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第三章『不徳の業、愛惜の行方』10

 雨の止んだ空は晴れ渡ることは無かった。

 暗く濁った雲が空を覆い、星々の光を隠す。

 大地に跳ねた雨が飛沫となり、冷たい霧となってヨッドヴァフを静かに包んだ。

 バンディドは次の手を考えていた。


 「よもやタレズが自ら腕を切り落とすとはな」

 「……どうするよ?」

 「ニヴァリスタに逃げる。家族は散らせ。また、迎える日もあるだろう」


 家族と別れるのは苦痛なのだろう。

 部下達は暗い顔をして、それでもバンディドに続いた。

 それは悪徳で生きる彼らが抱える痛みであった。

 だが、生きてさえいればどうとでも再起は図れる。

 今は自らが生きるために逃げ延びなければならない。

 深い霧に紛れ街壁の外のスラムを足早に進む。

 金を知るものは迅速こそが肝要であることを深く、知っていた。

 ――静かな霧の中、鐘が鳴り響く。

 バンディドは怪訝に思い周囲を見渡す。


 「……明け方の鐘には遠い」

 「捕り物でもなさそうですぜ」


 騎士団が逃げた獲物を追うにも鐘を鳴らす。

 だが、そのいずれとも違う。

 どこまでも不気味な響きを持つ鐘の音に彼らは一つの噂話を思い出す。


 「褐色の、幽霊?」

 「まさか……俺たちを殺しに来たりはしめえよ」


 バンディドは部下達の動揺に心配を覚える。

 不覚を取って故郷を遠く離れなければならない彼らの弱さが噂程度の話にも怯えるようになってしまっている。


 「急ぐぞ」


 先を急ぎ、彼らを安心させねばならない。

 僅かにぬかるんだ道を急ぎ足で進み、バンディドは霧の中にその影を見た。


 「お急ぎの御用でしょうか」


 鈴を転がすような綺麗な、それでいてどこまでも底冷えするような声でそれは告げた。

 バンディド達は足を止める。

 霧の中に佇むそれはどこまでも静かに、そして不気味に佇んでいた。

 雨露を滴らせた褐色のローブは鈍く湿り、不吉な黒に染まっていた。

 褐色のローブから僅かにのぞく髪が銀色に輝く。

 煌々と輝く赤い瞳がどこまでも不吉でバンディド達は死の匂いを嗅いだ。


 「税吏のものでもあるまい。そこを退け」

 「税吏とは違いますれど、いただかなければならぬものがあります」


 女の声だ。

 厚くこもった雲が静かに引き、月の光が零れた。


 「不徳につきまして、そのお命を」


 鐘が鳴り響く。

 蝶が羽を交差する時に満たない。

 褐色の幽霊はバンディドらの中に走るとほんの僅かにローブの裾をはねた。

 白くたおやかな腕が伸びる。

 白磁のそれと見まごう美しい腕に、それは命を掴んでいた。

 赤く血の滴る心の臓が抜き取られたことを知らず、力強く脈打っていた。

 バンディドの傍ら、男が自らの胸に空いた穴を見下ろす。

 噴き上がる血と、急速に熱を失う体を支えられず、男は崩れた。

 そして彼らは知る。


 「――褐色の、幽霊」

 「フィダーイーはフィダーイーに、人は人の手に。相成れば私はいずれかたゆとう。されどご容赦なりません」


 褐色の幽霊――ラザラナット・ニザは冷酷にそう言い放ち、心の臓を握りつぶした。

 爆ぜた血が合図であった。

 剣を抜き放ったバンディド達の中でゆらめき、消えるラナを追うように霧の中から鎖が伸びた。

 真っ直ぐに放られた鎖はその重みでもって男の額を潰す。

 生き物のように伸びる鎖がしなり、凶暴な音を立てて男達を抉ってゆく。

 首を巡らせて見れば、古びた教会の鐘楼にそれは立っていた。

 褐色のローブに身を包んだ大男。

 その背には鎖で吊された鉄の棺桶を背負っていた。

 黒い瘴気を纏ったその男は朝の冷気に白く染まる吐息を吐き出し、冷酷な瞳でバンディドらを見下ろしていた。

 その腕にはアルメジア彫りが施された鎖が巻かれていた。

 そして、多くの死を運んだ手の中には茶けた聖典を。


 「……汝等は知る。どれほど精緻に覆い隠そうと悪意は割れた瓶に注ぐ砂のように零れる。そして落ちた砂はやがて汝等を飲み干す」


 男はどこまでも冷酷に告げると、跳躍した。

