第4章 『汝、隣人を』9
いくつもの命を潰す音を響かせて夜がふけてゆく。
暴力同士がぶつかり、削れていく感覚にディスケスは小さく鼻を鳴らした。
音に怯え、目を覚ました人が窓の外に広がる凄惨な光景に震えて身を潜める。
夜という普通の無くなった時と空間に暴力が広げるむせる生の生臭さが冷たく還る。
全てが、上手くいっている。
アルヴィーテは僅かな高揚を覚えていた。
それはおそらく最も、愚かな手段である。
だが、しかし、だからこそ最も効果をあげていた。
「理解したな?」
ディスケスは振り返ることなく、アルヴィーテに告げた。
「命を、潰すのが暴力だ」
今、この夜に広げられている惨劇はすべからく命を挽きつぶす。
「だが、それは起こったことの一つの現象にしかすぎねェんだ」
果たして、この男は命を潰すことになんの高揚を覚えていなかった。
暴力が命を潰すのは当たり前のことである。
誰が朝目覚め、呼吸することに高揚を覚えるものか。
「命なんざ、次から次へと沸いてくるんだ。それを挽きつぶしたところで、どうにもならん」
ディスケスはそう言って、大きな溜息をついた。
ウェストグロウリィストリートを一人のフィッダが走っている。
両手に携えた剣を振るい、雷光を走らせ、追いすがるヨッドメントと切り結ぶ。
生きるために覚えた業がどこまでも輝き、命を潰してゆく。
多くの人に囲まれ、それでも潰えぬ生きる意志に輝きをアルヴィーテは見た。
「本当の暴力とは、心を折ることさね」
飛翔したいくつもの矢がフィッダを貫いた。
震える命がそれでも剣を振るおうとして、取り落とす。
膝を折り、うずくまるフィッダから輝きが消えた。
命を、諦めた。
抗うのを止め、暴力の振るう剣を受け血溜まりを広げる。
ただの肉塊へと変わった意志が輝きと熱を失い、暴力に挽きつぶされる。
「ただ、そこに暴力がある。それだけで折れるのが心だ」
風が吹いた。
とても強い風がヨッドヴァフの夜を駆け抜け、多くのフィダーイー達は果たして人の強さに争うことを諦めた。
等しく隣人となった人間の振るう暴力は、彼等が保ってきた秩序を壊し、ここに新たな秩序を築いた。
アルヴィーテは最早、魔物と呼ばれるフィッダが守ってきた人の平穏を正しく人に明け渡す時が来たのだと確信した。
人に寄って生き、人として魔物の業を修め、そして、今、ここに正しく人として自分が何者かであるかを定められた気がした。
明確な自己を与えられ、それがとても心地よく、気持ち悪かった。
どこまでも明確でありながら、自らの手で掴めぬ正体の無い自らの拠り所はどこまでも強力なヨッドヴァフの暴力である。
だが、しかし、正体の無い明確な自己は不安定な彼女を揺らがせる。
「来るなァ。嫌な風が吹いてやがる。嫌だ嫌だ」
ディスケスはどこか面白そうに嗤った。
暴力の中で生きてきた男が、未だ掴めぬ強大な暴力の哲学の前にそれは静かに夜を漕いで現れた。
空気が重く、のしかかる。
血の熱が散り、静かに熱された大気が途端に冷たさを帯びる。
夜を走る全ての者のつま先から熱を奪い、静かに湿った空気がけだるげな熱に心地よさを与える。
ゆるやかに震える大気が、波打つ。
「遙か昔ぃ……」
それはどこか面倒臭そうに呟いた。
星空が揺らめき、澄んだ空気が翻った。
「私はヨッドに知恵を授けることを決めた」
サンセットゲートの中央にあるマルチネア大教会の尖塔の上でその人影は空を仰いでいた。
どこか、線の細い青年である。
飄々と笑んでみせると、翻ったローブが風にはためいた。
「知識の海を渡り、大樹が知恵を実らせた。私は盟約を恃み、繋いだ命はやがて鉄に心を宿した。飽くなきかな、飽くなきかな。ヨッドの子らは艱難に寄り添い、共に血を流し、隣人に刃を向け、なお高く、高く」
青年――イシュメイル・スタークラックは遠く、ディスケスを見つめ嗤った。
「私は高く、高く、空を漕ぐ。『白鯨イシュメイル』――抗うかね?人よ」
