第三章 『不徳の業、愛惜の行方』5
タマは自分の目算が大きく外れたことに気まずい思いをしていた。
「……奥12番、手前7番、中4番」
「はいはいー!」
元気に走り回る看板娘は夕暮れ時になって忙しさに殺されそうになっていた。
手、腕だけではなく、肩、頭、時には膝にまで皿を載せて片足で滑るように注文を配膳して回る。
これは後でネルに謝っておかなければならない。
「頑張ってるねえ」
アカデミアの兄弟子であるイシュメイルがエールを傾けながらタマの頭の上から自分の皿を取り上げる。
「そう思うなら……っと、手伝ってよ!」
膝の上から頭の上へ皿を載せてタマは膨れて見せる。
イシュメイルは既に酔っぱらった様子で酒臭く笑うとタマの頭と肩から皿を手に取った。
「僕はお客さんだからね?それより、今日はお芝居を見に行くんじゃなかったのかい?……奥のあっこのテーブルに回してあげてー」
イシュメイルはそれを隣のテーブルに渡すと、奥のテーブルまで運ばせる。
客は嫌そうな顔をしたが、それでも素直に皿を回す。
「あ、こら!お客さんになんてことを」
「今でこそ看板娘が忙しく走り回っているが、昔はスタさんとラナさんで回していたんだよ?その時はこのような光景は当たり前だったんだ。タマちゃんが居なければだいたいこんなモンだよ?」
タマは呆れてテーブルに皿を置くと、皆勝手に持っていってしまう。
「なに?あたしバカみたいじゃん」
「愛されるというのは商売じゃあ大事だろう?」
意地悪く笑うイシュメイルにタマは膨れる。
店の奥の仕切りから風呂から上がってきたスタイアが姿を見せる。
昨晩は騎士の仕事で遅く、今日は珍しく休みである。
だが、昼になっても一向に目覚める気配もなく、夕方になってのそのそと起き出してきたかと思えば、小一刻風呂に入っていた。
薄着のままで湯を滴らせたまま店に入ってきたスタイアの所作はだらしないというどころの話ではない。
「やあ、スタさん。それはあまりいただけないよ」
「ですかね」
反省する色もなくスタイアは勝手に甕からワインをカップで汲むと嚥下する。
「仕事する気が全く感じられない」
「遊べないのに仕事ばかりしてたら奴隷じゃないですか」
そうラナに聞こえるようにぼやいてみせるのだが、ラナはいつも通りに厨房で包丁を振るっている。
「ふむ、君を誘って遊びに行こうと思ったのだがね」
「誘われれば是が非でも遊びに行くんですけどね」
大きな溜息をついてワインを安いエールのように飲み干したスタイアはだらしなくゲップを零す。
それでも準騎士らしく鎧下に袖を通すのは習慣だからだろう。
「ねえ、ラナさん。遊びに行ってもいいですかね?」
スタイアはどこか諦めたように尋ねた。
ラナはしばらく厨房から出てこなかったが客に出す料理を運び、タマに渡すと静かにスタイアを見つめてから呟いた。
「容赦なりません」
これにはイシュメイルが驚いた表情を見せる。
「わお、驚いた。こうもはっきりラナが否定するなんて」
ラナは小さく鼻を鳴らす。
スタイアは大きな溜息をつくと、ふて腐れてワインを乱雑に煽った。
その様子がおかしくてイシュメイルはケタケタと笑う。
「わっはっは!スタイア・イグイットも存外たいしたことないな!稼ぎは悪くないんだから自分で自由になるお金くらい持ってるだろうに」
スタイアは鎧下のポケットから金貨を一枚手にして指で弾いてみる。
「あるじゃないか」
「偽物ですがね」
スタイアは金貨を囓ってみせると、くっきりと歯形がついているのを見せる。
「ふむ、偽物なのかい?」
歯形の奥に見える暗い光にイシュメイルは怪訝な顔をする。
「ええ」
スタイアが宙に放ると効果は二つに割れる。
いつの間にかスタイアの手には鞘に収められた剣が握られていた。
イシュメイルは割れた硬貨を手にすると、切断面をしげしげと見つめる。
「……これは、鉛かい?」
「鉛で作った硬貨に薄く伸ばした金を被せたものですけどね」
イシュメイルは顎をさすりながら硬貨を見つめ、鼻を鳴らす。
「……こんなことをしても、真に価値を得るには難しいだろうに」
