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第三章『不徳の業、愛惜の行方』9

 遅れてきた雷が静かに響く中、その店は異様な静けさを醸していた。

 静かに跳ねる雨の飛沫が煙り、霧となる。

 その中で、柔らかいオレンジ色の光をいつまでも揺らめかせ、その店は闇の中に佇んでいた。

 吸い込まれるように入ったネルは軋んだドアが鳴らす鐘の音がやけに大きく響いたように思う。

 人の居ない静謐さに包まれた店内に、灯された蝋燭。

 ネルは静かにその卓について現れるのを待った。


 「……ようこそ、リバティベルへ」


 静かな、そしてどこか冷たい声が響いた。

 雨の残滓を引き連れてやってきたのは彼女の友人だった。 


 「タマ……?」

 「……あい」


 小さく頭を垂れたのは紛れもなく彼女の友人である。

 どこまでも現実の澱を見てきた友人の瞳は冷たく霞み、ネルの心中を全て見透かしているような目であった。


 「いかような、ご用件で」


 そう押して尋ねるタマの唇がどこまでも蠱惑的で冷淡で。

 震えるネルはそれでも、友に告げた。


 「……仇討ちを、お願いします」


 タマは静かにネルを見据え、息を吐いた。


 「どなたの死をご所望で?」


 そう尋ねられ、ネルは言葉に詰まる。

 誰が祖父を殺したのか、どうして祖父が殺されねばならなかったのか。

 悪徳に染まっていた由は知っていた。

 だが、深く、理解することをしなかった。


 「名は……」


 そこまで呟いたがそれ以上は声にならなかった。

 愛情の中でぬくぬくと育った自分は、全てに対して甘い覚悟で望んでいた。

 それが、友と自分を隔てる大きな壁であると知っていたのに。


 「知らぬを殺めるは叶いません。それとも、ヨッドヴァフの全てを殺めましょうか」


 友はその自分の弱さを責めている。

 いや、叱咤している。

 寄る辺なく生きねばならない自らの境遇に同情するのは簡単であると知っている。

 そして、同情に甘えて立ち上がるを覚えない人間が多いこともまた、タマは知っている。

 だからこそ、友として、艱難にあって叱咤し自らを諫めているのだ。


 「……名は、知りません」


 ネルは吐き出すように呟いた。

 そして、その先を続けた。


 「ですが、我が祖父、タレズ・リゲリアを殺めた者達、全ての死を私は望みます」


 自分でも、どこか、暗い影を覚えた。


 「金貨二十枚」


 タマはそう言い切った。

 金貨二十枚とは言ってしまえば一財産である。


 「御祖父の仇討ちをもちまして、携わり郎党皆々様の皆殺しをお望みであればそれら幽霊の足を捜しまして金貨十五枚、一人残らずの皆殺しで五枚。金貨五枚にては足りません」


 そう告げたタマの瞳は笑っていなかった。

 ネルは小さな壺を卓上に置いた。


 「これに、あります」


 それは生前に、タレズ・リゲリアが貯めた金であった。

 頑丈に封のなされたその壺は僅かな俸給と、細工をして日々の賄いから苦心して貯めた金銭である。

 ネルはその壺をテーブルに叩きつけ、砕くと散らばった金貨を憤怒の形相で見下ろした。


 「これで、どうか」


 だが。


 「これは、あなた様の銭金にありません」


 タマはそれを全てネルの前に押し戻した。


 「人様を殺めるにあたり、あなた様の覚悟の程を試させて頂きます。不徳や愛惜もろもろをもって人とするならば、タレズ・リゲリアの死は必定。不徳の条理に苛み無念無く死したタレズ・リゲリアの銭金でもって人を殺めれば、あなたの友は金で命を奪った畜獣と成り果て、また、その友も畜獣の誹りを免れません。あなたは何をもって、誰を殺したいのでしょうか?」


