第二章 『悪徳の果て、勇者の価値』8
眼下を奔るスタイアらは上空を飛翔する鷹獅子を追うように犬の腹を蹴飛ばした。
「完全に読み違えたか、アーリィっ!」
先頭を疾駆するダッツはどこか苛立った声で怒鳴った。
一番槍をつけることを武名としてきたダッツにとって、出遅れることは恥以外の何者でもなかった。
「読み違えは無いでしょうよ!僕らは人を騙して叩き斬る下衆な戦争稼業でしょうに!」
最後尾を走るスタイアがどこか面白そうに笑った。
流れる風に声を攫われるから必然として声が大きくなる。
「勝ちを攫われるのは面白くねえんだよ!」
「スタイアッ!お前はどう見る!」
同じく苛立ちを交えたアーリッシュが尋ねた。
「勇者マチュアは当然来てるのでしょう?なら、残った彼女が一番正しい!」
「そうか!」
アーリッシュは獰猛に笑うと、眼前だけを見ることにした。
「面倒だが、国の面子も保たねばならんというのは存外にきっつい!」
「ハッ、外国の傭兵に遅れを取って、ただぶらぶらついて歩いて回っただけでしたってか。冗談じゃねえぜ!」
「それが狙いなんでしょうよ!そこさえ覚えておけばどうとでもなります!」
ダッツの横に並んだスタイアがどこまでも獰猛な笑みで笑った。
三人は視線を交錯させ、頭上を見上げた。
「……僕ははじめて相手にしますけど、空を飛ぶ大群てのはどうしたものでしょうかね」
「「策はあるさ」」
アーリッシュとダッツは会心の笑みを浮かべる。
「これは心強い……ん?」
つられて笑いかけたスタイアが視線の先にその姿を見つけた。
「ありゃ、なんだッ!」
ダッツが素っ頓狂な声を上げ、続いて見つけたアーリッシュが唖然とする。
「子供が、居る?」
◇◆◇◆◇
犬も無く、翼も無いとなれば。
大人達に先駆けるには、危険と知っていながらもより近くで夜営する他無かった。
夜中に他の冒険者達より先んじて野営地を抜け出し、観測所から死角となる砂丘で夜を越す。
抜け駆けをして倒せる相手であれば他の冒険者もうそうしただろう。
だが、生きて帰ることを選択するならば決して抜け駆けするよりかは足並みを揃えて ――いや、正しくは少し遅れて辿り着くのが正しい選択と言えた。
だが、彼にはそんな選択肢は無かった。
「ガルパトラインのすか」
グウェンは仲間すら置き去りにして、ただ一人、視線の先に揺らめくその巨体を見つけ駆けだした。
タマが居れば、そんなグウェンの行動を見咎めただろう。
ニリサやベイを置き去りにして先駆け、その魔獣を討ち取るツモリで居た。
砂漠を泳ぐその大怪獣を前に、少年には大きいその長剣すら、無力に思える。
だが、しかし、それでも。
勝つことを諦める選択肢はグウェンには無い。
「ゆくる」
柔らかい砂は足を殺し、少年の勢いを殺す。
それに比べ、ガルパトラインの砂を蹴る速度は風を追い越していた。
大きく跳躍し、砂に潜り込む。
捲れあがった砂塵がグウェンを飲み込み、吹き飛ばす。
荒れ狂う波となった砂がグウェンを巻き上げ、その小さな体躯を空に放った。
勝てる要素など、何一つ無い。
あるがままの状況を受け止め、退くを選択肢から消す。
ほんの僅かに逆巻く砂の流れが見える。
グウェンは小さな身体を捻り剣を振りかぶり濁流に飛び込む。
巻き込まれる砂の逆流の中で、岩が動くのが見えた。
蠢く岩に走る亀裂の中から熱風が噴き出ている。
ただ、導かれるようにその亀裂に剣を広げ、転がるように飛び込んだ。
剛毛に覆われた岩の中は焼けるように熱く、激しく揺れる。
引きずり回される感覚の中、それでも掻き分け剣を伸ばした。