宵の暗闇に煌々と輝く赤い瞳が輝いた。
透明な空気が巻き上がり、集めた砂塵が星々の頼りない光に散り、巨大な白鯨の姿を空に描いた。
白鯨は大きく嘶き、どこまでも緩やかな風を吐き人を見下ろした。
「ほぅら、やっぱり嫌な風が吹きやがった」
ディスケスは嗤い返すと、はじめて組んだ腕を解いた。
アルヴィーテはその異様に震えを抑えられない。
ヨッドメントが人の作った確固たる暴力ならば、これは一体、何なのだろう。
連綿と続く、時が産んだ、暴力なのだろう。
その威容は抗う意志を容易に手折り、行く末を委ねてしまう。
「ニザ・イシュメイル……」
人が現れるより遙かに遠く、長く、時を漕ぎ。
それらは行く末を見つめてきた。
混沌という秩序の中で生きるフィッダと呼ばれる彼等に道を示してきた。
「……フィダーイー……フィダーイー、ねェ」
ディスケスは鼻を鳴らし、目の前に現れた強大な暴力を嗤った。
イシュメイルがゆるやかに腕を伸ばした。
白鯨が街を泳ぐ。
ゆるやかな風となり、命を挽きつぶす重さとなる。
周囲の建物やフィッダには何の変容も無い。
自らが選んだ獲物のみを挽きつぶす重たい風となって街を泳ぎ、大きな嘶きを響かせて跳ねた。
大地が揺れ、それは静かに身を起こした。
砂塵が巻き上がり、それは人の形を作る。
「汝らは正しく、隣人となった」
それは矮躯の老爺の姿をしていた。
「多くの夜を超え、明日の光を仰ぎ、そして、砂上に石を積み上げ塔とする。その塔の放つ光は泡沫よ。だが、何度、潰えようと光を灯す」
老爺はどこか疲れたように腰を下ろす。
おろした腰から静かに輪が広がった。
広がった輪はマルチネア大教会の屋根を走り、地面を舐め、ヨッドメントの騎士達の体を駆け抜ける。
ヨッドメントの騎士達の上を走った輪はやがて輪郭を消し、静かに震え、大地が揺れた。
騎士達の鎧がひしゃげ、絞られた体が音を立てて血を吹き上がらせる。
悲鳴すらかき消す人の体が奏でる音に老爺は溜息でもって応えた。
「何度でも揺るがし倒される。『輪岩ググングルルフ』……可愛いのぅ、人は」
枠が、違う。
人であるアルヴィーテは初めて目の当たりにするニザの力に恐れおののく。
四肢とその膂力で、眼とその知謀で。
人の持つ枠で抗えぬ強大さを見せつけるニザが人にその力を振るう。
天災を前にしたかのようになすすべもなく潰されていく命に、アルヴィーテは暴力の形を見た。
暴力の本懐を悟り、形を覚え、そして、心を折られる。
「アルルガンは姿を見せんな」
老爺――ググングルルフは砂のついた唇をもごもごと動かしながら呟く。
イシュメイルはどこか飄々と空を見上げ応えた。
「空の姿が見えないということは無いだろうさ」
紅の稲光がヨッドヴァフの空に走る。
星々の間を走る稲光が気紛れで走る向きを変え、街壁に突き刺さる。
大地を揺るがす轟音を立て、修復を終えたばかりの街壁が飛礫に代わり、モザイクの屋根に突き刺さる。
「それも、そうよの」
老爺は鼻を鳴らし、恐れおののき自分たちを見上げる人に視線を戻す。
イシュメイルは再び、街壁の尖塔を見つめるや、腕を地上に伸ばす。
伸ばされた指先が見上げるヨッドメントの騎士を示すと、騎士は静かに持ち上がる。
柔らかな風に包まれた騎士は自分の身に何が起こっているのか理解できなかった。
イシュメイルは指を静かに街壁の尖塔に立つディスケスに向けた。
地から足が離れ狼狽える騎士は大気を切り裂き、尖塔に向けて飛ばされる。
まっすぐにディスケスに飛翔する騎士の体と衝突する直前、ディスケスが腕を伸ばした。
騎士の体が爆ぜる。
赤い血が煙となって散り、途端に生臭い懐かしい匂いが辺りを支配した。
ディスケスの甲冑が血を吸って赤黒く輝いていた。
振るわれた腕が伸び、騎士の心臓を掴んでいた。
ディスケスは面白くなさそうに心臓を捨てると、顔についた血を手のひらで拭って大きく息を吐いた。
