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第4章 『汝、隣人を』5

 海洋都市オーロード。

 かつて、この国がヨッドヴァフと名乗る以前に国として成り立ち、首都として栄えていた都市は年月を経て、かつての栄華以上の華やかさを取り戻していた。

 北の山岳地から伸びる水路を中心に広がった水運はなだらかな岸壁に設けられた港で集積され多くの物流を作る。

 人がその住処を移す以前に残された史跡を利用した城を利用した街壁を利用して広がった街は外部からの魔物の侵入を防ぐ。

 だが、オーロードを語るのであれば、その特異ともいえる象徴を語らねばならない。

 超巨大大樹プリフニッカ。

 世界の果てから流れ着いたと言われる世界樹の種子が芽吹き、天に伸びたと言われる巨大な大樹である。

 大きく広がった木々の幹は葉を落とすことなく、その葉に雲を乗せる。

 嵐となると雲を集め、その葉に水を飲むその大樹はオーロードがかつて、世界の中心であったとそこに住む者に思わせるに十分な威容を持っていた。

 その大樹を見上げ、フィルローラはぼんやりと口を開いていた。

 犬車の中、マチュアは大樹の威容に驚くフィルローラの口にこの地特有のプリフニッカの塩を放ってやる。

 フィルローラは跳び上がって犬車の天井に頭をぶつける。


 「か、辛ひっ!」

 「ぎゃっはははは!」


 豪快に笑い飛ばすマチュアを叩くと、フィルローラは目の端に涙を称えて口の中から塩を吐き出した。


 「な、なにをふるんれすか」


 水を口に含みながら訴えるフィルローラにマチュアはげらげらと笑い転げ、ひとしきり笑うと、目の端に浮かんだ笑い涙を拭う。


 「いやぁ、あんまりあんたがぼけーっとしてるから、つい」

 「つい、じゃありません!あなたは子供ですか!」

 「男は永遠の子供、ってよく言うじゃん?女は嘘の上手い子供って思うんだけど、そこから嘘を取っ払ったら只の子供よね?ん?待てよ、じゃあ、嘘の上手い子供って事は女ってタダのムカつくガキってことになるのかな?どう思う?」

 「訳のわからない事をおっしゃらないでくださいまし。あー、辛い……まだ口の中がひりひりします。一体何をしたんですか」

 「プリフニッカの塩。オーロードのど真ん中に突っ立ってるあのドデカい木の樹脂を乾かした奴なんだけどね?これ、結構、保存の効く調味料として重宝されるのよ」


 袋の中から、茶色く乾いた塊を手にしてマチュアは弄ぶ。

 光の加減で虹色を移すそれは濁った茶色の中に透明さを持ち、いびつに歪んでさえいなければ磨く前の宝石のようにも思える。


 「オーロードは海に出る船乗りの街だからこういった調味料は喜ばれるのよね。船旅で長く船に乗ってると、食べる物も干し物ばっかりだからこういった物で味付けして飽きがこないようにすんの。まあ、このあたりで活動してる冒険者なんかも携帯食料に忍ばせて削りながら使うんだけどね」

 「それがプリフニッカの塩だというのは十分に理解しました。それをいきなり人の口に放るには何か理由が?」

 「これはー、うん、そう!オーロードを知るにはまず食文化から!人を作るのは食事よ。だから、オーロードの象徴であるプリフニッカを知ることでオーロードを知る。最早これは制したといっても過言でもない!」

 「と、いう建前の?」

 「アホ面下げてる堅物フィルがオタつく姿が見・て・み・た~い!」


 どこまでも稚気を隠そうとしない勇者に辟易しながらフィルローラは大きな溜息をついた。


 「落ち着きというものを覚えて欲しいものです。我々は観光に来た訳ではないのですよ?巡礼とはいえ、オーロードに謀反の気運が無いかを調べ、ひいてはヨッドヴァフの安寧、それは平和という代え難き奇跡の成就を……」

 「と、いう建前の?」

 「う……」


 言葉に詰まるフィルローラにマチュアは嫌らしく笑うと肩を抱いた。


 「力んだところで、実力以上の物なんて出ないものよ?肩の力を抜いて、できることだけ精一杯やりゃいいんだから」

 「ですが……女王陛下からの大命、能わずは多くの民を苦しみに追いやります」

 「それで自分が潰れてちゃ、しょうがないでしょうに……大丈夫よ?今まで見たところ、近隣の領地では戦の準備らしい準備はしていないわ」

 「……わかるのですか?」

 「私は元傭兵よ?だから子供女王も私に行けって言ったんでしょうに。戦になれば、食べ物も居るし、武器も居る。このあたりなら領民が兵として駆り出されるわ。そんな気配も無かったし、のどかなものよ」