「一時的な価値は得られますよ。問題はどこにそのツケを押しつけるのかってところですがね」
スタイアはそう呟くと溜息をついた。
「……先日、派手に斬ったそうじゃないか」
「いやあ、まあ、僕も油断してたっちゃ油断してたんですがどちらにしろ兜は割れてるわけですから」
兜を割る、とは、一番大切な部分を暴くという隠語である。
イシュメイルはふむ、と頷くと逆に尋ねる。
「ヴァフレジアン、かい?」
「問題はどう使うか、ですよ」
スタイアは変わらずだらしない瞳で息をつくと語る。
「自国で流通させればいたずらに貨幣の持つ価値を下げる。そうなれば短期でみれば利益は得られるでしょうが長期的に見れば、貨幣の価値が下がるから貨幣を中心に動く商人にとっちゃ逆に混乱を招くだけ招いて自分の首を絞めることになりますからね」
「ふむ、スタさんは商人が作ったと思っているのか」
「人を使って偽金を大量に作るという発想も、それだけの大量のお金を使う場面も商人以外にありえないですからね」
スタイアは手の中で偽の金貨を捩じくりまわし握り込むと丸めてゴミ箱に捨てた。
「これくらいに知恵が回るのであれば、彼らはそれほど愚かでもない。おそらくヨッドヴァフの外の国に対して使われることになるんでしょうね」
「外の国?」
どれだけ忙しく走り回っていても興味を持って尋ねてくるタマにスタイアは苦笑する。
「外の国ならいくら迷惑を掛けても大丈夫ですからね。国の中では価値は変わりませんから」
「外国だと変わるんでしょ?変わるとなにか困るの?」
「偽物のお金だとわかるとヨッドヴァフのお金は信用されなくなるんだ。そうなると、誰も求めなくなる。他国の商人が入りづらくなるんですよ。まあ、これも長期的な視野でみるとあんまりよろしくないんでしょうがね」
イシュメイルはしばらくスタイアに語らせるままにして黙って聞いていた。
そして、しばらくして顎を撫でからかうように言った。
「ふむ、スタさんには商才もあるようだね。遊べなくなった今、大富豪になるのも時間の問題だな。これだけ店を手伝わされれば将来は沢山美味しい思いをさせてもらえるに違いない」
「剣に流れがあるように、金にも流れがある。一つのものを追いかければ自ずと他のものも見えてくるもんですよ。理屈と実践は違いますからね、理屈捏ねて儲けられればそんな楽な商売は無いですよ」
「ふむ、理屈をこねて商売しているアカデミアにはちと耳が痛い言葉だね」
スタイアはひらひらと手を振り、ちらりちらりとラナを見る。
その視線を一瞥するとラナはいつものように溜息をすると食器に向き直った。
「ダメですかね」
「ダメです」
にべもなく言い放つラナの様子が普段と全く違い、棘のある物言いにイシュメイルは面白さより逆に怪訝さの方が強くなってしまう。
「スタさん、おかしいぞ?ラナさんが怒るようなことをしたのかい?例えば、子供を作ってしまったとか」
がしゃん、とラナが食器を取り落とす音が盛大に響く。
イシュメイルはその様子にたいそう驚いたがスタイアやタマは最早驚かなくなっていた。
「僕はそこまで面倒くさい遊びはしませんよ。子供ができたら裁判になるじゃないですか。曲がりなりにも準騎士ですからそういう裁判事は勘弁してもらいたいですからね」
「ふんむ……」
イシュメイルは訝しげに割れた食器を拾い集めるラナに視線を向けるが、やがて、鳴り響く鐘の音に思考を中断される。
「タマ!タマ!」
荒くれ者が集まる店には似つかわしくない可愛らしい少女だ。
「ネル!」
「えっへへー!早くいこーよ!今から行けば第三幕から最終幕までだからブレシィ・メスが王城に行くシーンからだよ!」
イシュメイルはその少女を見ると小さく微笑んだ。
「おや、ネルじゃないか。今日は演劇を見に行くのだね?タマが嬉しそうに話していたからね」
「わ!わ!……イシュメイル・スタークラック様!あの、その……」
「心配は要らない。よく遊ぶこともまた教養の一つだ。お師様には内緒にしておいてあげよう」
