第二章 『悪徳の果て、勇者の価値』15
「采配としては及第点であると言っておこう」
凱旋したアーリッシュ卿にヨッドヴァフ・ザ・フォースは感慨も無くそう告げた。
僅かに頭を垂れるだけで応じたアーリッシュに王は状況を告げる。
「報せがあった。ニヴァリスタが兵を集めているとな?国境付近に兵を展開するのは悪くは無いが、上策ではないな。我が国は魔王の国だ。魔王の国が兵力を国境付近に展開していればそれだけで、交戦の意思ありと見てとられる。いいか?ニヴァリスタにしろニ・ヨルグにしろ戦がしたいのだ。先の騒乱で疲弊した我が国を奪うという意思がその根幹にある。要を知れ」
「未だ、至らず恐縮にあります」
「そのためにヨッドメントの指揮を任せた。至れぬでは済まさぬ」
幼い相貌に見合わず、厳粛な威圧感をもって王は告げた。
「覚えておけ、人の意思は多くなれば多くなるほど纏めるのに時間がかかる。有象無象を束ねるとはそういうことだ。なれば、その時間をいかに有効に使うか。夜襲、奇襲がどれほど効果を上げるか知らぬ貴様ではあるまい」
「では間諜を用いて情報攪乱を行ったので?」
王は嗤った。
「うつけが。攪乱とは一時期の混乱を誘うものだ。調略には調略の正道がある。正しく相手に情報を開示し、判断させるというな」
アーリッシュは難しい顔をする。
「……秘密は秘密のままであるからこそ最大の効果を発揮するものでは?」
「心配は要らん。我が国は恐れ多くも魔王が統治していた国で、その娘たる私も魔王の娘であるとの認識だ。なれば、その喧伝を暗喩の域にまで正してやればいいだけだ」
アーリッシュは合点する。
「……ヨッドメント、ですか」
「暴力は正しく執り行われねば、ならない。全ての悪徳を執り行うのが国の、王の役目だと知れ」
幼き王が語るのは国の在り方から虚飾を排した姿であった。
それをしてなお、この王は続ける。
「王を見て国が判断できるならば、民を見て王を見ることもできる。それくらいには王というのは賢くなくてはならん。我が父が魔王であるのであれば私もまた、魔王でなければならん」
幼き王は静かにそう告げて溜息をつくと苦そうに顔を歪めた。
「問題は自国だ。他国であれば構わん。極めた話、他者を斬りつけても自らは痛痒を感じることはないからな。だが、病んだ箇所を斬るというのは存外痛い」
アーリッシュはそれだけで察した。
「……オーロード領主のセステナス・ミルドが?」
「うむ。兵を集めているとの報せが入った。フィルローラ大司祭に教巡名目で査察に行かせたがおそらくは手に余るであろう」
アーリッシュから考えても、フィルローラに腹芸ができるとは思わなかった。
そうなれば当然、自分が赴かねばならない。
「わかりました。ですが……」
王はアーリッシュの言わんとしていることを理解していた。
「ガルパトラインの脅威は去った。砂漠の鷹にはご退場願う」
王の背後でマチュアが不敵な笑みを浮かべていた。
◇◆◇◆◇
グウェンが目を覚ましたのは奇っ怪な場所であった。
見たことの無い植物の茂る洞窟、なのだろうか?
