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第三章『不徳の業、愛惜の行方』7

 棺桶を打つ釘が無くなったので夜半の街に買い求める。

 夜半ともなれば店を開いている者も多くなく、ユーロもどこも開いてなければ諦めて帰るつもりでいた。

 だが、一件だけ、そう、一件だけこの夜半でも炉に火を灯している場所がユーロにも心当たりがあった。


 「やあ……もう夜更けだというのに珍しい来客だ」


 名槌ハイングの一人娘、メリーメイヴの店である。

 昼間は鍛冶師としての仕事をこなし、空いた夜半に業を磨く。


 「釘を」

 「いいとも。そこにあるからもっていくといい」


 槍や剣の目釘となる釘がいくつも並んでいる箱から適当な長さのものを見繕いポケットに入れるとかわりに銅貨を置く。

 メリーメイヴは額に浮いた汗を拭うと袖の深い作務衣に袖を通し、今まで取りかかっていた細工を明かりに透かした。


 「細工、か」

 「私はこちらを本職とするからね。意気があっても業がなければくずれ、業があっても意気が無ければ成らず。なかなか、難しいよ」


 意匠の懲らされた鐘を作業台の上に置くと、メリーメイヴは小さく溜息をついた。


 「ちょっとベルトを外してくれまいか」

 「いきなり何を」


 ユーロは怪訝な顔をする。

 メリーメイヴはどこか挑戦的な顔で笑う。


 「なかなか上手いのだろう?」


 どこか蠱惑的にも見えるその笑みにユーロは首を傾げる。


 「不満でも溜まっているのか」

 「溜まっている?ああ、溜まっているとも。たまには発散もさせたいさ」


 カウンターを跨ぎ、にじり寄るメリーメイヴにユーロはたじろぐが彼女はそんなユーロの外套のボタンを外すとズボンのベルトに手をかけた。


 「ふむ。外から見るだけでも流石だな」

 「親父さんが許しはしまい」

 「許さないだろうねえ。怒るだろうさ。だけど、父親というのはそういうものだ」


 メリーメイヴはユーロのベルトを指先でなぞりながら小さく笑った。


 「外すよ?」


 かちゃかちゃとベルトのバックルを外すとゆっくりとベルトを引く。

 ユーロはこの後に起こる面倒事を考えると、大きく溜息をつく。

 メリーメイヴはベルトのバックルを裏に表にめくり、同じように大きな溜息をついた。


 「さすがリゲリア氏の業だ。バックルとはいえ意匠、鍛造、どれをとっても巧みだ」

 「見たいのはそっちか」

 「む?他に何かあったのか?それならば是非に見せて欲しいものだが」

 「いや、存分に見るといい」


 ユーロはベルトを引き抜くとメリーメイヴに放った。

 ユーロのベルトはタレズから譲り受けたものだ。

 細工を副業として営むタレズの業はメリーメイヴから見て、見習うべき先達の業ではある。


 「しかし……これだけの業をどこで身につけたのだろうな?」


 昼の作業で疲れたのだろうか、メリーメイヴはカウンターに手をつき背を大きく伸ばしながら呟いた。


 「並の細工では精緻すぎる。がしかし、小物細工にしては鍛造に通じすぎている。その道に通じれば理解もあろうが、準騎士の副業としてはいささか度が過ぎる。それに……」


 メリーメイヴはバックルの縁に彫られた細工をなぞり、小さく零した。


 「これは金貨の縁取りにつかわれるアルメジア彫りだ。折り返しと深さが難しくなかなか体得もままならない。一度、教わってみたいのだがね」


 そこまで呟いたメリーメイヴからユーロはベルトを取り上げた。

 手早く巻くと、帽子を深く被り小さく頭を下げる。


 「おや、もういくのかい?」

 「棺桶を、作る」


 どこか苦笑めいた笑みを浮かべメリーメイヴは手を振った。


   ◇◆◇◆◇◆◇


 タレズは街壁の外、郊外の古い街道外れで彼らと密会した。


 「……先代から話は聞いている。リゲリアの爺さんだな?」

 「バンディドの若造か。偉くなったものだ。娘はどこだ」


 感情を押し殺したタレズの声にバンディドは臆することなく迫ると耳元で告げた。


 「無事だ。だが、お前に引き受けてもらわねばならない仕事がある。鉛被せ五千枚、三つ巡りの間にだ。黄金の蛇と呼ばれたリゲリアには造作ないだろう?」

 「昔の話だ。老いたれば最早、技は無い」


タレズはそう斬り捨てると小さく溜息をついた。

 バンディドは煮え切らないタレズを鼻で笑うと悪辣に笑う。


 「技は無くとも業はあるだろう。お前が断れば娘が死ぬ」


 交渉とは相手に頷かせる術である。


 「奴隷解放戦役より昔、自国のみならず幾多の国の外貨を彫ったリゲリアだ。できんはずはない。それらの悪行に背を向け、今は騎士気取りか。その過去を孫娘に暴いてやってもいいのだぞ?」

