第二章 『悪徳の果て、勇者の価値』7
東の空に黎明が広がり、砂漠の朝の冷たい空気にミャリハズは髭を引っ張られた。
冷え切った空気が肌を刺し、不精に伸びた髭の毛穴を縮めるからだ。
ミャリハズ・グルーグは久方ぶりに食べた肉の味を堪能しながら単眼鏡を除いていた。
水晶を重ねた筒により遠くの景色を見ることができる筒だ。
その場にあるのは粗末な天幕と積み上げられた糧食のみ。
何ヶ月もこの場で砂漠を眺める生活をミャリハムは行っていた。
その手の中にある単眼鏡を売り払えば数年は街で暮らしていけるというのに。
それだけ、高価なのだ。
市井に生きる者には魔導具のようにも思える高価な代物で、ミャリハズも先代から譲り受ける形で手に入れたものだ。
だが、それよりもっと価値のあるものをミャリハズは先代から受け継いでいた。
観測手としての経験だ。
「……風が湿ってきた。来るぜそろそろ」
肉の切れ端をエールで押し流し、酔いが程よく回ってくる。
だが、積み上げられた経験と自信はその程度のことで自らが請け負った仕事をおろそかにはしない。
「『風の眼』観測手ミャリハズの異名は流石と言ったところですね」
優秀なハンターに数多くの魔物を提供してきた。
ミャリハズは魔物の生態を追うことだけを生業とする観測手だった。
「匂うんだよ。汗臭い銅貨のような酸っぱい匂いが風に混ざってる。奴の匂いだ。風上から匂ってくる」
並の者ならその匂いには気がつかない。
だが、ほんの僅かな、それでいて、気にもとまらないような匂い。
それを正しく嗅ぎ分けなければ観測手として生計は立てられない。
「砂が重い。ガルパトラインに引っ張られてやがる。『砂漠の鷹』に伝えてやれ、奴にもこっちの気配が伝わっているってな」
遠くを吹きすさぶ、風に混じる砂。
その僅かな動きの変化すら見逃さない。
それくらいに磨かねば、圧倒的な力の差を持つ魔物に喰われるからだ。
長年積み上げてきた知識と経験は確かな価値を持つ。
だからこそ、優秀なハンターがこぞって彼に金を積むのだ。
「……やべえわな。チリチリしてやがる」
ミャリハズは思わず呟いた。
時として自然は人が生涯を掛けた情熱すらも凌駕する。
一瞬の後、閃光が迸り、ミャリハズの観測基地を薙ぎ払った。
◇◆◇◆◇
地平の向こうから朝焼けを広げる太陽とは別の光が迸った。
それはともすれば野営地に駐留する者の間では気紛れな太陽の煌めきと思えたのかもしれない。
だが、それだけで優秀なハンター達、そして、歴戦の兵達は戦の準備を始めた。
イ・ザンは慌ただしく兵装を整えると団員に招集をかける。
天幕から出てぐるりと野営地を一瞥するだけで、今、我軍の準備がどれほどできているのか理解した。
傍らに控えるリ・ゴゥに告げる。
「王国騎士は我々が後衛につくと思っているだろう。だからこそ、先行する――ついてこれる者だけ、ついて来いッ!」
イ・ザンの怒号が響き、鷹獅子が傍らに舞い降りる。
『砂漠の鷹』、いや、ニ・ヨルグが砂漠という国に拠点を置き、戦争資源に劣りながら他国と対等以上に渡り合う理由の一つ。
獅子の体躯を持つ、鷹。
たてがみを持つ鷹。
鷹獅子と呼ばれるその騎獣を従え、行軍が困難となる砂漠で機動力を発揮する。
それが、ニ・ヨルグ、そして、『砂漠の鷹』を強者と知らしめている理由だ。
天幕をそのままに、鷹獅子が乾いた砂漠の空に飛翔する。
多くの騎兵が神速を尊ぶのに漏れず、『砂漠の鷹』は未だ喧噪の中に居る冒険者や王国騎士団を置き去りに飛翔する。
上空からその様を眺め、リ・ゴゥはほくそ笑む。
「流石については来れまい……ん?」
「着いてくるか……戦慣れしている。あれらは相当に遣る」
イ・ザンは自らの鷹獅子の影に重なり奔る三騎の犬を見た。
先頭を疾走するのは第七騎士団団長ダッツ・ストレイル。
それに併走するように近衛騎士アーリッシュ・カーマイン。
最後に続いたのはもう一人の騎士だけ、イ・ザンにはわからなかった。
「二人は知っているが、最後のあれは何だ?」
「聞いたことがある。バルツホルドの三騎士、スタイア・イグイットでしょう」
「冒険者か」
イ・ザンは犬の背に丸まって騎乗するスタイアを一瞥し、どこか底知れぬ恐れを覚えた。
だが、それでもだ。
「せいぜいついて来るが良い。戦争屋の戦い方を見せてやる」




