第三章 『不徳の業、愛惜の行方』1
史跡国家ニヴァリスタ。
その土地の大部分を荒涼とした山地に置いたその国は常に周囲との争いが絶えなかった。
北の傭兵国家ハインランド、東のミリシア王国といった屈強、そして豊かな国と隣接するニヴァリスタはその境界を維持するために強大な軍を持たなければならなかった。
軍とは即ち、鉄の数。
グランドレイクを保有し、豊かな平原地を持つミリシアは鉄を持つ人を、そしてハインランドは峻険な山地に位置する国でありながら強大な飛竜騎士団を保有していた。
山地に位置するニヴァリスタには鉄を持つ人がハインランドと同じように少なかった。
そして、飛竜も無い。
だが、それでもニヴァリスタが侵略の憂き目にあわず、隣接国家と拮抗していたのには理由があった。
名前にもあるとおり、かつて、栄華を極めた魔道文明の史跡が多く残っていた。
「それは力だ」
ニヴァリスタ首都フェグラハの王城エボニーブレイズでレザルド・ニヴァ七世は告げた。
最早冬の様相を呈してきた寒い風が吹き込む窓の外は鈍色の雲に覆われている。
壁に備え付けられたサーリ鉱石の照明が青白い光を放ち、薄暗くなった王城を照らしていた。
王に従う若い魔術師はだまってその言を聞き、共に廊下を歩む。
「ヨッドヴァフの聖剣グロウクラッセ、我が国からもたらされたブラキオンレイドス。そして、大星槍。それは少ない鉄でもって多くの鉄を制する力だ」
老いてなお壮健な王は精力的な目で王室図書館の扉を開いた。
環石と似た輝きを持つサーリ鉱石が照明となり、青白く浮かび上がった図書館の中を王は進む。
「人、鉄、そして、それらをより有用に使う術。その総力の比べ合いが戦争というものだ」
どこか寂しげに呟いた王に魔術師は苦笑する。
「人は全てを知るには、至らない。だからこそ、比べ間違え争いを起こす」
王は再び肩を張ると一冊の灰色の装丁のされた本を魔術師に渡した。
「ヨッドヴァフは百年と国としては幼い。持てる史跡の価値を未だ知らない。だが、この先、その価値に気づき、人と鉄、そして術を持てばやがてそれは大きな争いを引き起こすであろう」
「567の夜、ですか」
そこまで黙っていた魔術師が口を開いた。
「……そうだ。7つのニザと7人の勇者が戦い多くの血が流れた開闢の戦の文献には正しく、強大な力が用いられている。誇りや虚飾を交えてもなお、強大な力がそこに横たわっているのであればそれは恐れなければならない」
王は鋭く、そう告げた。
「聖剣グロウクラッセが正しく伝承のとおりに光を放ったのであれば、『栄光の礎』も必ず存在するはずだ。その伝承が正しくあればそれは魔術を超える『魔法』となるだろう」
どこか、熱を持った口調で王がそれを口にした。
「灰色の魔術師、『魔法』を覚え、成した貴様ならばわかるであろう?それが国という小さな規模においてどれほどの運命を弄ぶのか」
「はい」
魔術師は抑揚もなく頷いた。
「ヨッドヴァフ三世が去り、幼く立ち上がったばかりの国だからこそ術のみで落とせる。国とは何も必ず取らねばならないものではない」
「……権謀策術のみで傀儡に落とし、自らに有利に導くのですね」
「百年という年月はその土地に国という誇りを芽吹かせるには十分だ」
魔術師はこの王に対し、知性と洞察を覚えた。
書物や風聞から正しき知識を吟味し、咀嚼し、正しく解いていく力はある。
だが、等しく流れる時という観念に捕らわれる業か。
「だが、文明が熟れるには不十分だ」
王は手にした灰色の本を魔術師に手渡した。
「それが、『栄光の礎』を記した伝記だ。グレン・シュナイダー、ヨッドヴァフを落とせ」
灰色の魔術師グレン・シュナイダーは金縁の片眼鏡の向こうで薄く笑った。
◇◆◇◆◇◆◇
グロウリィドーンの東にある聖フレジア教会の裏には広大な墓地がある。
外壁の外にまで広がった墓地の片隅に墓堀達の粗末な小屋が並んでいた。
秋の柔らかな日差しが土の匂いの混じった気だるい空気を浮かす。
陽光に煌めく塵を見つめ、ユーロは固い寝床から身を起こす。
黒ずんだ毛布を緩やかに跳ねると、大きく息を吐いた。
痛みは無い。
久しく忘れていた人の感覚を思い出し、息をすることも思い出す。
「勇者マチュアは刃を納めた。不本意だが仕方あるまい」
不意に響いた声にユーロは窓辺に座る小人を認めた。
陽光に蜻蛉のような透けた羽を輝かせ、パーヴァリア・キルはユーロを見つめていた。
ユーロは緩慢な瞬きを繰り返し、再び息を落とした。
「……久しく殺された気分はどんなものだ?」
「付き合わない」
皮肉を語るこの小人の冗談には付き合うと面倒である。
だから、ユーロはそう告げて汚れたシャツの上から外套を引っかけた。
だが、この小さな魔物は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「今は良いさ。だが、確実に人間は我々に牙を向けるだろう。ガルパトラインが討たれた。様々な思惑はあったのであろう。だが、我々が見るべきは魔物が討たれたということだ。いつか我々にその切っ先が届く」
「ふむ」
ユーロは無造作に引っかけたコートに袖を通す訳でもなく、瓶の水をコップで汲む。
喉を鳴らし嚥下するユーロを眺め、パーヴァは怪訝な顔をする。
「……貴様も、私もここには居られなくなる」
「それが、流れだ」
ユーロはそう言って大きく息を吐いた。
遠くを眺める瞳と、どこか楽しそうに笑う口元が怪訝に思えた。
「ユーロ、ユロフラアルガンの輪から零れたお前は人から見れば異質だ。人はその異質さを拒む。貴様にはこれからもいくつもの鉄が向けられるはずだ。貴様の隣で笑っていた人間が、ある日を境に貴様を罵る」
「戦いは、しない」
この男はいつだって結論から述べる。
だから、理解されない。
「貴様は、人にはなれない」
「魔物でもない」
そう告げたユーロはどこか気だるげに外套の袖に腕を通した。
油に固まった髪の上にくたびれた帽子を被ると静かにパーヴァを見た。
「……天秤は無くなった。だからこそ、新たな秩序を作る痛みを双方が覚えなければならない。現に魔物が狩られ、人は安心を覚え、やがて憎み出す。お前は人ではない、その本質は魔物に近い。だからこそ、この闘争に於いて我々と戦うべきだ。未だ多くの人間がその流れに気づく前に」
「ありがとう」
静かに頭を下げた。
毒気を抜かれたパーヴァは疲れたような顔をして肩をすくめた。
人でもなく、魔物でも無い自分を心配するパーヴァはおそらく友達というものなのだろう。
だからこそ、厳しいことも言う。
「店に、行く」
いつだって、この男は結論から述べる。
長く生き、それでも得られない結論をこの男は知っているのかもしれない。
「来るか?」
「貴様のポケットは臭くて叶わん」
――彼女がその結論を知るのはまだ、先の話である。