ぼんやりと明るい光を放つ植物の胞子が散る薄暗い部屋で床には精緻な紋様が描かれている。
洞窟、というにはいささか人の手が入りすぎているのだ。
グウェンはじくじくと痛む足に力を入れると立ち上がり、服の裾を破ると止血する。
そうして痛みに顔をしかめるが、構うことなく探索を始めた。
洞窟と思った場所はやはり、誰かが造ったもので綺麗に切りそろえられた石壁が長い廊下を造る。
石壁自体が淡い光を放ちぼんやりと浮かび上がった廊下の中でグウェンの瞳は静かに光に慣れてゆく。
やがて、その先に書斎が見えた。
そこには一組の男女が居た。
グウェンの気配に気がついた男が振り返り、どこか訝しげに見つめてくる。
濃緑のローブを纏ったその男は静かに、尋ねた。
「……来客かな?」
グウェンは応えずに静かに身構えた。
男には敵意もなく、また、威圧感も無い。
ただ、どこにでもいるような青年の佇まいなのだが、この未知の場所で悠然としていられることに警戒すべき気配があった。
いや、それらの理屈を越えて幼いグウェンはこの男が危険だと判断したのだ。
「来客じゃあないね。来客ならそれ相応の礼をもって尋ねるはずさ。人間だってそのくらいはわきまえてるし、私の来客ならばそのくらいはするさ。それ以外は招かれざる客だけど、悪意が無い。どうやら、迷い込んだみたいだ」
傍らに座る少女がそう告げた。
落ち着いた物腰や流暢の物言い、そして、何より知性と冷たさ、そして鋭さを備えた瞳は幾年を経た大人の様相を思わせる。
だが、その小さな体躯は少女としか言いようが無い。
「ふむ。軌跡はヨッドヴァフか……イシュメイルでもパーヴァリアでもなければあそこに私の客人たる人間は居ないのだけど……ん?」
少女はグウェンの首にかけられた魔導具を見つける。
「ほぅ、これはこれは」
少女はどこか懐かしそうに笑う。
「誰かと思えば懐かしい友人だ。我々は時の環から外れ、永劫の檻に落ちたが確か、君ら人間は未だその環にあるという。なれば繋いだ環か。よく見れば面影はある」
静かに歩み寄る少女にグウェンは身構えた。
「敵意は無い。もし、かりに、よしんば君に害を与えようと思えば、我々はすぐさま君の環を閉ざすこともできる。そう告げても抗い続けるのは人の無知でもあり、そして、美点でもあるのだが」
少女はそう言ってどこか皮肉めいた笑みを男に向けた。
そうしてすぐさまグウェンに視線を戻すと告げた。
「そうか、ヨッドヴァフ……七のニザと七人の勇者が争い四のニザと五人の勇者が倒れた。その戦は567の夜を越え、563の朝を迎えググングルフは我が警鐘を聞き、人を隣人として受け入れた。懐かしいと言える程時は経ってはいないが、しばし忘れてはいたよ」
「何者か」
グウェンは絞り出すように尋ねた。
「名は世界に己を縛り、また、世界は己に行く末を見せる。なればこそ名は輝き、音は自らを世界に形作る。ぞんざいに尋ねるな。我に名を与えたのは人だ。小さき星のクレア。クレア・ミニスターが我が名だ。幼き人よ。我が名を示した、汝の名を示せ」
「グウェン」
「良い名だ」
少女は柔らかく微笑んだ。
「お前の星が見える。人の、そして己の求める勇者となるべく課した道は潰える。悲嘆は無く、喜びも無く、鉄の地平の向こうにお前は自らの勇者を見つけるだろう」
クレアと名乗った少女は満足そうに微笑むと髪をかき上げた。
長い髪の中から現れたのは人とは異なる、長い耳だった。
グウェンの瞳が険しくなる。
クレアは告げた。
「幼すぎる。狭き妄執は生きる糧として強くあり、そして、理解を妨げる。少年よ、今一度、帰るといい。汝が成すべき星はここには無い。ヨッドヴァフへと帰れ。星は一つでは深淵の闇に浮く岩だと知れ。多くの星の輝きを見つめ、自らの輝きを知れ。お前の先に浮かぶ星の輝きを見よ。全てを焼き尽くす強さと、温もりを与える優しさ、愛に燃える激しさを鉄の風に載せるがお前の習う標」
少女の足下から風が沸き上がる。
烈風となった風に包まれ、グウェンは瞳を閉じることなく少女を見つめる。
クレアは柔らかく笑った。
「行け、勇者よ。お前の怒りは正しい。そして、我が友、お前の愛すべき者へよろしくと」
再び閃光がグウェンを包んだ。
少年を送り返したクレアは傍らの魔術師に告げた。
「かような少年が居る国だ」
「ですが、私は行きますよ」
魔術師はどこか楽しそうに笑った。
金色の鎖が揺れる片眼鏡を押し上げ、脇に抱えた黒い装丁の本をなぞる。
少女はどこか忌々しげに見つめ吐き捨てた。
「……エボニーバイブルの少女は希望を覚えた。叶うことなら、そのままに」
「私は知りたいのですよ。それでも」