 「自らを偽り続けることの難しさを知らん齢でもない。やれるものならやってみるがいい。だが、律法の裁きを受けるならば、もろともじゃ」

 「それもいいだろう。だが、娘は無事ではすまさん」


 バンディドはそれをよく心得ていた。


 「昼と夜が変わるのを留める術は無い。良い返事を期待している」


 取り残されたタレズは途方も無く立ちつくしていた。


   ◇◆◇◆◇◆◇


 店に戻ったタレズを迎えたネルはどこか神妙な顔をしていた。


 「おじいちゃん……」


 タレズはどこか惚けたように孫娘を抱きしめると、その髪を撫でた。

 スタイアは手にした銀細工を透かし、小さく溜息をついた。


 「じいさん、喋るのが辛いなら、僕がかわりますよ?」

 「……貴様は、本当に優しいの」


 タレズは首を振り、静かに頷いた。

 ネルはその祖父からただならぬ気配を感じ、その胸をしっかりと抱きしめた。

 だが、祖父はその腕からするりと抜けると最後にネルの頬を静かに撫でた。

 そうして、しばし躊躇った後に告げた。


 「それは、わしが抱えるべきものだろうて」


どこか、冷たい瞳で見返すスタイアにタレズはそう告げた。

 ネルは不安になってタレズに手を伸ばす。

 その額をそっと抑えて離れるとタレズは愛おしそうに頭を撫ぜた。


 「おじいちゃん?どうしたの……ねえ?おじいちゃん?」

 「お前には、話してはいなかったな」


 タレズは静かにとつとつと語る。


 「わしはお前の祖父ではない。お前の本当の祖父母は30年も前に儂が村を焼いて逃げる際に殺してしまった。燃える村の中で泣き叫ぶ赤ん坊がおっての。その泣き声がどうにも、耳から離れず拾ってきてしまった。真っ直ぐにそだったお前の母親を見るに儂は昔の自分を許してもらいたくてフレジアに祈った。ザジスに見染められ、お前を授かる祝福を受けたのに、フレジアは儂への裁きを二人に課した」

 「おじいちゃん……?」

 「ネル……ネル。許されようなどとは思わぬ。だが、お前の友達を……儂のために失うことだけはあってはならないのだ」


 スタイアはそんな老爺の背後から小さく零した。


 「……娘と二人、逃げることもできるでしょうに」

 「業からは、絶対に、逃げられん」


 タレズはそう呟くと、静かに店を後にした。

 ドアベルの乾いた鐘の音が騎士でも盗賊でも無い一人の老人を送り出した。


   ◇◆◇◆◇◆◇


 タマはそこがヨッドヴァフの地下に張り巡らされた下水道であることを察した。

 目隠しこそされているがひんやりとした冷気と鼻を刺す悪臭、背中に押しつけた石壁の堅さが昔を思い出させる。


 「じいさんは来るかね」

 「来るだろうさ。まさか孫娘を見捨てて逃げる訳もない。まあ、見捨てたとしたならばそれも見物だろうさ」


 下卑た男達の笑いが響く。


 「そりゃ見物だが鉛被せ五千枚を用意できなければこっちが危ういんだろう?」

 「まあ、そうだろうな。できなければジェザードは俺たちを皆殺しにするだろうさ。ヴァフレジアンってのはそういうところだ」

 「どうするんだよ」

 「ニヴァリスタに渡りはつけているよ。いざとなれば証を持って逃げればニヴァリスタは俺たちをもとにジェザードを皮切りに国を責める。そうなればジェザードとはいえただでは済むまい」


 静かに耳を澄ませ、彼らの話に耳を傾ける。

 それだけでおおよそタマは自分のおかれている状況について理解した。

 自分はネルと間違われて攫われたのだ。

 巧みな細工の技術を持つタレズ・リゲリアはおそらく偽造通貨を作れる職人で何らかの理由で彼らはタレズ・リゲリアの技が必要になった。

 タマの主人であるスタイアが彼らの一味を殲滅したというのがその原因であろう。

 堅気に戻り、準騎士であるタレズ・リゲリアに要求を呑ませるため孫娘であるネル・リゲリアを攫う。

 ネルのブローチをつけていた自分がネルと間違われて攫われてしまった。


 「しかし、随分と大人しいガキだな」

 「おっかながってるんだろうよ。もっとおっかない目に遭わせてやろう」

 「へっへ、お前も好きだよなぁ。ガキなんざ抱いて気持ちいいのかよ」

 「商売女よっかいいぜ?ぎゃんぎゃん泣いて喚くのを無理矢理やんのは一度やるとやめられねえよ」


 危険だ、と本能的に察する。

 昔の記憶がまざまざと蘇り、これが危険であると覚える。

 目隠しを取られ、いやらしい笑みを浮かべる男達を見上げタマは怯えた形相を作る。


 「本当におっかながってやがる」


 目の端に涙を溜め、それが彼らの喜ぶ所作であることを知ってタマはそう振る舞った。


 「おい、せっかくの人質だ。傷物にはできねえ。お前の趣味はヤバすぎんだよ」

 「じゃあ傷が残らねえようにするよ。それなら構わねえだろ?」


 男はタマのズボンに手を伸ばし脱がそうとする。

 その頃合いを見計らって、タマは放屁した。

 どこか、可愛らしい音に男達は面くらう。

 タマはどこか恥ずかしそうに俯くと、呟いた。


 「ずっと……ごはん食べてないから」


 男達はその言いぐさにげらげらと笑い転げる。

 興を削げたのであればそれでいい、そうでなければまだまだ腹の中の物を出すだけだ。

 それでも興が削げぬのであれば……


 「くっせえ奴だ。クソでも零したんじゃねえか?」

 「クソ付きの股を舐めンのは病気になるからな。今日は我慢してやるか」


 幸運にも男達はそれで興を失っていた。 

だが、今日はというフレーズにこの男達が自分を解放する気が無いことを知る。

 タマは身じろぎしながら足と腕を縛る縄を確認する。

 抜こうと思えば、抜ける。

 だが、今はまだ逃げてはならない。

 自分が逃げれば奴らは自分ではなく、ネルを探し出す。

 スタイアやラナであればきっと自分を見つけ出して助けてくれる。

 だから、それまでは。

 タマは静かに息を潜めて怯えるふりを続けた。

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