第二章 『悪徳の果て、勇者の価値』6
姿形による分類がしづらい魔物に名前が付くのには二通りの理由がある。
一つはディッグのような個体数が多く、また特徴がほぼ同一とみなされる場合。
これらに相対したときの対処法を冒険者は覚えねばならないことから、共通の認識として名称を付ける。
もう一つの理由は、あまりにも強力な魔物である場合だ。
遭遇して即討伐されるのはもとより、依頼があったとしても数日の内に討伐される魔物であれば個体名など持たない。
そうなれば、一定以上の恐怖として対峙した冒険者が逃走しなければならない相手として認識するために名前が付けられる。
魔獣ガルパトラインはその後者である。
その生態をヨシュ砂漠に置くその魔物は一言で言い表せば、動く山であった。
表面に付着した砂が汗や体液で固まり、長い体毛に絡まり強固な岩盤を築く。
砂を海のように掻き分ける海竜のようなその姿は目にした者はまるで砂漠に突如現れた巨大な山のように錯覚する。
だが、恐ろしいのは一見して鈍重そうに見えるこの魔物が恐ろしく俊敏であることだ。
岩盤を張り付かせたまま活動するこの魔物は恐ろしくその筋力を発達させており、岩盤を引き剥がすと途端に元の俊敏さを取り戻す。
これだけであれば、並の魔物と変わりはしない。
この魔物が魔獣と呼ばれる所以は恐ろしく強力なブレスを扱うからだ。
ブレス、と聞けば当然、口腔部から吐き出されるものと誰しもが想像する。
だが、この魔物は背面の岩盤から高農度の雷撃を放つのだ。
砂竜を補食する場合、これを直撃させるが、対峙した冒険者の談によればそれだけではない。
かつて討伐を試みた一団が挑んだ際は暴れるだけ暴れて砂を跳ね上げ、吐き出された雷撃は拡散して広範囲に広げてこれを一掃した。
つまり、高い知性をも持ち合わせているのだ。
ラナは夜営の準備をしながら、静かに砂漠の向こうを見つめていた。
マルメラの丘からふらりと現れた魔獣の心中を計れば、また、これも大いなる流れのもたらした事象かとも思う。
古き盟約が解かれ、一つの均衡を失えば、それは他の均衡にも影響を及ぼす。
ニザを離れた身であれば知ることは叶わない。
「やあ、ここに居たんですか」
天幕の一団から離れ、スタイアがラナを見つけた。
ラナは星空の下で屈託なく笑うスタイアを見て、僅かに顔を伏せた。
――自分の想うものだけは自分で守らねばと思う。
「大丈夫ですよ」
そんなラナの心中を見透かしたようにスタイアは苦笑する。
隣に並び、スタイアがそっとラナを抱き寄せる。
「……少し、不安になりました」
「砂漠の夜は冷え込みますからね。嵐が来そうだ」
ラナはスタイアの胸に顔を埋め、額を寄せて頷いた。
スタイアはそんなラナから顔を逸らし、どこまでも続く砂漠を見つめる。
「嵐の前に、我々は無力です」
「それが人でしょう。それでも行きます」
全てを見つめ、それでいて鈍く、それでも生きてきたスタイアの言葉は至極だった。
だからこそ、危うい。
あの小さな剣士に覚えたのだろうか。
ラナは静かに身を離し、その赤い瞳を揺らしスタイアを見つめた。
「わかっていながら、あなたは矛盾しています」
そう、わかっていながらスタイアは矛盾を持つ。
困ったような、それでいて苦しそうな顔で見つめ返すスタイアは時を経ても、変わらない。
そうして、笑うのだ。
「……長く生きれば、恥ばかり重ねてしまいます」
「あなたは、私を決して、見ない」
そう告げるラナからスタイアは瞳を逸らした。
「見れば、鈍ります。それくらい、生きるには厳しい」
「選んだのは、あなたです」
ラナは言ってしまって、どこか滑稽に思う。
どこまでも小さいと、自分でも理解する。
何故、そうしたのかの理由すらわからずに。
「夕餉にしましょう」
口を出すべきでは、無い。
あるがままにすべきだ。
天幕に戻るラナに取り残される形となったスタイアはどこか苦く呟く。
「……苦労、させすぎましたかね」
ラナは振り返り、僅かに微笑みかける。
「どうぞ、そのままに」