 「それであれば、いいのですが」


 どこか安堵するフィルローラにマチュアは肩をすくめるとその背中を叩いた。

 犬車がオーロードの街壁を越え、周囲の景色が石造りの綺麗な町並みへと変わる。

 プリフニッカの大樹のふもとに見えるかつてのヨッドヴァフの王城ビビニア・キャッスルが陽光の中に煌めいていた。

 その向こうに僅かに見える、海、という巨大な湖に目を細める。

 生まれて初めて見る海というものの威容を想像してフィルローラはどこか恐れにもにた感覚を覚えた。


 「あんたはどーんと構えてればいいのよ。そういうのは私やアーリッシュに任せておけばいいの。勇者マチュアと、英雄アーリッシュ・カーマインの二人を従えているってことが大事なんだから。魔王を討ち果たしあまねくを救う勇者と、ヨッドヴァフの魔王を打ち倒し、平穏を世にもたらした英雄。グロウクラッセの栄光に導かれし人々の希望。あのアーリッシュだって早駆けの犬でもうちょっとしたら来るんだ……か…ら……あれ?」


 落ち着きの無いフィルローラを励まそうとしたマチュアは街中に見覚えのある影を見つける。

 拵える鞘のない超巨大な剣を布にくるみ、のろのろと歩く姿は冒険者のそれと思えるかもしれない。

 だが、潮風に吹かれて赤焼けする顔が多い中で、その端正な顔立ちは一目で異邦人としれる。

 それがチャカネズミのように頬をいっぱいに膨らませて、幸せそうにプリフニッカの名物であるサヴァチップスを頬張っている。

 両腕には大量の袋を抱え込んでいる。

 ゆっくりと通り過ぎる犬車の窓越しに目が合い、にこやかに微笑む彼を二人とも良く知っていた。


 「アーリッシュ卿、ですよね?」

 「うん、アーリッシュだと思う」


 オーロードの中央広場のベンチにどっかりと座り込み、勢いよくヨジの実の果汁を飲み干す彼は、おそらく、ヨッドヴァフの英雄アーリッシュ・カーマインその人である。

 一人で占拠したベンチの上にはおおよそ屋台で売っていたと思われる串焼きやら、名物やらを並べている。

 二人は歩みを止めた犬車から降りると、穏やかな陽気の中でとぐろを巻き彩り鮮やかなアオネジの実にクリームを盛ったデザートを固い葉のスプーンで掬う彼に歩み寄る。


 「やぁ、遅かったじゃないか」


 朗らかに返す彼は間違い無くアーリッシュ・カーマイン卿であった。


 「お早い、お着きで……」

 「いや、スタさんからオーロードのお勧めを聞いてね。いてもたってもいられなくなって道中犬を乗り換えて夜通し走ってきたんだ。3日くらい前からは居るかな?いやぁ、やっぱりいろいろな国の物が集まるから飽きないね。酸味のあるアオネジという木の実にプリフニッカの塩を僅かに混ぜたクリームを載せるなんて、凄い発想だ。これを見てくれよ、味気なく固いサヴァを薄くスライスして油で揚げて塩を振ってるんだ。これだけだと油が多くてくどいんだが、さっぱりとしたヨジの実の果汁と合わせるといくらでも食べられる。この食い合わせはスタさんが教えてくれたんだが他にも……」


 延々と食べ物の講釈を始めるアーリッシュはまるで子供のように目を輝かせていた。

 おずおずとフィルローラは尋ねる。


 「3日も前からこちらに……あの……セステナス・ミルド様はなんとおっしゃられて?」

 「ん?ああ、そういえば行かないといけないな。調べることが多すぎる。この後にでも行く気でいたのだが、どうしようか。この後、港で開かれる市場にそこでしか食べられないデビルフィッシュの串焼きが売られるんだ。マ・ネーズという見たこともない調味料を使っているらしくて、それだけは絶対に行かなければならない。一万匹に一匹いるといわれるケージと呼ばれるサモーンもおそらくはここでしか見つからないから是非にと思うし……かといって調理してる店もわからないから市場で直接調査するしかない」

 「でも、まずは謁見をすませてからではないと」

 「遅くなって尋ねるのも非礼だ。明日の朝のうちにでも……いや、朝市というのがあるから……難しいところだ」


 ヨッドヴァフの魔王を打ち倒し、平穏を世にもたらした英雄。グロウクラッセの栄光に導かれし人々の希望と謳われる騎士アーリッシュ・カーマインは確かなる意志をもってオーロードを調査していた。

 マチュアはそんなアーリッシュの様子を見て、ぼそりと呟く。


「馬鹿がおるでや」


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