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第4章 『汝、隣人を』1

 ヨッドヴァフの夜に凶刃がひらめくのはもはや日常である。

 迫ってきた冬の冷たい空気を切り裂いて、鈍い血の臭いが広がる。

 血の臭いを嗅ぐのはこれで、幾度目か。

 自らの肉を断つ焼けるような痛みを後に引き、シルヴィアは流れる景色の向こうに自らが放つ銀閃が黒衣の胸を断つのを覚えた。


 「フゥッ……!」


 鋭く細められた吐息と同時に翻った切っ先が黒衣の頭を貫くと、残像を残して引き抜かれる。

 追いかけて吹き出た血が体をかわすシルヴィアの銀色の髪に乗り、暗闇の中で妖しく輝く。

 シルヴィアを取り囲む黒衣の男たちはその流麗な剣技と凄惨な佇まいにその少女の異名を思い出す。


 「ヨッドメントの殺戮人形」


 返り血で真っ赤に染まったシルヴィアは静かに剣の切っ先を男たちに定めると、次々と命を奪ってゆく。

 切っ先が翻るたびに肉の破れる音が響き、命が潰えていく。

 フィダーイーと呼ばれる手練れ達である。

 人の身ならざる尋常の領域の外で生きる彼等の命を潰しながら、シルヴィアはそれでも足りない手応えを感じていた。


 「よく、殺しますね」

 「未だ、至らず」


 隣では同じように返り血で全身を汚したアルヴィーテがシルヴィアに呆れていた。


 「ヨッドメントはフィダーイーが担っていた暴力による均衡を受け持つことをその責務とします」

 「……だからといって、全てを殺すのですか」

 「あなたは、元フィダーイーでしょう。なら、暴力に共存は無いことを知っているはずです」


 シルヴィアはそう告げて倒れ伏した黒衣の男達を見下ろした。

 肩口に走る自らの傷から滴る血を指ですくい取り、舌先でなめると僅かな刺激を覚えた。

 アルヴィーテから丸薬を受け取ると手のひらで潰して傷に刷り込む。


 「ヨッドメントが国の持つ暴力装置であるのなら、それは正しく他の暴力を淘汰しなければならない」

 「……勇者マチュアにはその気は無いようですが」

 「あなたには答えがあるのか?」


 シルヴィアの問いに答えられるだけアルヴィーテは年を重ねてはいない。


 「ですが、その果てにある領域には滅びしか無い」

 「自らが死ぬ覚悟は、すませました」


 生暖かい血が湯気を放つ剣を納め、シルヴィアは鼻を鳴らした。

 アルヴィーテはそんなシルヴィアを見て思う。


 「血に酔っている」


 かつての自分もその高揚は経験した。

 先達に言われるままに、その高揚を抑えてきた。


 「……未だ至らず」


 繰り返すようにシルヴィアはつぶやいた。

 翻った銀の鎧の背に刻まれたヨッドヴァフの紋様が血に輝く。


 「全ての暴力、悪徳は国が担う。それが忌憚ない国の正しき姿。ならばこそ、フィダーイーはもはや古き盟約を離れ、ヨッドメントにその勤めを譲らなければならない」


 シルヴィアはどこか、挑むようにつぶやいた。


 「……褐色の幽霊すら」


 そう呟いたシルヴィアは闇の奥に潜むその気配に気がついた。

 遅れて気がついたアルヴィーテは同じく闇の奥を見つめる。

 そして、その小さすぎる気配に恐怖を覚えた。


 「何者か」


 知らぬということはそれだけで強い。

 アルヴィーテは生きてその伝説を目の当たりにしてきており、その、恐ろしい気配の正体に身がすくむ。

 その様子を察したシルヴィアは油断無く剣を構える。

 それは静かに輝き、姿を現した。


 「人は人の手に、フィダーイーはフィダーイーに。その古き盟約は破られ、我々は等しく隣人となった。牙を突き立てれば、当然、爪で裂かれる覚悟もできていようや?」


 人としては小さく、薄く輝く羽を持つそれはフィダーイーの中では伝説と呼ばれる存在である。


 「パーヴァリア・キル」


 乾いたのどの奥からはき出した声にアルヴィーテは震える。

 アルヴィーテがどれほど遣うのか、シルヴィアは理解していた。

 だからこそ、ここまでアルヴィーテが怯える相手を前にどこまでも冷めていく自分を見つけることができた。


 「良い獣だな。恐怖を前に賢しさを獣性に落とし暴力の水平に立つ。死を厳粛に受け止めたものの至れる境地なれど多くの人はそれを覚えずに見苦しく生を終える」


 パーヴァリアはゆらゆらと虚空に揺れながら笑った。


 「……魔物が良く人の言葉を喋る」

 「クク、揺れるか?安心するがいい、我にセトメントは無い。戯れだ」


 先に動いたのはシルヴィアだった。

 銀色の残像を残して奔るその流麗で峻烈な突きは、銀血鬼の二つ名に恥じぬ鮮烈なものであった。

 爆ぜた剣の音が大気を破り、響いた音が静かに音を引く。


 「ふむ、的が小さくとも狙えるか。怖い怖い」


 だが、その剣の切っ先に座り、シルヴィアを馬鹿にしたような顔でパーヴァは笑う。

 即座に切っ先が翻り斬り上げられる。

 ゆらゆらと揺らめき切っ先を逸らすパーヴァの動きに一切の無駄なく最小に振るわれる剣の切っ先が燐光の中できらめく。

 斬られた大気が音を幾重にも発し、唸りはじめる。

 勇者マチュアからほどきを受けた剣の極致は人ではなく、魔を断つ剣での極意である。