 自らの友はどこまでも厳しかった。

 アカデミアの課題とは違い、答えなどどこにもない。

 全ての倫理、論理を取り払った先に厳然と横たわる不条理と、その中で産まれた条理に苛まれ、賢しさの卵であるネルは答えた。


 「金二十枚、あなたより、借りましょう」


 タマは鼻で笑った。


 「返す見込みの無き銭金を誰がお貸ししましょうか」

 「金百枚で五年の後」


 途方もない額である。

 だが、ネルはそれだけの価値をタマに提示した。

 その言葉には覚悟があった。


 「それだけの価値が老いた祖父に?」

 「いくら銭金を積もうと、祖父の愛は賄えない」

 「証も無ければ謀るのと同じにございます」

 「なれば、これをお納め下さい」


 ネルは祖父が遺したブローチを差し出した。

 友の証に、とタマへと貸したブローチだ。

 祖父が造り、母、そして、自分へと繋いだ愛の証だ。

 それを友へと貸す。

 タマはじっとそのブローチを見つめ、呟いた。


 「……なにをして、自らに証を立てましょうか」

 「これにて」


 ネルはタマから譲られたベルトを首に巻いた。

 奴隷の証である首輪。

 道行く人は好奇と、侮蔑を彼女に向けるであろう。

 だが、それをして、彼女は祖父の仇を討つ誇りとする。


 「なれば、金貨二十枚、お貸し致しましょう」


 タマは静かに、どこか、疲れたように呟いた。

 ハンドベルが鳴らされる。

 闇の中に静かに佇むラナがその手に摘む小さな金を振る。

 その度に響く、鐘の音色がどこまでも冷たく空気を引き締めた。

 タマは再び、気を締めると、どこまでも冷たく告げた。


 「証成りまして、金二十、お貸し致します」


 テーブルの上に手早く、精緻に金貨二十枚を並べてゆく。


 「仇を知りたくば、金十五枚」

 「是が非に」


 ネルは悲壮な覚悟でもって告げた。

 タマは卓上に並べた金貨を滑るように手の中に納め、テーブルの上に積み上げた。


 「タレズ・リゲリアを殺めしはジェザード・モエトヤの手のバンディド・ハナムスク。ニヴァリスタとの交易に際し、金貨を偽造せんがためタレズ・リゲリアの不徳と愛惜を用い迫った。以上に相違ありません。皆々様の皆殺しをご所望なれば金五枚」

 「……是が、非に」


 泣き出さないように、必死に、だが、どこまでも暗く、ネルは呟いた。

 タマは震える手でハンドベルを手に取った。

 そうして、小さく呟く。


 「ネル」


 それは未だ幼さの残る声だった。

 僅かに涙を浮かべるネルにタマは言った。


 「艱難に望む君に、命運を拓く剣を」


 それは、友と見た作られた運命の話。


 「ありがとう、友よ」


 だが、ネルは震える声で真実を告げた。


  ◇◆◇◆◇◆◇


 スタイアは店の奥でだらしなく椅子に背を預け、苦笑していた。

 見事仕切りを終えたタマは金貨5枚を盆に載せて前に立つ。


 「大変でしょう?」


 厚い手の平でタマの頭を撫でると苦笑を消した。


 「……人を生かすのは、殺すのより難しいです」


 タマは吐き出すように呟き、俯いた。


 「自分の甘さがわかるかい?」

 「はい……私は、彼女の祖父が遺したものを受け取れませんでした」


 傍らに立つラナがそっとタマを抱きしめた。

 タマはその腕を払って続ける。


 「……人は、忘れます。どのような痛みも、悲しみも。だからこそ、一人で生きていく術の無い者には恨まれようと厳しくしなければいけませんでした」


 タマにはそれができなかった。


 「君は奪うべきだった。彼女と祖父が繋がっていた証、そして、彼女がこれから生きる糧にするあの金を奪うべきだった。怒り、憎み、そして、どこまでも深い悲しみを彼女は覚えるべきだった。何一つなく世情の辛さに身を委ね、飢えが身を裂き、渇くことのない悲しみを身に覚え、そしてそれを糧に彼女は生きる強さを得るべきだった」


 スタイアはどこまでも厳しくタマにあるべき姿を指摘する。


 「君が、淡い善意で彼女を殺す」


 どこまでも厳しいスタイアにラナは静かにタマを抱いた。

 だが、タマはそれでも前に進み出てスタイアに静かに頭を垂れた。


 「人を、生かす覚悟が私にはありませんでした」

 「人が生きるには、殺めるより深い覚悟が要る」


 そう断じてスタイアはゆっくりと身を起こした。

 タマは膝を折って頭を下げる。


 「どうすれば……人を生かせるんでしょうか」


 懇願するタマの姿が痛ましかった。

 ラナはその姿を見下ろし、どうにもならない歯がゆさを覚える。

 人の傍らに寄り添う暴力として人の心を救う術は覚えていない。

 人を救えるのは、人でしかないのであれば。


 「……君は、優しい」


 スタイアはどこか柔らかい眼差しでタマを撫でた。


 「君は苦境に立つ友の痛みを分かち、また、誇り高きをもって死することを厭わず果てた老爺の愛を裏切れない」


 タマはほんの僅かに涙を零した。


 「その優しさは悪か?人に仇成すものか?その愛でもって成すなれば、人を生かす」


 多くを殺め、そして多くを生かした者の言葉にタマは顔を上げた。

 スタイアはそして彼女を生かすために、愛をもって厳しく告げた。


 「行きなさい。君が殺すんだ。多くの不条理を許しては、ならない。救うと決めた友の為に」


 タマは涙を拭い、冷たく見上げた。


 「まんず、まず、殺めに参ります」

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