――気がつけば宙に放り出されていた。
青々と輝く空の眩しさを見上げ、落ちる中で獣が大きく身を捩ったのを見た。
地面に落ちれば死ぬ。
だが、それでも巻き上がる砂を見極めて落ちることができるなら。
――連続の選択の中、退くという選択を無くす。
そうすることで、死地における命を奪う永遠の一瞬を避けることができる。
そうして見える世界のただ中で、生きる覚悟をあえて呼ぶなら。
「バカですか!君は!」
大きく跳躍した犬がグウェンの身体を抱いていた。
スタイアは珍しく怒気を孕んだ声で怒鳴っていた。
「わしは勇者にならねばならんのすっ!」
「死に狂ってどうする!狭い世界で戦うな!全てを利用しろッ!そうして、戦って死になさいッ!」
逆流する砂塵の上を跳び、犬がガルパトラインの背甲の上を走る。
それに一拍遅れるように上空を飛翔する『砂漠の鷹』の鷹獅子が甲高く鳴いた。
イ・ザンは目の前の光景に苦笑すると腕を伸ばし号令を発した。
「炎石投下ッ!」
――鷹獅子の腹に括り付けられた火炎石をグリーヴの踵が蹴飛ばした。
グリーヴとの摩擦で着火した火炎石が炎を曳きながら落とされる。
表面の油脂を燃やし尽くし、ガルパトラインの背甲に転がった火炎石が轟音をまき散らしながら爆発した。
黒煙の中を割って現れたダッツがハルヴァードをかざし、スタイアの頭上を跳んだ。
「まさか、ガキに一番槍を取られるとはなッ!」
着地すると同時に強烈な斬撃を背甲に放つ。
硬い岩盤が砕け、露わになった剛毛の間に間髪入れずに飛び込み、ハルヴァードを突き込む。
犬が跳躍し、ハルヴァードの戦斧が岩盤を捲り、追って青白い血が噴き上がった。
「心意気はよしッ!」
振り返り、獰猛に笑うダッツにスタイアは渋い顔を作ると頭上を見上げた。
「引きますよ。巻き込まれてはたまりませんからね」
「ハッ!なら帰りがけに一槍浴びせようかッ!」
身を捩り、長い胸ヒレを振り回し背にまとわりついた二人を払うようにガルパトラインが暴れる。
その巨躯を犬が軽々と登り、ダッツはその額に、スタイアはその下顎にそれぞれ獲物を突き込む。
頭を激しく振ったガルパトラインに叩き落とされ、二騎は巻き上がる砂塵の中に落ちるが、巻き上がる砂塵に紛れて大きく距離を取った。
僅かに怒気を孕んだガルパトラインの真正面に対峙するのはアーリッシュだった。
長大なグロウクラッセを片手で引きずり、静かにガルパトラインを見据える。
「……さぁて、やろうかッ!」
獰猛に笑い犬を走らせる。
引きずられたグロウクラッセが砂塵を巻き上げ、アーリッシュは疾駆する。
ガルパトラインが胴体を捻り、背でアーリッシュを押しつぶそうとするが犬はその背に飛び乗ると柔らかく背甲を蹴った。
――アーリッシュの腕の中でグロウクラッセが翻る。
超重剣であるグロウクラッセが翻る度に、背甲が割れ、背角が断たれる。
青白く輝く刀身がバターを切り裂くように岩盤を破り、剛毛ごと断つ。
そうして体躯を駆け上がり、巨獣の首の付け根に深々とグロウクラッセを突き立てると犬は高々と跳躍して振り上げられた胸ヒレを蹴り地面に降りる。
イ・ザンは間近に見るヨッドヴァフの勇者の実力を冷静に見ながら呟く。
「可能なら、ここで始末するか」
「おそらくは無理でしょう」
リ・ゴゥはより正しく分析した。
背後からは王国騎士団、そして、冒険者達が遅ればせながらやってきた。
騎士団は名誉の為、そして、冒険者達は明日の糧のため槍を付けねばならなかった。
――戦わない者が得るものは何も無い。