アカデミアの良き先達としてそう告げるイシュメイルは渋い顔をするタマを見る。
タマはどこか気まずそうな顔をしてネルを見返すと、小さく溜息をついた。
「……ごめん、今日忙しくて多分無理」
「えええ!ブレイシィ・メスが出演するのは今日までだよ?」
「でも、お店が……」
同じ学舎で学ぶ友人との友情と、自らを生かしてくれた者達への愛情の間で葛藤するタマは結局、愛情を優先することとした。
その様子を見たラナは小さく溜息をつくと厨房からのそのそと顔を出した。
「あ、ラナさん!今行くから……」
「タマ」
珍しくラナがタマの名を呼んだ。
そうして、アルメジア織のスカートのポケットから小さな袋を手にするとタマの手を取って握らせた。
「え?」
そのまま再び厨房に戻ったラナは去り際に小さく呟いた。
「……遊んでらっしゃい」
その呟きを聞いたイシュメイルは小さく驚いた。
「わおう」
隣で羨ましそうにタマを見ているスタイアが零した。
「遊びに厳しい女将のお許しが出ました。お店、忙しいのにどうするんですかね」
思い出したようにラナが厨房から顔を出し、カウンターにどっかりと座るスタイアをじっと見つめる。
イシュメイルが苦笑し、タマが申し訳なさそうに見上げ、スタイアはいよいよ天井を仰いだ。
「僕、今思い出したんだけど用事があるからイシュさんお願いできるかな?」
「僕も今思い出した。君がこの店の店長だ」
大きな溜息をつくスタイアにラナがエプロンを乱暴に投げつけた。
◇◆◇◆◇◆◇
フィルローラ・ティンジェルがグロウリィドーンから出るのは久方ぶりだった。
そもそも、グロウリィドーンから出たことなどニヴァリスタへの巡礼の時以来である。
「まったくもって面倒よ。遠征行って帰ってきたらすぐさま司祭を追ってオーロードに行ってくれって命令よ?」
そう言って犬車の固い椅子でだらしなく横になっているのはマチュアである。
「奴隷制ってまだ残ってんじゃないの?あの子供女王、人使い荒いわー」
とはいえ、マチュアとてすぐに追った訳ではない。
リバティベルに寄り道し、たっぷりと睡眠を取り、だるいからと一日休んでグウェンの仕事に二日付き合ってからの出発だ。
「勇者マチュア。あなたを見ていると頭痛がします」
「あによー?そんなこと言っちゃってー?本当はかまって欲しいからのろのろ進んでたんでしょー?」
身を乗り出したマチュアはフィルローラの後ろから抱きつき、嫌がるフィルローラの顎をなで回した。
「司祭が赴くとなればその道中は巡礼であり、多くの人の祈りを集めねばなりません。それは致し方が無いことなのです」
「あー、あれって結構いい金になるのよね。村を回って大きな教会に祈りを届けるって。途中、路銀が尽きた時とか教会でご飯食べさせて貰えるし私もよくやったわー」
多くの者は村を離れることはない。
祭日や週末に教会に祈りを捧げるが、小さな村に建てられた教会より大きな街の教会の方が利益があると信じられている。
司祭が遠方に赴く場合、巡回司祭として各地の祈りを届けるのも一つの仕事なのだ。
そうすることにより、教会を通じ、各地域との結びつきを改め、施政を助ける必要があるからだ。
巡回司祭が赴けない場合、マチュアのような流浪を生業とする者を代理に立て祈りと称した地域の要望を領主に届ける場合もある。
その使者をぞんざいに扱い、また、手酷く扱えば地域として孤立する。
「信じられませんわ。人々の善意をなんだと思っていらっしゃいますの?」
「善意?それこそ信じられないわよ。村は領主に陳情したいだけだし、他の村は隣の村の陳情を知りたいだけだし、領主は支配下にある村の状況を知りたい。謀反の気があればそれだけで領主としては大変だしねー。逆バージョンで潜入したこともあんのよ?教会の使者を装って謀反の首領を捜すの。すぱっと斬って終わりかと思ったら領主がやったこと全部知ってるわけでしょ?追っ手を躱すのに大変だったわー」
「不徳の中で生きるから不徳に染まるんです。子を持つ身なのですから無茶も辞めなければお子様が悲しむのですよ」