「おっかないねェ……これが暴力って奴だよな、本当に」
ゆるやかに身を起こしたディスケスは圧倒的な力を見つけるニザを眺めた。
ニザ・イシュメイルはその視線を真っ向から受け止めて告げた。
「……フィダーイーのニザ・イシュメイルは小さき星の告げた暗雲と争う。人の暴力の小さきかな。汝らの暴力は幾星霜の時の生み出した業に届くものか?」
ディスケスは熱く、ゆるやかな吐息を吐き首を巡らせて応えた。
「強大な暴力は、より強大な暴力によって淘汰される。あんたらニザってのはフィダーイーの強大な暴力なんだろうさ」
鼻で、笑う。
「……人間ってのはァよ?せっかちなんだよ」
ディスケスはそう囁くと、剣を抜き放ち、傍らの騎士に銅鑼を一つ鳴らさせた。
どこからともなく現れた漆黒の騎士達が僧杖を抱え、黒い犬に跨り現れる。
犬はふしゅる、ふしゅると吐息を白く冷たい夜に吐き、血走った目で首を巡らせる。
犬の額には高濃度の環石が埋め込まれ、赤く鈍く輝いていた。
「それじゃあ、はじめようかね?戦争という奴をだ」
ディスケスが指を鳴らした。
犬達が甲高く嘶き、疾走する。
残像すら残して疾走する犬が家の壁を蹴り、屋根へと駆け上がる。
家屋の屋根を音もなく蹴ると、重々しい鎧を着た人を背に闇の夜空を飛ぶ。
そして、瞬く間も無くイシュメイル達を取り囲んだ。
僧杖の先が鈍く輝き、光を放つ。
イシュメイルとググングルルフはその光が危険なものであると判断するや揺らめき、消えた。
次の瞬間である。
イシュメイルとググングルルフの居た空間が歪み、虹色の燐光を爆ぜさせた。
さながら祭日の花火の如く煌めく光がマルチネア教会の鐘に触れるや一際高い鐘の音を鳴らした。
上空に逃げたイシュメイルは再度腕を振るい、騎士達を押しつぶそうとする。
だが、上空へ跳躍した犬達が乗せた騎士は僧杖を構えると陣を敷き、陣に青白い燐光が走った。
「これは……」
自らを構築するマンフの流れを狂わされ、イシュメイルは驚愕に目を見開く。
ディスケスはにやりと笑うと、剣を投擲した。
投げられた剣が空中で加速し、消える。
鈍い衝撃と音を覚え、イシュメイルの肩に深々と剣が刺さる。
「……歴史の浅い国だよ。ここは。俺の居た国にゃ、魔王の倒し方なんざごろごろ転がっている」
陣が発光し、稲光が迸る。
稲光が渦を描き、ディスケスが放った剣に収束して閃光を産む。
夜空に大輪の青い雷光の花が咲き、赤い雷光が割って入る。
衝突した青と赤の雷土は激しく明滅し、いくつかの稲妻をヨッドヴァフの街に落とした。
稲光はいくつかの炎を産み、街を燃やし始める。
異変に気がついたヨッドヴァフの民が、いよいよもって叫びを上げ始める。
イシュメイルは街道に降りると肩に刺さった剣を引き抜く。
追って噴き出した赤い血がばしゃりと街道のモザイクの上に降り注ぎ、染みてゆく。
「……ニヴァリスタの魔導騎兵か」
イシュメイルの手の中から剣が淡い燐光を発して消える。
消えた剣はいつの間にかディスケスの手の中に戻っていた。
「……あの国は魔術って奴が盛んでな?ニザの多くもまた、強力な魔術を使いやがる」
アルヴィーテはこの男が本当に、真っ向からフィダーイーを潰すツモリでいることを知る。
「だから、助っ人を呼んだのさ。こんなモンでいいんだろう?グレン」
ディスケスは面倒臭そうに振り返ると、粗末な椅子に座る魔術師を振り返った。
魔術師は僅かに顔を上げると、とまどったように頷いてみせる。
「え?ああ……そうですね。魔導騎兵の運用の仕方としては正しいんじゃないかと」
どこか眠たそうな顔をしている魔術師を認め、アルヴィーテはこれがディスケスが連れてきたニヴァリスタの協力者かと思う。
目をしばたき、眠そうにしている魔術師にはディスケスやアルヴィーテの持つ暴力の匂いは感じられない。
知的な印象はあるものの、それ以上の感想は抱けない。