 人より強大な力を持つ魔を討つべく磨かれた剣は人の身に余る暴力なのだ。

 だが、しかし。

 玉の汗を散らしながら幾度剣を振るったことか。

 決して届かないその切っ先にシルヴィアはこの魔物が自分の届かない場所にいるものだと知る。


 「理解したか?小娘よ」


 人を小馬鹿にしていた笑みが途端に凄惨さを帯びる。

 何千年にもわたるフィダーイーの歴史の中に燦然と輝く漆黒の、仕手。

 アルヴィーテから話だけは、聞かされていた。


 「死の……妖精ぃィッ!」


 斬撃が速度を増す。

 跳ね上がった銀の髪が剣圧で広がり、速度は音を裂き始める。

 手元のみで幾重にも跳ねる剣の切っ先は絶え間なく妖精を追うが妖精は剣の周りを旋回する余裕すら見せる。

 死の妖精が眼前に迫った時、シルヴィアは敗北を悟った。

 剣の切っ先が一瞬、止まる。


 「児戯だな」


 鼻の頭に熱い痛みを覚える。

 死の妖精の手には薄く細い鋼が握られていた。

 瞳にその鋼を突きつけられ、シルヴィアは自らの命がこの妖精の手の中に落ちたことを知る。

 僅かにでも動けば、この妖精は自らを刺し貫くだろう。

 傍らにいるアルヴィーテの助けは、期待できそうにもない。

 シルヴィアは自分が終わったと思うあの冷たく、どうしょうもない感覚の中に再び揺れる。

 これだ。

 この感覚が、いつまでも自分を捕らえて、離さない。

 恐ろしく冷たく、だが、そんな冷たさなど微塵も無く、それでいて締め付けるように焦らせながら、また、呆然としそうになる。

 その瞬間、である。


 「―――ァァァ――」


 獣のような咆哮が夜の大気を震わせた。

 シルヴィアの姿が掻き消える。

 瞬く間にパーヴァの背後に跳び上がったシルヴィアの剣が理を捨て大上段から振り下ろされる。

 その大仰な動作はパーヴァからしてみれば緩慢でしかない。

 だが、人の身を超えた速度で放たれた斬撃は今までの比ではなかった。

 パーヴァは僅かに身をよじり、切っ先を外すと横殴りに吹き付ける剣気に身をさらし、シルヴィアの瞳を見た。

 煮えたぎったマグマのような渇望がそこにあった。

 それは一言で言えば、執着なのだろう。

 強さへの、ひいては、生きることへの。

 縦横無尽に振るわれる剣は、パーヴァの居た空間を銀の光芒で埋め尽くす。

 避ける場所すら埋め、ただ一つの暴力と変わった剣が振るわれる。

 幾度か、切っ先がパーヴァの鋼を掠め、火花を散らす。

 残像すら追い越し振るわれる剣が死の妖精を舐めた。

 確かな、手応えを感じた。

 死の妖精が二つに断たれ、地面にぱさり、と落ちる。

 焦げた臭いが立ち上り、それが自らの剣が放つ風を焼いた臭いとわかれば荒く息をつく。

 自らを捕らえた死の恐怖に抗い、振るった剣が捕らえた獲物にシルヴィアはどこかけだるげな高揚を覚えていた。


 「もとより、我々の業だ」


 粘り着くように耳元に残る声に、シルヴィアは高揚が一気に悪寒へと変わる。

 シルヴィアの肩に座る死の妖精は最早、興も尽きた様子で嘆息をこぼす。


 「シュンハツハーキィ・レンケ・ナイコ、とでも呼んでいるのだろう。これらは全て我々魔物が生まれながらに備えている業。それを用いたところで魔物と同じように振る舞えるだけだ」


 魔物の技すら駆使し、自らの体の限界を超え、至らぬ強さへと僅かにでも手を伸ばす。

 銀血鬼と呼ばれる少女の執着をパーヴァは鼻で笑った。


 「なれば、あとは業に染まった年月のみが差となることくらい、理解していよう?」


 シルヴィアは苛立たしげに肩を落とし、決して視線を合わせることなく息を吐いた。

 獰猛に吐き出された獣の吐息は冬の空気に逆巻き、消える。

 真正面に現れた魔術師が静かにシルヴィアとアルヴィーテを見つめていた。

 その魔術師にパーヴァは鼻を鳴らすと、告げた。


 「白鯨か。余興にふける我をたしなめにきたか?」

 「灰色の魔術師が来る」


 その青年――イシュメイル・スタークラックはどこか神妙な面持ちでそう告げた。

 シルヴィアは肩に乗る殺気が急激に膨れあがるのを感じた。


 「小さき星が告げた。フィダーイーが人の手に淘汰されるは必然。なれど」

 「あれがッ!あれがまた私にまみえるのかっ!」


 パーヴァの取り乱す様は異常であった。

 イシュメイルは淡々と告げる。


 「星である」

 「なれど私の羽では届かずッ!なればこそ私は小さき星に師事したっ!そして悟った!我には決して、全てのフィダーイーをして、魔王…いや、悪魔ですら奴の膝下に及びもしないっ!」


 狼狽える死の妖精にシルヴィアは先ほどまでの闘争の熱気もどこかへ行き、彼等が完全に人を無視していることに気がついた。

 それは、屈辱である。

 だが、しかし。

 その彼等をして狼狽させる灰色の魔術師がいかなものかに興味を持った。


 「夜空の星は巡る。薄暮の空とも深淵の闇にもあらず、灰色の空を作る奴は理を壊す」

 「全てのニザへ告げるのだ。我々は生き残るために戦わねば、ならない」


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