「だいじょーぶだいじょーぶ!私は、強いからねぇ」
そう言ってマチュアはフィルローラから身を離し、目を逸らした。
なにげ無い所作ではあるが深くマチュアに踏み込んでしまったことを知る。
「その強さには感服します。あなたが多くの弱きを救ったことも。ですが……」
「一番、最後」
マチュアは溜息を交えながらそう呟いた。
「自分のことは一番最後にやりゃいいのよ。他の面倒なこと全部、片付けてからね?」
軽やかに語るマチュアを真正面から見つめフィルローラは強いと思う。
同じ女の身でありながら幾多の不条理をねじ伏せてきた勇者はやはり、それだけの強さを持っていた。
自分の言葉では決して揺るぎはしないだろう。
だが、しかし、それでもと言い続けることをフィルローラは知っていた。
「私の前ではそんなだらしないこと、許しません」
どこかおどけて言ってみせるとマチュアはバツの悪そうな顔をした。
真面目に構えればどこまでも辛くなる。
だからこそ、笑えるようにしてやればいい。
「いやほんと堅物だわこの司祭」
「堅物フィルローラとか言い回ってるのはあなたでしょう?オーロードまではまだ時間がありますのでじっくりとお聞かせ願いますからね?」
逃げられなくなったマチュアはとうとう溜息をついた。
「……その堅物が通用する相手じゃないわよ。オーロードは」
「姫様からもそう聞き及んでおります」
「知ってる?同じ国であっても少し離れればそこは同じ国じゃないの。隣村三つくらいまでは同じ常識が通じるの。だけど、それを離れればそこは同じ常識は通じない。グロウリィドーンの常識はオーロードには通じないわよ?あの姫様、具体的には何も伝えてないんでしょう?」
「経験で覚えることこそが血肉にする。その意と覚えております」
「それで命を奪われちゃたまらないでしょうに。フィル?覚えておいて。彼らは正当なヨッドヴァフは自分たちだとずっと思っている。100年前に逃げた誇り無き民の末裔が新たに領地を得た程度にしか見ていないわ」
「ですが、予言者ヴァフこそがヨッドヴァフの正当な子孫で栄光戦争を経てヨッドヴァフを確立し、東方奪還によってオーロードはヨッドヴァフの正式な統治を得たのでしょう?」
「彼らにとってはその歴史は正しくないの。彼らはオーロードでずっと戦っていた。息絶えた王家の御旗を最後まで掲げたミルドに、逃げおおせ軍団を率いてヴァフが参じ国を取り戻した。ミルドの寛容でもってオーロードは再びその治世を取り戻した」
「ですが……」
「歴史の真偽なんてのはどうでもいいの。そして、どちらが正義なのかというのもどうでもいい。誰しも人は自分を優位に立たせる。強者から逃げる弱者であっても剣を交えるのは蛮族の行いと自分を優位にするのに必死なの。ヨッドヴァフⅢ世亡き今、オーロードは自らを優位とすることは自然のことなの。いい?フィル。この意識の違いを覚えておいて?」
真剣に語るマチュアにフィルローラは頷く。
「……あなたはこれから、私とアーリッシュ卿を従え、そのオーロードの意識を折に行くの。勇者マチュアと勇者アーリッシュというヨッドヴァフの暴力を示し、オーロードに恭順を求めるの。世の中には相互理解なんて言葉を使う輩がいるけど、結局、そこに暴力が絡めばあなたの掲げる正義は理解されない。そして、暴力の無い正義は正義の無い暴力に淘汰されるわ」
「それが今の私に求められる立場であることは、理解しています。ですが……それではいつまでも延々と暴力を広げるだけの支配となります」
「それができると思ってるほど、馬鹿でも無いんでしょう?」
あけすけに物を言う勇者の言葉にフィルローラは黙る。
「……あなたは、本当に強いのですね。私は……全然、ダメです……」
そんな弱気なフィルローラを見てマチュアは屈託無く笑った。
「神の奇跡を人の世に体現した大司祭が弱気ね?知ってる?アーリッシュはこう言ってたわよ?真意に悖れば危い、ただ、真に他者を思えるならばいずれの選択も間違いは無い。この言葉を言った人はきっと、最高にいい奴よ」




