第4章 『汝、隣人を』8
タグザ・ウィンブルグは冬の寒さに身を震わせていた。
「うー、寒い。こんな日に巡回などしなくても良いものを」
第七騎士団の騎士長として真面目に巡回に出るのは性分と、そして、物を知らない素直さの賜である。
夜間の巡回に出る騎士は少ない。
自分の巡り番が回ってきても、適当に詰め所に待機して眠っていることが殆どだ。
何かが起こっても、その後に駆けつければよい。
逆にそうしなければ自らが凶刃に倒れることもしばしば、ある。
夜中の巡回番に巡回をするのは世の中を知らない馬鹿か、騎士に憧れを持ち入団した馬鹿、そして、そんなことすら教えてもらえないはぶられ者の馬鹿のいずれかだ。
偶然にもタグザ・ウィンブルグはそのいずれにも当てはまっていた。
東に広がる貴族街を騎士団の外套の襟を立て、カンテラを掲げて歩く姿はどこか弱々しい。
だが、多くの盗賊が貴族の蔵を狙う中、平和なヨッドヴァフを守る使命感を持ち合わせたタグザはぶつくさと文句を言いながらも見回りを続けていた。
「早く、鐘が鳴らないものか……んあ?」
暗がりの中を連なって歩く影を見つける。
夜分遅く、しかも身を隠すようにローブを纏い息を潜む姿は怪しい。
「何奴かっ!」
誰何され身をすくめる。
騎士に誰何されたエレメラ達は息を飲む。
殺気立つ街の中、気配は常に伺ってきた。
カンテラの光がこうも近くにあることまでに気がつけずにいた。
どこまでも殺気が無い気配に気がつけなかったのだ。
「蔵を狙いに来た賊か!名を名乗れ!」
大仰に声を上げる騎士は未だ幼い少女だった。
殺めて逃げることは可能である。
エレメラも、ジュジュもネガリもその術は修めていた。
だが――
「なんだ、子供ではないか」
カンテラの光の中に浮かんだジュジュとネガリの相貌を見て、ダグザは息を落とした。
貧民街の子供達が腹を空かせて残飯を漁りに来たのだと思ったのだ。
貧民街の貧しい子供が昼は大人の縄張りとなっているゴミ捨て場から夜に残飯を漁りにくることがある。
そのくらいはダグザでも知っていた。
「もう夜も遅い。盗賊と間違われて斬られても文句は言えん。帰るといい」
ダグザはそう言って、子供達を怖がらせないように微笑んだ。
エレメラは小さく会釈をして、騎士を刺激しないようにする。
「ねえねえ?どうするの?どうするの?見つかっちゃったよ?」
エレメラの耳元でエメロッドが慌てる。
「静かに……敵意は無いわ」
髪をかき上げるようにしてエメロッドを掴み、袖の中に隠す。
ダグザはひとしきり考えた後、告げた。
「ふむ、街の外まで送ろう。街壁の警備に見つかればそれも厄介だ。私が居ればそれなりに融通も利くだろうし」
「よろしいので?」
「罪を犯したのであれば、話は別だ。だが、飢えた子供を見逃すくらいには騎士というのは寛容なのだよ」
本当は深夜に取り締まればその分、作る書類が増えて面倒だからだ。
代書を頼む相手も昼から騎士団長命令で遠くに出払っており、それくらいならば見逃した方が楽なのである。
「ありがとう、ございます」
エレメラは素直に頭を下げた。
東側から抜けることができるのであれば後は街道に沿って歩き、小さな村で足を都合すれば良い。
幼い子らの手を引き、エレメラは素直にダグザの後ろを歩いた。
そんな、折りである。
黒衣の男がダグザの前に転がり落ちてきたのは。
「うわっ、なんだ!」
驚くダグザの目の前で起き上がろうとする黒衣の男を貫く銀の閃光が走った。
剣を目にもとまらない勢いで突き抜いたシルヴィアだった。
「……ふんっ!」
捻り込みながら引き抜かれた剣が青い鮮血を散らし、シルヴィアの顔を凄惨に染める。
「シルヴィアっ!」
ダグザが呼びかけるが、シルヴィアは応えない。
その背後に立つエレメラの手が腰に伸びていたからだ。
僅かに半身に開き、かがんだ身のこなしは訓練されたものである。
幼いとはいえ、目の前で死を目撃しても悲鳴を上げない子供達。
全ての状況を即座に受け止め、この者達がフィダーイーであることを看破した。
「な、ど、えぇ?あ、うぇぇ?!」
狼狽えるダグザにようやく視線を移し、状況を知った。
「い、一体何が起こってるんだ?そ、それは……」
「賊、なのでしょうね。今夜は非常に多く、街を逃げようとする者も多い」
剣の血糊を払い、静かにエレメラに視線を向ける。
「……おつとめ、ご苦労様です」
「ぶ、物騒だな。な、ならば余計に心配だ。わ、私はこの子らを送り届ける」
怯え、狼狽えるダグザがどこか滑稽に見える。
だが、シルヴィアは油断無くエレメラと彼女らが連れる子供を一瞥しそれらがフィダーイーとしてとても弱いことを知る。
容易に、斬れる。
二つ、踏み込み女を斬り、返す刃で子供の首を刎ねる。
それだけで、事足りる。
「シルヴィア、丁度いい。手伝ってはくれないか」
間に立つ、ダグザが邪魔であった。
シルヴィアは冷たい視線でダグザを見下す。
ダグザは自分が、恐ろしく小さく思えて、震えを覚えた。
いつの間に、自分とシルヴィアの間に差ができたのだろう。
輝かしいヨッドヴァフ王国王女特務部隊『ヨッドメント』の徽章を掲げる友人に比べ、自分は未だ聖堂騎士徽章と正騎士長徽章が申し訳なさそうにぶら下げているだけだ。
それすらも、身分不相応に思えてしまう。
「いや、忙しいのだな。申し訳ない……本当に、今のは聞かなかったことにしてくれ」
そう言って距離を置いて自分の惨めさを見られるのを避ける自分が情けなかった。
友人であることを互いに認めていたが、ほんの僅かな間に離れてしまった。
どこまでも高みを目指す友に追いつけないどころか、同じ場所であがいている。
冷めた瞳で自分を見つめるシルヴィアの視線が痛かった。
そそくさとその場を離れるダグザの後ろ姿をいつまでも見つめ、シルヴィアは唇を噛む。
「何故、斬らなかった」
そう呟いて、追うべき人間がどうしたかを想う。
彼等は間違い無く、斬るだろう。
自らを斬り、全てを斬るあの男ならば、勇者と呼ばれる女ならば。
下らない情に振り回されず、斬るだろう。
シルヴィアは静かに闇を睨みつけ、やがて、踵を返した。
夜は、長い。
暴力の時代は未だ、幕を開けていない。