 巨大な棺桶とともに飛んだそれは彼らの中に確かな重みを持って降り立つ。

 足下が揺れ、おぼつかなくなったその刹那、それは振り回した。


 「――死ねッ!」


 巨大な棺桶を。

 振るわれた棺桶が竜巻のように男達の体を凪ぐ。

 鋭利な刃物より鋭く、何よりも重い鋼鉄が死を運ぶ風となって彼らを潰した。


 「ひぃあ……ああぁあっ!」


 死の颶風から逃れようと背を向ける。

 だが、颶風の中、それの腕から伸びる鎖がしなり男の首を捕らえた。

 縛鎖が彼を棺桶に引き戻し、鎖がぎりぎりと締め上がる。


 「ぐぅ……ウゥッ!ア……ゲェッ!……」


 苦しみ、悶え、口から唾液を迸らせ、呻く。

 だが、苦悶の悲鳴すら許さずそれは彼の命を奪った。

 力なく崩れた彼は精緻な死の装飾の施された棺桶の上、磔となり、また自らも一つの死となった。

 その棺桶を重々しく地に叩きつけ、男は深く息を吐いた。

 吐き出された吐息が白く瘴気を纏って立ち上る。

 バンディドはそこで理解した。


 「……褐色の、幽霊」


 それは噂話でしかなかった。

 鐘の鳴る夜、褐色の幽霊が人を殺める。

 アルバレア平原の戦いで英雄に栄光を伝えたそれはグロウリィドーンの影となり、人々をまた、殺める。

 バンディドは駆け出す。

 生き延びる為に、逃げなければならない。

 不徳の中で生きてきたバンディドは覚悟は済ませてきた。

 だが、それでも、このような不条理に殺されてなるものか。


 「生きる業に非ず。貴様の死は不徳が招いた」


 その幽霊は常に、結論から告げる。


   ◇◆◇◆◇◆◇


 郊外へ逃げ延びたバンディドは荒くなった息を整える。

 一人逃げ延びた彼は激しく脈打つ心臓に体の熱さを覚えるが、それを超えて死の恐怖が怖気を運ぶ。

 古びた井戸をみつけ、急ぎ桶を引く。

 汲み上げた水を飲み干し、井戸に背を預け大きく、大きく息をつく。

 それでも静まらない息にもどかしさを感じ、必死に逃げ延びたと自分に言い聞かせる。

 鐘が遠く鳴り響く。

 どこまでも遠い鐘の音が耳にこびりつくように響き、バンディドは再び恐怖にかられる。

 この鐘の音が聞こえなくなる場所まで。

 怖気が抜いた腰は震えて、立てなくなっていた。

 泥にまみれ、這ってでも。

 グロウリィドーンから逃げようとするバンディドの前に、それは再び姿を現した。


 「未だ、お命頂戴いたしておりませぬ」


 褐色の、幽霊。

 だが、それは今まで見た幽霊の中でも一際小さかった。

 よく見れば、子供である。

 今までの幽霊が幾多の死の匂いを漂わせていたのに、この幽霊は。

 いまだ、幼さの残る顔を引結び、バンディドを見下ろすその顔は幼い少女のものだった。

 途端に、力が沸く。

 足に力が戻り、バンディドは立ち上がると少女を見下ろした。

 そして、思い出す。


 「……お前は、タレズの孫娘か」

 「違えられたのはあなた方にございます」


 バンディドにはこの少女が何を言っているのか理解できなかった。

 「タレズ・リゲリアは不徳にありながら、鉄鎖を繋ぎ、誠実をもって死を選びました」

 少女はバンディドを見上げ、淡々と呟く。


 「なればこそ繋いだ鉄鎖の重み、軋みに応じ、褐色の幽霊は人を殺めあんす」


 少女はどこまでも冷酷にバンディドを見上げていた。

 それがバンディドにはどこまでも滑稽だった。

 剣を抜き放つ。

 少女は剣も、何も帯びてはいない。

 そして、小娘一人、斬り殺すのは造作ない。

 幾度もその凶刃に人を手がけてきたバンディドは凄惨さを取り戻した。


 「小娘が。ニンブルドアで爺とまみえろっ!」


 剣を振り上げ、踏み出したバンディドが吠える。

 振り下ろされた剣が少女のローブを断ち、額を割る。

 振り抜かれた剣が肩を裂き、腹を抜け、土を穿つ。

 確かな手応えとともに、バンディドは会心の笑みを浮かべる。


 「生と死を分かつニンブルドアンの扉は遙かに遠く」


 断たれたはずの少女は、ずるり、と体を落とし、そう呟いた。

 零れた血が噴き上がり、瘴気となる。

 それらが盛り上がり、青白い腕を作るとバンディドの足を掴んだ。


 「な……あ……」


