第二章 『悪徳の果て、勇者の価値』18
ヨッドヴァフの首都、グロウリィドーンの片隅にそれはある。
冒険者と呼ばれる人種が集まるその店は夕暮れの喧噪に活気を見せる。
リバティベル。
くたびれたウェスタンドアを開けば、柔らかな鐘とやる気のない店主、元気の良すぎる看板娘、そして、どこまでも無愛想な女将が迎える。
ただ、今日は女将の姿しか見えなかった。
ラナは給仕と調理をてきぱきとこなし、一人で店を切り盛りしていた。
最近でこそタマという看板娘が何でもするようにはなったが、かつてはこうして、自分一人でしていることの方が多かった。
どこか、懐かしくも思える。
新たに入ってきた冒険者達の顔を見れば、すぐに何を作れば良いのか理解する。
新規の客や希に注文を指定してくる客もいるが、ラナ一人の場合、客に注文を取りにいくことはしない。
元より手間のかかる事を嫌う店主の作るメニューはそうそう客を待たせはしない。
仕込みを十分にしていればすぐさま届けられるものばかりで、客に配膳を済ませると、ラナはエプロンを直して洗い物に取りかかった。
連日の活気と比べれば幾分、穏やかにも思える。
砂漠の鷹が壊滅したのが原因であろう。
少なくはない冒険者と大きな傭兵団が原因不明の壊滅を遂げれば、それを理由に幾ばくかの休息を取るのだ。
だが、それも冬が本格的に迫ればそうもゆかなくなるだろう。
ラナはそれでも久方ぶりの穏やかな空気に、普段は飲むことの無い黒湯を啜った。
「……随分とまあ、台所仕事の似合う」
突然の珍客はそんなラナを見て、素っ頓狂な声をあげた。
ラナが視線で追うと、入り口に驚いた顔で立つ勇者マチュアが居た。
ラナはもう一口だけ黒湯を啜る。
「……どのようなご用件で」
「酒場でしょ?客として来ちゃ悪いの?」
「斬りに来たのでは?」
「みすぼらしい店でコキ使われておさんどんしてる魔王を?注文の無い合間にちょっとサボってお茶してる魔王を?お茶してる罪、許せぬから成敗致す!ってのも締まらないわ」
マチュアはカウンター、それもラナの真正面にどっかりと座ると身を乗り出してラナに指を突きつけた。
「こないだのは今はチャラにしといてよ。魔王でしょ?そこんとこ貫禄見せてご馳走してよ」
随分と身勝手な物言いにラナは小さく溜息をついて立ち上がる。
「ご注文は何にしましょうか」
「ステーキ。ここの名物なんでしょ?あと、店主のお任せデザートって奴も」
ラナは厨房に戻り、ステーキを焼き始める。
マチュアは肉を切り分けるラナの背中に向かって意地悪い笑みを浮かべる。
「肉大きめにね?意地悪しちゃやーよ?」
ラナは不機嫌そうに振り返ると、本当に肉を小さくしてやろうか迷った。
そういった揶揄には酔っぱらいを相手にして慣れている。
手早く焼き上げると盛りつけてカウンターにぞんざいに並べていく。
「いっただきまー」
マチュアはステーキを切り分けることなくかぶりつくと、礼儀作法などどこ吹く風。
ずるずるとスープに口をつけて飲み干すや、副食のパンを握りつぶして噛まずに飲み込む。
ボリュームのあるステーキすら即座に嚥下すると、一息ついてラナが運んできた果汁を一気に飲み干した。
「早くてウマイってのはいいわねぇ。こりゃ流行るわ」
冒険者は総じて食事が早い。
いつ魔物に襲われるかわからない場所で長く時間をかけて飯を食べていられないからだ。
だが、それにしてもマチュアは早かった。
「で?早くデザートもってきなさいよ」
「店主が不在ですので」
ラナが不機嫌そうに告げるとマチュアは途端に喚きはじめた。
「えー!楽しみにしてきたのにその仕打ちってあんまりじゃなぁい?あんた作りなさいよ。お菓子の一つも作れなくちゃ『おにゃのこ力』無いゾ?あ、ひょっとしてこの間ちょっかい出したの根に持ってる?あんた暗いわねー」
散々な言われようである。
酔っぱらっているのであれば力ずくであしらうのだが、マチュアに至っては素面である。
そして、厄介なことにここで勇者相手に暴れれば被害が甚大になってしまう。
「……本日はどういったご用件で」
ラナは静かにそう尋ねた。
「飯喰いにきちゃ悪いの?酒場でしょうに」
「……食事ならば他にもお出しする場所はあります」
「ここのが美味しいって聞いたから来たんじゃない。アーリッシュの穴友達がやってるシルヴィアいきつけの店だって聞いたしねー。あの二人じゃあんまし当てにならないなーと思ったら、フィルローラ大司祭も美味しいって言うんだもん。あの堅物フィルローラがこんなところに出入りして甘菓子食べてるならちょっと気になるじゃん?でも、店主が不在ならしょうがにゃーなー」
マチュアは天井を見上げながら脳天気に応えた。
その仕草といい、あけっぴろげな態度といい、この勇者は自分を警戒していない。
だが、それは確かな強さに裏打ちされた自信だとラナは理解していた。
マチュアはそわそわとしながら周囲を見回していた。
「……誰かを?」
「捜してるわっけないじゃん?」
マチュアは眉根に皺を寄せて明らかに不機嫌そうに応えた。
明らかにわかるその素振りにラナは言及せず、少し冷めてしまった黒湯を手に取る。
「あ」
マチュアが何かを見つけ声を零す。
視線の先を見ればグウェンが戻ってきていた。
