第二章 『悪徳の果て、勇者の価値』11
騎士達が腰に吊した壺を投擲する。
魔獣の近くに落ちて蓋を開いた壺は紫色の液体を捲れあがる砂の中に含ませる。
それがガルパトラインの背甲に触れるが熱い岩盤に阻まれて傷口まで届かない。
その様を見たシルヴィアは炎の中で尋ねる。
「あんな毒で足止めできるのですか?」
「できるものか。できると思っておけ。これはそういう戦いだ」
アーリッシュは真っ直ぐに炎を見つめていた。
外周を取り囲むように立ち上る炎にも騎士達は毒を投げ込み始める。
炎があげる黒い煙が、僅かに青みを帯びた白煙を上げるようになった。
ダッツはにやりと笑うと、旗下の部隊に号令を飛ばした。
「爆ぜ玉放てッ!」
第七騎士団の騎士達は犬の腰に吊した筒を上空に向ける。
鉄板の弾力でもって鋭く打ち上げられた鉄球が上空の鷹獅子達の傍らを掠める。
イ・ザンはそれらを見て歯噛みする。
上空で爆散した鉄球がさらに上空に鉄鋲を押し上げる。
――冒険者が使う、爆ぜ玉と呼ばれる兵器だ。
火炎石を包んだ鉄の玉の中に釘を沢山詰め込んでおく。
遠距離、あるいは地上に仕掛け爆散させることで魔物を傷つける兵器だ。
もとは奴隷が鉄鎖解放戦線でヨッドヴァフの騎士達を屠るのに使った代物だ。
上空に打ち上げられることで落下の勢いを得て釘がガルパトラインの背甲に突き刺さってゆく。
「絶え間なく放てッ!合わせて鉄鎖杭を打ち込む!」
第七騎士団の騎士達が犬の首に括った機械弓から鎖のついたクォレルをガルパトラインの岩盤に打ち込んでゆく。
多くの犬を引きずりながらガルパトラインはそれでも逃げようとしていた。
だが、その様子を認めながらもイ・ザンは苦い顔をしていた。
飛び散った鉄球の鉄辺が鷹獅子達の翼に穴を開け、何騎かが空に留まれず落ちてゆく。
「ヨッドヴァフの騎士どもめッ!散開しろっ!翼をやらせるな!」
上空に逃げようとして、気がつく。
炎の中に混ざる煙に異臭がすることを。
意識を失った鷹獅子が地上に落ち、砂の上で首を降り、背に乗せた傭兵を叩きつけた。
「イ・ザン!毒だ!地上に逃げるしか無いっ!」
「思惑に乗れというのか!」
「頃合いだろうさ。死んではどうしょうもあるまい」
次々に地上に降り立つ傭兵達を眺め、アーリッシュが獰猛に笑う。
わざわざイ・ザンの隣に並び、皮肉まで放つ。
「さすが名高き『砂漠の鷹』、相対すればこちらも危うい」
「自国の王を打ち倒し名を上げた勇者には劣るさ」
皮肉を返すイ・ザンも流石である。
「さて、そろそろ始末をつけようとしようか。せいぜい、背中に目をつけることだ」
イ・ザンの脅しにアーリッシュは鼻で笑って返した。
「混戦中に首を掻かれてはたまらないからね、切り札を使わせてもらうよ」
アーリッシュはそう告げてガルパトラインの方へと視線を向ける。
砂に潜り込み、逃げようとしたガルパトラインを強引に引きずり出したダッツの第七騎士団がその鎖を解いた。
遠征隊の多くはいよいよもってこの討伐が最終段階に来たことを知る。
そこで、飛び出したのがマチュアだった。
「さぁて、一番美味しいところ、かっさらってっちゃおっかなー」
薄く青みを帯びた長剣を肩に担ぎ、不敵に笑う勇者は大きく屈伸すると魔物に駆けだしていった。
手柄を立て、多くの報酬を得ようと群がる冒険者達の間を抜け、一陣の風となって疾走する。
