなら、帰ってくんねえかぬ」

 「あるさ。江湖宗主の首を取れば、我らの名も上がる。身包みとその首、そっくりそのまま頂こうかッ!」


 剣が閃き、振り下ろされる。

 だが、シャモンは寝ころびながら身を捩り、振り下ろされた剣の切っ先の全てを紙一重で避けると、めまぐるしく足を回す。

 つま先が剣の切っ先を蹴り上げると、山賊達の腕から剣が宙に跳ね上がった。

 山賊達は驚愕に目を見開くが、即座に距離を取る。

 重々しく宙を舞った剣が地面に突き刺さり、目の前に落ちた剣をシャモンは寝ころびなが撫でる。


 「命まではくれてやれんよ。見苦しくとも生き抜くのには互いに必死さね。それでも欲しくば、奪りに来い」


 山賊達が一斉に跳躍する。

 飛びかかる山賊達にシャモンは寝ころんだままぐるりと回り、地面に刺さった剣を蹴飛ばして引き抜く。

 地面から抜けて回転する剣を再度、蹴飛ばし山賊達に飛ばす。

 山賊達は空中で身を捩り剣を避けると、大きく振り上げた拳を地面のシャモンに振るう。

 次々と振るわれる掌を地面を転がり避ける。

 避けたシャモンを追いかけるように振るわれた掌が固い岩盤を砕き、地面に亀裂を入れる。

 地に降りた山賊達がそれぞれ別の軌道で一斉にシャモンを取り囲み襲いかかる。

 シャモンは痛みを引きずりながら膝立ちになり、山賊達の重い拳を受ける。

 前後左右、そして上空からも振るわれる拳や足を勁を練りながら捌き、舌を巻く。


 (こいつは相当の使い手だ。手負いの俺で相手にできるものなのか?隙を見つけて逃げるしかないか)


 シャモンは瞬初発勁の呼吸をしながら、山賊達の連携の穴を探る。

 山賊達はシャモンへの攻撃の手を緩めるどころか、ますますとその勢いを増す。


 「逃げようと思っても無駄だぞ!我らの陣に死角は無いッ!」


 山賊の一人がシャモンの企みを看破し告げる。


 「ふむ、確かに死角は無い」


 シャモンはめまぐるしく腕を振り回し、背を逸らしながらそれぞれの山賊達の呼吸を読む。

 江湖の技にも無く、多くの武術の中に存在しないその感覚を試してみることにした。

 山賊達は一瞬だけ、緩慢になったシャモンの動きを好機と捉えた。


 「その好機、見逃すものか!――黄中華殺陣ッ!」


 山賊達は必殺の陣を敷き、一斉にシャモンに襲いかかる。

 それは、確かに山賊達の意識の中にあった。

 シャモンの動きは見えていたし、何をしようとしたのかも理解していた。

 だが、しかし、ほんの一瞬、そう、ほんの一瞬だけ身体が反応しなかった。

 いや、反応できなかったのだ。


 「――破ッ!」


 シャモンはその一瞬で立ち上がり、山賊達の包囲を抜けていた。

 鋭く切り立った岩の上に立ち、山賊を見下ろす二代目江湖宗主シャモンは告げた。


 「見事なクンフだ。さぞ名のある英雄好漢なのだろう。それが何故山賊などとは問わん。だが、俺の命は諦めろ」

 「黄中華殺陣を破るとは……どのような術を使った?」

 「俺の兄弟が使う剣術の理だよ。意識は連続しているようで、その連続の中に僅かな綻びがある。その綻びを捕らえれば容易に打てる」

 「黄中華殺陣に間隙など無かったはずだ」

 「練気、内功も十分なクンフが認められる。間隙すら無い必殺の陣だ。だが、個でもって群を相手にするなればまた、理も違う。人の持つ綻びを見るには多くを叩くしか、無い」


 それは鉄鎖解放戦役という戦乱を生き抜いてきた男の言葉だった。

 山賊達は悔しそうに、シャモンを見上げ、再度、構えを取る。

 シャモンは応じて構えを取るが、全身を走る激痛に激しく咳き込む。

 瞬初発勁が励起した内功が、激しく暴れ回りシャモンの身体を苛む。

 山賊達はその様子に訝しみ、手負いであることを知る。


 「内功が激しく乱れているな。手負いで我らの相手になると思っていたのか」

 「なぁに、自分一人の命を背負うくらいは……ゲホッ、エホッ!……できねば、生きていくのにゆるくねえさ」


 シャモンは呼吸を整えると、暴れる内功を抑え、構えを取る。

 そうして山賊達と対峙し、一撃必殺の勁を練り上げる。


 「さて、次はこちらも奥義で応じよう」

 「その必要は無い」


 山賊達はそれぞれ一斉に構えを解くと抱拳の礼をシャモンに取る。

 呆気にとられたのはシャモンである。


 「邪教と誹られようと英雄好漢を不調と知りながら討てばそれは名誉にはならない」

 「不調を招いたのは俺の未熟さだ。遠慮など要るものかよ。首が欲しかったら奪りに来てもかまわんさ」

 「黄中華殺陣を破られたのであれば我々の敗北だ。そのような英雄の不調を攻めて首を奪ったとて、どの英雄好漢が褒めそやす?賞賛を得たとしてもそれは同じく愚劣の者の賞賛だ」


 山賊達はそう告げると、礼を解く。

 シャモンは構えを解くとのろのろと岩から降り、大きく息を吐いた。


 「ふんむ、世の中は広いぬ。江湖以外にも英雄好漢は居るのか」

 「江湖宗主の武名程は轟かんがね」


 シャモンは嫌そうな顔をして山賊達から顔を背ける。


 「ロクな噂ではねえだろうぬ。酒も女も際限なくだから、悪い話ばかりが広まってしまう」

 「ヨッドヴァフ動乱の折り、幾多の力なき者達を束ねこれを退けた。英雄アーリッシュが魔王を打ち倒してこそいるが、あまねくを救おうとした江湖の英雄シャモンの鬼神の如き働きは好漢達から聞いている」


 シャモンはいよいよもって背中を丸め、大きく溜息をついた。


 「よしてくれ。俺ぁ何もしちゃいない。結局は兄弟の力になれなかったし、英雄もまた自分で道を切り開いた。江湖の宗主はただ、やれることをやっただけだ」


 シャモンはふらふらとおぼつかない足取りでその場を立ち去ろうとする。

 山賊達は篭をシャモンに示し尋ねる。


 「持ってゆかぬのか?」

 「こんな時代さね。英雄好漢が山野に伏するには語れぬ理由もあろうさ。たまにゃ嫁さん子供に腹一杯食わしてやってもバチはあたるまい」

 「だが」

 「銭金や食いモンはまたどうにでもなる。命さえあらーな」


 そう言ってシャモンは痛む身体を引きずって山奥へと消えることにした。


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