どこか弱々しいイメージが先行してしまうのがグレン・シュナイダーという男であった。
イシュメイルはくつくつと笑う。
「……借り物の身体に傷を作ってしまった。これは詫びねばなるまい」
黒い、炎が揺らめいた。
ディスケスはその様子をつぶさに眺め、固唾を飲む。
「小賢しい人間。玩具が如き物で永霊の理に生きる我らに刃向かおうとは」
炎が激しく燃え上がり空に広がる。
ヨッドヴァフに広がる赤い炎を飲み込み、空に伸びる炎が四散し、悪魔を生み出す。
コウモリの羽を持ち、魚の瞳と、猿の腕を持ったそれは数を増やし、黒い風となって地上を席巻する。
それらは騎士、フィダーイー、そして、逃げまどうヨッドヴァフの民に区別なく襲いかかり牙を突き立て始める。
悲鳴が響き渡り始める空に、イシュメイルは哄笑とともに宣言した。
「恐怖するが、いい。これがニザだ。これが、魔王だ。ヨッドヴァフには時を経た多くのニザが集う。赤き龍のシルフィリス、疑獄のメメサフィア、金色の雲アルルガン、動く森ゼレイメメト。隣人よ、汝、正しく我らに列し、滅べよ」
悪魔達がヨッドヴァフの街を予兆も無く、焼き、血に染める。
阿鼻叫喚が響き渡り、静かに街が燃え始める。
ディスケス・ダリドは暴力の時代の幕開けに哄笑し、アルヴィーテは恐怖した。
圧倒的な物量に魔導騎兵達が取り囲まれ、一人、また、一人と押しつぶされていく。
多くの羽が羽ばたき擦れる音が空を軋ませ、夜に慟哭を広げる。
そうして、燃え上がるヨッドヴァフに一つの時代が到来したことを誰もが悟った。
「……さあ、殺しっこしようぜニザ。これが人間って奴だ」
街の街壁の上に巨大な漆黒の鎧が並び立つ。
青白い紋様を甲冑の上に走らせたそれは、アルバレア平原の戦いで強大な魔物の群れを打ち破ったブラキオンレイドスのそれと似ている。
だが、ブラキオンレイドスよりその体躯は小さい。
「マキオンレイドス。ニヴァリスタはこの国より進んでるんだよ。スターガランスの発想も悪くはない。あとは……センスだよ。マキオンレイドス隊、スタリオルランス、放て」
それらが傾向する槍が雷光を放ち、ニザ・イシュメイルの放った魔物達の中で爆ぜ、連鎖する。
スターガランスの理論を応用した雷光は魔物の血肉を媒介として炎を広げた。
恐怖し逃げまどう人達の上を血と炎が広がり、阿鼻叫喚が広がる。
それらは街の外にまで、広がり貧民街の空をも貪る。
強大な力のぶつかり合いになすすべを持たない人の民達は炎に巻かれていく。
招集の鐘が鳴り響き、ヨッドヴァフを救った勇者に連れられた騎士達がその惨状に驚く。
集まれる手勢を引き連れいつだって先陣を切る勇者ダッツ・ストレイルは犬の背で怒号を発した。
「……民の避難を誘導させろっ!各大通りから街の外だっ!可能なだけ救えっ!想定のとおりだっ!第7騎士団はウェストグロウリィストリートを先導する」
「騎士団長ぉっ!斥候より進路上に強大な魔物があり避難民を……」
「叩き殺せっ!……行くッ!俺に続けっ!」
彼等には状況を理解する暇など、無かった。
ただ、つきつけられた現実を前に、救える者を救うために走るしかなかった。
混乱の様相を呈した中で、ダグザは保護した少年少女らを見失っていた。
突如沸いた魔物の群れと戦火、そして、逃げまどう人々。
家財を引いて逃げようとする大人に弾かれ、親の手を離す子供が泣き叫ぶ。
エレメラ達を送り届ける自分の任務と、目の前の状況に対しどうすべきか判断を迷い、すくんでしまった。
以前の自分であればどのような選択でも躊躇いなく自信を持って行えた。
だが、自分の中に芽生えた臆病さは彼女の信仰と勇気を蝕み、その場へと釘付けにする。
背に負った槍に手すら伸ばせずにいた。
魔物の群れがマキオンレイドスを街壁の外へと押し出していた。
人の三倍はあろうかという巨大な鉄の鎧が激しい衝撃を伴い、落下する。