 恐ろしい膂力に引きずりこまれ、バンディドは血の海の中に沈む。

 少女は傾いた体を地面に沈め、凄惨な笑みでバンディドの顔を覗き込んだ。


 「思い知れ」


 バンディドは剣を振るう。

 真横に断たれた少女の顔が宙に舞い、血の中でぎょろりとその瞳をバンディドに向けた。

 裂かれた口から笑みが広がり、バンディドをさらなる狂気の中へと落とす。

 頭から伸びた腕がバンディドの頬を掴み、瞳が覗き込む。

 瞳がいくつにも分かれ、それぞれがぐるりと回り、バンディドを睨め回すと、小さな、可愛らしい歯が、彼を抉った。


  ◇◆◇◆◇◆◇


 タマは地面に横たわるバンディドを見下ろし、息をついた。

 汚らしく唾液を口のまわりに垂らし、痙攣する様を見下ろし鼻を鳴らす。

 失禁し、鼻をつく異臭をさせるバンディドの傍らに寄り短剣を抜き放つと首筋に当てる。

 一思いに引き抜こうとして、辞めた。


 「……苦しんで、死ね」


 弱者を虐げ、不徳を糧に生き延びてきた彼らに侮蔑を込める。

 そうしてタマは井戸から小袋を引き上げると、かわりにいくつかの小袋を井戸に放った。


 「マルネジアの花」


 いつの間にか傍らに居たスタイアが呟いた。

 タマは袋の中を開き、禍々しく紫に咲き誇る花を手に頷いた。


 「……コルカタス大樹林の奥、強度の幻覚を見せ体を麻痺させ死に至らせる。その生息圏に入った人は愚か、魔物の死骸すら食する」


 タマは水に滴るその妖花をバンディドの顔に放った。

 僅かな痙攣を繰り返すバンディドはやがて事切れた。

 短剣を鞘に収めたタマは静かにスタイアに頭を下げると呟いた。


 「……私には剣は扱えませぬ故に」


 スタイアは鷹揚に頷き、東の空を眺めた。


 「夜が開ける」

 「急ぎ、ジェザートの始末をば」

 「今からでは、間に合わない」


 スタイアはそう言って街を見た。

 早くに起き出した人々が朝の賄いのために動き出している。

 タマは唇を噛みしめ、スタイアを見上げた。


 「……幽霊は夜にのみ存在する。白日の下、振るうべき暴力はここには無い」

 「だけどっ!」


 スタイアはタマに厳しい一瞥をくれた。


 「仕切りは君だ。仕切りの甘さが今宵の不手際。昼と夜が変わるを留める術は無い。事が知れれば、ジェザードの始末は難しくなるだろう。同じ夜は二度とは、来ない」


 タマは至らぬ自分を覚え、深く俯く。

 スタイアはそんなタマに追い打ちをかけるように告げた。


 「お前が俯き、頑なになろうと託された思いが果たせるものか。俯き自分を救おうとするな、見苦しい」


 どこまでもタマを打ち据え、スタイアはその場を去る。

 タマはいつまでも朝露に濡れ、その場に立ちつくす。

 歩み去るスタイアの前に立ったラナがスタイアを厳しく睨みつけていた。

 スタイアは柔らかい苦笑を浮かべるとその傍らを通り過ぎる。

 その背後に立ち、ラナは告げた。


 「……あなたが斬りに行けば、夜は明けなかった」

 「でしょうね」

 「あの娘は、未だ未熟」

 「なればこそ、この業に染めたくはなかった」


 スタイアはどこか疲れたように呟いた。


 「なれば何故許したのですか」

 「……僕も、君も、これしか知らない」


 それはどこか寂しげな声だった。


 「いくつもの道を示し、鉄鎖を繋ぎ、だが、彼女はこの業を選んだ。それは僕らがこの業を見せてしまったからだ」

 「……なれば」

 「なればこそ……厳しくしなければならない」


 振り向いたスタイアの顔はどこまでも厳しかった。


 「人を生かすには、人を殺すより深い覚悟が要る」


 ラナは言葉に詰まる。

 いつものように無表情に迫るラナにスタイアは初めて優しく微笑む。


 「彼女は知らなければならない。暴力とは何かを。夜闇に紛れて振るわれる暴力と、白日の下に振るう暴力を」

タイトルがググりづらいというお話をいくつか聞きましたので、改題を検討しています。試しにDingo・Dingoと頭につけてみました。いい案あったりこれまずいよ><ってのがあれば教えて下さると助かりあす。

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