第二章 『悪徳の果て、勇者の価値』16
宵闇に染まる空を見上げていた。
グウェンは今まで、夢を見ていたような錯覚に陥る。
だが、自らの正気を疑う程、賢くは無い。
あるがままに、全てを受け入れ、そして、生きるためにまた、続く負の連鎖を断ち切らねばならない。
タマから、かつて聞いたことがある。
金貨五枚で人殺しを請け負ってくれる褐色の幽霊の話を。
その真偽は定かではなく、だが、少年の中に確かな確信があった。
傷ついた足を引きずり、グウェンはその店に向かった。
◇◆◇◆◇
古びたウェスタンドアを抜ければそこには静かな闇が横たわる。
だが、小さな燭台の明かりは全ての闇に抗うかのように柔らかく周囲を照らしていた。
その明かりにぼんやりと浮かぶ店主の姿にグウェンは目を細めた。
「お客さん、ですか?」
いつもと変わらない柔らかなこの笑みの奥にどれだけの人の死が横たわるのか。
グウェンはそれを知ると恐ろしくなった。
だが、それでも引くことを知らぬ勇者は静かに頷いた。
「殺してもらいたい」
朴訥な少年の口から零れた殺伐とした言葉に店主は鼻で笑った。
「君の剣は飾りか?君が殺せばいい。剣とは、そういうものだ」
どこまでも厳しい言葉にグウェンは竦みそうになる。
剣の切っ先のように突きつけられた現実は容赦なかった。
「わしじゃあ、斬れん」
「なれば他に恃むか。それは弱者の暴力ですよ」
多くを少年に教えた店主――スタイアはそういって少年を嗤った。
「多くの人は君と同じく力無い。叶えたくとも届かず、だからこそ満ちたる力を求め、抗い戦う。だが、多くは戦いに怯え臆し、戦場から目を逸らし逃げる。そうして求めるんですよ、替わりに戦う者を」
スタイアは静かに立ち上がり少年の前に立った。
「金で買われ、あるいは乞われて力を振るうのが戦士だ。生きるためにその業に身をやつすのが傭兵であり、そうして、勇気ある者と讃えられ勇者となる。しかし知れ、お前の臆病さが人を殺す。それは得てして金物を握る者だけにあらず。生きる業を背負うにおいて逃げた者の分だけ、何者かが戦わねばならない。君は既に知っているはずだ。戦うということがどれほど苛酷なことかを」
スタイアはどこか冷めた瞳でグウェンを見下ろしていた。
「弱者はその弱さを正当なものと説き、強者に戦場を強いるのを当たり前と説く。そしてそれが叶わなければ戦場の苛酷さを知らない彼等は戦った者を責める。その根底に横たわるのは最も醜き弱者の保身。強者同士の争いの次の矛先が自分に向くからだ、一度戦場から逃げた者は再び弱者を装い、強者に戦場を恃む。覚えておけ、人は決して他人の痛みを分かつことはない。分かてるのは共にその痛みを覚えた人のみだ。人という獣はのど笛を喰らう牙を捨て、思考を惑わす言葉という牙を持つ。だからこそ、真に痛みを知る者は痛みの前に人の言葉などが意味を成さないことを知る」
少年は静かに頷いた。
スタイアは厳かに問いただす。
「勇者グウェン。君はそれでいて、弱者の悲哀に酔いしれ勇者を気取るか?確たるものなく、いたずらに暴力を振るい愚かな自尊心のままに振る舞うか」
グウェンは迷うことなく応えた。
「あしの怒りは、正しい」
「それは自らを基準とした物の考え方だ。それを人は独善と言う」
「それが言葉の牙か。あしの怒りはあしには正しい。他人は知れん。よそがなんぞ言おうとわしの怒りは、正しい」
スタイアはどこか楽しそうに嗤った。
「それでは君と彼等はどう違う?欲望に任せ暴力を振るうのと、怒りに任せ暴力を振るう。そのいずれにどれほどの違いがあろうか」
グウェンは迷った。
タマならば何か応えたのであろうか。
だが、グウェンはどこまでも愚かで、だからこそ、真理を傍らに置いていた。
「違わん。暴力は、暴力じゃ」
スタイアは満足そうに頷くと静かに、そう、静かに表情を消して頷いた。
「それでいい。悪徳の果て、暴力の水平に立ち、剣を振るうのが戦士だ。勇者たるグウェン。君はそれでいて、敵わぬ暴力に人を恃むか?」
グウェンは知らない。
それはかつて、タマが言葉違えど尋ねられたことである。
だけど、この少年はどこまでも真っ直ぐに応えた。
「殺すのはわしじゃ、だから、殺してけれ」
スタイアは満足そうに頷き、そうして告げた。
「金貨5枚。それが、価値だ」
グウェンは袱紗から躊躇することなく金貨五枚を手にしテーブルに置いた。
静かに部屋の奥からラナが姿を現し、小さく、そう、小さく溜息をついた。
「……誰の死をご所望されますか?」
グウェンは確たる意思を持って応えた。
「砂漠の鷹、イ・ザン」
小さなハンドベルが鳴り響いた。
スタイアはテーブルの上の金貨五枚を攫うと手の平の上で弄んだ。
「……君に見せよう。暴力が暴力を淘汰する本当の戦場を。まんず、まず、斬りに行きましょうか」