その下敷きとなった人は悲鳴すら残せず、血を吐き散らす。
気がつけば、再び守るべき者を死に追いやっていた。
「何故だ……」
それは先ほどまで共にいた少年少女らだった。
自分と同じくらいの年の少女が、身を挺して幼い者を守ろうとしていた。
だが、暴力の容赦のなさはそんな情ごと無惨に挽きつぶす。
青く流れた血が滲む。
最早、正気を失ったダグザはその場から駆け出すように逃げ出した。
「わだじは……強く、あれないっ!強ぐっ!」
ダグザの逃げ出した場所に、歩み寄る影があった。
それはヨッドヴァフの夜であればいつかに見ることができる。
だが、まだ、鐘は鳴っていない。
白刃を閃かすそれとは一回り小さく、線も細い。
静かに称えた死の匂いには、一抹の寂しさが漂う。
死の気配に空気を震わせ、それは人の作った魔導兵器に押しつぶされた少女らの傍らに立つ。
――褐色の幽霊。
「ラザラナット」
ラザラナット・ニザはしばし忘れていた暴力の化身としてそこに立つ。
その肩に立つ、幾星霜を生き、最強と謳われ、多くの死を紡いできた死の妖精は自らが救おうとした者達が潰えたのを見下ろし震える声で呟いた。
「私は……この胸に沸くものを知らない」
身を寄せ合い、息絶えた少女らは人にも、また魔物にもなりきれず、自らの生を成し遂げることなく世界に挽きつぶされた。
「遙か昔、アストラの階から零れ、多くの別れを厭うてきた。力なく、逆風に飛ぶのにも苦しみ、虐げられてきた」
並ぶ者無しと謳われたフィダーイーの死の妖精は自らの半生を振り返る。
「千年だ……千年。マテリの理から解脱し、アストラの一端に至り、永劫を手にいれても、私は未だこの苦しみから逃れられない」
パーヴァリア・キルは頬を伝う涙を拭わずに呟いた。
ラナは小さく頷き応える。
「……暴力の意図に挽きつぶされるのはいつだって弱者です」
「弱きが淘汰されるのが、世定の理か。もはや、飽きたわ」
最強にて叶わず、幾星霜生きても届かず、そして多くの命を潰すことでも成せなかったこと。
マキオンレイドスがゆっくりと身を起こす。
兜のバイザーの奥、環石が青白く輝き二人を捕らえる。
静かに大気が燃えた。
「覆すッ!それが私を呪った世界への報復だッ!」
マキオンレイドスの腕が二人へと伸びる。
瞬時にして姿を掻き消した二人に腕は虚空を掴む。
パーヴァリアはその腕を螺旋に駆け上がり火花を散らす。
残像を残し頭部に肉薄し小さな鋼を振るう。
環石のマンフを流す流動砂の脈を断ち、マキオンレイドスの腕が軋む。
「幾重にも刻めッ!弾劾の階ッ!」
人の言葉で呪を唱えたパーヴァリアがいくつにも分かれる。
「疾風の如くッ!疾駆の踵痕ッ!」
それらが縦横無尽の軌跡を奔り、竜巻となって巨大な鉄の鎧を穿つ。
甲高い鋼の擦れる音が響き渡り、火花と鋼鉄が散る。
人の作った魔導兵器の巨人が膝を折り、傾ぐ。
「ただひとつ、小さな覚悟に届くものか」
やがてその身を再び地に沈めると動かなくなった。
「……エレメラ、ネガリ、ジュジュ……汝の名は闇天の星に還る。無事、魂の旅を」
火花の残滓を後に引き、パーヴァは小さく呟いた。
傍らに戻ったラナが静かにパーヴァを見つめていた。
「……パーヴァ」
「金貨5枚、それで殺してくれるのだな」
崩れ落ちたマキオンレイドスが青白い炎を上げて燃える。
燃え上がる火に浮かび上がる死の妖精は褐色の幽霊の手の平に金貨を落とす。
煌々と燃える炎に浮かび上がる金貨が冷たく、悲しく輝いていた。
はかなく消える輝きだからこそ、冷たく、激しく。
「どなたの……死を、お望みで」
ラナの問いかけに、パーヴァは振り向くことなく告げた。
「全ての、不条理」
二人の知る男が斬ると告げたもの。
――世に落ちた最も小さき者は、世で最も大きいもの望んだ。
鐘が、鳴る。
ヨッドヴァフの夜に鐘が鳴る。
全ての不条理を断つ、褐色の幽霊を告げる、鐘が、鳴り響く。