そういえば、ニリザとベイの弔いを済ませてから今日は初の仕事だったはずだ。
一人で戻ってきたということはタマは冒険者ギルドに皿を取りに行ったのであろう。
「む」
マチュアを見つけたグウェンは難しい顔をして俯いた。
「グウェン、おかえりー!待ってたんだぞぉー!」
マチュアはグウェンを抱きかかえると頬ずりする。
迷惑そうに身を捩るグウェンはその腕から逃れるとカウンターの椅子に座る。
ラナは厨房の床蓋を開けると冷え切った瓶からカップにミルクを汲み取る。
それをグウェンに出すと隣でマチュアが満面の笑みで笑った。
「おお?ミルク飲むのかー。背ぇ伸びるぞー?」
知り合い、なのだろう。
やけに馴れ馴れしいマチュアに辟易するグウェンはミルクを舐めるように飲みながら怪訝な瞳を向けた。
「なんば?今は仕事が忙しいち言った」
曲がりなりにも勇者と呼ばれることくらいは知り合いであれば知っているはずだ。
だが、グウェンは自らが目指す勇者をぞんざいに扱う。
「え、ああ……だから、今日は外食してんの」
対してどこかよそよそしく応えたマチュアの態度に違和感を覚える。
「せっかくだから今日は奢るわ。女将さん、ステーキふたつ!おっきいのお願い!……もー、前の客が食べた奴さっさとかーたーずーけてー」
マチュアは肘で自分が食べた皿を除けながらどこか不自然なまでに明るく振る舞っていた。
「わしはいらん」
「あう……じゃ、じゃあ、わたしもいらないってことで……」
ラナは黒湯を口につけながら、じっとマチュアを見つめる。
マチュアはばつが悪そうにラナとグウェンを交互に見つめた。
ラナは静かに黒湯のカップを降ろすと尋ねた。
「何か、事情が」
「なぁもな」
ぞんざいに応えたのはグウェンだったが、その頭にマチュアの手が乗った。
「……そんなことないでしょ?親子だもの」
どこか苦しく、吐き出すようにマチュアが言った。
ラナは合点が言った。
「私の仕事が仕事なモンだから、随分とほったらかしにしちゃってね。いまじゃあ、気の早い反抗期って奴よ」
「ふん」
グウェンは鼻を鳴らすとミルクを一気に飲み干した。
口元についたミルクを袖で拭うと、大きく息を吐いて数枚の銅貨をカウンターに置いた。
そうして足早に立ち去るグウェンに手を伸ばすが、その手を引いてしまう。
「……追わなくても?」
「追えればいいんだけど……勇者やってると色々面倒なのよねぇ」
マチュアはぼりぼりと頭をかくと静かに溜息をついた。
「砂漠の鷹を殲滅しに行ったら既に何者かによって殺戮が行われた後だった。そこに残っていたのは一つの魔導具といくつかの魔物の痕跡。正しく見れば、それは魔物を一人の男がぶった斬ったってことになるんでしょうけど……」
ラナが差し出したエールを煽り、僅かに赤らんだ頬で続けた。
「魔物がこの国に仕掛けてきてるって事実の方が重大だからね。そうなればあの子にも構ってられなくなるから」
どこか寂しそうに呟くマチュアが笑った。
それは自らに課した重荷を背負う者が見せる笑みだった。
「あたしもヤキが回ったモンね、あんたにこんなこと零してもしょうがないでしょうに」
ラナが静かに頭を垂れると、マチュアは笑い飛ばした。
「まぁ、あの子は父親に似て強いからねえ」
「……父親は?」
「今、何処にいるかなぁ……というか、私が子供産んだなんて知らないでしょうからね」
マチュアは大きく伸びをして立ち上がった。
どうやら、用は済んだらしい。
金貨を数枚、カウンターの上に置いて立ち上がる。
「取っておいて」
「多いです」
「言わなくても、わかるでしょ?」
おそらくは先日の詫びと、グウェンの世話、そして、砂漠の鷹への謝礼だろう。
暴力の痛みと責任を知る者は総じて不器用に振る舞う。
マチュアは去り際に友達に語るようにラナに言った。
「もし、あの子の父親の話聞くようだったら教えてちょうだいよ。こんな店、やってるくらいなら聞くこともあるだろうしさ?一発ぶん殴って私とグウェンの世話してもらうんだから」
勇者と呼ばれる猛者の、どこか人間らしい感情にラナは人にはわからない程の微笑みを浮かべた。
「お伺いしておきます」
黒湯を口に含み、ラナは尋ねた。
そこでマチュアは少女のような顔でラナに告げる。
「鉄鎖解放戦線の英雄、アスレイ・ザ・サウザンドキリング。それが愛しのマイダーリンかっこ仮」
それが驚愕の表情とは知らなかったのだろう。
マチュアは茫然とするラナに軽くウィンクすると手をひらひらと振ってウェスタンドアを押した。
「じゃね?また」
ラナは黒湯のカップを口に運んだまま硬直していた。
誰も居なくなり、鐘を虚しく慣らすウェスタンドアがきりきりと揺れていた。
そのドアを押して入れ違いに入って来たのは看板娘のタマだった。
「ただーまー。ぐーうぇーんー……あれ、もう帰っちゃったかな……あ、ラナさん」
タマは店に入り相棒を捜すがカップを口にしたまま微動だにしないラナを見つける。
「ねえラナさん、グウェン見なかっ……ラナさん?」
タマはいつもと様子の違うラナを見て首を傾げる。
目の前で手を振ってみても様子の無いラナの顔をタマがしげしげと覗き込む。
「おーい……ラナさ――」
「ブッフゥぅぅ――!」
ラナは盛大にタマの顔に黒湯を吐いた。