いよいよもって身体で進路を塞ごうとした傭兵達をマチュアは容赦なく背後から斬り捨てた。
「邪魔よあんたら」
一匹の女豹となったマチュアは獰猛なまでに引き絞った鋭い眼でガルパトラインを睨み上げ、返り血で染まる。
血煙を後に引き、銀の閃光を従えて疾駆する。
傭兵達がその行く手を阻み、最早、体面すらかなぐり捨てマチュアに襲いかかる。
ニ・ヨルグの砂漠で多くの血をその砂に落としたグランド・シャムシールが閃く。
閃く銀光を貫き、勇者が駆け抜ける。
「翻りて時を断て『刹那の弾劾』」
加速した勇者は光を追い越し、銀閃を奔らせる。
その軌跡に触れた者は弾けるように爆ぜ、多くの血煙の一つとなった。
宙に舞う兜を追って鮮血が噴き上がりマチュアは獰猛に笑った。
「戦場に何を期待してるんだかっ!あんた達の欲しいモノは何一つないってのに。ねぇ?」
同意を求めるようにガルパトラインを見上げ、マチュアは剣を構えた。
荒れ狂う砂塵、燃え上がる炎に煙る煙。
そして、風にたなびく毒と積まれた骸。
どこまでも人間臭い戦場に唾棄してマチュアは静かに目を細めた。
流れる砂塵の上を奔り、首を振り上げたガルパトラインに肉薄するとその胸に剣を突き立てる。
岩盤を割り、深く、深く突き刺さった剣が光芒を放つ。
「命運を照らす暁『ドーンブレイズ』!斜光に焼けッ!あまねく人を救って見せろ!」
零れる光が岩盤を砕き、捲る。
閃光がガルパトラインを飲み込み押し飛ばす。
爆ぜた岩盤が奔流となって空へと撃ち出され、獣の咆哮が尾を引いた。
雷光が溢れ、砂漠に打ちつけられ砂塵を叩く。
大地が揺れ、轟音が叩きつけられ、閃光が押しつぶした。
光の嵐が収まり、青白い燐光が散る中でガルパトラインは静かに熱気を孕んだ瞳でマチュアを見下ろしていた。
静かに見上げたマチュアには僅かな驚きがあった。
岩盤を全て剥ぎ取られたガルパトラインは焦げた体毛に雷光を纏わせ、黒い煙を吐き出していた。
焼かれた肺が青く、黒ずんだ血となって口腔内から零れている。
だが、それでもガルパトラインはより激しく雷光を全身に纏い、佇んでいた。
マチュアはそれでも生きようとするガルパトラインに僅かばかりの感嘆を覚える。
「命を叩くのはいつだって、命だ」
そんな感嘆を吹き飛ばすようにその頭上を三騎の犬が飛び越えてゆく。
雷光に焼かれ、それでも突き進み栄光を掲げる騎士と共に。
ガルパトラインが最後の咆哮を、高く、高くあげた。
命の最後の煌めきを燃やし、雷光が激しく空を焼いた。
稲妻に打たれ、倒れ伏す人々の先頭を走り、命を叩くために、ただ、騎士が奔る。
先陣を切るスタイアが激しく雷光を切り払い、銀の颶風となる。
その巨体を駆け回り、銀の風は巨獣を切り刻む。
ダッツの犬が身を捩り跳躍する。
螺旋を描く中、ダッツの槍が一陣の光芒となってガルパトラインの喉を貫いた。
陽光が眩しい。
激しく焼く栄光の光を携え、ヨッドヴァフの勇者が剣を振りかぶった。
直上から振り下ろした超重量の斬撃がガルパトラインの頭蓋を叩き割る。
衝撃が轟音を打ち、打たれた轟音が震えて響く。
ガルパトラインの巨体が雷光に一層、輝く。
青白い閃光が立ち上り、晴れの空を鈍く、鈍く震わせる。
静かに最後の嘶きを零し、ガルパトラインは悲しげにその瞳を伏せた。
そうして静かにその巨体を砂に沈めた。
遠く、遠くその最後を見たラナは静かに顔を伏せた。